第1話 はじまり
──ピピピピ。ピピピピ。ピピピピ──……。
「……」
スマホのアラームが鳴る前に起きていた。二度寝は出来なかったな。そんなことを思いつつ、俺はけたましく鳴り続いているアラームを止める。体を起こし、あくびを1つ。その後、スマホの横に置いていた眼鏡を手に取った。かけると、ぼやけていた世界がその輪郭を取り戻す。
俺はその瞬間が好きだった。
階段を下り、1階のフロアを踏む。半ば無意識に洗面所に入ると、歯を磨いた後、顔を洗った。
顔を拭きつつ、鏡を見つめる。……いつも通り、怠そうな俺の顔が、そこにはある。
「あれ、あんた早くない?」
すると「おはよう」より先にそんなことを言われる。声を掛けて来た人物……母さんに、俺はため息を吐く。鏡越しに見つめながら、俺は口を開いた。
「おはよう。……今日で1週間だろ。あいつ、絶対気を抜いて寝坊するから」
「あー、
「なりたくてなったんじゃない……」
最後に左目の下にある泣きぼくろを拭いてから、俺は再度ため息を吐く。
リビングからは美味そうな鮭の塩焼きの匂いが漂い始めていた。食欲が刺激されるので、早く食べたいものである。
「行ってきます」
早々に準備を終わらせると、俺はそう言いつつ玄関の扉を開けた。行ってらっしゃい、という言葉を背に受け、俺は扉を閉める。
向かう先は左、学校方面……ではなく、俺は右に進み始めていた。というか、俺の目的地は目と鼻の先だった。
隣の一軒家、何の躊躇いもなく、そこに入っていく。
「……実幸~、起きてるか~」
俺は声を掛けつつ、2階まで続く階段を上がっていく。……返事はない。知っていた。
2階にある部屋。ノックもせずにそこを開けると、そこには……。
「……まあ、起きてるわけないよな」
俺は本日3度目のため息を吐く。幸せが逃げるとよく言うが、出てしまうものは仕方がない。
目の前に広がるのは、汚部屋だ。昨日の夜まで読んでいたのだろう。床に積み上がり、なんなら雪崩を起こしている少女漫画。昨日帰ってから脱ぎ捨てたのか、ぐちゃぐちゃになった新品の高校の制服と、お役目御免をされているハンガー。机の上には放置された宿題。一応やろうとは思ったみたいだが、1問目を最後に書き込みは無い。
そして何より、ベッドから落ちたのだろう。床で大の字で眠りこける……1人の少女。
すかー、すかー、と、呑気に寝息を立てている。俺の心象など知る由もなく……。ったく……。
「……実幸、起きろ」
「……」
「1週間前のお前はどこに行ったんだよ……『私も高校生になったんだし、今度こそ自分で早寝早起き頑張る!!』って張り切ってたくせに……」
「……んー……」
そこで彼女が小さく呻く。そして……。
「うるさ……ぁ、い……」
「……」
寝ぼけているというのに……いや、寝ぼけているから、と言うべきか。……俺に拳をぶっ飛ばしてきた。しかもご丁寧に、顔面ど真ん中に。
もちろん俺はこいつの幼馴染で、こいつの寝相の悪さにも慣れっこだ。だから殴られることなく、その拳を受け止めると……。
「……いい加減に……しろこの脳内お花畑女がよぉぉぉぉ!!!!」
「きゃうっ!?」
思いっきりこいつの脳天に拳を食らわせてやる。すると彼女はなんとも高い声で鳴き、その場でのたうち回り始めた。ついでに言うとすぐ傍にあるベッドに足をぶつけ、更にのたうち回っていた。
「ようやく目が覚めたかこのアホ」
「ゆっ、
彼女は体を起こしつつ、俺の名を呼ぶ。頭と足を手で抑えつつなので、なんとも不格好だ。
「夢ーーーーっ!!!! 起こす時はもっと丁寧に起こしてっていつも言ってるじゃん!!!!」
「お前が俺の呼びかけにすぐ答えれば済む話だろ!! ……というか、自分で起きるという話はどこに行ったんですか、実幸さん」
「はっ!? そ、それはっ……何で私のこと起こしちゃったの夢!?」
「何で俺が怒られる流れなんだよ!!!!」
むしろ多大なる感謝をするのが正解だろ。はあ、殴られてないはずの頭が痛い……。
「ほら、起きたなら早く支度しろ。顔洗え。歯ぁ磨け。朝ご飯食べろ。制服に着替えろ。昨日の夜に準備はしたか? してないだろうなお前のことだから。とりあえず早く動け。ほらほら」
