無人島ガール

ノリコY

第1話

白い砂浜、青い空。

「ああ、眩しい…。」

ふわふわの雲がのんびりと浮かんでいました。


***


あの轟音はすっかり消えて、何かがそおっと日向子の足を撫でていました。 


最初に見えた、白っぽい物 - 暖かい。 それは真っ白い砂で、透明な海の水が行ったり来たりしていました。 体は疲れ切っていました。 まるで何百メートルも泳いだみたいです。 

「もうこれ以上、泳げない…。」

急にのどの渇きを覚えました。 

「お母さん…?」 

あたりを見回しました。 が、誰もいません。 何もありません。 自分と家族が乗っていた、豪華客船の影も形もありません。 あるのは白い砂浜と青い空だけです。 急に恐怖が襲って来ました。 しかし、のどの渇きがすぐにそれをかき消しました。 

「水が飲みたい。」

ゆっくり起き上がろうとすると、高熱から覚めたような、ふらふらとした感覚を覚えました。 体は水分を求める事に必死になっていて、前に進もうとします。 砂浜の先には、沢山の木が茂っていました。 その前に、何か丸い物が転がっています。

「あれは… ヤシの実!?」

なんとか起き上がり、ヤシの実を目指しました。 実の前で膝から砕け落ち、間近に見た

その果物は、

(スーパーで見たココナッツとはだいぶ違う。) 

大きくて、外皮に覆われています。

(そう言えば、ヤシの実を割るのは大変だって、聞いたことがある。)

コンコン。 叩くといかにも堅そうな音がします。 疲れていた日向子は途方にくれました。 


茂みの前には、岩が連なっている一帯があり、岩のくぼみに、雨水らしいものが溜っていました。 水は、太陽が照り付けているので、今にも干上がってしまいそうです。

「あの嵐の雨水だ…!」

 お腹を壊さないか、と、一瞬心配にもなりましたが、飲まなければ脱水症状になるでしょう。 無我夢中で岩までたどり着き、顔を岩につけ、必死に水を吸い込みました。 

 喉の渇きは少し癒されました。 ほっとしたのか、お腹もすいていることに気が付きました。 またヤシの実を手に取り、石で叩き割ろうとしましたが上手くいきません。 客船の中では、船酔いもあって、日向子はあまり食べていませんでした。 その時、カニが日向子の前を横切りました。 夢中だったのでしょう、とっさに捕まえ、生きたカニを割り、気が付けば口へ運び、舐めていました! 

「甘い!」

カニはすぐに平らげられました。 小さかったので足りず、あと数匹食べました。 

(生きたカニを食べるなんて!)

自分に驚いてしまいました。

空腹と喉の渇きがやや満たされ、平常心が戻ってきました。 改めて周囲を見渡します。 

サ――――ッ、サ――――ッ、

動いているのは波の音だけ - 時間が止まっているようでした。

「私の家族は? いとこたちは? ここはどこ?」

そう言ってはみたものの…。 気づいていました。 庄司日向子。 私は、遭難したんだ。 そうに決まっている。 嵐に遭い、この浜へ流された…。

 恐怖心が襲ってきます。 茂みの中からは鳥や虫たちの声が、そよ風は、木々の葉をゆする音を立てています。 …でもそれだけです。 周りには誰もいませんでした。 

 

 日が高くなってきました。 目が覚めたのは朝だったのでしょう。 だんだんと強くなる日差しに肌が痛くなり、大きな木の下に移動しました。 足元にはヤシの実が転がっています。

「とりあえず割らなきゃ。 またすぐ喉が渇きそうだから…。」

くぼみの水溜りは、すっかり消えていました。


 打ち付ける、こじ開ける… やはり上手くいきません。 何しろ、今の日向子は体力がないのです。 そこで石を集め土台にし、その上に実を置きました。 大きな石を上から落として割る作戦です。 なるべく尖った石を選び… 実の角度を変えたり… 必死でした。 やるしかありません。

やがて実にひびが入り、汁がこぼれ出した時は、一滴も無駄にしてはならない! と、無我夢中で吸い込みました。 …ああ、なんて美味しいんでしょう!

ほっとしたのもつかの間、喉の渇きはまだあります。 ならばもう一つ割るしかないのです。 でも今度は要領を得ています。 一度目より早くジュースにありつくことが出来ました。 

こうして、その日の夕方までにはすっかり割り方をマスターした日向子。 果肉も食べてみました。 その合間に周囲を見渡してみます。 やっぱり、何もない。 人気もない。 自分はどうなるんだろう。 ヤシの実。 幸いにも沢山あります。 食べ物には困らないでしょう。 

こんな状況下にありながら、思いは以外にも複雑でした。 ヤシの実が割れるようになった - 達成出来た、なんか嬉しい。 しかしすぐさま、別の自分が、それがどうしたって言うの? この状況を抜け出す方法を考える方が重要じゃないの? とも言ってきます。 ココナッツの果肉を頬張りながら、様々な事が頭を過っていました。

(このヤシの実がなかったら、私は、飢えと渇きでもう死んでいたのかな。) 

飢え死にはしない - それは確かに思えました。 でもそれは良かったのでしょうか? これから先、どうするの? 客船の荷物や、人の服など、流れ着く物は何もない。 自分一人だけ、ここに流された -


「ジリジリする。」

太陽が高くなり始めています。 一夜明け、また新たな一日の始まりです。 昨夜は穏やかな夜で、そのまま砂浜で眠りに落ちていました。

 暑さを避けるため、茂みの方へ行きましたが、虫が出てきそうで、棘や毒のある植物もありそうで、奥へ行く気にはなれませんでした。 

「それに砂浜にいたほうがいいに決まっている。」

漁船などが通って、助けてくれるかもしれないからです。 体力を失っている今の日向子にとって、人気を探して歩き回るなんてとても無理でした。 それに。 どこまで歩けば人気があるのでしょう? 海、浜、茂み - それだけ。 人工の物がある気配もありません。 

日向子はオレンジ色の救命胴衣を着たままでした。 それは白い砂浜でよく目立ちました。 


人間とは不思議なものです。 知らない場所に一人でいるにもかかわらず、ふと、不安をすっかり忘れる瞬間がありました。 青い空はまるでポスターのよう。 美しさは日向子を癒してくれました。


二日目の夜です。 空には雲がほとんどありません。 疲れはだいぶ回復したので、昨日のように、日暮れとともに眠りに落ちませんでした。 客船から見た時と同じ、満天の星空。 静かに、静かに、遠くまで… 

「…怖い!」

吸い込まれそう、自分は小さい存在だ… そう思わせてくる… 怖く、美しく… 大きな何か…。

 風はほとんどない。 今夜も白い砂浜をベッド代わりにして、そのまま目を閉じました。 


三日目 - また日が昇ります。 明るさで目が覚めました。 水平線には太陽が見え始めています。 

「そうか、この海岸は東向きなんだ。」 

一日の始まりです。 今日もヤシの実を食べて過ごすのでしょうか? いつまでここにいるのでしょうか? それにしてもここは地球のどのへんなの?

「何もしないでいたって何も始まらない。 茂みの向こうには何があるんだろう。 村? どこかの国の端っこなのかな、ここは。」 

 お腹と喉の渇きが満たされているので、思考回路は前向きに働いていました。 頼れる物は今、自分しかありませんでした。


この浜に着いてから、日向子は人工的な音を一切聞いていません。 船は通る気配もありませんし、遠くからエンジン音が聞こえる、と言う事すらないのです。 茂みの奥からも、聞こえるのは鳥や虫の声だけ。 波の音は絶え間なく続いています。 

「ここは島…。」 

そんな考えが日向子の頭に浮かび始めていました。 数日間ここにいて、ますますそう思うようになったのです。 

「とにかく周囲を調べてみなきゃ。」

 そのためには更なる体力が必要でした。 暑さに負けず、歩き続けることが出来るだけの。 

またお腹が空いていました。 東京では、感じたことのない感覚です。 いつも食べ物が家にありましたから。 それに、ヤシの実だけでお腹を膨らます気にはなれず、食べ方は控えめになっていました。 カニをつまみあげました。 一生懸命もがいています。 

「元気が良くて美味しそう。」

元気良さを美味しそうって思うなんて! たった数日で起きた自分の変化に、自分でビックリしました。 


 この日も日向子は船を見ませんでした。 船… 客船に水が入ってきた、あの時の事がまた蘇ります。 

「私は波にのまれて、海にほおり出されたんだ。 船が難破したなら、何か流れ着いていいはずよ。 でも何も流れ着かない。 船は嵐をやり過ごし、東京に帰ったに違いない。 助けはきっと来る、時間はかかるかもしれない、でもそれまでの辛抱だ。 ううん、茂みの向こうには、集落があるかもしれない。 そこから家族に連絡出来る!」

助かる方法を模索する日向子。 

「体力をつけるのよ…。 しっかしるすのよ、日向子…。」

海藻も少し食べてみました。 夜空にちりばめられた宝石を眺めながら、その日も眠りに落ちました。


 四日目の朝です。 だいぶ体力が回復してきたので、今日は少し遠くへ行ってみることにしました。 東に面した海岸は、緩やかにカーブしています。 カーブの先は、北側も南側も高い岸壁がせり出していて、頂上へ登れば、遠くの地形まで見渡せそうでした。 しかし登るのはかなり大変そうです。 ならば…

「茂みの中をまっすぐ西へ進んでみよう。 何かに行き着くかもしれない。」

 まっすぐ進む事は大切だと直感していました。 あてもなく歩けば、あっという間に迷い、ここから出られなくなりそうに思えたからです。

 高い木がまっすぐに生えていました。 茂みはまるで森でした。 そのせいで中は薄暗いのです。 太陽の光が肌に直接当たらなくていいと思ったのもつかの間、涼しくもなく、蒸し蒸ししています。 虫が飛んでいます。 低い木々や草が地面を覆い、通りやすい場所、そうでない場所とが混在していました。 

(ここで迷子になるのは嫌だ…。)

 太めの枝を拾い、それで邪魔な草や枝を避けながら進みます。 いえ、避けると言うより、叩きつけ、かき分ける、と言う感じでしょうか。 

思ったほど早く進めません。 それだけではありません、歩き出してすぐ、まっすぐ進んでいるかどうかも分からなくなりました。

「じゃあこうする。 長い草と草を結ぼう。 長い枝と枝を絡めよう。 そうやって印をつけながら進めば迷わないし、通った後が道になる。」

食料として持ってきた二つのヤシの実は、つる性の植物を使って腰に巻いてありました。 こうすれば両手が空きます。 

「いい事思い付くじゃない、私。」 

草と草をを結んでいる時、

「なんか痒い?」

指先に痒みを覚え、

「そうだ。 やたらに触って、もし毒のある植物だったら、大変な事になるところだった。」

触れる物にも慎重を期すようになります。 進むスピードはますます遅くなりました。

「ああ、もう日が暮れる…。 真っ暗になる前に浜に戻らなきゃ。 森の中で夜を明かすなんていや。」

 浜にはすぐ戻ってこれました。 そのはずです、あまり進めなかったのですから。

(こんな事してどうなるの?  …怖い、でも、何もしないでいるのも、怖いの! どうしよう。 どうするのがいいの!?)

昼間いい事だと思えた事も、無駄に思えてきました。 所詮無力…。 自分が可哀そう… また満天の夜空が広がっています。 いつの間にか眠りに落ちました。 


次の日。 昨日通った所を進むと、引き返した地点まで思いのほか早く着くではありませんか。 道のおかげです、しかも自分の作った! 昨晩の思いは一転して、

「私、意外と凄いじゃない!」

昼間の明るさも手伝って、気持ちに明るさが出たのでしょう。

「なるほどね~、インフラが大切ってこう言う事。 道のおかげで行き交いが出来る、だから経済が発展する。」 

少しずつでも着実に - そう気思えて、すると自分が大人になったような気がしました。 急いで結果を出そうとしていた昨日の自分が子供っぽい。 こうした小さな気づきは今後、日向子を大きく成長させていく事になります。 

何日か進み、地形はいつの間にか傾斜になっていました。 丘のような場所を進んでいると、あ、木の間から何かが見下ろせます…!


…青。 


海でした。 


「海。 突き当たった先が、…海。」

ならばここは…

「…島 …なの? どこかの国の端っこじゃないの?」


わっと泣き出しました。 

「そうだよね、そうだよね、分かってたんだよ、本当は! 静かだもん、人工の物が何もないもん! 集落に行き着くなんて、気休めだったんだよ! なによ、こんな南国のポスターみたいな場所!」

こうも早く海に突き当たるということは、しかも、相当小さな島に違いありません。 救助の人はどうやって探し出すのでしょう!? しかし感情的になっている暇はありませんでした。 湿った空気が立ち込め始め、空には黒い雲。 強い雨が来そうでした。

「帰ろう。」

帰る? でも、ここにいたって、元いた浜に帰ったって、何の違いがあるのでしょう? むしろ森の中の方が雨よけになります。 でも今の日向子にとっては、少しでも慣れた場所が恋しいのでした。 走り出すと、まもなく大雨になりました。


 雨がざあっと降ったかと思うと、また太陽が顔をのぞかせます。 夕方の太陽でした。 岩のくぼみには水が溜まり、静かに光っています。 今朝くり抜いたヤシの実の殻にもです。 

「水! 久ぶり…!」 

日向子は溜まっている水を片っ端から飲みました。 

「次に雨が降った時は、もっと効率よく水を集めよう。」

スコールは突然やってきます。 貝殻など、水溜めになりそうなものをあるったけ並べておくことにしました。


 太陽が沈んでしまったので、その日の砂浜は湿っていました。 しかし寝る場所はそこしかありません。 茂みの中はもっと湿っているでしょう。 服も濡れたままでした。 

「ここは誰もいないし…。」

服を脱いで乾かしたいとも思いました。 

「でも、突然救助の人が来たら?」 

夜ですからその可能性はまずないのですが、それでも裸になるのは抵抗がありました。 風邪をひいたら、と心配でもありましたが、そのまま寝るしかありませんでした。


 服は朝までには乾いていました。 その服を見て、はっとしました。

「…そうだ、服はこれしかない。 もしこの服が破れてしまったら…。」

もう服はないのです。

 クルーズ用にと買った、シフォンの半そでブラウスは生地が薄く、すぐにダメになりそうなのです。 ショートのジーンズはしばらく大丈夫そう。 ストラップ付のサンダルは、ぴったりと足にフィットしていて、島に着いてから一度も脱いでいませんでした。

ふと、植物の葉で何か作れないか、そんなアイディアが浮かびました。 南国の葉っぱは大きい物が多いので、生地の代わりになりそうに思えたのです。 大きな葉を重ねてみました。 植物のつるで繋ぎ合わせてみます。 シートのようなものは意外と簡単に出来ました。 腰に巻き付ければ巻きスカートみたいではありませんか! 

