ナーロッパ帝国の侍従長 登場編
葉山 宗次郎
ナーロッパ帝国 ドラゴンニュートの問題
「凄く広いな」
と言ったのは整った顔にボサボサの黒髪を持つ御年十五歳の少年。
帝国図書館司書心得、と言う肩書きを持つ新人役人、キース・ヴォルテールは、石造りの城塞に一歩踏み入れた。
普通ならば石から伝わる冷気のせいで冷えるのだが、火属性と風属性を使った魔石を使った空調システムのお陰で快適だった。
エルフの文官が薄い衣装で歩き、改修のため走り回るドワーフが額に汗一つかかない事こそ空調の優秀さを物語っていた。
彼らだけではない。
少しはげが目立ち始めた中年の人間の男性が笑顔でトイレから出てくる。
水属性と火属性の魔石を使った温水洗浄便座でスッキリさせてくれたからだろう。
豪華なステンドガラスと透明な板ガラス、鏡の他にも光属性の魔石が所々はめ込まれ、屋内は非常に明るい。
住だけでなく食も良い。
醤油を使った照り焼きや唐揚げ、揚げ物などが城の中の食堂や帝都の料理店で出されているし、絹織物や綿織物が豊富にあり、羽毛を詰め込んだダウンや、ふわふわのタオルも普通に売られている。
「流石、帝国の宮廷というだけある」
今から二〇〇年ほど昔、地球から様々な種族が住む世界カンディアへ転移者が召喚されやってきた。
彼は様々な技術をもたらし、与えられたチート能力で当時この世界を脅かしていた魔王を討伐。
その功績で召喚者である初代皇帝が打ち立てたのがキースの仕える帝国、ナーロッパ帝国だ。
ネーミングにうんざりするが、初代皇帝が言い出したのだから仕方なかったし、国民も受け入れてしまった。
聞くところによれば、ナーロッパと名付けたことを初代皇帝は死ぬまで悔やんだそうだ。
だが後の祭りだ。
既に布告された後だったし、国民も受け入れてしまった。
帝国は皇帝が亡くなった後も、帝国は召喚者や転移者や転生者が現れて、様々な技術がもたらされ発展し、魔王の残党を討伐。
諸種族を糾合したナーロッパ帝国はカンディア大陸、最大最強の国家となった。
「全くチートだよな」
帝国図書館司書の職に就いているキースも転生者だが、訳があって名乗り出ていない。
給料も平均以上で、仕事も楽で残業無し。
しかも歴代転移者、転生者のチートやもたらした技術のおかげでコンビニこそないものの生活は快適。
言うことなしだ。
時たま宮廷の方から資料を求めて呼び出しが掛かり、息詰まる宮廷へ今日のようにお呼び出しが掛かる以外は。
「我らドラゴンニュートに呪いをかけたのだろう!」
大ホールの真ん中までキースが来たとき、女性の大声が響く。
運悪く厄介ごとの最中に巡り会ってしまった、とキースは嘆息した。
無視すれば良いのだが、好奇心が勝ってしまい、視線が事件の中心へ向かう。
大声を上げていたのは、ドラゴンニュートの女性らしい。
エルフやドワーフなど異種族が暮らす帝国でも珍しい種族だ。
キースも直に見たことは無いが、書物に書いてある通りの容姿だ。
コオモリのような翼と堅い鱗の付いたシッポ以外は人間と同じで顔が整っている美人の上、大柄で各部も大きい、キースの好みだ。
だが、怒っている今は美人だけに迫力がありお近づきになりたくない。
かといって、聞き流そうにも声が大きすぎて耳に入るし、野次馬が多く前に進めない。
「ドロテア殿、どうか落ち着いてくだされ。このサザーランド、呪いをかけたとは聞いておりません」
宥めようとオロオロしているのは、サザーランド侯爵。
皇太子府長官だ。
侯爵という大貴族ながら温厚な性格のため皇太子の教育係となり、そのまま皇太子府のトップになった人物だ。
皇太子府は次期皇帝である皇太子のネクストキャビネット――次の内閣の一員であり、長官は次期宰相と目される。
地方視察へ皇帝が出ている今は、皇太子府が皇帝官房に代わり、一部権限に制限があれど帝国全土の統治にあたっている。
これは皇太子が次期後継者であることを示すためだ。
そして代替わりしたとき滞りなく皇太子とその周囲が統治できるよう、彼らの能力を実際の政治の現場で向上させるための訓練でもあった。
だが、サザーランド侯爵は教育者としては満点かもしれないが政治のトップとしては、押しに弱く頼りない。
現に今、強気なドロテアを抑え切れていない。
「落ち着いていられるか!」
曖昧な返答にドロテアと言われたドラゴンニュートが更に苛立ち声を荒げる。
