第4話 夜宮日奈の思うこと

 私は、人のぬくもりをよく知らない。

 幼い頃からずっと、傍には誰もいなかった。


 覚えている一番古い記憶は、父親に拒絶されたことだ。


 幼い頃、本家のお屋敷で父を見つけた。髪を染め、服をだらしなく着崩していた。駆け寄ると、小さく舌打ちをされた。近寄るな、と、そういう類の言葉を吐かれた気がする。


 でも私はその足に縋り付いた。何をしようとしていたんだろう? 母親は私を産んだ時に死んでいる。だから、残っている親というのは父しかいない。愛情を求めていたのかもしれない。


 そんな私を、父は強引に振り払った。


『お前なんて生まれなければよかったのに……』


 彼が呟いた言葉を、なぜか今でも覚えている。

 それから父とは二度と会っていない。


 私は、不義の子だ。小学校に入る前の早い段階から、自分はそういう異物だと理解していた。だから私のことを誰もが嫌っている。そう認識している。


 当主であるお爺様は私に言った。


『お前自身には何の価値もない』


 そうなのだろうと思った。私がこの世界にいる意味は特にない。


『勉強と礼儀だけ覚えておけ。そうすればまだ使い道もある』


 分かりました、と答えた。

 私はそれだけを覚える機械になった。

 




 本家から離れた所へ引っ越して、小学校へ通い出した。

 引っ越し先のマンションはかつて母が使っていた所であるらしい。けれどそんな形跡はどこにもなかった。最低限の家具だけ揃った一室だ。


 学校ではすぐに周りから嫌われ始めた。当然だろう。なぜなら私はいなくてもいい存在だから。嫌われているのが一番正しい。


 じっと機械のように静かに過ごしていた。勉強の成績は良かったから、小学校の頃はまだ本家の人から何か言われることもなかった。クラスではたまに何か話しかけられたような気もしたが、よくわからなかった。


 ただやるべき宿題が出され、習い事をこなし、睡眠をとる。テレビとか、ゲームとか、小説とか、邪魔をするものは何もない。


 起きているのに、周囲はずっとぼんやりしていた。夢みたいに音が遠くて、視界がぼやける。霧の中にいるような気がする。生きているのか死んでいるのかもわからない中で、ひたすらにやれと言われたことをやる。


 ――そんな日々の中で、一人の男の子だけがノイズだった。


 その男の子はなぜかいつも私の前にいた。私に向かって話しかけている。反応もしていないのに、ずっと。どうしてだろう。私なんていなくていい人間なのに。私のことなんて気にしても、何も生まれないのに。


 でもある日、気づいたら彼は私を庇うように立っていた。


『なあ、なんで今さ、水かけようとしたんだ?』


 誰かが私に水をかけようとしたらしい。それ自体はたまにあることだ。

 彼はそれを止めたらしい。

 どうして?


『夜宮の反応が薄いのは知ってるよ。でもそれで水をかけていいわけないだろ』


 別に、いいのに。


 そう思いながら、私は彼の背中をぼうっと見つめていた。


 やがて彼の言葉に根負けしたのか、水をかけようとした生徒は立ち去っていった。彼は私に振り返って笑いかけた。


『ごめんな。もっと早く気づけてたら良かった』


 違う、と思った。どうして。どうして私に声をかけるんだろう。何もない私に、何を求めているんだろう。助けたって、何もない。声をかける意味なんてないのに。あなたは私に何をしてほしいの? 


『――あの』


 たぶん、クラスの人の前で、初めて声を出した瞬間だった。声を出すことすら久々だし、会話もほとんどしたことがなかった。だから単純な言葉だけが口から零れた。


『……どうして、わたしを?』


 彼は声を出した私に面食らっていた。え? と声が漏れている。私の言葉は伝わっていないらしい。慌てて付け足す。


『何かやってほしいことが、あるんですか……?』

『いや、無いけど』


 今度は私が驚いた。無い。無いのに、私を助けてくれた? どうして?


 混乱していると、彼は少し考えてから、『……しいて言うなら』と言った。それに私は少し安心した。そうか、やっぱりしてほしいことはあるのだ。見返りのない優しさは信じられない。


 なのに彼は少し照れたような顔で言った。


『友だちになってほしいかな』


 思考に、真っ白い光が走った。それくらいの衝撃だった。嘘だ、と思った。でも彼の姿は嘘を吐いているようには見えない。友だち? それだけ? 私に?


 気づいたら私は恐る恐る手を差し出していた。彼は握手を返してくれた。

 あたたかい手だと思った。





 年月が過ぎて、今。クリスマス。

 私の手を引いて家へ帰ろうとする彼の手も、あの時と同じようにあたたかい。


 今日すべてが辛くなって、何もかも捨てて無くなりたいと思っていた。

 そんな私の元に、彼は来てくれた。


(柊くんは……私の所に来てくれる)


 私が苦しい時、彼だけが傍にいてくれる。

 彼がいなかったら、私は本当に死んでいたかもしれない。


 彼は少し会わない間に、雰囲気が変わった気がする。かっこよくなった。昔からそうだけど、もう少し別のような。


 小学校の頃のように手を引かれ歩いている。それだけで虚ろだった胸の中にあたたかい光が灯り始める。


 彼はぬくもりをくれた。今もこうして温かさをくれている。


(でも……このどきどきはなんだろう?)


 彼の手を意識すると、なぜか鼓動が早まる。

 喉の当たりまで熱がのぼってくるような気がする。


 気づかれないよう、胸元に当てた手をぎゅっと握った。

 よくわからないこの感情を、どうしてか、気づかれたくないと思った。


(……ずっと一緒にいれたらいい)


 ぼうっとそんな風に考えながら、真剣な彼の横顔を見つめていた。


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