「葉っぱの服?」

巻きつけたスカートを見下ろしながら、ちょっとポーズをとってみました。 簡単に繋いだだけだったのですぐに解けてしまいましたが、

「また作ればいいじゃない。」 

そう、葉っぱはそこいらじゅうにあります。 時間も沢山ありました。 カニとヤシの実、海藻は目の前にいくらでもありましたから、食料探しに時間をかける必要はありません。 言い換えれば、他にする事がないのです。 独りぼっち、時間を持て余す… それは何と恐ろしい事でしょう!

(もし、ブラウスがボロボロに破れて… そんな時に救助隊が来て… でも、救助が来たら嬉しくて、着ている物の事なんて忘れそうだけど…。)

日向子は、一日の多くを葉っぱの服作りに費やす事にしました。 島の再探検も、服作りに飽きた時にしてみました。 進む方角を変え、以前のように道を作りながら。 ここは島ではない、人がいるかもしれない、そう、かすかな期待を持ちながら…。  が、結果はがっかりする物でした。 救助をじっと待つしかない - 確信へと変わっていきました。

ブラウスをキープするために - それで始めた服作りですが、そこからは達成感が得られました。 寂しくて、怖くて仕方ない日向子。 服作りは、気持ちを安定させるのに大きく役立ちました。


救助はなかなか来ませんでした。 一日の生活のリズムが出来、島の生活に慣れてくると、家族の事を考えるゆとりが心に出始めました。


**


東京の高級住宅街に家を構える庄司家。 庄司日向子の家はお金持ちでした。 隣は父の弟、大輔おじさんの家です。 おじさんの子供たちは、上から、日向子と同い年の咲良、二つ下の由依、四つ下の大樹。 いとこたちは、一人っ子の日向子にとって、ちょうどいい遊び相手でした。 親同士も仲が良く、両家の間にあった塀もわざわざ取り除き、行き来しやすいようにしてしまったほどです。 ある夏の日下がり。 子供たちの遊ぶ声が聞こえてきます。


「ねえ、今日何して遊ぶ?」

庭に塀がないのですから、広さが倍になったも同然です。 子供たちはのびのびと駆け回りました。 芝生で覆われた庭。 四季折々の花。 飛び石。 丁寧に刈り込まれた庭木。 夏の緑が生い茂り、ムン、とした暑い空気が立ち込めています。 子供たちはしばらくかくれんぼをしましたが、飽きたようです。 女の子同士で木陰に座り、おしゃべりが始まりました。 

「暑いなぁ。 ヒマワリの黄色と青い空か。 まさに夏だね。」

「私、青い朝顔が一番好き。 涼し気だから。」

「え、咲良はこの前、ヒマワリが一番好きって言ったじゃない。 もう気が変わったの?」

咲良は思いついたことを何でも口にする癖がありました。 もっとも、その表情は素直で、悪く取る人はいませんでした。 一方で、日向子の意見には一貫性があります。 咲良は日向子の問いには構わず、由依の横へゴロゴロと転がりました。 仰向けで雲を眺め… 風はほとんどない、雲は止まったままでした。 日向子は、

「青い朝顔か。 私も好きだけど、すぐしぼんじゃうからなぁ。 ずっと咲いてたら可愛いのにね。」

別の木の下では大樹が虫を見ています。

「あーあ、男の兄弟が欲しいな。」

女子はなんでも「可愛い」って話に繋げる。 よく分かりませんでした。 女姉妹に囲まれてか、大樹は何か物足りなさを感じていました。


冬になると、黄色くなった芝生の上をカサカサと落ち葉が舞いました。 乾いた空気は、ツン、と鼻をつきます。 それでも子供たちは庭遊びに夢中。 東京のど真ん中で、なんと贅沢な環境だったのでしょう!

(あの庭のおかげで今の私があるのかな。 マンション住まいだったら、葉っぱの服なんて思いつかなかったかもしれない。)


**


日向子の母は、日向子が一人っ子なのを不憫に思っていました。 義理の妹が、二人、三人、と子供を産んでゆくのを見て、ひそかに悔しがった時期もあります。 それは次第に薄れ、今では夫に、

「いとこ同士で仲良しで。 私たちは幸せね。」 

「俺さ、時々怖くなるんだ。 何もかもが順調で。 そのツケで、いつかとんでもない不幸が迷い込んでくるんじゃないかなぁ。」


日向子の父、修は東北の出身で、実家は老舗和菓屋の「庄司屋」でした。 古風な父は、家業は長男が継ぐものだ、そう考えていました。 修は少しの間、庄司屋の社長をしていた時期もあります。

しかし両親が他界すると修は、弟の大輔と相談し、店を売ってしまいました。 支店を七店も持つ、東北では名の知れた庄司屋です。 買い手には多くの人が名乗りを上げました。 その一人に、父の右腕だった専務の佐々木があります。 彼も古風な男でしたから、修と大輔の現代風の経営を、気に入らないでいました。 買ってしまえば、自分の好きなように切り盛り出来ます。  

名乗ってはみたものの、それは無理 - 分かってはいたのです、庄司屋は佐々木にとっては大き過ぎました。 資金が用意できず、結局買収したのは地元の大企業でした。 佐々木は庄司屋を所有する事は出来ませんでしたが、引き続き専務として雇用され、実際の運営は彼にすべて任される事になりました。


実家も売りに出されました。 古い武家屋敷は立派でしたが、メンテナンスに費用がかかり過ぎていたのです。 この家を愛し、大切に守ってきた父。 こちらは行政が買い取り、地元の資料館にすると言っていました。 全てを売却、入ってきた金額を見て兄弟は改めて実家の財力、権力を思い知らされました。 そして感じたのです: 

(何か取り返しのつかないことをしてしまった…!)

家の伝統が、いとも簡単に現金化されてしまったのです! 

そうは言っても、和菓子に全く興味がなかった兄弟。 佐々木が不満がっていたのももっともでした。 自分たちが継いだところで、伝統は守られないでしょう。 むしろ、和菓子に興味のある人に継いでもらった方が店のためです。 兄弟は自分たちをそう納得させました。 今、東京の高級住宅街に住んでいられるのも、家業と実家を売ったおかげでした。


「庭のない家なんて、家じゃないだろう。」

東京で、婚約者の広美と物件探しをしていた時のことです。 立派な庭のある家で育った修。 庭のない家は、ホテルの一室のようで、住んでいる気がしないのでした。 そうは言っても東京で庭付き。 理想通りの家はなかなか見つかりません。 

「私はマンションでもいいんだけど…。 ベランダが広い物件はどう?」

修は当たり前のように、庭付き高級住宅を見て回ります。 広美は少し心配でした。

「私はよっぽどのお金持ちと結婚するんだ。」

胸が高鳴りました。 

静岡から上京し、東京の短大に通った広美。 卒業後は東京で職を探し、地元には戻りませんでした。 東京には何かがある - 実家に帰ってしまえば夢は消え去る… 夢?  夢って何? 仕事やキャリアではない。 じゃあ一体何…。 彼女は漠然とした何かを求めていました。   

(ドラマに出てくるような素敵な婦人…。)

それは夢と言えるのでしょうか? ただの憧れではないでしょうか?  ですが今、それが叶おうとしているのです。 かえって不安になりました。 しかし、何かがこれでいい、とも告げます。

結婚後。 自分は正しかった、そう思えた - 心の落ち着き場所が見つかったのです。

(自然体、ああ、この感覚! なんて幸せなの!)

同時に、

(どうして今までこう感じなかったのかしら? 実家での生活、なぜ私に合わなかったのかしら?)

金銭に糸目をつけない生活がしたかったのではありませんでした。 求めていたのは品の良さ。 広美は謙虚な妻となりました。


修の隣の豪邸が売りに出されると、弟の大輔も迷うことなく購入しました。 すっかり東京に落ち着いてしまった兄弟。 東北の親戚たちとは、当然疎遠になってゆきました。

 勤め先での仕事もうまくいっていました。 しかし、跡を継がなかった事、家を売ってしまった事… 罪悪感がふとした時に頭をかすめます。 事の成り行きを知っている広美は黙って話を聞きました。 それが妻の役目だと思いました。


「修。 分かっているだろうな。 お前はこの家を継ぐ。 私が隠居したら実家に戻ってくるように。」

東京の大学に合格が決まった時の事です。 父はおめでとうも言いませんでした。 むしろ、大学進学は反対でした。 和菓子一つで生きてきた父。 息子が家業を継ぐ。 なぜ、大学に行く必要があるのでしょう? 

「親父も家業を継いだ。 親父はいいよ、和菓子が好きだから。 でも俺と大輔は甘い物が好きじゃないからなぁ。」

家業を継ぐことをためらい、大学卒業後は東京のIT企業に勤めていた修でしたが、父は有無を言わさぬ方法で彼を東京から引き戻してしまいました。 突然他界してしまったのです。 母は一気に生気を失い、実家も家業も一時混乱状態となりました。 修は退職せざるを得ませんでした。 


庄司屋を継いだものの、分からないことだらけす。 父の二の腕だった佐々木に色々と聞いてみましたが、彼はあからさまに敵意を燃やしていました。 

(ちっとも家業に興味を示さなかった親不孝息子! 親が死んだらいきなり社長かよ!)

美しく、日本文化のすべてが詰まったような和菓子。 口数少なかった先代でしたが、口数が多い必要がなぜあるのでしょう? 和菓子そのものがすべてを語っているのですから。 佐々木も同じ考えでした。 先代が後継ぎに不安を感じている様子を見て、心の中では同情していました。 それは修も分かっていました。 ただ、甘いものも和菓子も好きでない修にとって、和菓子業に興味を見出すことは思った以上に難しかったのです。


東京の勤め先では順調にやっていた修でしたが、佐々木と一緒にする仕事はどうもうまくいきません。 何でもすぐに解決したいタイプの修は、そのままにしているのがもどかしく、大輔の力を借りる事にしました。

「大輔、帰って来いよ。 二人で庄司屋やろうじゃないか。」

 兄同様、東京の大学に通った大輔。 ちょうど内定が決まった頃でした。 せっかく決まった就職先。 諦めたくない - 大輔は週末東北に帰ってきて手伝うだけに留まりました。 

ある夜、修は大輔に電話しました。

「今度は何さ。」

「佐々木さんが言うんだ。 Aスーパーへの出店はしないって。」

「ああ、あのスーパー。 生きていたら親父も嫌がりそうだな。」

「別のスーパーに買収されたのは知ってるだろ? 店名はそのままだけど。 内装はずいぶん垢抜けたぜ。」

「立地とか、今までの売り方とか、そっちのイメージもあるんだよ。」

「売れるのになぁ、今。 リニューアルだからね。 客足はしばらく行けると思うんだ。」

「俺もそう思う。 でも佐々木さん、そういう数字狙いは毛嫌いするところがあるじゃないか。 目先の利益じゃなくて、流されない、一貫性みたいなものを追及したがる。」

「でもさ、流れる物なんだよ、時代も人も。」

「だからこそ、流れない何か、が大切なんじゃないか? 親父も天国でそう言っていそうだ。」

「大輔。お前よく分かっているな。」

「俺は週末しか関わってないからね。 兄貴はどっぷり社長業してるから、全体が見えないんだよ。」

「大輔が社長やったほうがよさそうじゃん。」

「いやだよ、俺は和菓子にどうしても興味持てない。」

「“世間が洋風化すればするほど、和菓子は大切になってくる。”か。 親父がよく言ってたっけ。」

「まあ、週末また行くから。 それまでAスーパーの件は保留にしよう。」

そう気楽に言った大輔を、修は羨ましく思うのでした。 電話を切った後も、

(和菓子店か。 このまま俺が続けていいんだろうか。 白衣を着て甘い匂いをさせていた親父… 俺はスーツに身を包んでみたかったんだ…。)

東京の街を行く - ガラス張りビルに映る自分。 ブランドスーツに身を包み… ああ、この感覚なんだ。 

 母のために - 修は庄司屋を続けました。 が、母が亡くなると、義務感から解放され、間もなく庄司屋を売る決意をしました。


妻はこの話を聞く時、何の返事もしませんでした。 何度も聞いている話ですし、夫も聞いてもらえば満足でした。

(こうしてふり返ってみると、すべてがあっさり片付いてしまっている…。)

しかし、そのおかげで今の家があるのです。 節目ごとに話し合って、ベストな答えを出してきた修と大輔 - それでも、どことなく自分勝手な兄弟に聞こえなくもありません。 夫は今日、広美の顔をじっと見つめてきました。 今更だけどどう思う? と、そんな表情を見せて。 何か言わなきゃ - 広美は、あたり障りのない言葉を探していました。 過ぎた事、話を展開させても仕方がない…。 

「家業の件は残念だったけど、お父さんもお母さんも、仲のいい息子達を持って、天国できっと安心していることよ。」

「確かに、俺たちは仲いいし、これからもお互い助け合っていくつもりだ。」

聞いてもらって、満足したのでしょうか。 夫はどこか、あっけらかんとしたところがありました。 それは根に持たない、ポジティブな性格とも言えるでしょう。 会社で出世しているのもそれが一役買っていると思われます。 

夜の十一時を回っていました。 修はすぐ眠りに落ちました。 広美は天井を見つめていました。 静岡の実家の事をしばらく考えていました。


**


「見て。 可愛いでしょ?」

咲良が新しい服を持って、日向子の部屋にやってきました。 両家の娘たちは、自分の家のように好き勝手にお互いの家を行き来します。 服を買うのが好きな咲良。 買うと日向子に見せに来るのがお決まりです。 

「お姉ちゃんばっかりずるい。」

妹もお古だけでは満足しませんから、お隣の庄司家には服が沢山あります。 三人で集まってはとっかえひっかえファッションショー。 外で遊べない日も、女の子達にとっては何の問題もないのです。

「日向子のチェックスカートと合わせてみようよ、どこ? あ、これ! この組み合わせも良くない?」

他人のワードローブを勝手に引っ搔き回すいとこ達。 日向子はもう慣れっ子でした。 あっという間に部屋の真ん中には服の山が! ごちゃごちゃとして、それがより子供達を興奮させます。 そこへ日向子の母が顔を出しました。 ドア越しに、

「日向子。 ちゃんと片付けるんでしょうね?」

ちょっとムッとしました。 しっかり者の日向子です、部屋はいつも片付いているのです。

(いとこたちが帰ればちゃんと片付けてるじゃない!)