「我らの卵から孵る赤子はこのところ皆、女児だ! このまま女児のみ生まれ続ければ我がドラゴンニュートは滅んでしまう。直ちに呪いを解いて貰いたい!」
「しかし、調査の結果、呪いは無いとの報告を受けております」
「ではどうして女児ばかりが生まれるのだ」
ドロテアが言っているのは数年前からドラゴンニュートで起きている新生児の性別が偏る異変だった。
研究者が資料を求めて帝国図書館に来ていたし、最近は人々の間でも話題となるほど女児ばかり生まれている。
このままではドラゴンニュートの人口構成が歪になり、比喩ではなく本当に滅んでしまう。
ドロテアが怒り焦るのも無理はなかった。
「原因不明です。更なる調査をしないことには」
だが、今日に至るまで具体的な解決策どころか原因さえ分からない。
サザーランドが、曖昧な回答をするのも無理は無かった。
しかし焦るドロテアは容赦がない。
「通り一辺倒の調査で済ませはぐらかそうというのか。帝国はドラゴンニュートを蔑ろにするのか」
「まさか、諸種族の生活を向上させるのが帝国の役目です。数年前、寒さに弱いドラゴンニュートのためにセントラルヒーティングを導入したのが何よりの証拠。居住区全体をあなた方が快適な温度に保ち、活動しやすくしたのも帝国の配慮です」
「過去より今と未来だ! 男子が生まれなければ我が種族は滅びる! それに最近はリザードマンやタートルマンでも同じ事例が起きていると聞くぞ」
厄介なことに他の種族でも新生児の性別が偏在しはじめている。
直立歩行するトカゲのようなリザードマンは男、亀の甲羅と人の四肢と顔を持つタートルマンが女と、性別の違いはあれど偏っていた。
いずれ他種族でも偏りが起きるのではないかと帝国に心配が広がっていた。
しかし打つ手も解決策もないため、サザーランド侯爵は曖昧な返答をするしか無かった。
「ドラゴンニュートの男子で無くても他種族の男と交われば」
「貴様! ドラゴンニュートを胎み袋にするつもりか!」
激昂と共にドロテアの身体が光り、巨大な竜の姿となった。
ドラゴンニュートは興奮状態になったり、怒ると竜化、竜となり戦闘力が上昇するとされる。
本当かと半信半疑だったが見てみたいと思っていたキースは喜んだ。
だが周囲は、驚き狼狽える。
幸い、場所が大ホールだったため、竜化したドロテアが天井にぶつからず、建物を破壊せずに済んだ。
だが、暴れるどころか少しでも身動きしたら天井に当たり、崩落しそうだ。
恐怖で周りの文官や近衛兵が驚くなか、竜化したドロテアは視線に気がつき、群衆を睨み付ける。
「何を見ているのだ! 貴様らも我らドラゴンニュートを胎み袋と見ているのか! この場で炭化させようか!」
口から炎と共に怒声をドロテアが野次馬に浴びせる。
集まってきていた文官達は驚いて逃げ出した。
当然キースも身の危険を感じ離れる。
だが大ホールを出たとき、すぐに先ほどの口論を思い出して考え始めた。
「今のドラゴンニュートは女児しか生まれないか」
確か同僚の人口統計担当者も言っていた。
帝国図書館は行政文書の保管も担当しており統計資料も入ってくる。
何代か前の転生者が統計の重要性を教え戸籍や住民記録制度を整えたお陰で出生数は分かる。
その中には種族別の出生数も含まれており、研究者が求めた資料もこの人口統計の資料だ。
そこには確かにドラゴンニュートの出生数が女児に偏っていることが記録されている。
「本当に呪いなのか」
厄介なことに、この世界カルディア大陸には竜化するドラゴンニュートがいるように魔法も呪いが実在する。
通常は火を付ける程度の魔力しかないが、熟達者や才能があると天災レベルの災害を起こすことも可能だ。
「けど魔法の反応がないんだよな」
だが、探知魔法も発展しており、魔法や呪いが用いられたら判明するし、大概の魔法はデリート――無効化出来る。
もし魔法や呪いが使われているなら、帝国にいる魔術師を総動員して、呪いを解除し、元凶を討伐しているだろう。
しかし、魔法が使われていないのは既に調査済みで何年も解決できずにいるのだ。
「だけどどうしてドラゴンニュートだけなんだ。呪いなら、人間にも降りかからないのは何故だ」
人口が最も多いのは人間だ。
だが、人間に女児が多く生まれてきた事実も統計上の変化も無い。
「そういえばリザードマンとかタートルマンも最近、女児か男児に偏っていると聞いたことがあるな」
