第41話 崩壊
(うー寒い。すごく寒い。)
今日から新しい家からの通勤だ。
寒さに震えながら、家から少し離れた駐車場まで移動する。
雨だろうと寒かろうと暑かろうと、駐車場までは傘も要るし手袋も必要だし、暑ければ汗も出るだろう。
(あぁ、不便。だけど、仕方ないか……。)
私はまた、出勤前にバタバタとしなければならなくなった。役所で住所変更をして、カードやら何やらの住所変更の手続きをしながらの出勤だ。
そして、役所で相談をする必要があった。戸籍謄本を出すとき等に戸籍を抜けた者の新しい戸籍を表示する事ができてしまう。
私と娘は当たり前のように、あの家を出たときに戸籍を変えている。もしも、何かの時に新しい戸籍を知られるのは嫌だったし、避けたかった。
四角い枠に"レ"とチェックを入れると、戸籍を抜けた私達の新しい住所を犯罪者は確認する事ができてしまうのだ。
何でそんな事をする必要があるのか、よくわからないが。
「夫が犯罪者になって、逃げるように引っ越しをしたので何か知られない方法とかありませんか?」
と、窓口で相談をした。
すると、ベテランの職員らしき人に呼ばれて奥のスペースへ案内された。そして、詳しい説明をする。
区役所では犯罪歴が確認できる為に相談にのって貰う事ができた。しかも、娘がその被害者なので対応はとても早くして貰えた。
「警察署の方に確認が取れたので、娘さんの分も一緒に支援措置を取る事ができます」
との事で、私はその書類も用意して提出した。
ただこれは、毎年役所で支援措置を申請しなければならないのだけれど。
(毎年来なくてはいけないのかぁー。面倒だなぁ。)
と考えてしまう。
しかし、知られるよりはましだ。毎年この時期には支援措置の手続きをする事になった。
会社にも住所変更の書類を出して、暫くはまたバタバタとした。
(あぁ、忙しい。)
私はいつになったら落ち着けるのだろうか。
そして、弁護士さんにも連絡を入れる。
「引っ越しを完了しました。カギもポストに入れておきました。何か私達の物が残っていたとしたら、よほど重要な書類でない限り廃棄して頂いてかまいませんと、お伝え下さい」
と、メールを送っておいた。
弁護士さんにメールを送った次の日に連絡が入った。
「勇二さんが、お正月には家に戻りたいと仰ってますが、もう大丈夫ですか?」
と最終確認だった。
(私が出ていくのを待っていたのか?)
と思ってしまうほど早い連絡だった。
大切な話は全く進まないのにと腹も立ったが、もう私は家を出ているし、未練はもうないのでどうでも良いと思い、弁護士さんには連絡を入れた。
「はい、もう私は別の場所で生活を始めていますので大丈夫です。ただ、裁判で決まった事柄については徹底して守って下さいと念押しをお願いいたします」
と言って、私は電話を切った。
(この道は使用しない事。)
地図に赤く引かれた線の道を犯罪者は通る事が禁じられている。
絶対に守れよ!と心の中では念を押してはみるものの、常識から外れた親子には効果はないかもしれない。
あの母親もなに食わぬ顔をして島で変わらず生活を送っているのだろう。
(あー何だか気に入らない!)
私は苛々とした。
(犯罪者も島に帰れば良いのに。)
と思ったが、なぜ勇二だけが帰ってきたのかと、また島で噂になるのが嫌なのだろう。
(いっそ広まって、親子で住めなくなればいいのに……。)
そんな悪魔のような呟きを私は心の中に閉じ込めている。
弁護士さんには返事をしたものの、私の感情はゆらゆらと揺れる。
ふつふつと私の中では怒りが込み上げてくる。反省という気持ちも感じられる事がないまま、私達親子は新しい場所へ移動しなければならなかった。
なのに犯罪者は、元の生活を取り戻そうとしているのだ。
(お正月には戻りたいだとーーー?)
私が住んでいたのが気に入らなかったのか。
家賃まで私に請求しようとしているくらいだもの。
もう、何を考えているのかもわからなくなってきていた。
私の頭は混乱し始めていた。
勇二の犯罪のせいで、ある日突然こんな風に変わってしまったのに。
私は引っ越しをした為に通勤時間が少し長くなってしまったし。今までの部屋より陽当たりも悪くなった。
冬は寒くて夏は暑い部屋なのに、家賃は私の生活を圧迫する事になった。
冷蔵庫、洗濯機、エアコンに、テレビやトースターも新しく買い換えた。大好きなアーティストのCDやDVDや写真集などを飾り、私だけの城は何とか出来上がった。
ただ、幸せではなくなってしまった。
今までの癖で買いだめをしてしまうトイレットペーパーや洗剤や飲み物は、小さな部屋に積まれていく。
慌ただしく済ませた引っ越しから、1週間程でお正月を迎えた。
娘と母親と私と集まる事はないままで過ごす。
バラバラの場所で迎えたお正月は、酷く静かな年明けだった。
ボリュームを下げたテレビ画面の中の楽しそうなカウントダウン。
「5・4・3・2・1・―HAPPY NEW YEAR!」
テレビ画面にキラキラと紙吹雪が舞った。
(明けましておめでとう。)
と、母親と娘とのグループラインに文字を打って送信した。
すぐに既読が付き、返事が返ってくる。
(明けましておめでとう)
(おめでとう)
(今年は良い年になりますように。)
そう願いを込めて。
私はひとり泣きながら新年を迎えた。
きっと、母親と娘も同じように思っているだろう。
(絶対に忘れない!!!絶対に許さない!!!)
憎しみも一緒に年を越した。
まだ、私の籍は入ったままだったのだが。
私は別の場所で生活を初めて、細田家の家族は本当にバラバラになった。
こうやって細田家は崩壊した。
オッドの鳴き声やオモチャで遊ぶ音。
オッドの匂い、娘の笑い声。私の笑い声。
勇二の話し声も、私達の話し声も。
誰かがお風呂に入る音も、冷蔵庫を開ける音も。今は何もなくなった。電気さえつかなくなった部屋。
もう私達は二度と戻る事のない事件現場。
インターホンの上にある表札。
(細田)
名前だけが残された部屋は、冷たいまま静かに年を越した。
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