第三章 神話伝承②



 そのまま、森を歩いていく。幸白は文句ひとつ言わずに、ついてくる。

 ふと、紗月は足を止めて幸白を振り返った。

「どうかしたの?」

「しっ。――ねらわれている。殺気だ。構えろ」

 紗月が言い終わらないうちに、木々の合間から男たちが走り出てきた。紗月は抜刀ばっとうし、幸白も刀をく。

 野盗だ。構えも、なっていない。乱暴なだけのおの攻撃こうげきを受け流し、紗月は刀を振るう。

「紗月、殺すな!」

 幸白に警告されたため、紗月は刀のつかで男の鳩尾みぞおちを突いた。次に飛びかかってきた男も刀でなたを受け止め、脇腹わきばらりを入れる。

 振り向くと、幸白も男の攻撃を刀で受け止めて、流し、足払あしばらいを決めて転倒てんとうさせ、その鳩尾に足先をたたき込んでいた。

 もうひとりかかってきた男をいなし、昏倒こんとうさせる。

 野盗は合計、五人だった。紗月が三人、幸白が二人仕留めた。

「行くぞ」

 つかれた様子の幸白に声をかけ、早足で歩き始める。

 野盗たちから充分じゅうぶん遠ざかったところで、紗月は幸白に問いかけた。

「どうして、殺すなって言ったんだ?」

「君はまだ、だれも殺していないんじゃないかと思って」

「……正解だが、それがどうしたんだ」

 未熟な暗殺者だと見破られていたのだろうか。

「僕も誰も殺したことがないんだ。だから、こんなところで人をあやめる罪をおかすこともないかと思って。余裕よゆうがない戦いならともかく、そうではなかったし」

「正当防衛で殺すぐらい、別にいいだろう」

 紗月の答えに、幸白は苦笑していた。

「本当に、そう思う?」

「……何が、言いたい?」

「身内の話になるけど、僕の長兄ちょうけい優秀ゆうしゅうな武人でね。でも、初陣ういじんのときだけは、帰ってすぐに気分が悪いと言って自室に閉じこもっていたよ。あんな兄上は、初めて見たな。それ以降は、動じないようになったけどね。良くも悪くも、割り切れるようになるんだろうね」

 幸白の話で、虚空が「人間は、ひとをひとり殺すと様変わりする」と言っていたことを思い出す。

 さきほどはいきなり幸白に命令され、手加減できる相手だったので、そのまま昏倒させるように動いただけだが……。

(どうせ私は死ぬのだし、いっそ誰も殺さないまま死んでやるか。暗殺者になりきれなかった、「できそこない」らしいだろう。誰も殺さず幸白を守ることで、「何か」を成しげられるかもしれない)