でもそれは、日向子にではなく咲良たちに向けた言葉でした。 彼女らの部屋が散らかっていると、義妹が時々口にしていたのです。 母は今日、シンプルなブラウスをデニムとを合わせていました。 すらりと長身な母は何を着ても優雅に見えます。 日向子にとって母は憧れの人でした。 開いたドアから、甘い香りが漂ってきました。

「パイが焼けたから、お茶にしましょうね。」

母はキッチンへ降りていきました。


**

 

 日向子はファッションデザイナー科のある大学に通い、今年で三年目になります。 咲良も同じ大学に入りたかったのですが合格しなかったので、アルバイトを転々とし、今のアパレル店で落ち着きました。 咲良の両親はそれに不満でしたが、末っ子の大樹が学業で良い成績を収めていたので、咲良については自由にさせていました。

「日向子姉さん。」

大樹は中学生になった頃から、時々、一人で日向子を訪れるようになっていました。

「なあに?」

「宿題で分からない事があるんだ。」

「お姉ちゃんたちに聞けば?」

「姉貴の説明で分かるわけないじゃん。」

そうかもしれない。 咲良も由依も、説明が上手なタイプではありませんでした。 ファッションについては、感覚的には分かっていましたが、それを説明するとなると、「なんとなく。」としか言えないのです。 そんな時日向子は、「色が対照的だから。」「袖と丈のバランスがいいから。」などと、すぐ説明出来ました。 

「オーケー。 で、宿題のどこが分からないの?」

「過去完了形。」

大樹は、分からない事が分かっていたので、由依よりずっと教えやすい生徒でした。

「それから、咲良姉ちゃんがピンクのシャツ貸してって言ってた。」

「ピンク。 あ、この前買ったあれかな、じゃあ、帰る時渡すね。」

「でもさ。 そんなに服持っててどうするの?」

日向子は一瞬止まりました。 勉強やファッションと違い、その説明は思いつきませんでした。


***


「よし。 全員でクルーズの旅に行こう!」

両家で集まり、庭でバーベキューをしていた時の事です。 とある五月、土曜の昼下がり - 宣言したのは修でした。 きょとん、と全員の動きが止まってしまいました。 広美が急に何を… と言いかけると、

「いつか豪華客船に乗りたいって言ってただろ?」

「ええ、言ったわ。 でも突然ね、みんなの都合は…。」

修は待っていましたと言わんばかりに、

「皆の都合が合うのって、いつなんだい? 大樹君が大学に入った頃かい? 大体、誰かしら忙しいんだよ、テストが間近だとか、就職活動、転職活動、昇進のかかった重要な時期だとか。 全員がひまな時期なんてない。 だから都合は合わせる物だ。」

なるほど、その通りです。 この話し方、修独特のスタイルでした。 仕事の時もそうなのですが、何か突然提案し、聞き手があっけにとられている間に話を進め、いつの間にか納得させてしまうのです。 ジュージュー。 お肉の焼ける音だけが響いていました。 

「わぁ、豪華客船、乗りたい。」

咲良でした。 

「うん、そうだなぁ。」

大輔も賛同します。 誰も反対しないので、客船の旅は行くことに決まってしまいました。 さあ、話はそのことで持ち切りです。 母達は持ち物の事を、修と大輔はツアーの検索を、年頃の女の子達は日焼け止めや化粧品の事を… 喋っては食べ、喋っては食べ。 浮ついたバーベキューとなりました。 大樹だけは落ち着いて、いつも通りにトウモロコシをかじっています。

(うちでバーベキューしたって、客船乗ったって、同じ事さ。 みんなが楽しければそれでいい。 それがいいんだ。)

両家で一番若い大樹。 にもかかわらず、大樹はどことなく冷めていました。 彼自身もそれは自覚していて、しかし人にそう思われるのは嫌でした。

(船の検索でもしてみるか。)

興味を持っているふりをすることにしました。 スマホをいじっていると、友達からチャットが来たので、旅行の事を告げると、

「お前んち、どんだけ金持ちなん?」

と言う返事。 

(だよな。)

大樹は思うのでした。

 

 明日はいよいよ出発です。 修は早めに帰宅しましたが、いつもと様子が違います。

「これ。」

妻に手渡したもの - 庄司屋の和菓子でした。

「同僚が東北に行ってさ。 お土産にって。」

久しぶりに見る庄司屋の包装紙。 テーブルに置かれた小箱が、ポツンと見えました。 二人とも、どうしていいのか分からないでいると、その雰囲気をかき消すように、二階から日向子といとこ達が降りてきました。 三人で集まって荷造りをしていたのです。 箱を見るとすぐ、

「食べてもいい!?」

日向子は子供のようにはしゃぎました。 明日のことで興奮しているからでしょう。

「ええ、いいわよ。」

開けると、修が見たことのない、モダンな和菓子が六つ入っていました。

「新商品か。 こんな和洋折衷の和菓子、佐々木がよくOKしたな。」

日向子もいとこ達も甘いものが大好きでしたから、和菓子はよく観察される前に食べられてしまいました。

「痩せるなんて無理だね!」

修は明日の旅行の事よりも、庄司屋の事で頭が一杯になり、よく眠れませんでした。


翌朝。 眩しい。 今日ばかりは、照りつける太陽こそ、嬉しく感じられます。 曇り空では、バカンスのスタートらしくないからです。 

船は静かに港を出ました。 乗客も皆、豪華な船内に浮かれています。 レストランにカジノ、ショーにプール… 最初の数日はあっという間に過ぎてゆきました。

 よく晴れ渡った日でした。 船は南の海を航海中です。 急にあたりが暗くなった気がしましたが、そう言えばもう夕方です。 空気がどことなく生温く感じました。 なんとなく嫌な感じがしました。 いつもと何かが違う。 気のせい? 船はゆっくりですが、確実に、そして大きく揺れ出しています。

「今までの揺れと…違うね?」

「ああ、タイタニックなんか見なきゃよかった。」

大樹が言います。

「何でそんなもの見たの?」

「だって、船の検索してたら映画も出てきて、面白そうだと思って…。」

「あれは氷山に当たったんじゃない、ここは南よ。」

母がそう言い、父は、

「今はちゃんとしたナビゲーションがある。 天気予報だって、昔と比べ物にならないさ。 心配するな。」

やがて誰も何も言わなくなりました。 船はますます揺れ、日の沈んだ後のグレーの海原を、雨風がビュービューと荒れていました。 船員から、全員救命胴衣を着けるように、と言われた時には、ただ事ではないと皆が悟りました。 乗客は泣いたり、叫んだり。 静まり返っている者も。 海水が容赦なく船に降りかかっていました。 由依と咲良は泣きながら船室の柱にかじりつき、大樹は母とじっとしています。 ラッチの効かなくなったドアがバタンバタン。 まるで、嵐を強調させているよう。 客船の電灯は一部しかついていませんでした。 日向子は夕食後、いとこ達家族と過ごしていましたが、母の所へ戻ろうと、ふらつく中立ち上がり、ゆっくりとドアの方へ… あ、その時!

「日向子!!」

大樹と咲良が叫びました、大量の海水が目の前に…‼ あっという間に押し戻され、日向子は仰向けに倒されました。 同時に、船室は海水で一杯になりました。 …もう、水の音だけです。 ゴオゴオ… なおも唸り続ける風と波。 人の叫び声がまばらに、遠くに… まもなく無言の客船となりました。 ゆっくりと、ゆっくりと… 大波のリズムように - 海は次第に静かになってゆきました。


**


最初に作った巻きスカートは、茎の尖った部分が肌に当たり、心地の良い物ではありませんでした。 

「じゃあ、外側に尖った部分が来るように重ねればいい。」

どの葉が扱いやすくて強度があるか等も、数日間試行錯誤しているうちに分かってきました。 

ポンチョのような羽織る服を作ってみましたが、重たく、腕を動かすと全体が動いてしまいます。 動きやすいと言える物ではありませんでした。 そこで日向子は、コルセットのように、ウエストから胸元までぴったり巻くだけの物を考えました。 作ってみると、

「チューブトップみたい!」

これなら腕を動かしても服が動くことはありません。


いいと思ったのもつかの間、ぴったりしたデザインは、風通しが悪い物でした。 しかし、デザイン科に通う日向子ですから、もう次のアイディアが浮かんでいます。

「スリットを入れてみよう。」

そのうち、葉を重ねてつるで繋ぐより、編んだり、機織りのように交差させた方が強度が出ることも分かりました。 竹細工のように、隙間を入れたり。 通気性が良くなっただけでなく、デザインもどんどん多様化していきました。

ヤシの葉三枚を編んで、ベルトも作りました。 コルセットなど、服を締める時に役立ちましたし、編み目に細長い葉を差し込んでウエストに巻けば、巻きスカートにもなりました。 ちょうど、相撲の“さがり”のようです。 ベルトをアンダーバストの位置に締め、上向きに葉を差せば、胸を覆うビキニになりました。 


 タイトスカートも作ってみました。 膝上十五センチくらいから、へそ下までのミニスカートです。 サイドにはスリットを入れます。 この丈と型なら、動きを妨げることはありません。

「いい感じじゃない?」 

いい物が出来ると、無邪気にはしゃぎました。 しかし鏡がないので、着た姿を確認することは出来ません。 着た自分を見下ろすか、全体は、夕日を背に立ち、陰で確認するしかありませんでした。 

「ああ、ネットでシェアしたいなぁ。」

日向子は、島にいる間、何着も服を作りました。 いい物が出来る度に、画像に残せない事を本当に悔やんだのでした。


枯れたヤシの葉の先から、白っぽい繊維が見えていました。 そこで、葉を縦に裂いて乾燥させ、繊維が取れないか、と考えました。 が、やってみるとそれはあまり強度がありませんでした。 繊維を編めば多少の強度は出ます。 しかしそうすると、今度は厚みで重くなってしまいます。 丈夫さ、軽さ、どちらを優先するか。 葉っぱを使う際にも言える事でした。 軽くて丈夫な繊維って…。 ふと、ナイロン製のエコバッグを思い出しました。 スーパーの重い荷物にも耐える、あの。 …エコ? ナイロン、化学繊維なのに? それにしても。 現代社会、なんて多くの種類の生地があるのでしょう! それは、人類が生地へ工夫を凝らし続けてきた結果…。 考えてもみなかった事でしょう、普通に生きてきたら。 なんだか視野が開けたようでした。


縦、横に交差させる時、縦の部分には細長い葉を、横には繊維を使ってみました。 すると縦のラインが強調された布地が出来ました。 葉の大きさにはばらつきがありますから、見た目には不揃いさが出ます。 でもそれが逆に魅力でした。

「デザイン科の友達が見たら、なんて言うんだろう。」


服はどんどん進化していきました。

「自分、結構すごくない?」

自然な笑みがこぼれます。 しかしそれをシェアする相手も手段もないのです。 救助される日まで服を取って置こうか、でも…。 それっていつ? それまで持つ?

「…。」

手を休め、出来上がった服をぼんやり眺めます。 穏やかな波音が、時計の秒針のように、淡々と繰り返されるのが再び耳に入ってきました…。

スーッ

自分にはっきり聞こえるように、わざと大きく息を吸い、日向子は別の事を始めました。


 袖のないチューブトップは動きやすくて良かったのですが、太陽の下では肩がじりじり痛くなります。 袖付の物も作ってみましたが、やはり動きを妨げました。 そこで、柔らかいつるをゆったりと編んでスカーフを作り、肩をカバーしました。 つばの広い帽子も作ってみました。 ケープも作りました。 ハート形の葉っぱを使ったので、フリルのようで可愛い仕上がりとなりました。   


ヤシの実はだいぶ消費し、その繊維はすべて取っておきました。 それを編んで服にすることも出来ましたが、日向子にはもっと必要な物がありました。 タオルです。 葉っぱで汗は拭けないからです。 なるべく柔らかい繊維を集め、さらに柔らかくするために、石でたたいたり、雨水や塩水にさらしたりします。 それを平たく編んでタオルに仕上げました。 もちろん、本物のタオルとはかけ離れた物です。 しかし、ないよりはましです。 衛生面で大きく役立ちました。 硬めの繊維はロープやむしろにしました。 


 服のアイディアは次々と浮かんでいましたから、同じ服を二日と着ていることはありません。

「これが大学の課題だったらいいのにね。」 

新しい服が出来ると、一日何回でも着替えました。 

 葉っぱの服は使い捨てです。 服をリサイクルに出していた東京の生活。 エコを考えての事です。 その感覚から、葉っぱの服とは言え、捨てる時は罪悪感がありました。 捨てる? ううん、そう言うと、島では何か違う。 ほっぽって置いてそのまま、みたいな…  …放置? かえって寂しく思えるね。 非情だなぁ、自然は。 あ、捨てるって、人間独特の感覚?  

