第5話 旅立ちⅢ


 そんな私たちの様子に、流石のアンバーも困ってしまったらしい。片手で頭を掻きながら、苦笑いをする。


「っつっても無理あるか。オレはこんな身形だしよー、何よりオマエらを誘拐した理由も話してねーしな」


 思わず二度、大きく首を縦に振ってしまった。はっと両手を頬に当ててみたもののもう遅い。確実に、アンバーに見られただろう。その証拠に、アンバーの右の口角が上がった。

 逆鱗に触れたのではないだろうか。あたふたしてしまったけれど、アンバーの反応は予想外のものだった。


「いや、ベリルの反応が普通だ。焦る必要もねぇ。早く理由を教えてやりてーとこだけどよー、こんな時間だろ? 明日にしよーぜ。ベリルとセシリアも、丁度寝る準備万端みてーだしな」


 言われて初めて自分の格好を思い出した。ルームドレスに、部屋用のヒールの低い靴だ。勿論、セシリアも。こんな姿、いくら空賊だからと言っても男の人に見せるものではない。かあっと頬が熱くなる。

 頬は真っ赤になっている筈なのに、大してアンバーは気にしていないらしい。最初に見せた意地悪そうな笑顔へと戻った。


「オマエらの部屋はちゃんと準備してある。クローゼットには何着か服も用意してある。サイズは保障出来ねーけどな」


 サイズが違っては、着る事なんて出来ないではないか。持ち合わせの服は全く無いから、ありがたい話なのだけれど。緊張も少しだけ解けてきて細く息を吐いた時、アンバーがヒースの名を呼ぶ。ヒースの身体がビクンと震えたため、私の身体もつられて小さく震えてしまった。


「……何ですか?」


「オマエ、コイツら部屋に案内してやれ。あと、スペランザ号、格納庫に仕舞ったのか?」


「あーっ! 忘れてました!」


 ヒースが叫ぶとアンバーは顔をしかめ、頭を抱える。それも束の間、僅かに視線を上げた。


「……まあ良い。早くしろ」


「はい!」


 ヒースは振り返ると、笑顔を私たちに向ける。


「じゃあ、部屋に案内するよ。おれの後に付いてきて」


 抵抗する理由も無いため、言われるがままヒースにエスコートされながら会議室の扉を潜った。後ろから「良い夢見ろよ!」という声が聞こえる。

 こんな場所で良い夢が見れる訳が無いではないか。誰にも聞かれないように、こっそりと溜め息を吐いた。

 後方で重々しい音が止んだ瞬間、右手が引っ張られて温かくて柔らかな物に包まれた。振り向いてみると、セシリアが不安そうな表情で私を見詰めている。

 もう、成るようにしか成らない。大丈夫だよと言う意味も込めて微笑み掛けてみる。と、急に身体が何かにぶつかった。慌てて正面へ向き直ると、それはどうやらヒースの背中のようだ。笑顔を崩さず、ヒースは私たちを顧みる。


「ぼーっとしてた?」


「ごめんなさい!」


 気付いた時には、セシリアに右手を掴まれたまま深々と頭を下げていた。

 ヒースは「ははは」と声を出して笑う。


「謝る事なんかない。此処だよ、きみたちの部屋」


 大した距離は歩いていない筈なのに。訝りながら周囲を見回してみれば、言われた通りに八つのドアが並んでいる。

 忘れていた。会議室へ入る前にヒースが教えてくれた、私たちのものとなるであろう部屋の場所を。会議室を出て数十歩程だ。

 ヒースは向かって左側の一番奥の部屋──会議室から最も遠い部屋を指差す。


「そこがベリルさんの部屋。で、その隣がセシリアの部屋」


 では。とセシリアの手を離れ、部屋へと向かおうとヒースの横を通り過ぎる。瞬間、大きな手が私の肩に触れた。


「待って。このドア、外はオートロックなんだよ。ロックを解除するには、まず最初に、ドアの左側に付いてる赤い画面に右手の人差し指を当てて。そうしたら、指紋が登録される。センサーになってるんだよ。もう一回画面に触れたらロック解除。それ以降は登録し直す必要は無い。誰かが指紋を登録したら、他人が画面に触ってもドアは開かない。プライバシーは保護されるって事」


 便利な機能があるものなのだな。などと、すっかり肝心してしまった。「へ~」と首を縦に振っていると、それを遮るように、ヒースの後ろに居たセシリアが「あの……」と遠慮がちに声を発する。


