序章 滅び①




 夕暮れに染められた赤い空を見上げて、少女は口を開く。

「あ、もう帰らないと。――みんな、またね!」

 空き地で遊んでいた遊び仲間に声をかけて、つきは走り出した。

「またなー、紗月」

「また明日あした!」

 子どもたちの声を背に、紗月は家へとけた。

 家のなかに入るとすぐに母が戸口まで出てきて、砂まみれになった紗月を見て笑う。

「また、男の子に交じって遊んでたの?」

「うん。だって、体を動かすほうが好きなんだもん」

 女の子の友達もいるが、彼女たちと遊ぶとなると屋内でおしゃべりというのがほとんどだ。そのため、紗月はよく男の子たちと一緒いっしょに遊んでいた。

「今日はねー、サムライごっこしたんだよ。ていっ!」

 紗月が厳選したほどよい長さの木の枝を構えると、母は顔をしかめた。

「おやめなさい、物騒ぶっそうな。木の枝といえど、ひとに向けてはいけません。その枝は、捨ててきなさい」

「えー。刀みたいな木の枝、やっと見つけたのに。明日も使うと思うし」

 紗月が口をとがらせたところで、母の後ろから父が現れた。

「紗月はおてんばだなあ。まあ、いいじゃないか。木の枝ぐらい。物騒なもんじゃなし」

 父はとりなしてくれたが、まだ母は不満そうだった。

「でも、あなた。不謹慎ふきんしんじゃありませんか? 我が国は今、隣国りんごくと戦争中だっていうのに」

「子どもに言ったって、仕方ないさ。ほら、紗月。さっさと草履ぞうりいで! 風呂ふろに入れ!」

「はあい、お父さん!」

 にこにこ笑って、紗月は家のなかに上がる。

 やさしい父と、少し小言が多いが温かな母。紗月は、ふたりとも大好きだった。

 もう十になるのに、父は寝る前にいつも物語を聞かせてくれた。紗月がせがむからだ。

 父は普通ふつうの農民なので、語る物語の種類は決して多くない。それでも、紗月はおだやかな父の声で語られる物語が好きだった。そのなかの主人公になったと想像して、反芻はんすうするのも楽しかった。

 夕食の前に、みんなで神棚かみだなにおいのりをした。両親は村にある神社にもよく行っていたが、神棚へのお祈りも欠かさなかった。

 この村の氏神うじがみ様は、蛇神へびがみ様だ。蛇神が水神であるせいか、この地は清い水にめぐまれ、よい米が育った。

 そして父は紗月に、ことあるごとに教えた。

「神棚の裏に、桜色の勾玉まがたまかくしている。もし私たちに何かあれば、お前はその勾玉を持ってげるんだよ。勾玉は、とても大切なものだから、その身からはなしてはいけないよ」

 聞ききたよ、と笑っても、父は真剣しんけんに何度もり返すのだった。


 幸せな日々が、続くと思っていたのに――。


 一夜にして、平和だった村は地獄じごくへと変わった。

 落ち武者の襲撃しゅうげきを受けた村は、男衆が応戦したものの、男は殺され、女や子どもは殺されるか連れ去られた。

「紗月、隠れなさい! 何があっても、出てくるんじゃないぞ!」

 父は紗月を、大きなつぼに隠してふたをした。紗月はふるえて、耳に手を当ててうずくまる。

 知らない男たちの怒鳴どなり声がひびいても、両親のさけび声を聞いても、紗月は大きな壺に隠れたままずっと動けないでいた。

 侵入しんにゅう者は紗月に気づかなかったらしい。笑い声と共に、複数の足音が遠のいていった。

 音が絶えてしばらくして、紗月はよろよろと外に出て家のなかを確かめた。

 父と母は折り重なるようにして、たおれていた。

「ああ……ああああああああ!」

 叫び、紗月はふたりに駆け寄る。母はすでに息がなかったが、父は弱々しくも胸が上下していた。

「お父さん、しっかりして。お父さん!」

「……紗月。よかった……お前は、無事だったか……。父さんは、もうだめだ……。勾玉を持って、逃げなさい。あれは、お前の……」

 そこまで言ったところで父はき込んで血をき、ぐったりと横たわった。

「お父さん! お父さん、しっかりして!」

 こときれた父にすがって泣き叫ぶ。どのぐらい、そうしていただろう。泣きつかれて、どんどん冷たくなっていく体から離れる。

(そうだ……勾玉)

 紗月はふらつく足で奥の間に行き、部屋のすみに置いてあったみ台を神棚の下に引っ張ってきた。その上に乗って、神棚の裏に手をばす。固い感触かんしょくと共に、何かが手に収まる。

 踏み台から下りて、にぎり込んだこぶしを開き、それを見つめる。まさしく、桜色の勾玉だった。内側に光がめられているようなかがやきに、思わず息をむ。

(すごく、きれい)

 これは、ただの勾玉ではない、と直感的にさとる。以前、村長の奥方が首飾くびかざりにしていた薄緑うすみどり色の勾玉を見たことがある。それとは、全く輝きが異なっていた。

