何かがいる!

快楽原則

HARD WORK

 僕が目にしている目の前の光景は、果たして現実なのだろうか。

 何かが、確かに何かがそこに存在している! 彼、いやもしくは彼女は一体?

 

 僕は竹山健司。26歳のしがない会社員だ。22歳の時に就職のために地方から上京してきた。一人暮らしも四年目に突入し板についてきた。

 彼女もおらず趣味も映画鑑賞ぐらい。といってもわざわざ映画館に出かけて観るわけでもなく、サブスクで済ませている。しかしその唯一の趣味も、最近は仕事で忙しく全くと言っていいほど観れていない。一か月に二、三本観ることが出来ればいいほうだ。

 丁度一か月前くらいだろうか。『何かがいる!』というタイトルのホラー映画がオススメで流れてきたため、さっそくそれを観ることにした。その日はたまたま久方ぶりの休みで、新規ジャンルを開拓しようと試みていた矢先の事だった。

 僕はホラーというジャンルがあまり好きではなかった。

 脅かすことだけに注力するあまり、ストーリーがおざなりになっているイメージがあるし、なにより現実ではこんなこと起きやしないだろうというどこか冷静な自分が常に横にいて楽しめないのだ。

 食わず嫌いで敬遠してきた唯一のジャンルであるといってもよかった。

 僕はいつも映画の詳細の項目からあらすじや評価なんかを事前に確認する癖というか習慣みたいなものがある。

 なのでその時もまずレビューや星の数なんかをまず確認しに行った。するとその映画の評価は最低の☆1。《見なきゃよかった》という一件のコメントだけが残されているという有様だった。

 いつもなら鑑賞候補から即刻外すが、そのときだけは逆に観てみたくなった。この判断が、すべての始まりだった。

 映画の内容自体はB級ホラーといったテイストの、二時間ぐらいの映画だった。

 ありきたりな内容すぎて内容は覚えていない。しかし映像の最後に出てくる黒背景に赤い字で書かれた《次はあなた》という文言だけは、中々にインパクトが強かった。


 そしてこの直後からだ。僕の身の回りでおかしなことがおきるようになったのは。


 その映画を観終わったあと、僕はリフレッシュもかねて外の自販機に好物のブラックコーヒーを買いに出た。確か、時間は深夜一時とかそれぐらいだった。

 僕が一人暮らししているマンションのエントランスにはガラス張りの自動ドアが設置してある。出入りには基本的にはここを使うことになる。

 いつものようにその自動ドアを通って外へ出る僕。僕を見送りその扉を閉じるドア。そしてその自動ドアが再び音を立てて開く。

 ガガガッ、ウィーン。

 その時のエントランス付近には間違いなく誰もいなかった。

 不具合かなんかだろうとその時の僕は不思議にも思わず缶コーヒーを買いに行った。いや、嘘だ。ホラー映画を観た後というのもあって、本当は少し薄気味悪く感じていた。だから自販機への道も意味もなく足早に走ったのだ。

 コーヒーを買って部屋に戻るときも、恐る恐るその自動ドアを通過した。今度は何ごともなく扉は閉じた。

 

 次の日、また異変が起きた。異変と呼ぶには些細なものかもしれない。

 よくあるやつだ。シャワーなんかをしている時にふと視線を感じるというあれだ。湯気で曇った鏡にシャワーを掛けて自分の後ろを確認する。誰もいなかった。

 おいおい考えすぎだぞ健司、ホラー映画なんかに毒されすぎだ。そんな風に自分にはっぱをかけてやった。

 風呂から上がり、タオルに顔をうずめながら存分に水分を拭っていると、やはりふと視線を感じた。タオルから顔をあげ部屋を見回す。馬鹿々々しい、誰もいるはずがないだろう。あの時の僕はそんなことを思っていた。

 その後一週間くらいは、何度もそんなことが起きた。部屋の中でふとした時に視線を感じる。しかしあたりを見回しても当然誰もいない。これの繰り返しだ。

 

