不揃いな前髪
押田桧凪
第1話
舞衣ちゃんと一緒に行ったファミレスで、トイレに行っている間にジュースにささっていたストローがすり替えられていることに僕はすぐに気づいたよ。舞衣ちゃんは僕がストローをガジガジ噛む癖を知っていて、きっと僕の歯が好きなんだろうね。でも、舞衣ちゃんが僕の歯を好きなのとおんなじくらい、僕は舞衣ちゃんのことが好きなんだ。そのことに早く気づいてほしいな。
でも、その時は正直に言うと嬉しかったな。だって、席に戻るまでに舞衣ちゃんが必死になって僕の歯型を真似してストローに噛んだ痕を付ける姿を想像しただけでおかしくて、笑うのを堪えるのに必死だったよ。舞衣ちゃんはバレてないと思ってるみたいだけど、残念でした。僕にはぜんぶお見通しだよ。それに、これって間接キスみたいなものだよね? うん、さすがにそれに興奮するのは異常だってことは分かってるけど、初めてのキスがこんな形で行われるとは僕は思ってもみなかったよ。
だって、前に舞衣ちゃんに顔面をパンチされて僕の前歯が折れた時、とっさに思いついた言い訳がもうケッサクでさ。
「放課後に、誰もいないからちゅうしようとしたんです。そしたら、私そういうの初めてで知らなくて。緊張してて歯を噛んだんです、つよく。で、折れました」なんて言ってたけど勿論、僕はその時点では舞衣ちゃんとキスなんてしたこと無かったし、いっそのこと本当にしてくれないかなあと思ってたから。
だから、僕はむしろ感謝してるんだ。唾液の交換って素敵だよね。こういうのを生命の神秘って言うのかな。それに、僕の提案で「なるべく安い所がいい」って言ったから、デート場所もこんなファミレスにしか来れなかったのに、最終的に舞衣ちゃんにぜんぶ奢って貰うことになっちゃってごめんね。僕はすごく申し訳ない気持ちになったけど、もしかしてストローのお礼のつもりかな? でも、舞衣ちゃんにやられてばっかりは癪だったから僕も舞衣ちゃんのストローをこっそり持ち帰らせて貰ったよ。勿論、DNAを採取するためにね。だから、ありがとう舞衣ちゃん。
この日のデートの帰り道、「敬志くんのためなら、何でもするよ」って舞衣ちゃんは言ってくれたんだ。『女子が言うかわいいは信用するな』って言葉はよく聞くし、どうせお金がない僕のことをからかってるだけだと思ったから、僕はその忠誠を試そうと「じゃあ、僕のモデルになってくれる?」って言ったんだ。
「うん、いいよ」
舞衣ちゃんは即答だったけど、多分まだ僕が何をするのかよく分かってないみたいだった。要は、モデルと聞いて写真撮影を思い浮かべたみたいだけど、僕の言うモデルは髪を切るカットモデルのことだった。だから、僕はそれを説明してモデルを「ドール」と言い換えた。
「舞衣ちゃんはお人形さんみたいにかわいいから。僕にその前髪を切らせて欲しいんだ」
それから、僕は筆箱に入っていた幼稚園の頃から使っている年季の入った鋏を取り出して、じょき、じょきと舞衣ちゃんの前髪を切っていった。覗かせる額を、「わぁ、これが露頭かあ」なんて理科の授業で習った言葉でその感動を伝えるも、舞衣ちゃんが首を傾げてむつかしい顔をつくるその表情も好きだった。
僕が髪を切っている間に「ちょっとお、勝手に地質調査しないでよお、そこは地層が深すぎるわっ……って地質じゃなくて膣じゃない!」なんて機転を利かせて喋るAI搭載型のおもちゃみたいに舞衣ちゃんが喘いでくれたら、もうちょっと雰囲気が盛り上がったのかもしれないけど、舞衣ちゃんはおもちゃじゃなくて人間だったし、今日は初回だからね。これぐらいで我慢しないとね。僕もそのあたりのことは分かってるつもりだよ。勿論、髪も貴重なDNAサンプルだから、帰ったらちゃんと保管しないとね。
それに、女子にとって「前髪は命」らしいけど、舞衣ちゃんがそれを僕に捧げてくれるっていうのはつまり僕を愛してくれてるんだよね? 僕のことが好きなんだよね? 僕のためにチョコレートを用意してくれて、でも僕は食べられないけど「一緒に克服しよう」って言ってくれたし、チョコをもし食べられるようになって虫歯になっても舞衣ちゃんが治療してくれるんだ。そう考えると、僕はなんて幸せ者なんだろうって思うんだ。
お母さんが今の家を出て行ってから、もうすぐで五年になる。喧嘩別れだったけど、お父さんは今でもお母さんのことが好きみたいだし、毎月の給料の大半をお母さんに振り込んでるせいで僕の家は貧乏なんだ、きっと。僕はお母さんが嫌いだし、養うつもりが無いならさっさと離婚してほしいと思ってる。
だから、僕は失敗したくなかった。舞衣ちゃんといつか結婚して、それで本当に幸せになれるかなんて分からないけど「愛してる」っていう気持ちが一番大事なんだよね? うん、そうに決まってる。そういえば、明日が提出締切になっていた進路希望調査まだ出して無かったな。将来は美容師になりたいな。
不揃いな前髪 押田桧凪 @proof
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