 穏やかな表情で波打つ浜辺。 そよ風はここぞとばかりに、優しく日向子の頬を撫でてゆきます - が、思わず、「なによ、優しくしたって騙されないからね!」そう言ってみたのでした。


無人島生活には、焚き火がつきもの、というイメージがあります。 日向子は島に着いてからずっと、火を起こしたいと思っていました。 

「そうすれば、通り過ぎる船の目にも留まるだろうし、虫よけにだってなる。 カニだって焼いて食べられる。」

日向子は、焚き火に思い入れがありました。 

「近所迷惑にならないように、煙には気をつけないとな。」

そう言って父は、庭でよく火を起こしたのです。 枯れ葉を集めた秋、バーベキューをした夏。 葉や炭の焼ける匂い。 日向子にとって身近な火。 ですが、無人島での火起こしは、そう簡単にはいきませんでした。 棒は沢山落ちていましたが、どれをとっても不格好に曲がっていたし、もろかったり、表面がごつごつしていたり。 きりもみ式にこすり合わせるなんて無理でした。 日向子は島に滞在中、火を一度も起こせませんでした。


もう一つ、日向子が滞在中に出来なかった事があります。 それは、桶のような、水瓶を作る事。 大きな葉っぱをくぼみに敷いて、簡単な水溜めは出来ます。 しかし量を確保出来て、かつ運べるバケツのような物はとうとう出来ずじまいでした。 


日向子は、この砂浜から移動したくありませんでした。 愛着心だけではありません、遠浅の海からはカニや貝が取れ、今では食べられる貝の種類もだいぶ分かっていました。

「それに、この浜に流れ着いたと言うことは、こちらに向かって海流があるのかもしれない。」

だから船が近づいてきそうな気がしたのです。 遠浅なので、大きな船は近くまで寄れないのも分かっています、しかし、北と南にある、岩壁のそばにだって、危険で近寄れないでしょう。 船が見えたら、オレンジ色の救命胴衣を着て、一気に浅い海を走っていくつもりです。 そうすればきっと目立つはずです。 

 救命胴衣はずっと身に着けていたほうが通り過ぎる船の目に留まりやすいでしょう。 しかし、着続けるのは暑すぎます。 そこで、白い砂浜の真ん中に置いて目立たせる事にしました。 風に飛ばされないよう、周囲に大きな石を置いて固定します。 スコールや台風が来たら速やかに片づけました。


 茂みの中には入りたくありませんでしたが、スコールや台風が来た時は入らざるを得ませんでした。 雨風に叩きつけられるのは大変苦痛だったからです。 茂みの中とは言え、濡れる事に変わりはなく、単に雨風が弱まるだけ。 何かいい方法は - 男性なら、小屋を作る事を思い付くでしょう。 しかし日向子には何の道具もありませんし、そもそも力がないのです。 柱は? 壁は? 木を切り出すの? そんなの無理よ。 

「だったら。 生えている木を柱に見立てよう。」

比較的真っすぐな高めの木を選び、木と木の間に長い枝を横に交差さて行きます。 枝編み細工の要領です。 隙間には葉っぱを指し込んで、間を埋めて… 壁になるではありませんか! 小屋が出来そうな気がしました。 一面だけ出来た時、日向子はあることに気が付きました。

「そうだ、壁よりも先に床を作らなきゃ。 壁を作ってから床を作るんじゃ、出入りが大変だもんね。」

小屋の内側となる部分。 その地面を這っている草木を取り除き始めましたが、根が取り切れないのでまた生えてくるだろうと思い、簡単に済ませました。 そこへ石を敷きます。 何層にも敷き詰めす。 思った以上に石が必要で、石集めだけで数日要してしまいました。  そう、床に高さが欲しかったのです。 高さは十センチくらいになったでしょうか。 床の水平にも気を使いました。 なぜなら、浜で横になる時、少しでも傾きがあると、いつの間にか疲れているからです。 貝殻に水を入れ、その水の傾きで床の傾きを調べます。 水平器の原理です。 それが済むと、崩れを防ぐため、外周を大きな石で固定。 これは運んでくるのが大変でした。 上にはなるべく丸っこい石を使いましたが、それでもごつごつします。 そこでヤシの繊維で編んだむしろを敷きました。 これで完成です、石壇の床! 雨水は石の下を流れるでしょう。 石の下の雑草はまた生えてくると思いましたが、引っこ抜けばいいや、と、気楽に構えました。 間もなく日向子は壁も完成させました。 


 あとは屋根ですが、ちゃんとした屋根なんて、最初から考えていませんでした。 骨組みとなる長い丈夫な枝が必要になりますし、第一、それを壁の上に乗せなくてはなりません。 そんな力は日向子にはないのです。 日向子が考えたのは、大きなシートでテントのように上部を覆う方法。 葉っぱのシートを何枚か作り、それを周囲の木の枝に引っ掛け、屋根にするのです。 こうして出来た小屋は、完璧ではありませんでしたが、雨よけとしてそれなりに機能しました。 強い風雨があれば、小屋はたちまち修理が必要になりましたが、それは服と一緒。 日々、改善を考えさせられます。 でも、それで良かったのです。 服作り、小屋の修理 - それ以外、日向子には何もする事がなかったのですから。

「もし、一日中何もしないでいたら…。」

考えただけでもぞっとします。 何かに没頭していないと、寂しくて、自然に飲まれてしまいそうで - 淡々と繰り返されるだけの日々。 忙しい事がありがたく思えるのでした。

 

小屋の修理も、だんだんコツを覚え、頻度が少なくなってきました。 ある日、植物が外壁に絡んでいるのを見て、 

「あっ。」

壁柵の隙間を埋め、自然の水除けになっているではありませんか。 強度も増していそうです。

「そうか、生きた植物を使えばいいんだ、何で気が付かなかったんだろう!」

さっそく、つる性の植物を小屋の周りに移植しました。 日向子が島を離れる頃、これら植物はびっしりと小屋を覆い、小屋の上にかかる大きな木の枝にまで絡んでいました。 木と一体化したようになった小屋は、さらに強度が増しました。 

 この小屋は、茂みの入り口近くを選んで作りましたから、海はいつでも見えました。 通り過ぎる船を見逃すなんて、絶対に嫌でした。

 

 晴れた日は驚くほど静かでした。 虫の声は聞こえます。 鳥は空の高いところを飛んでいました。 

「ああ、鳥をペットにできたら! ううん、せめて目の前で、ピョンピョンって、歩いてくれたら!」

どんなにか癒されるでしょう! 

 南国ののんきな雲は、少しずつ動いて、いつの間にか消えています。 あまりにもゆっくりで日向子は退屈してしまいました。 ちっとも癒しにはなりませんでした。


「あー、小さい島でよかった。 大きい島だったら、危険な肉食動物が住んでいたかもしれないしね。」

時々日向子は、意識して良かった探しをしては、それを口にしてみました。 そうでもしないと、どんどんネガティブになっていきそうでした。  

 島は大きい方がいい - 大きい方が、小川や湧き水がありそうですし、植物の種類も豊富でしょう。 何より、人が住んでいたり、訪問者が来る可能性が高まります。 

「もし危険な肉食獣がいたら、いつも不安なんなんだろうな。 でも、身を守る事に必死で寂しさなんて感じずに…。」

そう言ったかと思うと、

「それじゃあ、眠る事すら出来ないじゃん。」

と、自分に反論。 

「はぁ…。」

話し相手がいない…。 お気に入りのベンチにぽつりと座り、いえ、本物のベンチではありません、たまたまあった平たい石をそう呼んでいるのです。 そこを覆うように、大きな木が葉を茂らせています。 木の幹にもたれ、投げ出した足のふくらはぎには白い砂が付いていました。 さっきまで葉を編んでいましたが、手を休め、思いにふけっている最中です。 島にいる間、日向子はいつも自問自答していました。 それが日向子にとっての話し相手 - すっかり当たり前になってしまったので、これが自分を成長させている、とは思いませんでした。 もともと視野の広い日向子でしたが、自分に反論するためには、さらに広い視野が必要でした。 そうでないと、自問自答が続かず、つまらないのでした。 


最初は穏やかな晴天が好きだった日向子ですが、徐々に変わり、今では嵐の去った後の、ざわついた早朝こそがお気に入りになりました。 目覚めとともに飛び込んでくるいつもと違った景色 - 荒れた様子が、時の進みを感じさせてくれる - 青い空と青い海だけでは、時は止まっているようなんですもの。 嵐が残していく強い風のおかげで、ぐんぐん進む雲も見えました。 

嵐は、日向子の小屋を壊してしまったり、木の枝や、ヤシの実が飛んできたり、波がすぐ近くまで迫ってきたりと、沢山の危険を伴いました。 が、それは同時に浜に活気をもたらしました。 いつもより多くの生き物が見られるのです。 すると、一人ぼっちでない、と思えるのでした。 生き物はまるで、仕事に追われる人間のように、せわしく動きます。 鳥たちはこぞって群がります。 豊富な魚貝があるのでしょう。 それが収穫出来たら! ご馳走になったかもしれません。 ですが、そんなことはどうでも良かったのです。 鳥の大群を目で追うのは、航空ショーのようで楽しかったのですから。 

散らかった砂浜は、南国のポスターシーンと違って、目新しさがありました。 何かが落ちているかもしれない。 見て回れば、自分の力では切り出せない大きな枝が落ちている事もありました。 役に立ちそうな物は、全て拾って一カ所にまとめておきます。 もちろん、ヤシの実は真っ先に拾い集めました。 

鳥や虫などが食べられそうなものをつつき、風は葉や小枝を吹き飛ばします。 気がつくと、あの穏やかなポスターシーンに戻っていました。  戻っていく - 循環する自然の力。 日はまた単調に過ぎて行きました。


 月のある夜は明るかったのですが、作業するには暗すぎます。 生活のリズムは、自然と早寝早起きになりました。 でも、朝寝坊したかったらしたっていいのです。 誰も叱る人はいません。 朝寝坊したい、そう思っていた東京の生活。 今、それが出来るのにしないなんて!

食料はシンプルでしたが、いくらでもありました。 粗食のおかげで、体はだいぶ引き締まり、肌荒れはすっかり改善しました。 あれは、東京での食生活がいけなかったのでしょうか? それとも、ココナッツオイルと言う、無添加の物を肌に塗っているのが良いのでしょうか? 意外なプラス面。 ふっと微笑んで、でも - 

「…何よ! “そうだね”って言ってくれる人はいないじゃない!」

大声で泣き出す。 誰もうるさいと言う人もいない。  …また 波音。 無視されてるみたい。 ううん、無視ならまだいい、だって無視は意図的にする事だから。 意図すらない! 何もなく… 単に… 在るだけ。


食料の調達、服作り、小屋の修理… 今日もまた同じ事の繰り返しです。 こんな事やめてしまったって…! 分かっています、日向子には他にする事がない - 何もしなければ孤独感が増すだけ。 悲しさはいつもありました。 それをなだめようとするもう一人の自分。 自問自答。 もうそれも嫌! しかしまた、今までの癖からか、別の自分が割り込み、

「…こんな素敵な景色を見れるのよ! 青い海に満天の星! 東京に住んでいたら、とても見れない…!」

ふと、

「東京。 ああ、お母さん…。」

だめ… 家族の事を思うと、もう一人の自分は何も言えませんでした。 本当はいつも、家族の事が頭にありました。 日向子にとって一番堪える思い - それをコントロールしようと、体全体がいつも必死になっているようでした。

 

日向子は、島に着いてから、一度もケガや病気をしていませんでした。 初めての物を食べる時は、少しずつ、何かする時は慎重に - と言う感覚が、浜に着いて数日のうちに勢いよく目覚めていました。 日暮れとともに横になる習慣のおかげで、疲れが溜まる事もなく、それが病気を防いでいたのかもしれません。 

小屋が完成し、しばらくたちます。 服作りも、小屋の修理も、だいぶ上達した日向子。 何でもスムーズに出来るようになりましたが、それは大してありがたくありませんでした。何でも上手くこなせるとは、もう新しい発見のない、単調な毎日を意味したからです。

「出来ないって大切なのね! イライラもするけど、上手く出来た時には嬉しさが待っているから。 気持ちの上がり下がりって、大事なんだなぁ。 平穏な毎日って、かえって毒かも。」 

人間は、感情の起伏があって初めて、精神のバランスを保てるのかもしれません。 右も左も分からず、ぎこちない手で進んだ森。 葉っぱの特徴を知ろうと、集めては繋げたり裂いてみた日々。 必死だった。 好奇心も旺盛だった。

 感情の起伏は、意識して行うわけにはいきません。 意識して行ったら、それはわざとらしいでしょう。 精神面の管理は、病気を防ぐ事よりずっと難しいと思うのでした。


 その日もいつものように、葉っぱの服を作っていました。 今着ている服は、尖った葉先がスカートのすそに来るように出来ていて、斬新なデザインです。 お気に入りでしたが、新しい服が出来るたびに、それがまたお気に入りになりました。 遭難した時に着ていた服は、雨水でたたき洗って乾かし、ココナッツの繊維で編んだ袋に入れ、小屋の中にかけてあります。 カビが生えないよう、時々干していました。 助けが来たら、それに着替えるつもりです。 葉っぱの服の出来栄えには自信がありましたが、でもそれで船に乗り込むのはちょっと嫌でした。

 トトトト…

おや、何かエンジンのような音が遠くに聞こえます。 日向子ははっと目を海の方に向けました。 そして耳をこれでもか、と言うくらい、澄ましてみました。 

 トトトト…

確かにエンジンの音です。 目を凝らすと、遠くに船が見えるではありませんか!!

 心臓の鼓動が一気に高まります。 作っていた服をほおり投げ、急いでオレンジ色の救命胴衣を掴み、まっしぐらに海の方へ走っていきました、救命胴衣に付いた笛をピーピーと吹きながら。 途中、「おーい!」と、力いっぱい叫んでもみました。 オレンジ色が目立つようにと、救命胴衣を上下、左右に振ったり、目立つ動きを力の限りにもしました。 ああ、もう息が切れそうです! 胸が高鳴り、いつどこで呼吸をしていいのかも分かりません。 海に入ると、とたんに動きにくくなりました。 重たい海水を押し分けるように、早く、早く進まなきゃ… 船を見失わないように…。 大きくジェスチャーを続けながら…。  船は気づいてくれているのでしょうか?


 気づいているようです! 船は、さっきより大きく見えました。 海水が胸元までの深さになった時、船がこちらに向かっているのがはっきりと分かりました! 船から、メガホンか何かで話しかける声が聞こえます。 それでもなお、力いっぱい腕をふり続けます。

船が近寄った時、その波で日向子は大きく揺れました。 船の上の男性数名も必死で何か言っています。 手を下すジェスチャーが、「分かった分かった、そこでじっとしていなさい。」と言っているようでした。 男性は日本人ではありませんでした。


 救命用の浮き輪と男性一人が海に放たれました。 日向子は浮き輪を掴み、脇からは男性がサポートしてくれました。 救助される時、葉っぱの服を着ていたくない、と思っていましたが、それどころではありませんでした。 それに気が付いたのも、船に上がってからしばらく経ってからでした。


 小さな船でした。 あの豪華客船が嘘のようです。 船底にじかに波を感じるこの船は、魚の匂いがしました。 船室で座っていると、一人の男性が水持ってきてくれました。 何か聞いてきましたが、言葉が分かりません。 身振り手振りで分からないと伝えると、

「チャイニーズ? ジャパニーズ?」

と聞いてきたので、ジャパニーズ、と答え、それから「サンキュー。」とお礼を言いました。

 男性達は、無線でどこかに連絡を取っています。 落ち着かない様子が見て取れました。 彼らも驚いたのでしょう。 船はフルスピードだったと思うのですが、陸が見えるまでだいぶ時間がかかった気がしました。


**


 港には多くの人が集まっていました。 カメラを持った取材班らしき人達もいます。

(大きなニュースになっているみたい… あ!)