 そこで足音がして、紗月はあわててまた勾玉を握り込み、り返った。

「……生き残りがいたか」

 背が高く、眼光のするどい男が立っていた。黒いかみはつややかで、背中の真ん中まで伸ばされている。着物は上等そうで、灰色と黒色で構成されていた。鼻をななめに横切る傷が、彼に妙なすごみを与えている。

 武士なのだろうか。いや、武士は武士でも悪い武士かもしれない。

 紗月は警戒けいかいして、いきなり現れた男をにらみつけた。

「あなた……だれ? 落ち武者の仲間?」

 たずねながらも、がたがたと歯が鳴る。本能が警鐘けいしょうを鳴らしていた。この男は危険だと。

 せっかく父が隠してくれたのに、命を取られるかもしれない。

 紗月は死を覚悟かくごしたが、男はかたをすくめた。

ちがう。この村が、落ち武者の襲撃にったと聞いてな」

「……誰から?」

「その、落ち武者どもからだよ。意気いき揚々ようようと食料や金品を手にして街道かいどうを歩いていたから、丸わかりだった」

「聞いて、どうしたの」

 落ち武者たちに出逢であったのに、どうして彼は平気な顔をしているのだろう、と思って何気なく尋ねる。

「殺した」

 思いがけない答えに、紗月の背筋がこおった。

「ころ……したの?」

「ああ。落ち武者どもに生きる価値などないからな。何を、おびえている? お前の村は、あいつらに滅ぼされたんだろう? 俺は、お前のかたきを取ったと言えるのでは?」

「…………」

 どう答えていいかわからず、紗月は口をつぐんだ。

「生き残りに子どもがいたら拾ってやろうと、ここに来た。市場に売られてくる子どもはどうも、覇気はきがなくてな」

 男は紗月に近づき、見下ろしてきた。

「お前、いくつだ? 名前は?」

 問われて鼻白みながらも、紗月は素直すなおに「十歳。名前は紗月」と答えた。

「十か。まあ、仕込むにはいい年頃としごろだろう」

「仕込む、って何を」

「暗殺術だ。俺は暗殺者集団・落花流水らっかりゅうすいが一員の虚空こくう。お前を弟子でしにしてやろう」

 虚空はかがんで、紗月の目をのぞき込んだ。

「任務帰りに寄り道をして、来た甲斐かいがあった。お前の目は、いい。力がある。そういうやつは、強くなれるぞ」

「勝手に話を進めないで。暗殺者になんて、なりたくない!」

「なら、ずっとここにいるか? この村で生き残っているのは、お前だけだ。ここにいたらえて死ぬ。あとは残り物をかすめ取ろうとして来た野盗に見つかり、殺されるか売り飛ばされるか……だな」

 虚空は淡々たんたんと語り、紗月は身を震わせた。

 こわいのは、彼の声音こわねに感情を感じ取れないからだ。

「この村をおそったやつらがにくいか?」

 無表情で放たれた質問に、紗月は即答そくとうする。

「憎いに、決まってる」

「もういないのだから、お前はあいつらに復讐ふくしゅうできない。だが、あいつらがここに来たのは隣国りんごくとの戦争のせいだ。戦争で敗走したやつらが盗賊とうぞくになって、村をほろぼしていったんだ。俺たちは、戦争を起こすような為政者いせいしゃを殺すこともある。めぐりめぐって、かたきを取れるかもしれないぞ」

 かたきを取れる、という部分に紗月は心をらがせる。

「暗殺者も楽な道ではないが、殺されたり売られたりするよりはマシだろう。この世は、弱肉強食だ。弱者は泣いて死んでいくだけ。暗殺者になって、強者側になれ」

 虚空の言葉に後押しされるようにして、紗月はうなずいた。

(もう、どうでもいい。どうせ、もう村はない。お父さんもお母さんも死んじゃったんだ。このひとの言うとおり、ここにいたら私も死ぬだけ。それなら、なってやろうじゃないの。戦争をあやつる、えらいひとを殺せるやつに)

 紗月は心を決めて、「わかった。あんたについていく」と告げた。

「よし。交渉こうしょう成立だ。衣食住は保証してやる。ついてこい」

 虚空の背中を追い、紗月は家を出る。

 ふと振り返って、父母の遺体を見やる。

「せめて、めてあげたい」

 紗月はおずおずと主張したが、虚空は大きくかぶりを振った。

「いずれ役人たちが来て、埋葬まいそうしてくれるだろう。早く来ないと、置いていくぞ」

 虚空にうながされ、紗月はためらいながらも両親の亡骸なきがらから目をそらした。

 虚空のあとについて、荒廃こうはいした村を歩く。たくさんの家が燃えている。あちらこちらに、見知ったひとの遺体が並んでいる。見ていられなくて、紗月は虚空の背中を見つめてなみだをこらえた。

 ふと思い出し、紗月は虚空に見つからないように、それまで握り込んでいた、父のくれた勾玉まがたまふところしのばせた。

 空が赤い、と思ったら高台にある神社の鳥居が燃えていた。神社へと続く階段に倒れているのは、神主だった。

(神様、どうして助けてくれなかったの)

 父も母も紗月も、あんなにお参りしたのに。神主はあんなに敬虔けいけんに仕えていたのに。

 慟哭どうこくをこらえて、紗月は頭上をあおいだ。火とけむりのせいで、空はにごって見えた。

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