序章 滅び②
最初に、虚空は紗月に字を教えてくれた。暗殺指令などを読めないと、話にならないからだ。ここにやってきた数日は字の勉強だけで、(意外にいいところに来たのかもしれない)と思ったぐらいだ。
紗月は文字の読み書きができなかった。紗月だけではなく、農村では村長や長者の家以外の子どもはほとんど読み書きができないものだ。農村の識字率は都市部より、かなり低い。
父親が名付けのときに村長に漢字で紗月の名前を書いてもらったらしく、その紙が家のなかに
虚空が言ったとおり、衣食住も保証されていた。
しかし、一週間後に紗月は他の暗殺者候補と共に訓練に
集団訓練を受ける前に、短刀・打刀・
その後、体力作りのためといって、森のなかを走らされた。がむしゃらに走っていると、後ろから矢が飛んできた。
聞いていなかった。矢が飛んでくるなんて。
しかし、前を走る男児の背中に矢が
「止まるな! これは訓練だ!」
後ろから飛んでくる声に背を押されるようにして、紗月は走る。
(あんなの絶対、死んでるのに)
訓練は命がけなのだと、そのとき紗月は初めて実感した。
走り終えたあと、指導役の若い男が紗月に声をかけてきた。
「お前は新入りだから、今日は手加減していた。三日後には、他の者と同じように
警告に、紗月は
夕刻になって
「今日のように特別訓練がある日は、俺の部屋で
と虚空が教えてくれた。
おかげで、ひもじい。空腹だけではない。最初の集団訓練でほとほと
「
虚空は短刀の
「お前に断る権利はない」
無表情で、虚空はささやく。
「教えてやろう、紗月。暗殺者は、刃だ。刃は使われるだけ。使用者を選べず、刺す相手も選べない。お前は、そんな刃になるためにここに来たのだ。刃が疲れたと言うか? 言わないだろう?」
短刀が
「ひっ……うぐっ……」
思わず涙がこぼれ、
「泣くな。体力を
「だ、だって……」
「今すぐ泣きやめと言っている!」
「この、
虚空が手を放し、紗月はくずおれる。
呼吸を整え、なんとか泣きやんだところで短刀が飛んできて、地面に刺さった。
「弱者になりたくないなら、俺の首を取る気で来い」
紗月は短刀を取って、
虚空は
「うわああああああああああああああ!」
自分を
「いちいち叫ぶな。
虚空は
紗月が落花流水に来て、一月
夕食の折、昨日まで
(あの子は、今日の訓練で、やられたか……)
ずっと隣の席だったので、食事の折には少し話すような仲になっていたのだが。
あの走り込みの訓練では、矢で射られて死ななくても「矢が直撃した時点で不適格」とされて、処分されてしまうのだという。それも、あの少年が教えてくれた。処分とは「殺されることだ」ということも、こっそりと。
疲れのせいか
落花流水での
周りの子どもは、どんどん処分されていった。
落花流水は、常にどこからか子どもを連れてくる。紗月のような家族をなくした子どもに甘言をささやき連れてくることもあれば、
ここでは、人間は消耗品なのだと。
また、虚空は
あるとき、紗月は走り込みの集団訓練中に高熱を出して倒れた。
気がつけば
ここは、虚空の部屋だった。
部屋の
「……師匠」
呼びかけると、虚空が無表情で
「私、どうして、ここに」
「発熱したから、念のために
だからここに連れてきた、と言いたいのだろう。
「紗月。指導役から報告があったので、注意しておく。他の子どもの死を
いきなりの発言に、紗月はぎくりとする。
「花を
「……ちゃんと、訓練が終わってからやったことで――」
「そういう問題ではない」
虚空は立ち上がって、こちらに近づいてきた。
「
「悼むことすら、許されないのですか……?」
「同輩は仲間ではない。敵だ。お前が生き残るには、同輩を
冷たい
「暗殺者に情はいらない。覚えていろ」
念押しされて、何度も紗月はうなずく。
ふと、虚空が
「子どもとは、かくも
相変わらず表情を変えずにつぶやくものだから、紗月はどういった反応をしていいかわからないなりに、なんとか答える。
「……師匠も昔は、子どもだったでしょう……?」
「忘れたな。
「それで不適格になったら、私はどうやって殺されるのですか?」
訓練で落ちこぼれた者たちがどこかに連れていかれることは、知っていた。しかし、彼らがどうやって殺されるかは知らない。
だが、急に知りたくなった。このまま熱が下がらなければ殺される、とわかったからだろうか。
「俺が殺す。責任、というのはそういうことだ」
虚空は紗月の細い首に片手を当てた。骨張った長い指に力を入れられれば簡単に
(仕方なく取った弟子でも――
「とにかく寝てろ。熱が下がったら、自分の
素っ気ない口調に切なくなりながらも、紗月は着物の胸のあたりをぎゅっとつかむ。桜色の
幸い紗月の熱は一晩で下がり、また訓練に戻ることができた。
日に日に、紗月の頭からは
いつしか紗月は両親の顔も声も、思い出せなくなっていた。
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