ふえるイデア
Libra
第1話 ひとくいのばけもの
怪物は大きな口を開けて、小さなスプーンにすくったスープを飲む。お行儀よく。怪物はいわば紳士だった。ビシッとスーツを着こなして、胸には真っ赤でおしゃれなネクタイ。彼はやってきたウェイターに、このスープは大変美味だと伝えて、微笑む。この怪物はいわゆるグルメだった。彼に褒められることは大層誇り高いことであった。ウェイターはうやうやしくお辞儀をして、厨房へと戻って行く。
私は怪物が子牛のリブステーキを食べているのをじっと見つめていた。目の前に座る彼は小さなナイフで器用にステーキを切る。私も真似してステーキに刃を入れる。柔らかく切れていくお肉。
「ほう、君はやはり、マナーを分かっている人だ」
リブステーキを食べる私を見て、怪物は満足そうに笑う。彼が私をここへ招待してくれた。彼は美味しい料理の店をたくさん知っている。彼はグルメだった。
「あなたが今まで食べたお肉の中で、一番美味しかったのは、何?」
彼はふむ、と目を細めて、立派なあごひげを撫でた。
「この店のリブステーキは勿論だが……アメリカで食べた、ケバブという料理も美味しかった。屋台でしか味わえない、立派な肉料理だ」
パンに挟んで食べると美味しいのだと、怪物は続けた。彼は世界中を飛び回っていた。
「どんな肉料理も等しく美味しい。値段や肉の質だけでその価値を決めてしまうのは三流のすることさ。ただ……」
怪物は少し声を落とす。
「人間の肉だけは食えたもんじゃない。脂っこくて、おまけに変な匂いがする。流石の私も、二度と食べないと誓ったね」
それを思い出したのか、怪物は口をもごもごと動かして、しかめ面をした。そしてすぐに赤ワインを飲んで、ウェイターを呼んだ。
「あなたにも、苦手なものはあるのね」
私は大層驚いた。彼はどんな料理にも、それぞれの良さがあるのだと、日々豪語していたからだ。怪物はバツが悪そうな顔をした。ウェイターがやってきて、ワイングラスに赤い液体を注ぐ。
「いや、しかし……こう言うこともできないだろうか」
グラスを傾けながら、怪物はゆっくりと口を開く。
「あの肉のおかげで、私は全ての料理がどれほど美味しいかを知ることができたのだ、と……」
彼は紳士だった。決して何かをただ悪く言うことを好まなかった。切り分けたリブステーキの最後の一切れを口に入れて噛む。彼の話を聞いたからだろうか、先程よりも旨みが増しているような気がした。怪物は私がステーキを食べ終えたのを見て、ひどく満足そうに頷いた。
デザートのケーキを食べながら、私は怪物に尋ねた。
「じゃあ、今一番好きな肉料理は?」
怪物はコーヒーを飲み終えると、私の瞳をまっすぐ見つめた。
「それは、君の作ったハンバーグだよ」
怪物はグルメだった。彼に褒められることは、誇り高いことであった。
ふえるイデア Libra @mizoresan
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