第2話 呪いし者々

「お前の名は、なんだ?」

 その問いに答えることなく目を覚ます男。名はカルマ。悪夢に悩まされ眠れない日々を過ごすかわいそうな男である。長身で周りから好かれるほどの美青年だ。ただ、体付きは肉質が乏しく運動は大の苦手である。

「…また……夢か……」

 顔を両手で塞ぎながら夢のことを思い浮かべていた。夢の中で会う謎の人。黒いシルエットで外見や特徴がまったく見当がつかない。そいつは必ずと言ってこう聞くのだ。『お前の名は、なんだ?』と名乗る前に夢から覚めてしまう。いつもそうだ。どうして名乗れない。そして奴は誰なのか。カルマの頭の中はモヤモヤとしていた。

 朝食を済ませ、大穴を目指していつもの広場で待ち合わせをしていた。時刻は9時を回っている。周りは大穴を目指す人々でごった返していた。大穴からより近くもっとも待ち合わせに適した場所であることからこの時間は地べたで横になれないほど人が密集する。

「よお! 待たせたなー」

 そこに金色の髪をした女が手を振った。銀色と赤い瞳にルーン文字のピアスを付けている若い女だ。歳は二十にも満たないと聞くが、本人の口からは内緒話(シークレット)だ。

「おおー! こりゃいっぱいだなー」

 ごった返す人々を見て、思わず驚きながら周囲を見渡す。今日は朝一から密集するほど人がいたのだが、今は少しばかりか数を減らしていた。

「これでも減った方だぜ」

「そうか。それよりも、朝飯はすんでんのか?」

「俺は朝食を抜く派だ」

 朝食は抜く。それがカルマのポリシーだ。

「私も抜いてきた。こんな人混みじゃ昼間でどこも空いてない。だから皆飯は大穴の中でするか家で過ごしてくる。私もそうしたいが、なにせ金銭的に厳しいからな」

「なら俺が奢ろうか」

「お前に奢るほどの金があるのか?」

 ポケットの中にそっと手を忍び込ませる。財布は一昨日盗まれてしまったためありあわせの財産しか残っていない。それが今日、大家に家賃払ったらすっからかんになってしまった。本当ならここで「俺が奢るぜ!」と生き込みたいが「『エデン』が手に入ったら奢ってやるぜ!」となんとも情けないオチとなってしまった。

 女は頭を押さえて首を横に振りながら落ち込んだ。

「まったく二人とも金が尽きたとはどんな恥さらしか」

「まあ、俺も家賃さえ払わなかったらちゃんと奢れたんだぜ」

 言い訳は無用だと人差し指をカルマの口に押し付けガン付く。

「言い訳は無用だ。私も家賃で底についた。お互い様ということだ」

 なにか嬉しいことがあったのだろうか今日はとことんと食いつく。何かしたのかな…俺。そんなことを頭に思い浮かべながら第一階層<原初の森>へたどり着いた。


<第一階層:原初の森>

 街からそう離れていない。深さは三十メートルを超えている。ちゃんと測りを使って確かめたわけではないが五十年前の学者が言うにはちょうどそれぐらいだという。原初の森と言われているのは最初の探索者たちがここへ初めて来たときにそう名付けたそうだ。これと言って深い意味はないのだと思うが、どういうわけかこの名が廃れることなく今も呼び続けられているのは歴史を思う探索者たちが古臭いしきたりや縄張りを存じることなく使い続けているのだろう。

「<原初の森>……相変わらず息がしづらいぜ」

「だな。ガスマスクは必須だ」

 汗が滴るほどここは熱気に包まれている。水蒸気が目に見えるほど霧のように濃く周囲を見渡すのは困難なほどだ。そのうえ空を見上げようとも崖から底を見ようとも深い霧が邪魔をして見ることは帰還するか想像するしかない。

 キノコから霧を発している。服が濡れてしまうほど密度が濃い。ちゃんとした防具を着てこなければここで一発でびしょ濡れコースだ。そしてたまった水蒸気が喉へ通るとき、命の危険性を噛みしめることになる。

「ぐ…ぎゃああぁぁぁぁああ!!」

 近場で苦しそうに悲鳴を上げる声がした。二人背中合わせで周りを見渡す。森の茂みで手を伸ばして苦しそうにしている男を発見した。

「あいつだ!」

 カルマが真っ先に動き、男を保護した。男は息ができないのか泡を吹き、目からは涙と一緒に血を流していた。真っ赤に純血していく目と穴から穴へとあふれる泡に、カルマは言葉を失った。

「コイツ…初心者か」

「ダメだ。助からねぇ」

 二人は助からないと見込み、その場で首を掻っ切って殺した。この霧は毒で。街で用意されたガスマスクがないと息をすることは困難だ。ましてやこんな軽装備で仲間も連れずにここにいる時点でおかしな話でもある。

「妙だな。装備が薄すぎる。まるで追いはぎにあったみたいだ」

「……どうやら俺達を敵視した奴がいるみたいだぜ」

 どこかで枝がパキっと折れる音がした。何者かが二人の動向を監視しているようだ。

「まったく二人だからと言って不用心だ。片付けるか?」

「いや泳がせておこう。奴らは私たちが初心者じゃないことを知っているようだ。下手に仕掛ければこっちがやられる」

「まったく歯がゆいぜ。敵が何者なのかわからないまま野放しにしておくのはどうも俺にとっては放っておきたくないな」

「お前にとってはそうだろうな。だが、私はカルマみたいに強くもなければ耐性があるわけでもない。私の力はあくまで切り札(とっておき)だ。奴らを泳がせよう。そうしたら何が目的なのか分かることだ」