「何故、ベリル様は『さん』付けで呼ぶのに、私は呼び捨てなのですか?」


 ヒースはセシリアの方を向いたため、表情は読み取れない。しかし、醸し出されるオーラは決して良いとは呼べないものだった。悪意を持っているような、そんな感じさえさせる。


「別に特別な意味は無いよ。って言うか、きみなら聞かなくても分かるって思うんだけど」


 セシリアは苦しそうに俯いてしまった。この雰囲気を何とかしなければ。セシリアを助けなければ。頭の中で『う~ん』と唸り、考えを巡らす。

 ふと思い付いた。


「ねえ、ヒースさん」


「何だ?」


 再びこちらを向いたヒースは何処か不満げだ。それで負ける私ではない。


「スペランザ号って何?」


「ああ、きみたちを此処まで連れてきた小型艇だよ」


「そのスペランザ号、アンバーさんに格納庫に仕舞えって言われてなかった?」


「あーっ!」


 ヒースのそれまでのオーラは何処へやら。明らかに動揺している。頭を抱えて、足をばたつかせているのだから。


「おれ、スペランザ号の所に行ってくるから! 部屋の入り方は分かったよね? じゃあ!」


 ヒースは慌てて床を蹴り、みるみるうちに小さくなっていく。


「ベリル様、ありがとうございます……」


「ううん、気にしないで」


 胸に手を当てて安堵するセシリアの頭を何度か優しく撫でた。

 意を固め、セシリアと二人で各々の部屋の前に立つ。ヒースに言われた通り、ドアの左横には縦横親指程度の幅がある赤色の正方形の画面がある。その上には小指の先程の小さな円いボタンが付いているけれど、今は気にしないでおこう。変に触ってトラブルが起きれば大変だ。

 セシリアと頷き合い、画面に右手の人差し指を触れる。甲高い小さな機械音が聞こえたと思うと、更に「トウロクカンリョウシマシタ」と機械のような音声が鳴った。これで良いのだろうか。


「セシリア」


「どうなさいましたか?」


「機械が喋ったけど……これで大丈夫?」


「ヒースさんの言葉が正しければ、合っているでしょう」


 ぎこちない笑顔だったけれど、セシリアは頷いてくれた。

 もう、信じるしかない。再び人差し指を画面に押し当てる。先程と同じような甲高い音と共に、金色のドアノブ付近から施錠が解除されたような金属音が僅かに耳へ届いた。

 恐らく上手くいったのだ。

 セシリアの方を見てみると、彼女も私を見詰めていた。


「ベリル様」


 突然投げ掛けられた声に首を傾げると、セシリアは深々とお辞儀をする。


「お休みなさいませ」


「うん、おやすみ」


 微笑み掛けると、セシリアは少しだけ躊躇いながらもドアを開け、部屋の中へと消えていった。

 私もいつまでも此処に留まっている訳にはいかない。生唾を飲み込んでドアノブを回し、恐る恐る部屋へと入る。

 室内は天井に吊るされた鈴蘭形の照明に照らされ、壁や床、家具類が全て木製のためか温かな雰囲気を醸し出していた。広さは艇内だけあって、人が行き来出来る程の必要最低限のものだ。左奥には白色の布団が被せられた、シンプルなベッドが横向きに置かれている。その側面の壁には片手を広げた程の丸窓が不気味な外の森を映していた。カーテンは付いていない。左手前には粗末な机と椅子が置かれている。右横にある両開きの小さな扉のようなものは、恐らくクローゼットだろう。中を確認するのは明日にしよう。右手前には鏡付きのドレッサーまで備え付けられている。

 覚悟はしていたけれど、こんなにも狭く簡素な部屋で生活する事になるなんて。屋敷の自室と比べると、天と地程の差だ。

 なんて嘆いていても、何も変わらない。トラディアーとして生まれ落ちた自身を呪うしか無いだろう。

 疲れたせいだろうか。これからの事は何も考えられない。ううん、考えたくない。もし考えたとしても、今の私に分かる事は何も無いに決まっている。

 部屋の奥へと歩みを進めて靴を脱ぎ捨て、ベッドに飛び込んだ。思っていたよりも布団はフカフカしている。これならば、こんな状況でも眠れるだろう。

 頭上に見える白色の小さな四角いボタンには『照明』と印字されている。これを押せば明かりの調節が出来るのだろう。試しに押してみると、やはり照明が一瞬で消えた。部屋は真っ暗闇だ。月明かりも差さない。

 掛け布団を手繰り寄せ、頭まですっぽりと被せる。そのまま固く瞼を閉じた。意識が闇へと落ちていく──

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