「……オカン」
「殺すぞ」
床に散らばった少女漫画をまとめつつだったため、思わず漫画の端を握りしめつつ彼女を睨みつける。冗談です漫画破らないでください勘弁してください、と彼女は迷うことなく土下座をした。潔い。
「いいから早く準備して来い。俺まで遅刻するだろ」
「はぁい」
素直に返事をすると、彼女は踵を返して部屋を出て行く。……その5秒後くらいに階段を転げ落ちる盛大な音がしたものだから、大丈夫か、あいつ、だなんて俺はため息を吐くのだった。
俺、
そして俺が朝っぱらから怒鳴りつけた女──
よく俺は「年齢の割に大人びてるね」、と言われるが、それは十中八九こいつのせいだ。俺の子供成分は、恐らくこいつに全部吸われている。
うっかり面倒見が良くなってしまったせいで、苦労ばかり押し付けられている。ほら、今も何故か実幸の制服をアイロンがけしてるんだぞ。俺の仕事じゃない。
「夢ーーーー!!!!」
「何だよ!?!?」
「
「テレビを消せ!!!!」
あいつ、これでも遅刻ギリギリだってこと自覚してないだろ!?
「それで私ね、『貴方の運命を変えるような出会いをするでしょう』っていう運勢だったの!!」
「あー、そうかよ」
「夢は、『大きな選択を迫られるかもだけど、落ち着いて』だってさ~」
「はいはい……」
朝から疲れた。怒鳴り散らかしたし。声枯れてないか? これ。
すると隣にいる実幸がバシバシ叩いて来る。何だよ、地味に痛い。
「夢、ちゃんと話聞いてよー!!」
「聞いてるっつーの……大きな選択、だろ」
「そう!!」
俺がちゃんと話を聞いていると分かり、満足したらしい。あっという間に機嫌を直すと、満面の笑みを浮かべた。
「ラッキーアイテムは『リボン』だってさ!!」
そう言って実幸は、頭に付けた特大リボンと胸元に付けたリボンを揺らした。……。
「……じゃあ俺は、一生ラッキーだわ」
「え? 夢、リボン持ってたっけ?」
「いや」
どういうことー!? と実幸は喚いている。アホなので分からないようだ。まあ教えてやる義理もないので、俺は何も言わない。
……そこで実幸がふと、足を止めた。数歩先を行ってから俺は振り返り、それと同時に実幸は行く予定のない曲がり角を曲がった。……慣れたものである。俺もそれに付いて行った。
曲がり角の先を覗くと、そこでは蹲るおじいさんと、それに寄り添う実幸の姿が。……やっぱり。
「……どうした」
「なんかこの人、苦しそうで……」
そう言いつつ実幸が、同じく苦しそうに眉をひそめる。
実幸には、昔からこういうところがある。馬鹿が付くほどのお人好しなのだ。困っている人がいたら、絶対に置いて行けない。こいつは人助けをしないと死ぬのか? と思うくらいだ。……それで、俺も……。
「夢」
呼ばれ、俺は意識を現実に戻す。実幸の横にしゃがんだ。
「……大丈夫ですか。救急車、呼びます?」
「キュウキュウ……? いや、結構です……少々疲れてしまい、休んでいただけですので……」
その言葉に、横にいた実幸が分かりやすくホッと息を吐いたのが分かった。ただ休んでいただけだと分かり、安心したのだろう。
「あ、じゃあ、こちらをどうぞ!! 私特性のセンブリ茶です!!」
……と思ったら、実幸が背負っていたリュックから水筒を取り出す。たちまち俺は顔を真っ青にした。……いや、だってそれ、くっそ苦くてもはや兵器になってるお茶……。
「おお、すまないね」
待て待て待て、飲むな。ただのセンブリ茶じゃないんだそれは。死ぬぞ。
しかし俺が止める間もなく、おじいさんはセンブリ茶を飲んでしまう。……そして案の定。
「ゴフッ」
「おじいさんーーーーっ、死ぬなーーーーっ!!!!」
「ちょっと夢!! 失礼でしょ!? これはあまりの美味しさに打ち震えてるだけなんだから!!」
「お前のその究極ポジティブはどこから来るんだよ!? というかその場合の『失礼』ってお前に対しての『失礼』だろうが絶対!!!!」
「そうだけど?」
「そうだけど? じゃねぇぇぇぇ!!!!」
また叫ばされてしまった。どう足掻いても俺は叫ぶことになってしまう運命らしい。
