物語の糸口

そうざ

Clue to the Story

「――という作品なんですが」

 その人は、昔一度だけ読んだ事のある面白い小説の筋立てを大雑把に説明した。長編と言える程には長くなく、短編のように短くはない作品だったという。

「仰るような筋立てだとしたら、ジャンルはSFですかね? ファンタジーかな? ちょっとホラーっぽい感じもしますが」

「恋愛要素もあって、泣ける場面もありました」

 数々の悲喜交々を経て成長して行く主人公の姿に感動したにも拘わらず、題名も作家名もすっかり忘れてしまったというのだから、これは中々の難問だ。

「引っ越しの時に紛失したのかなぁ……」

 いずれまた読み返す時が来るだろうと本棚の片隅に置いておいた筈なのに、気が付いた時には見当たらなくなっていたらしい。

「最近は、単なる勘違いかも知れないと思うようになりました」

「勘違い?」

「もしかしたら夢の中で読んだ本で、僕は存在しない作品を捜し続けてるだけじゃないかって」

「まさか、そんな」

 これは中々の重傷だ。

 これまで沢山の人の要望を叶えて来たが、たまにこういうぼんやりとした手掛かりしかない場合がある。

「時間が掛かるかも知れませんが、捜してみます。もし他に何か思い出したら直ぐにお知らせ下さい」

「はい、宜しくお願いします」


 それ切り、あの人は姿を見せない。

 案の定というべきか、頼まれた捜し物は見付からず、月日だけが過ぎて行った。

 やがて、他の雑事に追われて忘れ掛けていた頃、くだんの人物は晴れやかな顔で現れた。

「これを手掛かりにして下さい」

 その人が持参したのは、紙の束だった。手書きの読み難い文字が連なっている。彼方此方あちこちの黒ずみは、消しゴムを何度も掛けて書き直した跡のようだ。

「何とか記憶を辿って書いてみました」

「これ自体がもう立派な作品ですよ」

 私は思わず物語に没頭してしまった。泣いたり、笑ったり、はらはらしたり、波乱万丈の人生が適度な枚数に簡潔にまとまっている。

「これが貴方の読みたかった物語なのですね」

「はい、を捜して貰えますか?」

「もうその必要はありませんよ」

 目の前の人物が、細かな光の粒になって宙に消えた。ようやく新たな人生せいを送る心構えが整ったようだ。

 しかし、前以まえもって思い描いた通りの物語を現実に手繰れるかどうかは、その人次第。大抵の人が忘れてしまうのだ。

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物語の糸口 そうざ @so-za

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