葉っぱの服。 この格好であの人達の前へ? デザインには自信があります、そうは言っても、葉っぱは葉っぱ…。 

おや、人込みの中に、スーツを着た日本人らしき男女がいます。 船から降りると、その二人が真っ先にやって来ました。 女性はトレンチコートを持っていて、さっと日向子の肩を覆い、

「お加減はいかがですか、大丈夫ですか?」

日向子はしっかりと、

「はい、大丈夫です。」

と答えました。 久しぶりに聞く日本語! ほっとしました。 助かったんだ、と緊張が解けてゆくのが分かりました。 車が待たせてあり、カメラのフラッシュが光る中、かき分けるように誘導され、乗り込みました。 車の冷房がやけに寒く感じました。


 着いた場所は日本大使館でした。 応接室に通され、そこには女性物の服と履物が用意してありました。 

「どうぞこちらにお着替えになってください。 それからお話をしましょう。」


 島から出られた事はとても嬉しい。 が同時に、突然島を去ってしまった事を残念に思っている自分もいました。 残念? それよりも、不安な気持ちが増してきている、どうして?  

(なんだか落ち着かない、あれほど救助されたかったのに。)

着替えを済ませ、ソファーに座って待っていると、さきほどの男性と女性が入ってきました。 その時、不安な理由が分かりました。


 そう、この人達と話をすれば、日向子達が乗っていた客船がどうなったのか、家族がどうなったのか - 事実が明らかになってしまうと思えたからです。  

(…お母さん! お父さん!)

みんな助かった、そう言い聞かせてきた - 答えを知るのが怖い! 

「色々と大変でしたね…。」

男性の口調がすでに答えを言っているようでした。 車の中でも感じたことですが、重めの空気が流れています。

「それではまず、お名前からお伺いしてよろしいですか?」

「庄司日向子です。」

 住所や生年月日などの個人情報を聞いた後、島にいたいきさつを聞いてきました。 日向子は、乗っていた客船名、乗船日、誰と一緒だったかを告げ、それから嵐に遭った事、海に投げ出された事を言いました。 二人は「やはり。」と言う表情で日向子を見ています。 いよいよ事実を告げられる - 

「…その客船は、生存者はいないとみなされ、捜索は一週間で打ち切られました。」

(…!)

「…助かった人はいないんですか?」

船は無事だった、そう思い続けてきた - でもその裏には、

「あの嵐の中で。」

「あの船内の状態で。」

と、疑う自分がいたのも確かです。 それを気がつかない振りをしていた - ああ、事実が明らかになってしまった! …不思議と、それを受け入れている自分がいました。 しばらく沈黙が続き、

「日本に連絡のつく親類の方はいらっしゃいませんか?」

親類。 その言葉に、日向子はハッとしました。 日向子の両親は、大輔おじさんの家族と以外、ほとんど交流がなかったからです。 

(それは、家が隣だったから。) 

そう思って、今まで特に疑問に思った事はありませんでした。

(東北のおじいちゃんの家が和菓子屋だったって…。 そちらの親類と、なんで交流がなかったんだろう。 あと知っている親戚と言えば、お母さんの実家くらいだ。)

だいぶ前ですが、母の家には遊びに行ったことがあります。

「静岡に母の両親と叔母がいます。」


日本の家族に連絡をすると、二人は部屋から出ていき、日向子はまた一人になりました。 脱いだ葉っぱの服。 ごみ箱の横に重ねて置いてあります。 ごみ箱に入れる気にはなれなかったのです。 やけに小さく見えました。 タイトフィットの服ですから、小さくて当然なのですが、もう二度と着ることがないと思うと、余計に小さく見えました。

時計が目に入りました。 まだ午前中でした。 最後に葉っぱの服を編んでいたのが、もう、何十時間も前のように思えました。


間もなく別のスタッフがパンとコーヒーを持って入ってきました。  

(パン! それにコーヒー!) 

久しぶりのホットドリンク、体に染み渡りました。 改めて部屋を見回します。 カレンダー付きのデジタル時計が今日の日付を告げていました。 日向子が豪華客船に乗ってから、十四か月の月日が流れていることが分かりました。 日向子は島にいる間、おおよその日付はカウントしていましたが、季節のない南国で同じことを繰り返していたので、はっきりと分からなくなっていました。 それに、髪の長さでも大体の月日は測れます。 ボブだったヘアは肩の下まで伸びていました。


男性が入ってきて、日本の家族と連絡が取れたと言いました。 

「日本に帰れますよ。」

「ありがとうございます。」

日本。 しかしそこにはもう、家族はいないのです。 仲良しだったいとこ達もいないのです。 

(私はこれからどうなるんだろう。)

**


 着いたのは東京の港でした。 そこにはさらに多くの記者が集まっていました。 まるでハリウッドスター並みです。 その中に、久しぶりに見る叔母の姿がありました。 不安そうにこちらを見ていて、「ここだよ。」と言いたげに、手をか細く振っていました。 叔母は一人ではなく、役人らしき人達と一緒でした。 事情聴取や手続きがあるのでしょう。 役人はうまく取材班をかわし、日向子と叔母を事務所のような場所へ連れていきました。 それが終わると、もう遅い時間でした。

「さあ、日向子ちゃん。 ホテルへ行ってゆっくりしよう。」


 叔母と会うのは十年ぶりでしょうか。 そのせいか、叔母が小さく見えました。 叔母は母の姉で、一人息子の勝也がありました。 日向子の従兄にあたりますが、大輔おじさんの子供達と違い、年が離れていたので遊び相手にならず、静岡に行ってもつまらなかったのを覚えています。 それも疎遠となる理由の一つだったのでしょう。 それに、叔母の家は駅から遠く、不便でした。 母は、あまり実家の話はしませんでした。 せっかく迎えに来てくれた叔母に、日向子は親しみを感じませんでした。 ホテルの部屋の、ピンと張った真っ白いシーツがやけに新鮮に見えました。

「お腹空いているだろう? でもねぇ、日向子ちゃんは今、ちょっとした有名人になっちゃったから、外へ食べに行ったら大騒ぎになっちゃうと思うんだよ。」

そう言えば、お腹が空いていました。 身内と二人きりになり、安心したせいでしょう。 移動中も、食べたには食べたのですが、気持ちは上の空で、何を食べたのかも覚えていませんでした。 

「おばさん、スマホ持っていたら貸してくれる?」

自分がどのように報道されているか、知りたかったのです。 

“無人島で女性発見!”

“無人島ガール、現る!”

どのサイトも、日向子をトップ記事で扱っていました。 漁船から葉っぱを着た女性が降りるシーン。 その画像が使われています。 叔母も一緒に覗き込み、

「びっくりしたよ。 生存者はいないと… ああ、ごめん。 お父さんとお母さんは…。」

「いいの、おばさん。 それについては、島でずっと考えていたから。 だからもう、事実を知った時には、心の整理がついていたよ。」

「そうかい。」

叔母は何か言いたそうでしたが、

「じゃあ、何か食べる物を買ってこようね。」

と、部屋を出ていきました。


すべすべしたシーツが心地の良いこと! 翌朝の目覚めは、それは爽やかなものでした。 肌に砂がまとわりついていないのですから。 

(すがすがしい!) 

エアコンの効いた室内は、夏の強い朝日が差し込んでも物ともしません。 コーヒーを入れていると叔母も起きてきました。

「あ、起こしちゃった? まだ早いよね。 島にいた時は朝日が眩しくて。 自然と早起きになっちゃってたんだ。」

「構わないよ。 私も朝は早いから。 年寄りが一緒だからね。」

「おじいちゃんとおばあちゃんは元気?」

「だいぶ年を取ったけどね。」

「太陽が沈むと寝るしかなかったの、灯りがなかったから。 それにしても星空は綺麗だったなぁ。」

「元気が出てきたみたいだね。 良かった良かった。 昨日とはだいぶ表情が違うよ。」

「おばさんもコーヒー飲む? それともお茶がいい?」

「コーヒーでいいよ。 それとね。」

叔母は昨日会った時から何か言いたげでした。 言いたいことは沢山あるのでしょう。 日向子は叔母が切り出しやすいよう、「なあに?」と答えました。

「テレビ局とか雑誌の人が、記者会見やら取材をしたいと言ってきているんだよ。 日向子ちゃんが嫌なら断るけど。」

(記者会見か…。 無人島で女性発見。 そりゃあ、人々の関心は高いだろうな。)

 

 朝食は時間をかけてゆったりと済ませました。 日向子は朝の報道番組を見ていました。 どの局も、日向子発見のニュースを伝えています。 その報道から初めて、自分がいた島の地理的な場所、客船の遭難場所を知りました。

「おばさん、見て。 テレビってすごいね。 私がいた島、ほら。 ヘリコプターでもう取材してる。 こんなに小さかったんだね。」

 番組は、日向子がどうやって過ごしていたのか、軍事評論家など専門家を呼んで、あれやこれや推測していました。 火を起こして魚を焼いたとか、木の上で寝ていたとか。 それがおかしくてケラケラと笑い出しました。 叔母がどうしたのかと聞いてきました。

「だって、みんな適当な事、真剣な顔して言っているんだもん、本人に確認もせずに。 ってことは、芸能人て大変なのね。」

そして、

「いいわ、おばさん。 私、取材でも何でも受ける。 避けたところで、ああいうパパラッチってしつこいでしょう? はっきりさせたほうが早く片付くから。」

 叔母は何処かへ電話をかけだし、日向子はそのままテレビを見ていました。 どの番組でも、日向子のことを「無人島ガール」と呼んでいて、その呼び名ですっかり定着してしまったようでした。 日本に着いて一夜明けただけなのに。 テレビに映った庄司日向子は、 それはすらりとした体形で、長い手足が葉っぱから出ていて - 確かに少女(ガール)のようです。 伸びた髪は三つ編みにしてあったのでなおさらでした。

「おばさん。 悪いんだけど、お金…。 貸してもらえないかな? 私、新しい服が欲しい。」

服? 叔母はきょとんとしましたが、

「ああ、そうだね、着替えが必要だね。」

と、がま口をゴソゴソとし、気前よくお金を渡しました。 着替えは必要ですが、問題はそこではありません。 大使館が用意してくれた服は、少し大きめで、だぶついていました。 日向子のサイズが分からなかったのですから、仕方ありません。 靴も大きかったのですが、紐靴だってので、きつく縛って履いていました。

(だって、記者会見で人前に出ると言うのに。 この格好じゃ、外へ出るのも恥ずかしい。)

その時、日向子はあることに気が付きました。

(お母さんとおばさんは似ていない。)

それは今まで考えてもみなかった事でした。 母は長身で、いつもお洒落に気を使っていました。 日向子がファッションに興味を持ったのも、その影響があるでしょう。 叔母は小柄でした。 東京に出てくるから、と、よそ行きを着て来たようですが、体形にマッチしておらず、野暮ったく見えました。 白髪はそのままにしてありました。

(おばさんとお母さんて。 気が合ったのかな。)

母が実家の話をほとんどしなかったことに妙に納得しました。 それに。 自分の育った家は裕福だったけど、叔母の家はそうではない。 それは、お父さんの実家がお金持ちだったから - そういった格差のような物。 でもそれとは別の、根本的な感覚の違いのような物も…。  叔母と母の違いがやけに目につき始めました。 胸騒ぎがしました - 姉妹とは仲良し、咲良と由依のように - そう思っていたのに。 元々疎遠だった叔母が、さらに遠い存在に思えてきました。


叔母は、日向子が買い物に出かけることを心配しました。 それをよそに、髪をブローする日向子の手は弾んでいます。 たかがブロー、でも久しぶりだから。 サラサラのストレートヘアになった日向子はイメージががらりと変わりました。 叔母は、大したもんだねぇ! と大げさに言い、

「これなら日向子ちゃんだってばれないね。」


 近くの駅ビルでトップスとパンツを買い、すぐにトイレで着替えました。 強い日差しで焼けた毛先以外、救助された日の日向子を連想させる物はもうありません。 別の店でさらに別の服、靴、化粧品も買いました。 久しぶりのショッピングを楽しみ、お昼前にはホテルに戻りました。 沢山のショッピングバッグを抱えていましたが、叔母が渡してくれたお金の半分も使いませんでした。 まあ、こんなにお釣りが? と言う表情を見せた叔母ですが、

「誰かと思ったよ。」

と、言うのが先でした。 朝のブローの時もそうでしたが、叔母は、おしゃれによる変化に簡単に驚きます。 日向子は、

(これくらい常識よ。)

くらいの気持ちでいました。 袋から服を出していると、ふと、

「かわいい!」

咲良の声が聞こえた気がしました。 今買った服について、話したい気持ちになっていたのでしょう。 だからと言って叔母に服の話をしても分からなそうだったので、

「午前中だったから、どの店もすいていたよ。 だから早く帰ってこれたんだ。」

叔母が分かりそうな話をしましました。 

「日向子ちゃんが出かけている間に連絡があってね。 今日の午後にも記者会見したいって言うんだよ。」

(良かった、新しい服を買って! 昨日日本に着いた時はあの服で撮られちゃったけど… 今日は名誉挽回よ!)


午後の報道番組に間に合うようにと、急いで準備する人達がそこにはいました。 記者会見場は、すぐ近くの別のホテルでした。 叔母と日向子の控室まで用意されていて、司会進行の人もいました。 説明を聞きながら、芸能人になったみたいだと思いました。


ひまわりのプリントされたノースリーブのシャツ - 無人島ではなく、リゾート帰りに見えます。 会場は人で一杯。 おそるおそる日向子が姿を現すと、眩しいほどにフラッシュが光りました。 日向子は目をこすりそうになりました。

(だめだめ、久しぶりにマスカラしているんだから!)