 それは、なけなしの意地のようなものに裏づけされた感情。

 そんなことを考えて、紗月は春の薄青うすあおい空をあおいだ。


 その日は、森で野宿をした。き火をして、まだまだ冷える春の夜をやりすごす。

「私は見張りをする。あんたはろ」

 紗月が木にもたれながらうながすと、幸白は荷物のなかから厚手の布を取り出して土の上に広げた。彼は羽織をかけ布団ふとん代わりにして、横たわる。

「見張り、交代制にしようか」

「いい。私は、一日ぐらい寝なくても大丈夫だいじょうぶなように、訓練している」

 幸白の提案を一蹴いっしゅうしたが、彼は引き下がらなかった。

「……といっても、全く寝ないのは大変だろう。別に君は、僕に命を取られるわけでもなし。交代制にしようよ」

「わかった」

 紗月も疲れていた。言い争う気力もなくて、小さくうなずく。

「よろしく。君がねむくなってきたら、起こしてね」

 たのんでから、幸白は目をつむったが――すぐに目を開いた。不思議できれいな赤い目が、のぞく。

「寝る前に、何か聞きたいことがあったら、言って。今日は、過去を語り合ったよね」

「……別に聞きたいことなんか、ないけど」

 とは言ったものの、気になることが心にあぶくのようにかんできた。

「あんたは、いい教育を受けたんだろう。文化とか、そういうのにくわしいのか」

「え? ああ、まあそれなりに。何を知りたいの?」

「物語……を」

 紗月がためらいながらも、おずおずと口にすると、幸白はぽかんとしていた。

「――幸白?」

 声をかけると、彼は我に返ったように、咳払せきばらいをしてすきのないみを浮かべる。

「……ああ、うん。別にいいよ。でも、一体どうして?」

「いや、なんとなく」

 はぐらかしたが、実は紗月には物語のたぐいの記憶きおくが抜け落ちているからだった。落花流水に入るまでの記憶がうすれてしまい、入ってからは本を読めるようになったが虚空の蔵書に物語の本はなかった。だから、ずっと物語を聞きたい、読みたい、と思っていたのだ。物語をきっかけに、自分の記憶がもどるのではないかという目算もあった。

「どんな物語がいいの?」

「神話以外のが、いい」

「ふうん。じゃあ、短いお話をしてあげようか」

 幸白は語った。かめを助けた漁師の話を。漁師はお礼にと竜宮りゅうぐう城に連れていかれて大歓迎だいかんげいされたが、いざ帰ってみると数百年のときがっていたという。そして、開けてはいけないという玉手箱を開けたら漁師は老人になってしまった。

「……それは、面白い、のか?」

 紗月が首をかしげると、幸白は笑いをこらえていた。

「うーん。でも、有名な話だよ。聞いたことない?」

「ないな。あんたがいやじゃないなら、寝る前にでも聞かせてくれないか。物語を」

「わかった。でも、どうして神話は嫌なの?」

「神様なんて、信じてないから」

奇遇きぐうだね。僕も神様の存在には懐疑かいぎ的だよ」

 幸白の発言に、紗月は思わずまゆを寄せた。

「あんたは一応、梓の神の末裔まつえいだろ? なんで、懐疑的なんだ?」

「そういうことになってるけど、創世神話なんてほぼ創作だと思うな。懐疑的なのは、願いをかなえてもらえなかったから……かな。君のほうは、どうして?」

「誰も救ってくれなかったからだ。住んでた村はほろびたって、言っただろ」

「そう。なんだか、理由が似てるような気がするね。――じゃ、おやすみ」

 幸白は刀をいて、目を閉じていた。

 完全には、紗月を信頼しんらいしていないのだろう。きっと、紗月が動けば目が覚めるような浅い眠りに身をゆだねている。

(それでいい)

 紗月は木の葉の合間から、星のい散る夜空を仰いだ。


 真夜中、紗月が眠気ねむけをこらえはじめたとき、計ったかのように幸白が目覚めて見張りの交代を申し出てくれた。

 紗月は承諾しょうだくしてすぐ、幸白が眠っていた布の上で眠った。

 夜明けごろに起こされ、ふたりで乾飯ほしいと水だけの簡素な食事をしてから、火を消して旅立つことにした。


 ***


 幸白は、紗月の華奢きゃしゃな背中を見ながら歩いていく。

(本当に、強いんだな)

 野盗との戦闘せんとうを見ていたら、よくわかった。圧倒あっとう的な、技量。幸白が習ったことのない、不思議な太刀たちすじ

(より効率よく殺すための、けんだ)

 どうしてか、紗月のことが気になり始めているようだ、と自覚する。

 どこかもろそうな横顔のせいだろうか。戦いの際に見せた、するどさのせいだろうか。物語をせがむ、子どものようないとけなさのせいだろうか。

 強さと弱さをあわせ持つ少女は幸白の目に、新鮮しんせんに映っていた。

 ただ利用するだけの予定なのに。

(僕と彼女の道が交わることなんて、ないのだけど)

 不毛な想いは芽生える前に、捨てるべきだろう。

 幸白は心のもやもやをはらうように首を振って、紗月のあとを追った。

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