彼らも最近の出生の六割が男児あるいは女児に偏り始めている。
そして偏りは今も増え続けている。
いずれドラゴンニュートと同じ問題に発展すると思われ対策を講じようとしていた。
帝国に対して問題を解決するよう圧力をかけるため同盟を組むかもしれない。
それに、今はともかく他の種族にも偏りが生じ、帝国の人口構成が乱れ帝国崩壊に繋がる可能性がある。
帝国が本腰を入れて調査しているのも、それを恐れるが故だ。
「けど偏りが出始めたのは数年の差があるし、どうして彼らだけなんだ」
帝国には人間の他にもエルフやドワーフなどの種族もいる。
他の種族で偏りが生まれている統計記録はない。
いずれ発生するにしても時間差があるのがキースには気になる。
「ドラゴンニュートとリザードマン、亀人族。彼らの共通点は」
色々思い浮かべた。
変身できることか異種族だからか。
「女児しか生まれない種族もいるけど、偏っていくのは恐ろしいだろうな。卵から出てきたのが皆、女児というのは嫌かな……」
そこまで言ってキースは考え込んだ。
「卵……卵生……爬虫類……」
地球で過ごしたときの記憶、乱読して読みまくった本の中の知識をキースは探り思い出し仮設を立てた。
「……これかな。いや、断言は早いな。とりあえず仕事を終えないと」
自分が来た目的、呼び出された宮廷の部署へ向かう。
そして依頼書、案の定、ドラゴンニュートの性別偏りの問題を解決するための資料収集依頼、を受け取ると自分の職場へ戻って行く間、考える。
「検証は帰ってからだな。必要な資料は何処だ。実証と反証のためには何が必要だ。セントラルヒーティングの導入時期と、気温の変化、その前後の出生数を出す必要があるな。導入されていない地域のリストアップもして」
ブツブツと自分の仮説を検証するために独り言を呟きながらキースは歩く。
そのため、煌びやかな衣装に身を包んだ一人の美少女とすれ違ったことに気がつかなかった。
「?」
呟きながらすれ違ったキースを見て、彼女は振り返った。
「私を見て頭を下げないなんて、珍しいわね」
普段なら多くの者が平伏す地位にある。
今は緊急時で逃げまどう者が多いが、先ほどの文官は怯えている様子は無く、自分の考えに没頭している。
それが余計に目に付いた。
「姫様、ヴィクトリア様どうかお早く」
彼女の付き人であるメイドのルイズが声をかけて主人であるヴィクトリアを促す。
肩の辺りで切りそろえられた黒髪の美しい女性で普段は、容姿相応に冷静だが、ヴィクトリアの友人であるドロテアが怒っているとなると、余裕はない。
「分かっているわ。行きましょう」
ルイズに促されてヴィクトリアはドロテアの元へ向かう。
長年の友人なので彼女の性格は知っているし、このままだと宮廷を半壊させかねない。
だからとりあえず、自分に振り返らなかった文官は放っておくことにする。
今、竜化したドロテアを抑えられるのが自分しかいないし、放っておけばドロテアが宮殿を破壊しかねない。
そうなれば弟の責任問題と騒ぐ貴族が増えてしまう。
弟の為にも、騒ぎを急ぎ静めなければ。
「けど、対処療法なのよね」
ドロテアを抑えても根本の問題である女児ばかりが生まれる問題を解決しないことにはどうしようもない。
自分に解決策が思いつかないので、誰かに解決して欲しいと願っている。
だが、誰もが前例が無いとしか言わず解決の糸口がない。
「ナーロッパ帝国の人材も尽きたか。誰か問題を解決してくれる人はいないかしら」
かつて転移者、転生者によって発展した帝国だが、最近は発展が停滞している。
再び帝国が分裂消滅し、諸勢力が群雄割拠した暗黒時代となるのだろうか。
弟が暗黒時代の始まりを開いた、と人々に、そして後世に言われないためにも行動しなければ、とヴィクトリアは決意する。
そのためにも、今は友人であるドロテアを止めないと。
床の振動が大きくなっている。
怒って地団駄を踏んでいるようだ。
このままでは宮廷の建造物に亀裂が入って崩落して仕舞う。
急いで止めなければ。
ヴィクトリアは大ホールに向かって、大急ぎで走る。
問題の先送りになるとしても止めなければ。
だが数日後、思いもよらぬ形で、この問題は解決する。
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