第16話 残酷な現実

 あとに残されたのは……静寂だった。

 誰の声も聞こえない。誰もが呆然としている。それは俺と実幸も、同じで。


 今、俺たちは、魔法を使った。……使えたんだ。


 目の前で、3匹の魚が泳いでいる。必死にこちらに体当たりをしてきたり、噛んできたりするが、くすぐったいくらいで、それ以外に特に害はない。というか、こうして見ると結構かわいい……。


 隣にいる実幸が、その3匹の魚に手を伸ばした。何をするかと思えば、彼女はその魚たちを……手で、ふわりと包んで。


「……怖かったですよね。ごめんなさい」


 小さく、そう、謝罪した。


 その光景は見慣れたもので、俺は特に何も言わない。……例を挙げると、実幸が少年漫画のヒーローだとして、悪役を倒した後、その悪役に謝るタイプなのだ。とにかく、そういう性格なのである。

 本当、お人好し過ぎるというか、優しすぎるというか。


 魚たちも、何かを感じ取ったのかもしれない。実幸の手を警戒していたものの、最終的には甘え始めた。身を寄せ、実幸に危害は加えない。

 実幸はそれを見て、安心したように笑う。それを見て、思わず俺も微笑んだ。


 それと同時に。


 わっ、と、騎士たちから歓声が上がった。


「流石、大魔法使い様!!」

「あんな手ごわい魔物を1人で倒してしまうだなんて!!」

「彼女がいれば、我が国は一生安泰だ!!」


 そんな声が聞こえる。……一応俺もいたのだが。見えていないのだろうか。見ないようにしているのか……。

 ……たぶん後者だろうな。


「……大魔法使い様」


 そこで、聞いたことのある声がした。顔を上げると、そこには……。


「えっと……騎士団長さん……」


 なんとか記憶を辿ったらしい。自信なさげに、実幸がそう言う。騎士団長……エスール・ファシティアは、微笑みながら頷いた。その顔には、血しぶきが付いている。苦戦していたのが窺えた。


「感謝する。私たちだけでは、その魔物の討伐は不可能だっただろう。死者ももっといたかもしれない」

「わっ、そ、そんな! 顔上げてくださいっ!」


 跪くエスールを前に、実幸は慌てふためく。跪かれるくらいのことを、自分はしていない。当たり前のことをしたまでだ──……そんな心の声が、ありありと聞こえてくるようだった。


「それに、私だけの力じゃありません。この杖をくれたジルファ先生、私たちが来るまで持ちこたえてくださった皆さん、何より……私を支えてくれた夢。皆さんのお陰です。私だけの力では、ありません」


 実幸は首を横に振る。


 ……でも、事実、実幸がいなければ……ここは崩壊していただろう。たった3匹の魔物に、国が落とされていた可能性もある。

 ここを切り抜けられたのは、間違いなく実幸という存在がいたからだ。


「……お気遣い、痛み入る」

「え? どこか痛いんですか?」


 実幸、違うそうじゃない。


「……それより、その『ザックラバス』をこちらに渡していただきたい」


 エスール、見事にスルー。


 ザックラバス? と俺たちは首を傾げた。エスールの視線の先を追うと……実幸の手の中に注がれていた。正確に言うと、3匹の魚に。

 どうやらこいつらの種族名は、ザックラバスというらしい。


「構いませんが……」


 実幸はそう呟く。……しかし、エスールに渡すような様子は、なくて。


「この子たちは、どうするつもりですか」


 淡々とエスールに、尋ねた。


「どうする、とは?」

「……殺したり、するんですか」

「無論、そのつもりだが」

「でしたら、お断りします」


 実幸のその言葉に、エスールの眉がピクリと動く。


「……何故?」

「今この子たちに、敵意はありません。一目瞭然でしょう。例え攻撃してきたとしても、それは微々たるもの……。今この子たちを攻撃すれば、それは無抵抗の子を攻撃するのと同義です」

「……しかしそのザックラバスたちは、我々を攻撃しに来たのだ。もし魔法が切れたら、その時は、また襲ってくるかもしれない」

「襲わないかもしれない」


 噛み合わない。会話が。いや、価値観が。


 威圧感を放つエスールに、実幸は全く怯む様子はない。隣にいる俺は、全く声が発せないというのに。


 それはきっと、実幸が強いとか、そういうのではなくて、きっと……実幸が自分の言うことが、正しいと信じているから。

 俺にはそれがない。だから、見ていることしかできない。


「大魔法使い様、ご理解いただきたい。我らはその魔物に危機に晒された。そして我らの使命は、魔物からたっとき人々を守ること。……あらゆる可能性に、対処せねばならない」

