貞操観念逆転世界に転生したので、この国の頂点に君臨したいと思います。
鶴賀桐生
第1話 下らない生涯を送って来ました。
両親が死んだ。
二人で出掛けた旅行の最中に、暴走したトラックに跳ねられて、二人とも即死だったらしい。
唐突なそんな報せに、俺は哀しみを覚える間もなく、あれよあれよという間に長男として喪主を務めることになり――何も分からない俺は、ただ葬儀屋に言われるがまま動き回って、どうにかこうにか葬式を終えた。
「…………疲れた」
今にも崩れそうな階段をふらふらの足取りで上りながら、地元から東京の安アパートへと帰って来た俺は、テーブルの上にコンビニで買ったビールを放り出しながら、窓を開けて縁に腰掛け、これまたコンビニで買ってきた煙草の箱の封を開ける。
電気を付けるのも億劫だった俺は、部屋のすぐ傍を走る電車の音を聞きながら、暗い部屋の中で少し手間取りつつどうにか煙草を一本取り出す。
若い頃、大人になったということを感じたくて手を出した煙草だが、余り美味いとも思えず、年々上がっていく料金に家計を容赦なく圧迫され、気が付いたらやめていた。こうして吸うのは何年ぶりだろう。
こんなもので大人になれると思っていた自分が懐かしい。
結局、二十歳を過ぎた所で大人になんてなれる筈もない。成人年齢が十八に引き下がった所で同じだ。
大人になれるのは、ちゃんとなろうと努力をした人だけだ。
そんなことを、親の葬儀すらひとりでまともにこなすことも出来なった、三十半ばを過ぎた今頃になって思い知った。
「――っ! ゴホッゴホッ!」
久方ぶり過ぎて吸い込む力加減すら忘れたのか、思い切りむせてしまい、葬儀の時すら流れなかった涙を流す。
ああ――だせぇ。
そんな風に無様に咳き込んでいると、家のすぐ傍を再び電車が通り過ぎ、電気すら点けていない部屋の中を照らし出す。
「ああ……何もねぇな」
そこには、何もなかった。
敷きっぱなしの布団。ビールしか置かれていない足の短いテーブル。
脱ぎ散らかしたスーツとスウェット。そして床に放り投げられたスマホ。
だけ、だった。
他に何もなかった。まるで何もなかった。
電車が通り過ぎ、再び真っ暗になった世界で――俺は、ようやく、気付いた。
「何もねぇな――俺」
俺には、何もなかった。
何も残っていなかった。まるで、空っぽだった。
俺は、何もしてこなかった。
ただ流されるがままに生きてきた俺には、何もなかった。
いつからだろう。
こんな風になってしまったのは。
小学校の頃には、まだ友達がいた気がする。
だけれど、中学校の頃には、もう少し兆候が出てきていたような覚えがあった。
俺は人よりも、少なくとも当時は勉強だけは出来たから、段々とその面で疎まれるというか、羨ましがられるようになった。
排斥されるのを恐れた自分は、癖毛だとか、滑舌が悪いとか、指先が不器用とか、そんな風に己の欠点をことさらにアピールして集団に
この頃には既に、人間関係を面倒くさいと思っていたように思う。
そんな傲慢のツケは、しっかりと高校時代に早くも払わされる。
地元で一番の進学校に入った自分は、早々に勉強について行けなくなった。
選ばれた神童ではなく、ありふれた早熟であったことが露見した俺だったが、中途半端に勉強がコンプレックスだったおかげで、分からないところを分かるようになるよう勉強するという、義務教育で身に付けて当たり前のスキルを習得していなかった。
結果、一流とはいえない大学に進むことになり、地元を離れた。
この頃にはすっかり諦め癖がついてしまい、元々人間関係にうんざりしていたこともあって、地元の友人関係の継続の努力も
二流ともいえない会社に就職してからも、それは変わらなかった。
ひとりで暮らしていくには何とかなるが、結婚など到底不可能な給金をもらう為に、アパートと会社の往復の毎日を何年も送る。
休日は昼まで寝て、眠くなるまでぼーと家でサブスクでアニメやドラマや映画を流し見る。
盆と正月だけ実家に帰り、親に顔だけを見せた。
アンタもいい歳なんだから彼女くらい作ったらという母親の小言を、実家は何もしなくても飯が出てきて楽だなどと思いながら、右から左へ聞き流した。
まったくもうという母親と、そんな妻と息子を苦笑しながら眺める父親。
そんな二人が亡くなった。そうして、俺は、初めて気付いた。
両親だけが、俺と繋がりを保とうと、手を繋いでいてくれたのだということを。
「…………」
何もない。何も残っていない。
友人など既にひとりもいなくなっていた。
会社の同僚も、仕事上の最低限のコミュニケーションのみだ。連絡先も会社の電話番号しか知らない。
熱中するような趣味もない。胸を張れるスキルもない。
この為に生きるのだという、生き甲斐もない。
あの頃は楽しかったという――思い出すら、俺にはなかった。
あれ? なんでだ? 俺の人生――いつから、こんな無味無臭になった?
