ハッピーエンドにしたい人生の最後の日

ナナミヤ

第1章 旅立ち

第1話 旅立ちⅠ


 赤、黄色、白、青――色とりどりの花が咲いている花畑で鎧姿の騎士に抱き着く。その感触は固く、冷たい。


「王女……」


「そんな他人行儀に呼ばないで。名前で呼んで」


「エスメラルダ。私は貴女には相応しくない」


「そんな事無い! 私には貴方しか居ないの!」


 頬を涙で濡らす。この人から離れたくない。そんな感情までもが芽生える。


「貴女は明日には隣国の王太子妃だ。私には、もう……」


「ここから逃げよう? まだ時間はあるから」


「どうやって? 行く当ては?」


「それは……」


 逃げる方法も行く当ても思いつかず、小さく首を振る。

 騎士は微笑み、私の瞼に唇を落とす。


「貴女に出会えた。私はそれで充分だ。貴女は隣国へ嫁ぐ。私はこの地で果てよう。それもまた運命」


「ローレンス……」


 私が愛せるのはこの人しか居ないのに。愛の無い政略結婚なんて意味が無いのに。

 もう、この優しいグレーの瞳を見る事が叶わなくなるなんて絶対に嫌だ。


「それなら、私は命を賭してこの世界を呪いましょう。貴方の居ない人生なんて必要無い」


「エスメラルダ――」


「それが嫌なら、私を殺しなさい」



 はっと瞼を開ける。キョロキョロと辺りを見てみれば、見慣れた自室だ。良かったと安堵する。

 旅立ちを迎えた今日まで何度こんな夢を見ただろう。

 そっと右手を天に翳し、甲に刻まれた痣をまじまじと見てみる。

 勇者として生まれた証の呪いの痣――魔王を倒さねばならない役目を負いながら、魔王を倒せば死ぬ呪いだ。

 「はぁ……」と溜め息を吐き、力なく首を振る。


「オフィーリア、起きてる?」


「お母さん……」


 ベッドからのそりと起き上がり、金の長い髪を右手で払う。


「今起きたとこ」


「そっか、じゃあ準備はまだなの?」


「うん」


 母は悲しそうに微笑むと、純白のドレスアーマーを着せてくれた。震える手で、涙を流しながら。

 鏡越しに自分の姿を見てみても、なんだか孫に衣装状態だ。

 こんな私が勇者だなんて。なんだか笑えてくる。


「ノエルとオーウェンももう直ぐ来ると思う。何かあったら、必ず二人を頼るんだよ。自分だけで何とかしようと思わないで」


「うん」


「何でオフィーリアがこんな目に……」


 それまで我慢していたのだろう。母は「あぁぁ……!」と声を上げて泣き始めてしまった。


「もう、折角の旅立ちの日なのに……」


 頭を撫で、何とか母を宥めてみる。そんな事をしたせいか、涙の量は余計増えてしまった。

 そこへ壁に何か固い物が投げ付けられる音が聞こえてきた。窓から外を覗いてみれば、茶色のショートヘアの青年と、長い黒髪を一つに束ねた青年――ノエルとオーウェンの姿がある。


「お母さん、二人が来たよ。私行かなきゃ」


「いや、いや……」


 母は両手で顔を覆い、その場にしゃがみ込んでしまった。

 なんて聞き分けの無い親だろう。

 肩を抱き、何とか立たせて玄関へと向かう。こんな悲しい別れ方はしたくないのに。

 母を玄関に座らせ、扉を押し開ける。そこにはノエルとオーウェンの眩しい程の笑顔があった。二人とも皮の鎧を身に纏い、準備万端だ。


「オフィーリア、おはよう」


「ノエル、オーウェン、おはよう」


「おばさん、やっぱり泣いちゃったか。仕方無いけど」


「おばさん、オフィーリアに別れを」


 オーウェンが母の元へ行き、立たせると、母は口角を上げる。


「オフィーリア……。私の元に、生まれてきてくれて……ありがとう。いってらっしゃい」


「行ってきます」


 右手をブンブンと振り、母と我が家に別れを告げると、行くべき方向――石畳の田舎の小道へと向く。


「……さよなら」


 胸がずきりと痛むのに、不思議と涙は出てこない。

 ノエルは悲しそうに微笑みながら、私の顔を覗き込む。


「オフィーリア、こんな時くらい泣いても良いんだよ?」


「うん」


「……泣けない?」


「うーん、泣けないのとも違う。多分、泣きたくないんだと思う」


 泣いてしまえば此処には一生戻ってくる事は出来ない。それを無意識に拒否しているのだろう。

 右手を胸に押し付け、「ふぅ……」と息を吐きだす。


「オフィーリアは強いな」


「ううん、強くないよ。ただ、覚悟が出来てるか出来てないか……それだけ」


 この右手の痣は生まれついてのものだ。生まれた時には既に私の宿命は決まっていた。

 諦めと妥協――私のこれまでの人生はこれの繰り返しだっただろう。

 ノエルは悲しそうに苦笑いすると、前方を見据える。


「先ずは王都か……。着くのは明後日かな」


「それまでモンスターが出てこなきゃ良いけど……」


「出てきたら俺たちがオフィーリアを守るまで」


 ノエルとオーウェンは私を挟んで会話をし、お互いに頷く。

 通り過ぎていく風景は、私たちが幼い頃から見慣れた景色だ。透き通った青い空に雲が流れ、白と青の花が風に踊る。道の脇を流れる小川には小さな魚たちが泳いでいるのだろう。

 その全てにさよならと心の中で呟く。

 両手を胸の前で組み、少しだけ力を開放してみる。

 次に手を広げた時には、掌に溢れんばかりの青い花弁が現れていた。花弁は風に乗り、私たちの周りを漂ってから後方へと舞う。


「いつ見ても凄いな」


「うん、綺麗だ」


「私の唯一の特技だからね」


 それは勇者の特権である魔法の力――

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