会場にはメイクさんも来ていました。 自分でメイクはしてありましたが、少しだけ、直してもらっていました。

(記者会見て。 この人達全員が質問してくるのかな。)

なおも光り続けるフラッシュ。 どんな表情をすればいいのでしょう? 日向子の発言に大きな期待が寄せられているのが分かって、変なプレッシャーを感じました。 大衆が期待している事を言わなきゃいけない…?。 舞台の袖では、叔母が心細げにこちらを見ていました。

 

質問は、事故当時の様子から始まりました。 その日を思い出すのが嫌で、日向子が避けたかった質問ですが、仕方ありません。 海難事故の観点からも知りたい情報でしょう。 出来るだけ正確に答えようとしましたが、事故の原因を知る助けになったとは思えませんでした。 夕方、波が高くなった事は覚えていても、その時刻や、船員達が取った行動の詳細等は分からないからです。 パニック状態の船内で、それらを観察する余裕があったとでも思っているのでしょうか?

「それで、気が付いた時には、浜辺に打ち上げられていたのですね、救命胴衣を着けて。」

「そうです。」

「海を泳いだ、ということでしょうか。 どのくらい泳いだのですか?」

「波に背中を押されてから、砂浜で目が覚めるまで、記憶がありません。 長い間、海に浮いていたんだと思います。 気が付いたら、夜が明けていました。 嵐も収まっていました。」

「怪我はなかったですか? 体調はどうでしたか?」

「怪我はしていなかったですけど、喉がすごく乾いていて。 それが原因だと思うんですけど、体調は悪かったと言うか、すごく重たかったです。」

「喉の渇きはどうやって癒したんですか?」

日向子はほっとしました。 この質問をきっかけに、事故の質問は終わり、島の生活の質問へと移ると思われたからです。 これは日向子が楽しみにしていたことでした。 誤った報道を正せるのですから。

「ヤシの実がありました。」

日向子は、島で何を食べていたのか説明しました。 川がないので、水分は雨水とヤシの実に頼っていたこと、カニを食べていたこと。

「魚は食べなかったんですか?」

「魚なんてすばしっこくて、捕まえられないです。」

「カニはどうやって食べましたか?」

別の女性記者が聞いてきます。

「生です。 火を起こせなかったので、それ以外方法がなかったです。 あ、今思ったんですけど、日干しにすることも出来たのかな。 でも、捕えたらすぐ食べちゃいました。」

「火を起こそうと思わなかったんですか?」

「火はそんな簡単に起こせないです。 都合よく、きりもみ出来るような真っすぐな棒は落ちていないので。 私、何の道具も持たずに島にいましたから。 森にあった木は皆湿気を帯びていましたし、乾かそうと思っても、スコールが来てまた濡れてしまいました。」

「カニとヤシの実以外、何を食べていましたか?」

「時々、海藻を食べたり、貝も少し食べました。」

「バナナの木はなかったんですか?」

「なかったです。 でも、茂みをよく探せば、あったのかもしれません。 森で虫に刺されるのが嫌で、奥にはあまり行きませんでした。」

「木の実はありませんでしたか?」

「ありました、時々食べましたけど、それほど美味しいものではなかったです。 ヤシの実に飽きた時とか、あと、多分、ビタミン類が不足してくると、体がそういう物を求めたのかもしれないです。」


「漂着した場所が無人島だと、最初から気がつきましたか?」

「寝る時はどうしたんですか?」

「景色を楽しむ余裕はありましたか?」

「一番辛かったことは何ですか?」

「助かると思いましたか?」

質問が次々と続きます。

「孤独との戦いだったと思いますが、どうやって乗り切ったのですか?」

日向子は、葉っぱの服作りと小屋の修理に没頭し、寂しさを紛らわしたと答えました。

「道具がないとおっしゃっていましたが、それでどうやって小屋を建てたんですか? どんな小屋だったんですか?」

「建てた、と言うより - 」

日向子は、生えている木を柱に見立てた事、そこへ、枝編み細工の要領で横へ木の枝を渡し、壁にした、と説明しました。 

「おお…。」 

小さな、感嘆のようなどよめきがほんの一瞬、会場を漂いました。

「漁船が見えた時、どう思いましたか?」

**


質問者のペースに飲まれてしまった - それが率直な感想でした。 きちんと答えた、なのに…。 なぜでしょう、伝わっていない、そう感じてならないのです。

「質問の内容が表面的。」

さらに、

「事実を言ったのに、それで伝わらないんじゃ、どうすればいいの?」

悔しさが込み上げていました。 しかし考えてみれば、日向子自身、何を一番伝えたかったのか、考えがまとまっていなかったのも事実です。 ならば仕方ないか…。 - 島の生活とは何か。 自分自身ではっきりと意識して、初めて伝わる事なのかもしれません。

「島の生活とは、 えーと、生きること。 うーん。 なんだか漠然としてる。 でも一言で言うとそう言うことなんだけど。 全ては生きる、に繋がっているから。 生きるために、食べ物を探す。 生きるために、気持ちを落ち着ける。 生きるために、どうすれば難を防げるか - そう、生きるために…考え続ける。

厳しい自然が常に背後にあって。 でも、その厳しい自然が、食べ物を提供してくれて。 美しい景色も提供してくれて。 満天の星のショーだって見せてくれる。 

時々、嵐や熱波でこちらを戒めてもくる。 気を抜くなよ、厳しさを忘れたら最後、命取りだよって。 だから気が引き締まった。

いらなくなった物も処分してくれる。 いらない服はそのままだった。 何だってそのままだった。 

波の音はセレナーデだった。 小鳥のさえずりも。 ほら、音楽だってちゃんとある。 葉っぱを提供してくれたから、服作りも出来た。 

手作業は楽しかった。 もちろん難しさもあったけど、おかげで考える事が沢山あった。 それ、脳のためにいい事じゃなくて?

すべてがあった、自然の中に。 それが回っていて。 だから、素直に - 自然を尊重して - 島の生活は生きる事。」

伝えたかった事 - 今会見したら、もう少し違う言い方が出来たかもしれない。 でも。 記者会見は急に決まった事だから。 回答するたびに「へぇ~」とうなずく記者達が、なんだか薄っぺらくて… それに -

(葉っぱの服について、誰も質問してこなかったから? それが原因でがっかりしてるの?)

誰か一人くらい、「素敵なデザインでしたね。」って、言ってくれると思ってたのに。 

実際に体験しない限り、無人島暮らしなんて、しょせん、興味本位の事。 

(だよね。)

残念でなりませんでした。 

 

 少しの間、放心状態でしたが、記者会見が終了するや否や、出版社やラジオ局などの人たちに取り囲まれ、てんやわんやとなりました。 皆、取材を希望しているようです。 しかしそれらはすべて後日、と、早々に断り、日向子と叔母は会場を後にしました。 叔母も、慣れない東京の地で疲れていたでしょうし、日向子自身、記者会見で伝える事の難しさを知った今、考えがまとまらないうちは何も答えたくない、と思ったからです。

「静岡に帰ろうね。」

東京駅の新幹線ホームに立っていました。 

(十年前、お母さんと静岡に行ったのが、なんだか昨日の事みたい。)

今日乗る車両は新型です。 でもそれは日向子にとってどうでもよいことでした。 やけにほてりを感じていました。 晩夏の蒸した空気。 行きかう人混み -

「やだ、日向子ちゃん。 顔が真っ赤だよ。 まあ、熱があるじゃない。」

島の生活と区切りがついた、と体が悟り、疲れが出たのでしょう。 記者会見の事がなおも頭を離れず、悶々とした気持ちのまま新幹線に乗り込みました。

 叔母は早々に社内販売員を呼び止め、冷たいお茶を買ってくれました。


静岡の駅では従兄の勝也が迎えに来ていました。 

「記者会見見たよ。 日向ちゃん、しっかり話してたなぁ。」

日向子は、「うん。」としか答えませんでした。 叔母が手短に日向子の体調を説明すると、勝也は後部座席をリクライニングさせ、子供用毛布を取り出し、

「良かったら使って。」

久しぶりに会った従兄はだいぶ老けて見えました。 


 子供の頃見た風景と全く変わっていませんでした。 夜の虫があちこちで鳴いています。 涼んだ夜風は肌に優しく、熱のあった日向子を優しく迎えてくれているようでした。 叔母の家。 小さな二階建ての家が、少し離れた山を背景に、ぽつんと建っています。 家がまばらに建つのどかな町で、近所の家までは歩いて数分かかりました。 

 勝也が自宅に連絡を入れておいたので、二階には日向子のための布団が敷いてありました。 そこへ倒れ込み、すぐ眠りに落ちました。

翌朝、いつも通りに目が覚めましたが、体はほてったままです。 夏だと言うのに、日向子は布団にくるまっていました。 そのせいか、熱のせいか、喉が渇いていました。 喉の渇き… 島に着いたあの日が頭に浮かんできます。 体を起こすと、枕元には水が用意してありました。 

(いつの間に水が… それとも昨日からあったっけ?) 

必死にヤシの実を求めたあの時。 でも今は、割る必要もなく、コップに注いですぐ飲めました。 それがなんだか不思議でした。 また眠りに落ちました。

 次に目が覚めた時も、体は熱かったのですが、意識はだいぶはっきりしていました。 「寒い。」 熱のある日向子にと、気を利かせてくれたのか、クーラーはつけたままでした。 布団にくるまっていたのはそのせいでしょう。 部屋には、おもちゃや子供用タンス、整理タンスなどが所狭しと押し込んであります。

(そうだ、勝也さん結婚して、ここで同居してるんだっけ。)

この小さな家に四世代が住んでいるなんて! この家は、二階が二部屋、一階は茶の間と、食堂を兼ねた台所の、二間があるきりです。 茶の間は日向子の祖父母が寝室兼昼間は居間として使っていて、二階の部屋の一つは叔母が、そして日向子がいるこの部屋は、勝也夫婦と子供達が使っているに違いありませんでした。 日向子は自分が邪魔な存在だと気が付きました。 

(早く良くなってここを出なければ…。 出る…と言っても… どこへ? 東京のあの家へ…?) 

お腹が空いていました。 勝也の子供達の声が一階から聞こえます。 時計を見るとお昼でした。 みんなでご飯を食べているようです。

(どうしよう、昨日は熱のあまり、挨拶もそこそこに寝てしまったから、顔合わせにくいなぁ。)

 クーラーを消して、恐る恐る下へ降りていき、食堂へ入ると、みんなが一斉にこちらを見ました。 祖父母、叔母、勝也夫婦と子供たちの七人が、所狭しとテーブルを囲み、そうめんを食べています。 食堂も物があちこち押し込んであって、生活感がありました。 暑いので、勝手口も窓も、みんな開け放ってあります。 良い風が入って来ていましたが、床の中央には最新のタワーファンが置かれ、首を振っていました。 

(何て言おう?) 

挨拶の言葉には詰まるし、椅子は空いてないし、ファンの風を妨げない立ち位置は… 戸惑っていると叔母が、

「気分はどうだい? ここに座って。 私はもう終わったから。」

気を利かせて立ち上がり、日向子の分のそうめんをよそってくれました。

 勝也の奥さんは、昨日玄関先で会ったのが初めてでした。 結婚式に行ったのはお母さんだけだったからです。 あまり愛想が良くなく、ショートカットの髪は茶色く染めてありました。 勝也が、

「改めて紹介するね。 僕の奥さんの晴美。 上の子は良太で、下の子は賢太。」

晴美は頭を下げただけで、子供達がそうめんをこぼさないよう、気を使っていました。 子供達は恥ずかしそうでしたが、日向子に興味を示しました。 祖父母はだいぶ年を取って、背は丸くなっていました。 ゆっくりとそうめんを食べていて、日向子にはあまり関心がない様子でした。

 

 夕方、勝也が部屋にやって来ました。

「日向ちゃん、少し外の風に当たるかい?」

まだ熱っぽかったのですが、ずっと寝ていていたので、少し体を動かしたい気分でした。 日向子はすぐに同意しました。

 空が少しピンク色に染まりかけていました。 夕方の涼しい山風にあたりながら、砂利道を静かに進みます。 昔座った木の切り株がまだそこにはありました。 腰を下ろし、一息つく日向子。 勝也は立ったまま、落ち着かない様子です。 何か言いたそうでした。 それは叔母からも始終感じていた事でした。

「言いにくいんだけどさ。 そのう、ええっと。 体調はもう大丈夫?」

まるで、今から悪いニュースを言うから、それを聞くだけの体力はあるか、と聞いているようでした。 大丈夫だ、と答える以外なかったような気もしました。 それに、何を言い出すのか興味もありました。

 

 話はこうでした。 生存者はいないと報道されたので、日向子が住んでいた東京の家は、父の親類が売りに出した、と言うのです。 家の名義は日向子の父でした。 その売却金の一部と、整理された母の遺産。 それを、叔母の家が受け取りました。 ここまでは状況を考えれば何の不思議もありません。

「それらのお金は、日向ちゃんの物だよね。 ただ…。 日向ちゃん、気が付いたかな。 うちのすぐ横に、地縄張りがしてあるだろう? 家を建てるんだよ、晴美と僕の。 そのお金は…。」

 なるほど。 そのお金の出どころは遺産。 相続人の日向子が現れた今、返してしまえば、家は建ちません。 晴美が不愛想なのは、これが理由でしょうか。 日向子がお金を要求すると思っているのでしょうか。

 しばらく黙っていました。 裕福な家に育ったとはいえ、日向子は贅沢をする性格ではありませんでしたから、お金が欲しいとは思いませんでした。 島の質素な生活にさえ、むしろ楽しみを覚えたくらいです。 物がない中で、工夫していく楽しみ - 遺産を相続すれば、今後、楽に生活をスタートさせられるでしょう。 でも。 まだ小さい良太と賢太、彼らに子供部屋を持たせてあげたい…。 東北のおじいちゃんの親戚の人達だって、今更相続の事を蒸し返されても…。 親しい関係にはなくとも、そこまでしてお金が欲しいとは思えないのです。 日向子は、 

「心配しないで。 勝也さん、家建ててよ。」

勝也はほっとしたようでした。 何度もお礼を言い、日向子の人生の立て直しに協力すると言いました。 

(立て直しか。 静岡は知らない町だし、東京に行こう。 大学の友達もいるし、土地勘もあるから…。)

 