「…………何も……ねぇな……俺?」
いつからか、諦め癖がついていた。
けど、心のどっかで、俺はやれば出来ると思っていた。
人間、なりたいものには、頑張れば何でもなれる筈だと、根拠のない自信を持っていた。
でも結局、頑張ることなど一度もしないで――気付けば、何もかも失っていた。
若さも。時間も。金も。友人も。健康も。そして――両親も。
失って初めて気付いた、本当に価値のあるもの。大事にしなくてはならなかったもの。
何もかも失った世界は――こんなにも冷たく寒いのか。
「ごほっ! ごほっ! ごほっ!」
慣れない煙草の煙が灰に残っていたのか、咳が止まらない。
何度目かの咳で、べちゃっと嫌な感触がして、口を押えていた掌を見たら――べったりと、赤い血が付着していた。
「…………」
死んでもいいと、漠然と思っていた。
友人もいない。恋人もいない。夢も希望もない。生き甲斐もない。
だったら、いつ死んでもいいと思っていた。
きっと、俺は人生を失敗したのだという自覚は、いつもどこかにひっそりとあって。
だからこそ、そんな風に悟った感じを気取ることで、少しでも惨めでないふりをしていたのだ。
けれど、それをこんな風に明確に突き付けられたら、あっさりとそんな達観演技は崩れた。
「…………やり直したい……っ」
ひどく恥知らずな言葉だと理解している。
こういう台詞は、それが許されるだけの努力をしてきたものだけが吐けるものだ。
だって、俺は何もしてこなかった。
夢や希望を持つだけの努力を。友人を作る、あるいは保つ為の努力を。
しあわせになろうとする、努力が――俺にはまるで足りなかった。
だからこんな風に成り果てて、惨めで寂しい最期を迎えようとしている。
当然の帰着だ。当たり前の結果だ。
そんな自分が、あろうことか人生をやり直したいなどと抜かすのは。
人生はたった一度という、子供でも知っている世界の理を胸に刻んで、真摯に己の人生と向き合ってきた人たちにとっては憤慨ものの厚顔無恥ぶりだろう。
それでも――偽らざる気持ちだった。
両親の死で、ようやく受け止められた、俺の本音だった。
死ぬのが怖い。ひとりは寂しい。もっと楽しく生きたかった。
幸せに、なりたかった。
「…………」
まるで何かを運ぶように、再び電車が通り過ぎていった。
空っぽな箱を照らし出して、そして何処かへと走り去っていく。
そして俺は――窓を閉めた。
けれど未練がましくカーテンは閉めずに、そのままビールを一気に飲み干して、冷え切った布団に倒れ込むようにして眠る。
そして、俺は、せめてしあわせな夢を見ようと目を瞑った。
もし――生まれ変われたら。
今度はちゃんと若い内から親孝行をしよう。
一度も旅行にすら連れてってやれなかった。感謝の気持ちをちゃんと伝えたことすらなかったかもしれない。ありがとうと、出来るだけたくさん言葉にしよう。
友人を大切にしよう。
自分から手を伸ばそう。手を繋ごう。関係を構築して、それを維持する為の努力を惜しまないようにしよう。
恋人を作ろう。
もうひとりは十二分に堪能した。人生を一緒に歩んでくれるパートナーを見つけよう。自分が幸せになる為に、自分が幸せにしたいと、一緒に幸せになりたいと、そう思えるような人を見つけよう。
そんな人間に――生まれ変わろう。
そんな風に、夢を見ながら――俺は安らかに死んでいった。
両親の死から一月も立たずに、親不孝な息子も息絶えた。
死因は病死。
誰にも言えず、両親にも伝えられないまま、進行していた病だった。
人間関係を断ち切り、温くて心地いいひとりに逃げた臆病者に相応しい。
寒々しい――孤独死だった。
貞操観念逆転世界に転生したので、この国の頂点に君臨したいと思います。 鶴賀桐生 @koyomikumagawa
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