 コイツはそういう奴だ。気に入らない奴だろうが気に入る奴だろうか気にしない。まるで楽しんでいやがる。なんでこいつと組むことになってしまったのかカルマはまた頭痛がした。


 大きな滝つぼに出た。森を通ってきたがどういうわけか奴らも慎重派らしい。一向に襲ってこない。まったく痺れを切らしてきてムカムカしてくる。ついてくるならさっさと攻撃して来い。それかちゃんと話に来い。カルマはイライラしていた。

「あちらさんはだんまりだな。道案内を頼みたかったのかずっとついてくる始末だ。それにしても……やけに原生生物に出くわさないなぁ」

「マキアもそう思うか」

 原生生物とは大穴に住まう怪物や動物たちのことだ。人間を敵視しているか糧にしようとしているのか侵入に歓迎していない。入ってすぐ追いかけまわされるか殺されるかだ。それがどういうわけかまったく遭遇しない。

「妙だな」

「妙だ。おいっ! さっさと出て来いよ!!」

 シビレを切らしたカルマが大声を上げた。これだけ原生生物が襲ってこないあたり、追ってきている奴がなにかをしているのではないかと思わず得ない。マキアの判断を煽りたかったがカルマが先に口答えをしてしまった。

「おいっ!」

 マキアがキレ気味にこっちを睨んだ。カルマは同情することなくそのまま追ってきている奴に向かって叫んだ。

「テメェだろ! 原生生物がまったく出会わない。俺達としては大助かりだが、こうも敵が現れねぇと生きている感覚が死ねぇって!!」

 茂みからゆっくりとこちらへと歩いてくる。そいつは麦わら帽子をかぶりながら振り子を持っていた。無精ひげだが肌は妙に緑色で瞳はからっぽだった。

「おまえ…ジグバール……か?」

 カルマは知っている顔だった。ジグバールとは大穴に進行して五年とあっていない。最後に目撃したのは街のレストランで食事と会話した程度だ。あの時の様子と違って肌はすっかりと変わり果ててしまっていた。

「よお。カルマ」

 ジグバールはどんよりとした声でカルマの呼びかけに返事をした。だが、その顔つきは笑っていない。目がなくなり黒く何もない穴からこっちを見つめているようでカルマは隠しているナイフに手に取る。

「ジグバール…久しぶりだな。五年になるか…おまえ仲間はどうしている?」

 ジグバールは潰れた手で首をかきながら「五年に…なるのか。おまえ、違うのか?」このときカルマはハッとした。コイツはジグバールじゃないと。隠していたナイフをとっさに投げた。ジグバールは交わすことなくもろに胸にナイフが突き刺さりそのまま胸を貫いていった。そこには臓器はなくドロドロとなった得体のしれないものが詰まっていた。

「マキア!」

「おうよ。原生生物様がお出ましだな!」

 原生生物”傀儡(かいわい)”。第一階層から現れる危険度Cの贄となる者の身体に寄生する。生前の頃から中に入り込み意識を支配し記憶も奪い周りの生物を生きたまま食い殺す。区別は肌の色が緑色であることと体内がドロドロでヘドロのような状態になっていること。贄になった記憶を保持するため親しい人ほど騙しやすい。コイツがいる限り周りの原生生物は奴から遠ざかる。奴は人間だけではなく原生生物さえも餌食にする。

 くぱぁっと口を開かせ中からおぞましいミミズのような生き物を吐いた。それが地べたを這いながら真っすぐとカルマたちの方へ襲ってきた。カルマはもう一本のナイフを取り出し彼にさばいていく。マキアは両足に忍び込ませていた拳銃を取り出し、一匹ずつ処分していく。

 そこに傀儡は自らの腕を引きちぎり地面へ投げ入れた。すると腕が膨張し中から無数のミミズが飛び出てきた。

「うげぇ~気持ちわりいィ!!」

 カルマは悲鳴を上げ、ナイフで確実にミミズを一網打尽にする。あんな華麗にさばききれる奴は初めてだ。一秒にも満たない速さで十匹以上のミミズをさばいている。マキアにミミズが攻撃してこないよう配慮して距離を保ちながら攻撃している。なんという身体能力。なんという行動力。なんという神経力だ。数秒先の未来を見ているかのようにミミズたちがマキアを襲わない距離でさばいている。本当にコイツは運動不足なのだろうか。まったく呪いというものは恐ろしいものだな。

 マキアは自分の手首を切り弾になぞる。ルーン文字が浮かび上がった。その弾を込め、相手目掛けて打ち込んだ。

「逃げるぞ!」

「あいさっ!」

 傀儡の上空で破裂した。空間が歪み、滝壺は大きな音を立てて地割れを引き起こした。傀儡はその場から逃げようとジャンプするも左右上下があべこべになった空間では無理だったようで割かれた地面の底へと落ちていった。

 第一階層の中央まで走ってきたカルマたちはようやく町にたどり着いた。ここは第二階層へつなぐ目的として太古の人類が築き上げた町で多くは半壊し廃れてしまっているが行き交う探索者たちのためにと少なからず宿屋や食事ができるところが提供されている。

「今日はここまでだな」

 マキアは空を見上げてそう言った。深い霧に覆われ時刻を見ることはできない。夕日か夜かそれとも日が出ているのか。ここは外の光さえ入ってこない奈落の世界。そして、傀儡が次の層でさ迷っていることをまだ二人は知らない。

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