「分かりますよ。分かりますけど……分かりません」

「貴女の申されることは、しょせん綺麗事、そして戯言です」

「綺麗事の何が悪いんですか?」


 どちらも、一歩も引かない。周りで実幸のことをもてはやしていた騎士たちも、気づけば気配を消して、2人の言い争いを傍観している。


「……埒が明かない」


 先に動いたのは、エスールだった。そう言うと、大きなため息を吐く。眉をひそめる実幸には、目もくれず。


 ち、と、小さな音が鳴った。次の瞬間。



 びしゃ、と、実幸の手の上で泳いでいた3匹が、真っ二つになり息絶えた。



「…………………………え?」


 実幸の手に、頬に、血が飛び散る。


 それと同時、もう一度、ち、と小さな音が鳴った。エスールの手が剣の柄に手を置いていることから、今何が起きたのか、察する。

 恐ろしく早い抜刀をしたのち、3匹を切り裂いて、再び素早く鞘に戻したのだ。


 冷や汗が頬を流れる。見えなかった。全く。


「……貴女様は、私のような人間を非道だと罵るかもしれない」


 エスールの淡々とした言葉に、実幸はゆっくり顔を上げる。


「だが、『危険かもしれない』、『再び襲われるかもしれない』、そういった疑惑が少しでもあれば、人々の安寧はいつまで経っても訪れない。……これが現実なのだ。貴女様はいずれ、より強大な魔物と対峙していただくことになるだろう。……綺麗事を捨て、ご理解いただきたい」


 冷酷な表情で実幸を見つめ、エスールはそう告げる。絶望したように瞳に涙を浮かべる実幸に、労りの言葉の1つもない。


 エスールは踵を返し、騎士たちに何かを叫んだ。たぶん、後処理や撤退の命令を出したのだろう。……しかし、俺たちの耳には、何も入ってこなかった。


 俺は隣で黙って項垂れる実幸を、ただ見ることしか出来なかった。

 声をかけることも、出来なかった。





 しゃくりあげる実幸を、横で見つめていた。目の前には簡易的だが、墓がある。ジルファ先生に許可を貰って、中庭に埋めさせてもらった。


 そういえば、道路の真ん中で猫が死んでいて、動物病院に連れて行って、やはり間に合わないと言われたときにも……実幸は今みたいに、呼吸困難になるくらい泣きじゃくって、墓を作っていたっけ。小学校低学年くらいのことだ。今の今まで忘れていたのに、鮮明に思い出した。


「……実幸……」

「……確かに私は、お寿司大好きだよ」

「はい?」


 聞いてもないことが返ってきて、思わず聞き返してしまった。

 実幸の瞳からは涙が流れていたが、言葉に詰まらせてはいない。そのまま実幸は喋り続ける。


「ステーキだって大好きだから、普通に食べるし……生き物を絶対殺しちゃいけないなんて思ってないし……生きるために、すっごく感謝して食べてるし……」

「……そ、そうだな……」

「でも、あの子たちは……殺す必要なんて、なかった。もしまた襲われたとしても……その時は私が、どうにかしたもん」


 また。そう、実幸は呟く。空を見上げて。


「……綺麗事だよね。分かってるよ。でも、曲げたくない。……確かに、私はいつか、もっと危ない魔物と戦わないといけない日が来るかもしれないけど……でも、諦めたくない」


 諦めたくない。何を? いや、聞かなくても分かった。


「殺す必要はないって、人間と魔物が共生できる可能性を、諦めたくない」


 誰も死なないなら、その方がいい。

 全員が笑って、手を取り合うことが出来るのなら、その方がいい。

 そうに決まっている。


 そう告げる実幸の瞳は、どこまでも真っ直ぐだった。どんな闇が覆っても、決して消えない光が、そこにはあった。

 ……俺にはないものだ。だからこそ、焦がれる。


「……そうだな」


 俺は頷く。それ以降は黙って、その手を握る。

 実幸は涙を流しながら、俺を見つめた。見つめ返し、もう一度、頷いて。


 大丈夫、俺も付き合うよ。

 お前が正しいと信じて選んだ道なら、それがどんなに過酷だとしても、どこまでだって付いて行く。

 そう決まっているんだ。

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