まだ見えない空な私たち

神無桂花

第1話 再会は夜が溶けた味

 「こっちには一般人がいる! 攻撃の中止を要請する!」


 三回目だな。このセリフのために声を張り上げたのは。

正面から感じる熱に目が乾きそうだ。目の前でさっきまでくつろいでいた我が家が派手に燃えている。父さんと母さんを倒しに来たのか。襲撃を牽制するために常にいるように見せていたのが裏目に出たか。

茂みに隠れた気配の主が徐々に包囲網を狭めてくるのがわかる。銃口がこちらに向いている。和奏を身体で庇いながらも後ろから近づいてくる気配に張り巡らせた『糸』にかける指に込めた力が強まる。

 中学一年の秋の頃だ。頬を掠めた何かは背中を預けていた木に弾痕を残す。


「……こっちだ」


 走りながら糸を掴み引っ張れば、僕を追いかけ罠にかかった二人の男が逆さづりになり、振り子の要領で木に鈍い音を立てて衝突する。


「これで二人……」


 何かがバチバチっと爆ぜる音。焦げた匂いがどんどん遠ざかっていく。逃げ込んだ先は我が家の裏手の山。和奏を抱えて木々を飛び回る。


「……柊くん、わたしを置いて……」

「ダメだ」


 あの見境のなさ、この場で和奏を一般人と証明することはできない。人質のフリをした忍とでも思われるのがオチだ。放置すれば殺される。だから。いや……そんな理由なんていらない。


「僕が守る。絶対に……和奏、君が死ぬのは僕の次。君が負けるのは、僕が負けて死んだ時だ」


 守りながら戦って見せる。

 和奏だけは、僕が守る。

 和奏だけは……絶対に……僕が!

 




 影蜘蛛三十人狩り。

 『忍』の名門坂井家の長男・坂井柊により、坂井家を襲撃した精鋭部隊三十人が30分にも及ぶ一般人一人を巻き込む戦闘の末、制圧、無力化された。

 この戦闘に関しては審査会にて、坂井仁、坂井正子両名を狙った襲撃でありながらいなかった事実、いなかったのにも関わらず、一般人の少女『神惠和奏』を巻き込んでまで戦闘の開始を決定した是非について審議されることになる。

 神惠和奏は坂井柊が保護しながら戦闘したため目立った外傷はなく医師の診断でも問題がないことが確認されている。

 無力化された部隊は木々に吊るされた状態で放置されていたのは確認したもののすぐに『忍会』が連れ去り行方不明となる。後に忍会と結ばれた不可侵条約に基づき返還された。





 夜に飲むコーヒーは格別だと思う。町を包む夜闇が溶け込んで広がっているようで、それを飲み込めば僕も夜の中に。

喫茶店の窓際のカウンター席、そこから広がる景色は建物の明かりが眩く、月も星も脇役な、そんな空の下を人々が家路を急いでいる。そんな彼らと違い、これからの時間こそがホームグラウンドな、夜の住民になってしまえるような気分になれる。

夏もそろそろ本格化してくる夜の空は、昼の抜けるような青空と比べると、どこか狭く感じられた。


「……はぁ」


 写真共有に特化したSNSニンスタに写真をアップしスマホをスリープにする。

 手元のパソコンに表示されている写真データは先ほどアップしたものと同じもの。それを眺めながらため息を一つ。デジカメもスマホも、工夫すれば良いものが取れるとはいえ……。なんか物足りないもっといい機材を……。


「いやいや」


 高校生の経済事情を考えようとした頭を振って。ブラウザを開くと今度は最新ニュースが次々とトップページに表示された。


「ん?」


 その一番上に、とある歌手の活動休止の情報が表示されていて。

 その子は同い年で、でもその圧倒的歌唱力。踊れるし楽器もかなりのレベルで弾けて、曲も自分で作るという、何というか、無茶苦茶だと思わされる多才っぷりで、動画サイトからあっという間に有名になった。どこまでが嘘なのだろうかと最初は思わされたが。