 そして現在から三週間前、この異変に新たな変化が生じた。

 今度は視線だけではなく、足音が聞こえるようになった。

 しかし四六時中足音が聞こえてくるわけではない。ふとした時に聞こえてくるのだ。それは深夜の帰り道だったり、夜中尿意で目が覚めてトイレに行くときだったり様々だった。

 幻聴ではなく確かに聞こえてくる。ごつ、ごつという独特な足音が。そして僕が音の正体を確認しようとあたりに視線をやると、ぴたと止まるのだ。

 僕は神経過敏で少しずつ頭がおかしくなっていってるのではないかと自分の頭を疑い始めた。

 

 そして現在から二週間前、またこの異変に新たな変化が加わった。

 僕のすぐそばで息遣いが聞こえてくるのだ。はあ、はあという苦しそうな息遣い。これは空耳なんかではない。コーヒーとタバコが混じったようなくっさいくて生温かい息が僕の首筋に吹きかけれるのだ。

 振り返るがそこには誰もいない。息が吹きかけられる頻度は、日に日に多くなっていった。

 恐ろしくておちおち寝ることもできなくなっていった。日に日にげっそりしていき、職場の上司や同僚にも心配された。

 こんなことを正直に話したとて頭のおかしなヤツ認定されるだけだろうと相談もできなかった。神社やお寺にお祓いに行くのも変なプライドがあったのでしなかった。

 誰にも頼れないというこの状況が僕自身をさらに追い詰めた。


 そして現在から一週間ほど前、またまたこれらの異変に新しい変化が加わった。

 僕に憑きまとっているそれは、質量を持った。

 エレベーターに乗るとき、僕意外に続いて誰かが乗ってくる感覚がある。重さでエレベーターが一瞬わずかにギシッと沈むのだ。しかし乗客は僕意外見当たらない。

 ベッドに腰掛けるとき、やはりもう一人分の体重でベッドが軋む。隣を見やると確かにマットレスが沈み込んでいる。

 ありえないありえないありえない! 夢だ夢だ夢だ! 長い長い夢を見ているのだ! あのホラー映画のせいで! 早く覚めろよチクショウ!

 

 そして今。

 玄関から入ってすぐのキッチン。見馴れたはずのそのキッチンで、目を疑うような光景が現在進行形で起きている。

 シンクの上に置いてあるまな板の上で、ネギが鮮やかな包丁さばきでみじん切りにされていく。

 なんだよこれ……。僕に一体何でこんな目にあっているんだ! ふざけるなよ1

 そんな僕の心の叫びに呼応するように、包丁の動きがピタリと止まる。

 

『何で、だ、と思、う?』


 コヒュー、コヒューという呼吸音と共に、絞り出すようにそんな問いかけが飛んでくる。

 しゃ、喋った……。喋った、喋りやがったぞこいつ……!

「こ、心当たりがないってんだよ! 目障りだからとっとと消えてくれゃ!」

 恐怖と興奮でうまくしゃべれず噛んでしまった。


『じゃ、お、前、、が、消えろ、よ、たけや、ま』


 次の瞬間、凄まじい勢いで包丁が飛んできた。

 ざっくりとわき腹がえぐられ、ぶわっとワイシャツに赤色が染みわたる。

「……っ!」

 声にならない声をあげながら僕はしりもちをつく。わき腹が熱い。

 逃げないと。逃げないと逃げないと逃げないと。やばいやばいやばいやばいやばいやばい!

 這うように玄関の扉に向かう。

 右足に激痛が走る。見ると包丁が深々と突き刺されていた。足の甲を貫通し、刃は床まで達している。磔にされるような形だ。

 いたいいたいいたいいたいいたいいたいいいいいいいぃぃぃぃぃぃ!

