パン職人ルヴィアの暖かな新生活〜実家から逃げ出したら、いつの間にか仕事人間な騎士様に溺愛されていました〜

希月花火

第1話:孤独の厨房

 街一番のパン屋と評判されているソルベーカリーは今日も繁盛している。

 多くのお客さんが賑やかな様子で店頭に並ぶパンを選んでいた。


「はぁ……はぁ……」


 そんな様子を尻目に私——ルヴィア・ベーカーは慌ただしく厨房を動き回る。

 パンをこねて、焼いて、器具を片付けるまで全部の作業を私一人でやっていた。


「よしっ、焼けた」


 オーブンから美味しいパンの焼けた匂いがすると、それを丁寧に梱包する。

 そのまま休む間も無く、溜まっている調理器具を片付けようと仕事を続けた。


「ふわぁ」


 朝からずっとこの調子で仕事をしているせいで眠気が襲ってくる。

 頬をパチンと叩いて、目を覚ますと再度作業に意識を向けた。


「はぁ……」


 お皿に映る自分の姿を見ると、ため息が出てしまう。

 ここ何週間も碌に睡眠を取らず、厨房にこもってパン作りをしていた。

 そのせいで目の下に、クマができていて生気がない。


「なんでこんな辛いんだろう……」


 幼い頃から何年経っても孤独の厨房でパンを作る日常は辛いと感じる。

 慣れない痛みがずっと心の中を苦しめていた。

  

「ソルベーカリーのパンはすごく美味しいわ!」


 店先から聞こえてくるお客さんの声は店の表にいる人にしか向いていない。

 大変な思いをしてパンを作る私は報われることがなかった。

 そんな事を考えていると、自然と気分は落ち込んでしまう。


「しっかりとしなきゃ」


 疲れで思い瞼をこじ開けて、頬を思いっきり叩く。

 何度も叩いているせいで腫れている頬に痛みが残る。

 それを眠気覚ましにして、作業を続けた。


「全然終わらない……」


 段々と夜が近づいて客足が減っていく。

 オレンジ色だった空もいつの間にか真っ暗になって、店が閉まる。

 そんな時間になってもまだ、明日売る分のパンをこね続けていた。


「ルヴィア姉さんはちゃんとやってるのかしら?」


 必死になってパンを作っているのに、冷やかすような声が聞こえてくる。

 義妹のニーナの登場に私は明らかに意気消沈してしまう。

 

「少し遊ばないかしら?」


 ニーナはまだ厨房の仕事が残っている様子を知っている。

 それでも、私の仕事を妨害することが目的だった。

 だからニーナは悪びれもしないで笑みを浮かべている。


「ごめ……」

「何よ! 折角可愛い義妹が遊ぼうって誘ってるのに断るわけ!?」

 

 穏便に断ろうとしても、威嚇するような声で遮られてしまう。


「はぁ……」

 

 ニーナはため息を吐いて、苛立ちを私に見せる。

 酷い仕打ちが待っていると思うと、憂鬱な気分で心の内が支配された。


「義妹を蔑ろにした罰よ。明日売る分を100個追加しなさい」

「そんな……」

「できないなら、お父さんに言いつけるわよ!」


 今でさえ休む間もなく働いている。

 これ以上パンを作れと言われたら1日の時間はいくらあっても足りない。


「わかりました……」

  

 それでも、私は唇を強く噛み締めながら頷く。

 私には拒否権も反論する術もなかった。


「一つでも作れなかったら、私が直々にお仕置きしてあげるわ」


 ニーナは手を横に振って、ビンタのジェスチャーをする。

 もし出来なかったら頬を激しく叩かれて、余計に腫れることになるだろう。


「でも姉さんのせいで、まだ機嫌が治らないわよ」


 ニーナの意地悪な笑みに私は歯をガタガタと震わせる。

 もっと酷い仕打ちを受けないように、黙ってニーナが去るまで待つ。


「よく見てなさい」


 鼻歌を響かせて、あとは焼くだけのパン生地を持つ。

 

「アンタが必死に作ってるパン、すごい不味いわ」


 食べたパン生地そのまま床に吐き捨てる。

 信じられないと言葉にして、大袈裟に舌を出す。


「こんなの売り物にならないわ」

 

 そう言って私の努力の結晶はゴミ箱に捨てられる。

 大切に作ったのに酷い仕打ちを受けて、遂に私の目から涙が溢れてしまう。

 私の口から漏れる嗚咽を聞いたニーナは満足そうに笑っていた。


「なんでこんなに辛いのかしらね?」


 ニーナは私の真っ赤な髪に触れる。


「だって、アンタは血濡れた不吉の娘だから」


 髪の毛を強く引っ張られると痛みで表情が歪んだ。

 血塗れている、気味が悪い、不吉な色。

 何度も言われ続けた呪いの言葉は私の心を強く蝕む。


「アンタの母親と同じ呪われた赤色ね」


 ニーナは大切に飾ってあった、お母さんの形見であるブローチを手に持った。


 ♢♢♢


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