 夕食の卓に着いた時、日向子は、晴美の機嫌が良くなっている事に気が付きました。 何て現金なのでしょう! 叔母は始終優しくしてくれましたが、どこか生活に疲れているようでした。 母の実家はお金持ちでなく、ごく普通の家庭です。 日向子なりに、普通の人の生活も分かっているつもりでした。 学校の友達だって、皆がお金持ちだったわけではありません。 でも、生活に疲れたような様子… それはどこから来る物なのでしょう? よく分かりませんでした。 この家は、日向子には合わない気がしました。 

(お母さんがこの空気の中で育ったなんて、想像出来ない。 東京に出てきたのはそのせいかなぁ。)

しかしそれは考え過ぎだと思い直しました。 母は次女でしたから、跡を継がずに出てゆく身でしたし、それにファッション好きが高じれば、都会に出て行きたくなるもの。 それだけの事…。

(あの家はいくらで売れたんだろう。 今見に行ってもあのままかな。)

昨日のようにすぐ眠れませんでした。 叔母の家の事、東京の家の事で頭が一杯になり、静岡にいる間、島の事はあまり考えませんでした。


「家具付きの方がすぐに生活が出来て便利だと思うんだ。 日向ちゃん、どの物件がいい?」

勝也がすべて手際よく手配してくれました。 スマホは以前の番号が使えました。 銀行口座はそのままで、学生時代に貯めたアルバイト代から、携帯電話の基本料金が引かれていました。 

(両親の口座は凍結したのだろうけど、私のは大した額じゃないから、そのままにしておいたのかな。)

 数日後、東京まで車で送ってくれた勝也は、別れ際、

「ここに五十万ほどある。」

と、封筒を渡しました。 

 日向子はぽつんとアパートに立っていました。 静岡の家族に迷惑だから、と早く東京に出て来たかった日向子ですが、いざ一人になると、その親類が恋しく思えてきました。 大海原に浮かぶ島に、取り残されたようでした。


 小さなワンルームは、小奇麗にまとまっています。 一人で暮らしてゆくには十分です。

(一人…。)

つい、無人島の生活と重ねてしまいます。 窓を開け見下ろすと、道路が縦に走っていました。 人の往来があります。 

「ほらね、人がいるじゃない。 助けを求めればすぐに来る。 島では泣こうが叫ぼうが、誰も来なかった。 だから、ここの環境は全然違うの。」

目に映る景色は違えど、一人になった今、心は再び島にあるようで。 それをかき消したくて - 客観視してはぶつぶつと言い、島にいた時のように自問自答をしてしまいました。


 叔母が、使わない鍋やタオル、頂き物の箱詰め石鹸、缶詰等を勝也の車に詰め込んでくれたおかげで、生鮮食品以外、急いで買い揃える物は特にありません。 冷蔵庫のコンセントを差し込み、叔母が今晩食べるように、と持たせてくれた煮物を入れ、それから近所を歩いてみました。 朝食用のパンと牛乳、シリアルを買い、その後ケーキ屋にも寄りました。 久しぶりにケーキが食べたくなったのです。 帰宅すると冷蔵庫はちょうど冷えていました。

 ルルル…

スマホが鳴りました。 勝也からです。 静岡に着いたという連絡かしら?

「どう? 落ち着いた?」

勝也はすぐに要件を告げました。。

「テレビ局から電話があって、クイズ番組に出ないか、って言っているんだよ。 日向ちゃんの携帯番号教えてもいいかな? 出演料も出るって言うし、いいお小遣い稼ぎじゃないか。 日向ちゃん、芸能人みたいだね。」

お小遣い… そうです、五十万円が底を尽きる前に、日向子は生計を立てなくてはなりません。 日向子は出ることにしました。 それに、記者会見で伝えられなかった事を伝える、いい機会になりそうだとも思えたからです。

その夜は、窓を開けたままベッドに横になりました。 道路を行き交う人々の靴音や会話が、近づいては遠ざかり、近づいては遠ざかり…。 波の満ち引きのようでした。 空気が少し蒸していました。 

**


クイズ番組は、それはがっかりする結果に終わりました。 記者会見以上に期待外れ -  司会のお笑いタレントが何でも茶化してしまいましたし、回答者のタレント同士で盛り上がっていて、日向子にはあまり喋る機会がありませんでした。 唯一嬉しかったのが、衣装さんの言った言葉 - 今思い出しても、嬉しさで飛び上がりそうです。

「番組は私服で出ますか? それともこちらで何か用意しますか? あの葉っぱの服があったらねぇ。」

え? 葉っぱの服? 日向子の葉っぱの服に初めて興味を示してくれた人です、しかも、プロの衣装さんです!

「いいデザインだったわよね。」

「そう思いますか? あの葉っぱの服、良かったと思いますか?」

「思うよ、だって、ただ葉っぱを繋げただけじゃなくて、ちゃんと採寸してデザインしてあったでしょ。 あなた、デザインの勉強しているの?」

「はい、しています! あ、というか、していました。 あのう、緑色のフェルト生地、ありますか? あの葉っぱの服と同じ物、すぐ再現できます。」

衣装さんは、今から作るのか、撮影の時間までに間に合うのか、等と聞いてきましたが、日向子は、フェルトなら、端の始末がないからすぐ作れる、と答えました。 出来上がった服は、フェルトですからカラフルさがあるものの、あの葉っぱの服、その物です!

「へぇ~!」

感心した衣装さん。 ピンクや黄色が意図的に入れてあって、遊び心もありました。 素材が違うのですから、全く同じに作るより、少しアレンジしたほうがかえってリアルに見えたりする物です。 舞台衣装としても通用するでしょう。 本番でもきっと、出演者や観客が、衣装に興味を示してくれる - 期待が高まりました。


 「今日のゲストは、奇跡の生還を果たした、無人島ガールこと、庄司日向子さんです!」

番組が始まりました。 数時間前に軽く段取りした時とは異なり、スタジオは照明で、客席はお客さんで一杯です。 司会のタレントは、緑色の衣装を見て、

「原始人?」

と笑いを取り、トークをスタートさせました。 その瞬間、悔しさにも似た後悔の念が一気に押し寄せ、

(出るんじゃなかった!)  

実は、そんな予感はしていたのです。 打わせの時、

「いかに笑いを取れるか、それをポイントにクイズ問題を作りたい。」

と言われていたのですから。 クイズはたった四問しか出題されませんでした。

(そういう趣旨なら、四問でも多すぎるくらいだ。)

服の作り方を問題にしたいと言ったら、

「それは手芸番組向きですね。」

(どうして出演を断らなかったんだろう。 こうなる事は分かっていたじゃない。 でもそれは、本番になれば、喋るきっかけがあるかもしれないと思ったから…。)

 番組は全国放送でしたから、この日の衣装と、司会者の“原始人”の一言でさらに、日向子の“無人島ガール”のイメージが定着しました。


 大学に復学することも出来ましたが、今はその気分ではありませんでした。 クイズ番組に出た事をきっかけに、更なる出演依頼や、雑誌のインタビュー等が続き、しばらく忙しい時期が続いたからです。 その合間に、大学の友人に会いました。 日向子は今や時の人 - 彼女達は日向子と知り合いなのをちょっと自慢気にしていました。

(出演ブームもいずれ終わるんだろうなぁ。 友達だって、今は物珍しさもあって会いたいんだろうし。 そのうち静かな時間がくるのかな。 とにかく今は、依頼は何でも受けてお金を貯めよう。)

 

 同年代の大学の友人達は、すでに卒業していて、復学しても、キャンパスにはあまり知り合いがいないことに気がつきました。 それに、好奇な目で見られることも不安でした。 卒業した友人達は、勤務先の文句を言っていました。 とある午後、とあるカフェ -

「日向子、大きい会社に勤めちゃダメ。 クライアントと上司の板挟みだよ。 せっかくいいデザインしても、上司の好みで却下されたり。 デザインの一部だけ任されたりとか。 全体見えないのにどうやってやれっていうの?」

「個人でやった方がクライアントと密にコンタクト取れて、やりがいはある。」

別の友人も言います。

「でも、個人は安定性がないからね。 収入考えたら、勤め以外ないんだよね。」

まだ卒業していないのに、そんな事を言われると… 今後復学することをますますためらってしまいます。

「日向子はこのまま芸能人になるの?」

「なれるよ、だってスタイル抜群じゃん。 痩せたよ。 うん、引き締まった、いい感じに。」

「そりゃあ、島にはケーキもアイスもなかったからね。」

「今のうちからサイン貰っといていい?」

「芸能人なんてなりたくないよ。 クイズ番組最悪だった。」

「どうしてー? 面白かったじゃん。 視聴率もかなり良かったらしいよ。」

「…見る側としてはね、そうだったかもしれないけど。」

「これからの予定は? またテレビ出るの?」

「いくつか別の局のクイズ番組と、トークショー、 雑誌のインタビューと、ラジオとか。 ああいうのって、こっちが言いたい事を言うより、向こうがある程度シナリオ用意してあって。 ねえ、それより、葉っぱの服どう思った?」

「めっちゃ良かった! 縦のライン使いがかなりイケてたよ。 日向子の体型、キレイに生かせてたね。」

「タイトじゃないと、重たいし、邪魔だから。 毎日のように違う物作ってたんだ。」

「それ、見たかったなー!」

「芸能人になるより… 出来ればね、葉っぱの服の講座を開きたいなって思って。 この一年、無駄に過ごしてきちゃったけど、葉っぱの服作りは誰にも負けない自信がある。 どこかの原住民より、ずっといい物作れるよ。」

「あはは、今どき、原住民だって葉っぱ服は着ないよ、ナイキのTシャツとか着てたりしない? ほら、チャリティ活動の人が配布したりしてさ。」

言葉に詰まりました。 自分はなんて浅はかだったのでしょう! プライドや自信が一気に崩れ - それを友人に悟られるのも嫌だったで、日向子は慌てて目の前にあるアイスコーヒーをすすりました。


 友人達は別れ際に、

「私も、ヤシの実&カニダイエットしようかな~。」

とはしゃいでいました。 “ヤシの実&カニ”は今、ちょっとしたブーム。 日向子のスタイルの良さにダイエット産業が目を付けたのでした。


 予想した通り、無人島ガール熱はだんだんと冷め、日向子には何の依頼もなくなりました。 

「これからが本番ね。 出演したお金でしばらく生活出来るけど、それはいつか底を尽くし…。」

 季節は晩秋。 焼けた肌色は冷め、無人島ガールのイメージも色褪せてゆきました。 食事には気を使うようになっていました。 せっかくスリムになったのですから。

「それにしても、カニとヤシの実がメインでよく生きていたな、私。 食べた量も全然少なかったと思う。」

 髪にはレイヤーを入れてもらいました。 太陽の光でブリーチされた毛先がカットされ、無人島ガールを思わせる物はもう何も残っていません。 少しずつ、以前の姿を取り戻していくうちに、やっと家族の事をじっくり考える余裕が出てきました。 お墓に行こうとは思いませんでした。 亡骸はそこにないのですから。 アパートの部屋で一人手を合わせ、…部屋で。 味気なく、ひっそり。 悲しみを引き立てているようでした。

「お父さん、お母さん。 天国から見てくれている? 今まで、手を合わせることもなくてごめんなさい。 許してね。」

両親が見てくれている、いとこ達も見てくれている - そう思うと、自分を規律していけそうでした。 やっていけそうでした。 家族の事も考えられるようになった今、心が一つにまとまったようでした。


 日向子はショッピングモールでアパレル店員のアルバイトを始めました。 大学を卒業していないので、企業への就職は難しそうでしたし、ネットで仕事をする準備は始めましたが、それは収入が不安定です。 しばらくの間、アルバイトに集中して、収入の安定を確保しました。

 日向子は、咲良や由依のような、何でも言い合える友達が欲しいと思っていましたが、それは思った以上に難しい事でした。 小さい頃から一緒に育ったいとこ達とは違い、大学の友人達は、表面上の付き合いだけでしたし、バイト先の友人は、その人がバイトを辞めると、友人関係も終わってしまいました。

(友達を作るって難しい!)

 アルバイトの子が辞める度に、日向子は進んでシフトの穴埋めをしました。 忙しくしていた方が気が楽でした。 店長の女性は、三十代後半で少しプライドが高い人でしたが、話すといい人でした。 店を数店舗持つ彼女は忙しく、じっくりと話す事はありませんでした。


 年が明けました。 たった十四ヶ月日本を離れただけなのに、南国にいた日向子にとって冬はやけに寒く感じます。 新年の挨拶を、と思い、叔母の家に遊びに行きました。 隣には立派な庭が出来ていて、あの地縄張りの上には、これまた立派な家がそびえていました。

「資金が底を突いてしまってね。 外装までは済んだけど、内装はまだなんだよ。」

勝也が苦笑して言います。 彼らはまだ叔母の家に住んでいるのです。

(じゃあ、内装を待たずに庭を作ってしてしまったの? 家の完成のほうが優先なんじゃ…。)

池、踏み石… ゴージャスな造りが、たまの道行く人の目を引いていました。 勝也は笑みで会釈します。

(そう言えば勝也さんの車、新車になってる…。)

叔母の家では、どこか衝動的にお金を使う癖があったようです。


茶の間は、暖房がよく効いていました。 晴美がビーンバッグにもたれながら子供達を気遣いっています。 祖父母はこたつに足を入れていました。 テレビはお正月番組がついていて、子供達はタブレットで別の物を見ています。 日向子には、彼らの普段の会話が想像出来ませんでした。 大所帯なのに、静かでマイペース - ドアのそばで立ったまま、日向子は新年の挨拶を言いました。 晴美は会釈だけし、祖母は「はい、おめでと。」とぼそっと言いました。 

(三人家族だったうちのほうがよっぽど会話が弾んでた!) 