……と、俺たちが騒がしくしていると、おじいさんがノロノロと体を起こした。生きてたのか……すごい生命力だ……。あ、いや、口の端に血を吐いた跡が……。
「ゴフッ……い、いや、お嬢さん……優しい気持ちをありがとう……」
絶対これお茶はマズかったって言っているだろ。
「はいっ!! お茶のお陰で元気が出たのなら良かったです!!」
そして何も伝わってない。
俺は苦笑いを浮かべるしかなかった。しかしそれより、おじいさんの生命の方が心配だ。俺は彼の顔を覗き込む。
「大丈夫ですか……? 心中お察しします」
「ちょっと夢、私が毒を飲ませたみたいな」
「ああ、ありがとう……気持ちは嬉しかったのだが、あれは流石に……人間の飲むのものじゃ……」
「すみません、俺の監督不足で……」
「2人とも????」
実幸が不満そうに頬を膨らませているが、俺たちはそれに答えてやるほど優しくはなれなかった。というかそれを飲むのはお前なんだぞ。この前自分で飲んで失神してたくせに。
「いや、本当に……」
そこで俺はギョッとする。突然おじいさんが泣き出してしまったからだ。
「なっ……どうし……」
「すまんな……ここまで優しい言葉を掛けてもらえることが久しぶりだったものでな……つい……」
「……」
まさかそんな当たり前のことで泣かれてしまうとは。……この人は今まで、どのような環境に身を置いていたのだろう。
「こんな老いぼれ相手に、『才能のありそうな若者2人を見つけてこい!!』なんて蹴り出されるし……敬老の精神などとうに尽きている……」
「そんな……酷いっ!!」
おじいさんの言葉に、実幸が震える。それは腹の底から湧き上がる怒りのためだった。……俺も同感ではあるが、こいつの場合は感情の起伏が極端なんだよな……。
「私たちで良ければ、その……『才能のありそうな若者』になります!! そうすれば、おじいさんももう戻れるでしょう?」
いいよね? と、勝手に俺のことも巻き込んだ実幸が目配せをしてくる。まあ……いいけど。慣れてるし。
無言は肯定だ。俺が何も言わないことを良いことに、実幸はおじいさんに向き直る。するとおじいさんはその双眸を潤ませた。
「いいのかい……? 優しくしてもらっただけでなく、そこまで……」
「お安い御用です!! 困った時はお互い様、ですよっ♪」
……こういうところが実幸のいいところなのだろう。なんの打算も何もなく、ただの「善意」だけで人を助けてしまう、そんなところが。
ありがとう、ありがとう、とおじいさんは実幸、俺、と順番に手を握ってくる。俺たちは笑ってそれに答えた。
「……本当に、ありがとう」
おじいさんは涙を拭い、そして……。
ブオンッ!! と音が響き、足元に光が舞い踊った。
「「……!?」」
俺たちは思わず息を呑む。何だ、これは……異能力? いや、違う、これはそういった類じゃない……!! 異能力に慣れ親しんだ俺たちでも、知らないものだ。これは……。
「魔法陣……!?」
実幸が声を出す。そう、これは本の中でよく見るような、魔法陣なのだ。
この世界には、2種類の人間がいる。──異能力者か、無能力者だ。
そして俺は異能力者であり、実幸は無能力者。
昔から「異能力」というものは周りに溢れ、不思議でも何でもないものだ。だから予想外のことにも嫌でも慣れてしまう。
だが「魔法」は、この世には絶対にないものだ。
「そして……すまない」
おじいさんの手には、気づけば何かが握られていた。それは……大きな、杖。それを振るうほど、魔法陣の光は強くなった。
俺は反射的に実幸の前に立ち塞がる。俺の異能力は戦闘向きじゃない。だから不測の事態に対処できるか分からない。でも……守らなければ。
俺は異能力者なんだから。
光が強くなる。俺たちは目を閉じた。
「──……っ」
光が弱くなった。俺はゆっくり目を開く。そして……。
「……は?」
「……え?」
俺と実幸は同時に声を出す。何故ならそこは……俺たちの知らないところだったから。更に言うと、何故か俺たちは大人数に囲まれていたからだった。
──な、何が起きたんだ……!?
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