「あ、そっちの方が早かったか」


 僕はその子を知っていた。だからすぐに納得できた。

 カラカラカラと何かを転がす音に顔を上げる。

 その女の子は隣に座ると、色素の薄い茶色がかった髪をかき上げるように後ろに流して、夜なのにかけていたサングラスをそっと外して。


「久しぶりだね、しゅうくん」

「……和奏わかな

「や。あ、聞いてくれてるんだ」

「まぁ」


 スマホに表示されている音楽再生アプリには、まさに和奏が作詞作曲した曲が流れている。


「どう?」

「良い曲だよ」

「ありがと。それは自信作だよ」


 そう言って和奏はニッと笑う。その言葉通りこの曲は、デビュー曲にして一番のヒットを飛ばした曲。歌手「WAKANA」を有名にした曲。『まだ見えないからな私たち』だ。


「……まだ、写真撮ってる?」

「うん」

「そっか、よかった。……すいません、彼と同じものお願いします」


 メニューを持ってきた店員さんにすぐにそう言って、隣に腰かけてこちらを見て懐かしそうに目を細めて笑みを浮かべて。

 変わらない笑顔に心臓が高鳴る……中学二年の時に転校して行って以来だろうか。それから次の年に和奏を動画サイトで見つけて、それからテレビで見るようになって。


「ライブ行こうと思ったんだけど、チケット外れたんだ」

「連絡くれたら招待枠で呼んだのに」

「それはなんか違う気がするんだよ」

「相変らず面倒なこだわりだね」

「変に目立ちたくはないけど、ライブは行きたかった」


 そう言うとクスクスと笑う。


「あ、ありがとうございます」


 目の前に置かれたマグカップを恐る恐る傾け唇を湿らせるように口付ける。そういえば猫舌だったな、和奏。コーヒー、飲めたっけ。

 そんな疑問を遮るように悪戯っ子な目をこちらに向けて。


「そんなに私に会いたかった?」


 思わず頬を掻いて少し考えてしまう。会いたかったかと言えば、その通りだけど。


「……会おうと言ってきたのは君だろう」

「うん。そうだね、えっと……三年ぶりかな」

「そうだな……受験のためか?」

「ん?」

「活動休止」

「あー」


 そう言いながら和奏は前髪を少し引っ張りながら薄く笑って。


「……うん、そんなとこ。ちゃんと勉強は、しておきたくて」

「……そっか」


 深く聞こうとする口にコーヒーを流し込んで塞いだ。

 話したくないことを聞かれた時の、嘘をつく時の癖、直ってないな。前髪で顔を隠そうとする。目を合わせたくないって感じで。


「……本題、言って良い?」

「おう」

「私、転校することにしたの」

「うん」

「柊くんのいる学校に」

「おう」

「それでさ。急だったから家とか見つける暇なくてさ」

「うん」

「柊くん、一人暮らしでしょ、置いてくれない? 柊くんのところに。ご両親には今日話し通したからさ」

「……は?」

「良いよね?」


 出ました百点満点の笑顔。これを見せられて『ノー』と言える人はどれだけいるだろうか。


「……なぁ、和奏」


 溜息一つ。笑みを崩さない和奏。押し切る気だろうが僕は一言言わなければならない。


「君は……相変わらずだな!!!」


 夜の喫茶店にそんな声が響いた。僕はまだ、夜の住民にはなれそうにない。

 大事なことほど、伝えるタイミングを引っ張りたがる。サプライズ症候群な少女、神惠和奏。

 ポンと彼女が叩いたのはトランクケースで。


「明日、私の荷物届くから」 

「……あぁ」


 彼女が重要なことを知らせる時は、大抵もう、後戻りできないところまで進んでいて。


「帰ろうか。ちょっと買い物もしたいし」


 そう言って飲み干したマグカップを置いて和奏は立ち上がる。同時にスマホが震えた。


『和奏ちゃんと仲良くするのよ。大家さんに話は通してあるから。送った仕送りもちゃんと使ってね。今朝届いてると思うけど。もしものことがあっても独断で動かないように。』


 という旨を綴った両親からのメッセージだ。

 ……そういえば米やら野菜やら醤油やら味噌やら色々送られてきたな。頑張って使うしかないのかと困ってはいたけど。

 世渡り上手で愛され上手で、うちの両親も和奏にはとことん甘かった。


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