第21話 逃げ出した冬
私は音楽に愛されていた。私が奏でる楽器は私の思ったとおりの音を紡ぎ、私が歌えば輝きとなって広がっていくようで。
柊くんにもよく聞いてもらっていた。二人で過ごす時間が増えたあたり、そう冬休みとか、長期休みで学校に行かなくなる時期、それでも会う時とかに。
「音楽はよくわからないし、あまり聞かないけど、和奏の音楽は好きだ」
と言ってくれていた。
柊くんと離れ離れになることになって。当時まだ生きていた両親の転勤で。いつものことだった。けれどその時はいつ振りだろうか……転校して離れるのを寂しいと思ったのは。
「忘れて欲しくない……いつか、探してほしい……」
そんな呪いの言葉を柊くんに残してしまった。
探してほしいから動画活動を始めた。でも段々と私が作った曲に来る反応が楽しみになってきてモチベーションが上がってきて。気がつけばどんどん有名になって。
高1の冬、事務所に呼び出された私は社長に。
「今後の作詞作曲にはプロを入れる」
「え。でも……」
「今後、ライブやテレビでの活動を増やしながら作詞作曲を行うのは高校生の君では厳しいだろう」
その時はわからなかった。けれど今ならわかる。
私の活動の幅を広げながら高校生としての生活を保つには何かを諦めなければならないと。
でもその時の私は認められなかった。私が作った曲を私が歌う。演奏する。踊る。ずっとやってきたこと。そこを妥協するのは何というか……裏切っているような気がして。
気がつけば私は事務所を飛び出していた。ファンの期待に応えられなくなるくらいなら引退しますという言葉を叫んでいた気がした。けれど発表されたのは活動休止で。
事務所からは来年、大学を考えるころになったらまた話し合おうとあった。
いい大人たちに恵まれて。なのに私は子どもっぽく逃げ出した。逃げて逃げて頼った先は昔の縁。
諦めきれずに行われた拙い抵抗もバレてるのかバレていないのか何も言われず。
「ほんと私、何してるんだろうね」
新しく生まれた私の世界で歌うための姿『KAMIE』でもこれは私が逃げた象徴でもある。
和奏の話が終わる。僕はマグカップを傾ける。空になっているのも気づかなくて、コーヒーの香り残る空気を啜ることになった。
「軽蔑した?」
「別に」
「やりたいようにできなくて癇癪起こして逃げ出したんだよ」
「僕にしてみれば、和奏が逃げ出さなかったらまだ再会出来てないんだよ……僕は和奏に会いに行けていなかった。和奏から会いに来てくれたんだ」
和奏に何があったか知れた。それだけで十分だ。
「んで?」
「ん?」
「どうする。衣装」
「あはは。そうだね、どうしようか」
戸惑ったように笑う和奏に僕は。
「和奏のやりたいようにやりなよ。なんでも。僕がいる限り、全部叶うように手伝うからさ」
「……柊くん」
「僕は和奏が自由にやっている姿を見たいんだ」
「難しいこと言うね。現状、たった十五分のステージで着る衣装にすら悩んでる私なのに」
「それは和奏がたった十五分のステージに、真剣になってる証拠じゃないか」
和奏の目を見ればわかる。たかが高校の文化祭のステージに、どれだけ真剣になっているのか。命すら差し出してしまいそうな、そんな危うさすら感じさせる目をしていた。
「意地になってるだけだよ。ステージから逃げ出した私が、目の前にキラキラした舞台を用意されて、必死になってしがみついている」
「良いじゃねぇか。何が悪いんだ? 見栄えなんて気にするなよ。和奏はきれいだ」
僕にとってはそれだけが事実だ。和奏はきれいだ。僕の手元に残っている確かな現実。僕の現実は和奏によって保証されている。
僕の見える世界は、景色は、いつだって和奏が中心なんだ。
和奏と離れていた時間はそれが間違いないと確信させるには十分な濃さを持っていて。
「僕はいつだって和奏の味方だ。僕が和奏を守る。それはこれからも変わらない」
あの時素直に言えなかったこと。いまなら言える。
「だから僕は、和奏にずっと会いたかった」
そう告げると、和奏はどこか満足げに笑って。
「うん。ありがとう……それを聞けて安心したよ……よし、決めた。衣装」
「え?」
「思えば私、普通の女子高生、やりたかったなって」
「う、うん」
「なら、衣装なんて一つしかないじゃん」
文化祭の準備が本格的に始まると、学校の空気が少し変わる。
テスト前のどこかどんよりとしたピリピリとした空気はもう気配すら感じさせず、皆それぞれのびのびと準備を進めていた。
文化祭は明後日。うちのクラスは縁日ということで浴衣が衣装になる。来年はクラスTシャツなるものが衣装だからと、今年は張り切る人も結構いるらしい。クラスTシャツ自体に反対の声が上がってないのが意外だが。やっぱ好きな人は好きなのだろう、一体感が生まれる衣装というものは。
放課後は部活に入ってない人や実行委員が中心となり、看板や装飾品を作る。それが終わると僕は和奏と一緒にカラオケに入る。
「当日は何を歌うんだ」
各々ドリンクバーで飲み物を用意してソファーに座る。
「『WAKANA』でも『KAMIE』でもなく、『神惠和奏』として立つステージだと思ってるからさ。どっちからも一曲ずつ借りて。そんで新曲を一つ、歌いたい」
「新曲? 今から作るのか? 間に合うのか?」
「大丈夫、ほとんどできてる。あとは歌詞と細部をイメージ通りに直すだけ」
「……そこが一番時間かかるんじゃないのか? 音楽のことはよく知らないけど」
「へぇ、知らないわりによくわかってるじゃん。でもやるよ」
「……そこまでするか」
「全力でぶつからないと、見えない景色があるから」
「全力で」
「そう。全力で。できるかできないかわかんないけど、挑戦するの。達成できたらきっと、そこには新しい私がいるの」
マイクを握りリモコンで自分の曲を入れた和奏は立ち上がる。
「きっと簡単すぎる目標でも、どう考えても無理な目標でもダメなんだ。……さぁ、歌うよ」
和奏が今回のステージにどれほどの思いを込めているのか、きっと僕が想像しているよりもずっと強い思いがあるのだろう。
けれどその歌声に気負いとか見えなくて。
「和奏は歌うのが好きなんだな」
「うん。好きだよ。しっかし……」
「ん?」
「私、本人なんだけど、なんでこんな点数低いの」
「そういうものだって聞いたことがあるぞ。なんかカラオケが上手いのと歌手の歌い方はは違うとかなんとかかんとか」
「あー聞いたことあるかも」
「和奏の歌の上手さは数字で表せるものじゃないんだよ。心で感じるものなんだよ」
「ははっ、柊くんの言葉じゃなければ同情されてるとしか思えなかったや」
それから一時間、和奏は歌い続けた。それを特等席で浴びる。これ以上の幸せなどあるだろうか。
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