第32話 視線


温泉で凝り固まった頭と体を癒そうとフォルダンの名所の1つと言われる温泉に来た2人は久々の湯船に思わず「はぁ〜」と声が漏れる。

思い返してみれば異世界転移してからと言うものたくさんの人に出会い色々な地に足を運びこの世界で生きるべく魔物と対峙し帰るために厄災と向き合い、そして今は神々の意志について考えを巡らせたりとゆっくりと休む間も無く怒涛の8日間を過ごしてきた。

異世界での毎日は1日1日が濃く何もかもが新鮮で、楽しんでいたはずだがいくら充実していたとしても疲労とは気付かぬうちに蓄積するものだ。


「まさか異世界に温泉があるとはなぁ、日本人にとっては至福だよなぁ......これは今日はよく眠れそうだ......」


全が言うと武仁は「おっさんくせぇが......同感だぜ〜......」と温泉を満喫している。

一時の休息で他愛のない会話をしながら、ふと全はこの街の人々の肌艶の良さや澄み渡る空気、そして温泉や水神の大樹が街中にある事もあり、もしかするとフォルダンの水は何か癒しの効果でもあるのかな、と温泉を鑑定してみた。

するとやはり疲労回復や滋養強壮などの様々な効果がある事を確認し、錬成に使えるかもしれないと収納から瓶を取り出すと湯を入れクリーンをかけると魔素を流し込み保存した。


温泉を出るともう陽も沈んでおり、眠そうにしている武仁を引っ張って全はケインに聞いていたもう1つの名物、エールと言う飲み物を求めて酒場に入ると「エールを1杯とそれに合うつまみ、それから......」とメニューを見ながら注文をする。


「エールってアルコールで僕らの世界で言うところのビールのようなものらしいから、武仁は飲めないね! 僕も普段お酒はあまり飲まないんだけど、名物って言うなら味わってみないと損な気がして......まるで旅行だね!」


全が武仁に話しかけたが「腹減った眠てぇ......」と今にも突っ伏して眠りそうだ。

連れないなぁ、と思う全だが、成長期の武仁はパワフルだがその分睡眠も食欲も成人している全よりも体が必要としているのだろう。


待ち兼ねたエールと食事がテーブルに運ばれると全はエールを飲んでみた。

どちらかと言えばスパークリングワインのような爽やかな味で、しかしビールのような喉越しである。

「美味しい!」と言うと注文したつまみに箸をつけながらちびちびと呑み進めた。

一方武仁は運ばれてきたスープと魚料理をガツガツと一気に平らげると「肉もいいが魚もいいな!」とご満悦の様子だ。


エール1杯で気分も良くなり腹も満たされた2人、全は早く眠りたいと訴える武仁に急かされ会計を済ませると酒場を後にした。


「眠てぇのになぁ......」


武仁が酒場を出てすぐ呟くと全は「眠たいのはわかったよ。あとは宿屋に戻るだけだから」と言ったが「違うよ」と言うと同時に念話で直に語りかけてきた。


(スキルか何かで誤魔化してんだろうけど酒場入る前から視線感じる、ついてきてんぞー。俺眠てぇからなんかあったら全頼んだぞー)


それを聞いて全はすぐに辺りを見渡したが誰もいない。

その後特に何もなく宿屋まで戻った2人、全は「何だったんだよ?」と武仁に聞いたが「知らねぇよ、寝るー」と言うとすぐに眠りに落ちてしまった。

モヤモヤとしながらも目がさえてしまった全は「......錬成しよう!」と部屋にある机に収納からゴッソリ素材を出すと結局夜更けまで1人錬成に打ち込むとそのまま机で寝てしまったのだろう、いつの間にか朝が訪れていた。


「ふぁ〜......よく寝た! よっしゃ! んじゃあ今日は何する!? クエスト行くっつったか!?」


グッスリと睡眠をとっていつになく朝から張り切るほど元気な武仁に今度は全が「眠たい......お昼まで待って......」と言うと椅子から立ち上がりベッドに潜り込むとすぐに寝息を立てた。

武仁は少し気を落としたがすぐに切り替えると、昼まで暇だし街ブラするか、と宿屋を出て「昨日感じた視線はもうないな.....」と呟くとギルドへ向かった。

武仁は昨晩称号の効果により隠蔽系のスキルを探知しそれを阻害したようだ。


ギルドへ到着し依頼ボードを見ているとギルドの奥からドタバタと慌ただしく走って近づいてきた女は「聖人の器様ですか!?」と武仁に声をかけてきた。

いきなりなんだ、とびっくりした武仁は「あぁ......なんで?」と返すと話しはじめた女の言葉を聞いて昨夜の視線に納得するのだった。


「はじめまして、私はアルテミス! 昨日......水神様の大樹のところで厄災の種を浄化していましたよね!?」


単純な話だ、王都から周知された聖人の器の存在と厄災の芽の発生、そこへ昨日の街中での種の浄化である。

2人は特に周りに気をかけるでもなく堂々とやっていたが、その時点からその場にいた街の人間からたちまち噂となって広まっていたのだ。

昨日の視線もそれが原因か......と武仁は理解すると「昨日気になって隠れて見ていたのですが、なぜか途中からスキルが使えなくなってしまったので......きっとこちらに来ると思いお待ちしていました!」とアルテミスが話を続けると「お前かよ」と静かに武仁はツッコミを入れたがアルテミスはきょとんとした顔をするのだった。

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