 きゅいいいいいいいいぃぃん!という音と共に、左足に激痛が走る。聞きなれた音。建築現場では欠かせないインパクトの音。釘だ。きっと釘をうち込まれたのだ。

 なかば上半身をのけぞらせるような形で振り向くと、空中にインパクトが浮かんでいる。

 それと共にボロボロの安全靴と薄汚れた作業用のズボンが目に入る。

 具現化? やつは具現化し始めているのだ! ずっと僕のそばで僕を殺す機会を窺っていたのだ! なんてやつ! この一か月もの間、ひそかに力を溜め続けたにちがいない!


『ほ、んと、は、よお。てめ、えの、ことはよお、俺みたく現場の瓦礫の下に埋めてやろうと、思ったのによお』


 聞き覚えのある声。僕の勤めている会社お抱えのベテラン職人だった木原さんの声。


『お前現場全然こねーじゃんか。だからこうやって今ここで殺すことにしたっちゅーわけよな』


 木原さんは丁度一か月前くらいだろうか。現場における不慮の事故で亡くなった。僕が一任されていた案件だった。

 いや不慮なんかではない。現場の人間の事を考えていない詰め詰めの工期。人材不足によるベテラン職人へのしわ寄せ。無理な注文や設計。それらが重なりに重なって起きた事故だ。

 計画書にはない増築を木原さんにお願いした結果建物の一部のが崩落し、木原さんがその犠牲となったのだった。

 夜遅くまで働き詰めで疲れてさえなければ、木原さんは逃げおおせてこの難を逃れられたのかもしれない。いや、そもそも無理な注文さえしていなれば。


『いいよなお前らは。客の注文にはいはい首振ってゴキゲンとりしときゃいいだけだもんなぁ。苦しい思いすんのはこっちだってんのによぉ』


 きゅいいいいいいいいぃぃん! という爆音と共に、再び釘が打たれる。今度は右手首だ。


『あげく電話越しに指示飛ばしてくるだけで、現場の状況は見さえしない』


 仕事が忙しかったのがこのせいだ。木原さんの死、現場のずさんな管理を偽装するために、ひた走っていたのだった。


 きゅいいいいいいいいぃぃん! 左手に釘が深々と突き刺さる。

 出血多量のせいか頭がボーっとする。知らずのうちに獣のようなうめき声が漏れる。誰か助けに来てくれないかな。


『いっちょ前に助かろうってか? 黙ってろよお前は』


 ばつん! という音ともに口元に激痛が走る。

 目の前には血にまみれごつごつしている右手に握られている大型ホッチキスのような見た目をした工具。タッカーだ。タッカーで口を縫われたのだ。

 もう体中のいろんなところが痛くて、どこが痛いのかがわからない。いや、痛いかどうかももう定かではなくなってきている。


『いっちょ前に目はまだ見えるみてえだな。俺は瓦礫の下敷きになった時には真っ暗で苦しかったぜぇ』


 ぐちゃぐちゃとドライバーで眼球をかき回される。

 ミキサーされてドロドロになった目玉が、涙のように頬を伝って流れ落ちていく。


『まだ耳は聞こえてんだろ?』


 ぶおおおおおおぉぉぉぉ! 轟音。きっと現場のゴミ掃除で使うような掃除機だろう。鼓膜がバリバリと音を立ててはがれていくのを感じる。頭がぐわんぐわんする。

 こんなになっても人間はまだ生きることが出来るのだな。


『                 』


 激痛。


『                』


 再び激痛。


『               』


三度激痛。


『              』

『             』

『            』

『           』

『          』

『         』

『        』

『       』

『      』

『     』

『    』

『   』

『  』

『 』

『』


 どうやら僕は生きているらしい。

 目も見えず耳も聞こえない。

 口元にあてられている呼吸器らしきもの、点滴の針の刺さっている感覚でかろうじて自分がどこかの病院のどこかの病室にいるらしいことがわかるくらいだ。

 木原さんの職人技で僕は生きているのだ。

 僕の体は今、どうなってしまっているのだろうか。

 これからどう生きていけばいいのだろうか。

 生き地獄。

 

 ふと、鼻につくあの香りが鼻腔に入り込んでくる。コーヒーとタバコが混じった、あの匂いが。


 

 

 


 


 

 



 

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