第15話 三嶋梨律(リッくん)とバレンタイン14

花束ふらわーちゃんは涙を溢れさせつつも、穏やかな微笑みを湛えてあたしを見つめていた。


言葉に詰まり、どうしていいのか分からない。

だけど、温かいものが胸を満たしていた。


「すみません、私……。

失礼なことを、言ってしまいましたよね……?」


花束ふらわーちゃんの眉が下がり、不安そうにあたしの顔を下から覗き込む。

その顔の表情が突然ぐにゃぐにゃと歪み輪郭があやふやにぼやけていく。


「わっ、せ、先輩!?」


「……うぅ」


「すみません、ほんとにごめんなさい。

私が変なこと言ったから、先輩を泣かせてしまいました」


そうなのだ。

今日は本当に、あたしの涙腺は全く仕事をしてくれない。

警備が手薄すぎる。

でも、波柴はしばさんの時とは違い、今はこの涙の理由がハッキリしている。


「…………花束ふらわーちゃん……ちがう……これ…………ごめん…………うれしくて……」


「……え……?

……なっ…………え!?

……ちょっと、あの……とにかく!

とにかく落ち着いてください、先輩……!」


「……うん……ごめん…………。

……ふふっ……花束ふらわーちゃんも……落ち着いてね……」


「いや、あの、これほ落ち着いてとか、む、無理!ですから……!」


「……あはは……ごめん……はははは……」


「ふ、ふふふっ……あ、すみませ……ふふふふ……。

あっ、やっ、ちょっと待ってくださっ……!

先輩の涙がすごく服に入ってきててっ……!」


「ご、ごめん……でも、止め方がわからないよ…………。

……もうちょっとだけ……ごめんね?」


「うぅ…………先輩……早く泣き止んでください…………。

私がどんどんけがされていきます……。

それも、なぜかちょっとうれしいです…………。


……待ってください……?

私って、ちょっと変態なのでしょうか……?」


「……ふふふふっ……花束ふらわーちゃん、先輩ことを泣かせたり笑かしたり盗聴器仕掛けたり、ほんとに面白い子だね」


「あ、う、盗聴器はごめんなさい……。

って、お、おも、おもしろい子なんですか!?

初めて誰かに面白い子なんて言われました…………」


いつの間にか視界の歪みやにじみもおさまってきていた。

花束ふらわーちゃんはあたしの、慎ましい胸に顔をピタっとくっつけて、すりすりしてきた。

まるで猫のように目を細めて、あたしの胸にすりよってくれている。

面白い子って、そんなに嬉しかったんだ。


花束ふらわーちゃん、あたしからのお礼、今ならなんでもあげちゃうかも……。

何か言ってみて?」


「先輩。

私、先輩が思ってるほど、欲張りな子じゃ、ないですよ?」


そう言いながら、花束ふらわーちゃんはあたしの腕からスルリと抜けて、後ろ手に両手を組んで笑顔を見せた。


「だって今日は、先輩の色んな表情かおを見ることができましたし、それに抱きしめてもらったり、結局私もあの人から助けてもらったり、涙でけがされたり、こんなに沢山のご褒美をもらいましたから」


花束ふらわーちゃん……それ、あたし、大したものあげられてない……」


「そんなことはありません!

今日のことは、私にとってたぶんこれまでの人生で最高の日です。

これ以上はないってくらい充実した1日を、ほとんど先輩のおかげで過ごせたんですから。


だから、私は秘密を守ります。

警察とかにも、その事は話す必要なかったですし、私、友達は少ない方なので、誰かに聞かれることもほとんどないですし、意思は固い方だと思ってます」


自信ありげに胸を張って見せる花束ふらわーちゃん。

普段のおどおどした雰囲気とはまるでちがう今の花束ふらわーちゃんなら、本当に大丈夫かもしれない。


花束ふらわーちゃん、心残りとか……ほんとにない?

キスとか……したかったんじゃないの?

いいんだよ?たぶん今だけなら、しても」


突然、本当に唐突に、花束ふらわーちゃんが膝を曲げてしゃがみこんだ。


「……花束ふらわーちゃんっ!?」


心配して覗き込むが、暗いのと、下を向いていてよく分からなかった。


「ふっ」


「……ふ?」


ゆっくりと顔を上げる花束ふらわーちゃん。


「先輩っ、ティッシュくだふゃい」


鼻から赤い液体が垂れ落ちそうになっている。


「わぁ、花束ふらわーちゃん、またなの!?」


いしょいで急いでくだふゃい、先輩!」


「うん、わかった、わかったから、ちょっとだけ待って、すぐだから」


さっきスーツからポケットに入れ替えたポケットティッシュを大急ぎで取り出して、数枚を花束ふらわーちゃんに手渡す。

それから1枚ティッシュを引き出して適度な大きさに丸める。


「はいっ!花束ふらわーちゃんこれ使って!」


「あいがとござま!」


花束ふらわーちゃんは鼻にそのティッシュを詰めた。


「助かりました、先輩」


「鼻血、また出ちゃったね」


「あはは……すみません。……今日、3度目なんです。

さすがに、今の私にはまだ、せ、先輩のキ、キキキ、キスななんて、まだ早すぎてっ」


「まだファーストキス、したことない?」


「……!


はい…………それが、まだなんです」


「そっか……じゃあ。

まだ、とっておいた方がいいよ?

あたしなんかとしちゃうのもったいない」


「……?

そんなことは……」


駅ももうすぐそこだ。


花束ふらわーちゃん、今日は本当にありがとうね。

鼻血、寝る時とかも気をつけるんだよ?

また明日、会社で」


「は、はい。また明日です、先輩」


手を振る花束ふらわーちゃんと別れて、あたしはいつもの帰路に着いた。

時間は22時近かった。

そういえば、晩御飯食べてない。

帰ったら何か食べるものあるかな?


警察に行く時にゆうちゃんに遅くなるってメッセージ送ったきりだ。

ゆうちゃんには警察の聴取を受けているなんて言ったら余計な心配をかけてしまうから、普通の残業ってことにしてある。

だから、いつも通りのゆうちゃんなら22時過ぎには部屋に行って寝てしまうだろう。

服も借り物だし、濡れてるし、涙のあととかあるだろうし、家に帰ったら、まずはシャワーを浴びて着替えたい。

あんまり今日は顔を見せたくない気も少しだけある。

波柴はしばさんのこととか、花束ふらわーちゃんのこととか……、後ろめたいことがあれこれと……。


電車に揺られてそんなことを思いつつ、最寄り駅についた。

ここから歩いて10分ほどで我が家に着く。

お腹が空いたを通り越して、ちょっと食欲もなくなってきた。

今日は色々ありすぎて、思った以上に疲れているようだ。


突然普段絶対にしない服装で登場したら、ゆうちゃんも驚くと思う。

玄関から風呂場へはリビングを通らずに行ける。

家に着いたら真っ先に風呂場に向かうのは決まった。

ゆうちゃんに見られることもおそらくないだろう。

それから、冷蔵庫の中を見て、なにか適当に食べて就寝という流れだろうか。

そろそろ我が家のマンションに到着する。

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