子供達にお年玉を渡すと、晴美はニコニコしました。 


石油ストーブの焚かれた食堂でお雑煮を食べ、少し、東京での暮らしぶりを話し、

「じゃあ、帰りの新幹線があるから…。」

と言いかけると勝也が、

「そうか。」

と、ためらいもなく立ち上がりました。 どうもこの家族からは、喜んで迎えられている気がしません。 駅まで送ってくれた勝也は、新車を誇らし気に運転していました。


**


 東京のアパートがひんやり日向子を迎えます。 叔母の家と対照的でした。 急いで暖房をつけ、叔母が持たせてくれたおせち料理を冷蔵庫へ入れていると、お正月だと言うのにスマホが鳴りました。 何日か前にも掛かってきた、見知らぬ番号です。 バイトで忙しかった事もあり、気に留めていませんでした。 それに年末年始、出演依頼の電話が来るとも思えません。

「新年早々申し訳ありません。」

映画会社からでした。 日向子の無人島体験を映画化したい、と言うのです。

「庄司さんが島に着いたのは夏の初め頃でしたね。 その時期に撮影を開始出来るよう、今のうちから、すぐにでも打ち合わせを始めたいんです。 作る以上、出来る限り忠実に、島での体験を画像化したですから。 あ、もし庄司さんが良ければ。」

 それはまだ名もない、駆け出しの小さな映画会社でした。 日向子が同意すると思ってすでに話が進んでいる様子です。

「でも、無人島ガールはすでに下火です。 取材とかも最近は全然ないですし。 世間の人ももう忘れているかと…。」

「そんな事はないですよ。 無人島に女性が一人でいたなんて、いつの時代の人が聞いても興味を持つ事です。 だからこそ映画化して、記録として残すんです。 庄司さんだって、貴重な体験を出来るだけ正しく、後世に伝えたいと思いませんか?」

(出来るだけ正しく…)

その言葉がやけに響きました。 声の主は三十代くらい。 若さと熱心さがあります。

(もし、島での生活を正しく伝える事が出来るなら…。)

テレビでの報道のされ方が疑問だったので、これはチャンスだと思いました。 ブログを書いて自ら発信を、と思う事もあるのですが、写真や動画がないゆえ、伝わらないだろう、と半ばあきらめていました。

「打ち合わせだけでもしませんか?」

話しだけでも - 日向子は同意しました。


打ち合わせは会議アプリで行われます。 自宅を出る必要はありません。 映画化の実感が今一つ湧かないでいる日向子。 在宅のまま、事があっさりと進んでしまうから? 映画の方向性が再確認がされます。 

「忠実に再現」

「後世に伝える」 

撮影は実際の島で行う、と言います。

(実際の島…。)

改めて島を振り返り - 分かりました、実感が湧かない理由が。 いくら忠実に再現、と言っても映画は映画。 効果音だったり、ダイナミックな撮影アングル、突然のシーン転換、何らかの演出が施されてしまいます。 それがすでに忠実ではないのです。 そんな事は実際にはあり得ないのですから。 あるのは - 

 波の音。 どんなにショッキングな事があろうとも、嬉しい事があろうとも。 ただ繰り返される波の音。

美しさと単調さ。 切り離せない。 観光客がたまに眺めて、気分転換になるそれとは違う。  

空だって。 日向子目線で見上げるだけ。 ズームインやズームアウトなんてない。 都合よく場面が朝から夜に切り替わったりもしない。 

平穏さ。 それがいいのか悪いのか分からなくなる。 そよ風、青空。 ピュアで。 …怖くなる - 体験した人以外、どうやって分かって?

母なる自然。 母、優しく包んでくれる… 駄目!  いつ?その優しさが牙を剥くのは。 遭難したあの日だって、穏やかな南国の海が急に…!

気が付くと、日向子は熱弁していました。 スクリーンの向こうには、それにじっと耳を傾けるスタッフがいます。

(聞いてくれた!)

彼らとなら、伝えられる物が作れるかもしれない。 そう思い始めまていまdした。 

 日向子は映画化に同意しました。 日向子の役目は、脚本、衣装、編集、あらゆる面で事実から逸れないよう、指揮をする事です。もちろん報酬も支払われます。

**


「庄司さん、主演は広田さやかさんに決まりましたから。」

え? 

打ち合わせ中、日向子はあっけに取られてしまいました。 彼女の名前も候補として上がってはいたのですが、日向子は別の人を押していたのです。 

 広田さやかは、歌が売れなくなって、最近女優業に転身したという、典型的なアイドル上がりでした。 バラエティ番組にも出演し、間の抜けた回答で笑いを取っている、日向子が好きでないタイプの人です。 日向子の不満を察したようで、すぐ、

「ええ、彼女は元アイドルですよね。 女優歴もまだ浅い。 ただ、ドラマスペシャルで特別出演した時の演技は、結構認められていますよ。 年も庄司さんと同じですし。 若い、と言うことは芸歴も若いんですよ。」

なるほど。 スタッフとは、誰と話してもみな、こんな感じでした。 要領が良く、的を得ているのです。 なんだか新鮮でした。 それはまた、彼らが出来る人である証拠でもありました。

「はあ。 でも、彼女、島のタフな生活とか演技出来るのでしょうか? マネージャーさんがいつも付いていて、何不自由ない生活をしているのではないかと…。」

「あはは、そう言う人もいますけどね。 申し訳ないんですけど、この件はもう決定なんですよ。 彼女は人気タレントですし、彼女が出る、と言うだけで映画の収益は上がります。 無名の実力派女優を使うより確実です。」

(収益!)

日向子はがっかりしました。 無名でも実力派、と提案してあったのに。 しかし、映画会社としても、売れない物は作れないのでしょう。 しぶしぶとこの件は承諾しました。


俳優との顔合わせの日が来ました。 現れたのは広田とマネージャーだけです。 それもそのはず。 登場人物はほぼ彼女だけなのですから。 

(使う役者さんは少ないし、舞台セットとか、衣装とかは、島にある物を使えばいい。 低コスト、まさか、それがこの映画を作る本音!?) 

現れた一人だけの出演者に、今更ながらそんな事を思いました。 漁船の男性、港のシーンなどのキャストは、後で手配すると言っていました。

 広田は、テレビで見るより小柄で色白、ほっそりとしていました。 その日彼女はノーメイクだったので、実年齢よりずっと幼く見えました。 初対面の挨拶をはつらつとし、

「頑張ります!」

とぺこりと頭を下げました。 日向子は疑いの目で彼女を見ました。 無人島のイメージとも、日向子自身のイメージとも、全くかけ離れていたからです。 細身の彼女に、思わず、

「私、前は少し肉付きが良かったんだよね。」

と放ってしまいました。 あっ、さすがに初対面で言い過ぎ? と思う間もなく、

「ああ、そうなんですね! 分かりました!」

なおもはつらつとしていました。

分かりました? そう簡単に? - 軽々しく思えて、ますます広田と仕事する気になれませんでした。


いくつもの打ち合わせを重ね、いよいよ島へ行く日です。

「もう一度島を見れる!」

日向子の胸が躍ります。 なぜって、今回は遭難ではなく、撮影で行くのですから。 安心して島を楽しむことが出来ます。 寂しい思い出もありますが、一年を過ごした場所。 愛着を持っていて当然でしょう。

 空港には広田とマネージャーがすでに来ていました。 広田は遠くから日向子の姿を見つけ、手をはつらつと振り、いつものように頭をぺこりと下げました。 

「よろしくお願いします!」

広田は前回会った時より、ふっくらしていました。

(どうやって体重増やしたんだろう。)

それは日向子が最初に感じた、彼女のプロ魂みたいなものでした。

(意外としっかりした子なんだろうか。)

挨拶が済むと、芸能人の彼女は、目立たないよう静かにしていました。


 現地の港から船に乗り込み、島に着くまでの間、広田は日向子の側にぴったりとついて、色々と質問してきました。 眩しい青空が広がっています。 航海は順調でした。 

「港を出てまだ間もないのに、もう陸が見えませんね。 なんだか寂しいな。 私、本当に想像できないです、島に一人でいるだなんて。」

広田はあどけない少女のように、自由に話しかけてきます。 それが日向子に咲良を思い出させました。

「そうね。」

咲良と話している感覚で軽く返すと、

「庄司さんは、いきなりその状況に身を置かれたから、やりきるしかなかったんですよね…。」

しみじみと言います。 広田は思ったより深い所まで理解しているようでした。

 気が付くと、日向子のほうが広田との会話を楽しんでいました。 こんなに熱心に島の事を聞いてくれる人が今までいなかったからです。 でも、それを広田に悟られるのが嫌で、少しツンとしてみたりもしました。 それが素直な広田の性格と合っていました。 広田の手元には、何度も読み返したとみられる台本があり、話が途切れる度にパラパラとめくっていました。 真剣な表情 - 側を離れるのも失礼な気がして、日向子はずっと一緒に座っていました。 海を黙って眺めたりたりもしました。 周りには何もない。 人間のちっぽけさを海は黙って誇示してきます。 それを広田は感じ取ろうとしているようでした。

「何か食べますか?」

振り向くと、広田のマネージャーでした。 広田は、

「いらないです。 明日の朝から撮影でしょ? 島で目が覚めた時、庄司さんはお腹空いて喉が乾いていた。 今からその環境を作っておかなきゃ。 あ、庄司さんは食べてください。」

 島が見えてきました。 日向子がいたのは東側の海岸です。 船は北側からアプローチし、ごつごつとした岩を通り過ぎます。 左へ旋回し、遠巻きに、少しずつ、あの浜が日向子の目に入ってきました。 懐かしさが込み上げてきます。


 撮影は、日向子が島で目覚めるシーンから始まります。 今日は島に機材を運び入れ、倒れていた場所や、カメラのアングル等を確認しておきます。 明日の天気が晴天であることを願いました。 それがその日の天気だったのですから。

 打ち合わせが終わる頃、日は傾いていました。 朝から長い距離を移動した長い一日。 皆が協力してテントを張り出しましたが、

「すみません。 不便ですけど、撮影場所から遠く離れた所にテントを張りませんか? 私、今夜一晩、現場の浜に倒れていたいんです。 当時の状況に少しでも体や気分を近づけたいんです。 そのためには、皆さんの声はなるべく聞こえないほうがいいかと思って。」

「さやか、倒れているって… 思わぬ事故でも起きたらどうするの?」

「そうですね。 でも私はまだ女優として未熟者だから。」


穏やかな朝でした。 静かな波が広田の足元を行ったり来たりしています。 救命胴衣を着け、浜に横たわったまま一夜を明かした広田。 太陽が照り付ける前 - 時間の限られたシーンです。 撮影が始まりました。   

眩しさに目を覚まし、よたよたと起き上がります。 周囲を見渡し… 

「カット!」

日向子はぱっと、現実の世界に引き戻されました。

(当時の気分になったと思ったら!)

現実の世界にカットなんてありません。

 次は岩場の水を飲むシーンです。 昨日は嵐ではありませんでしたから、水は溜まっていません。 持参したミネラルウォーターを注ぎます。 辺りのくぼみにも水を入れ、あたかも雨の上がった朝のようです。 

(あまり知りたくない映画の舞台裏だ… 映画は作り物だから仕方ないけど。 それにしても、とぎれとぎれに撮影してゆくのに、女優さんは、よくその気になって演技出来るね!)


「島に一人でいる感覚が知りたい。 だから、なるべく一人でいたい。」

広田は皆から距離を置いていました。 日向子の側に来るのも、質問がある時や、指導を受ける時だけです。 

「ヤシの実って、簡単には割れないの?」

「うん。 それに、実物って結構大きいでしょ。 初めて割った時、中に大量の繊維があって。 そっちの方が驚いたかな。」

広田は会話の途中、黙りこくる時がありました。 そのシーンをイメージしようと神経を集中させているようでした。 


 ヤシの実を割るシーンを撮影し、モニターの周りにはスタッフが集まって色々な確認作業をしています。

「どう、私の演技?」

どうって聞かれても…。 よく分かりませんでした。 撮影してみると、映画は演技だけではないのです。 カメラのアングルによって印象が変わったり、シーンの長さはどの位が適当なのか。 ましてこれは自分の事。 感情的になりがちで、公正な目を失いそうでした。

「ただ…。」

「ただ?」

「ううん。 自分がこんな風だったのか、って思うと、なんだか自分が可愛そうで。 その日、私は色んな感情が混じっていて、自分が置かれた立場も分からなくて… でも喉が渇いていて… 必死で…。 こんな風にヤシの実を割っていたんだ…。」

自分が健気に思えました。 目は、再生の終った画面に向けたまま。 胸は詰まっていました。 そうさせたのは広田の演技です。 そして思い立ったかのように、

「…うん、これでいい! 良かった、良かったよ、広田さん! 私、当日はこんな風だったと思う!」

日向子の顔には自然な笑みと、涙も浮かんでいました。

「ありがとうございます。」

広田の表情は以外にも硬いままでした。 さらに良い演技がしたい、と思っているようでした。


 広田は、無人島での撮影をノーメイクで行います。 何も持たずに無人島に打ち上げられた日向子を演じるのですから、メイクをしていたのではおかしいのです。 理屈はそうですが、広田の事務所は、タレントとしてのイメージがあるからすっぴんに見えるナチュラルメイクをして欲しい、と言っていました。 広田の目は、クリっとしていて愛らしいのですが、アイメイクをしないとだいぶ小さく見えるのです。

「どうやって事務所を説得したの?」

「最初の客船に乗っているシーンだけメイクすればいいでしょ、って。」

「それ、理由になってる? この映画、ほとんど無人島のシーンだよ。」

「いいの。 とにかくOKしてもらったし。 それに。 アイドルのイメージからも抜けたい。 演技する時は、その役になりきりたい。」

広田は時々、子供っぽく振舞います。 それはアイドル時代の癖なのかもしれません。 でも、彼女はどこか芯が一本通っていました。 

(彼女、同い年なんだよね…。)

無人島と言う、とてつもない経験をした自分を少し誇りに、いえ、だいぶ誇りに思っていた日向子でしたが、

(もしかしたら、人は見えない所で色々と苦労しているのかもしれない。 芸能界って場所も、無人島のように厳しいのかなぁ。)

自分の過去を振り返りました。 無人島の生活を除けば、ずっと穏やかだった日向子の人生。 両親は仲が良かったし、いとこが隣に住んでいたおかげで、友人に困ったこともありません。 勉強も出来た、家はお金持ちだった - 何の不満もありませんでした。

(今まで私は幸せ過ぎたの?)

自分が苦労知らずの半人前に思えてきました。 むしろ、無人島体験が日向子を成長させてくれた…? 日向子は広田に親近感を覚えるようになりました。

(そう言えば彼女、どうやって体重増やしたんだろう。)


 どんなシーンを撮る際も、まずは広田が自分でやってみます。 やり方を教えてしまうと、最初から上手に出来てしまい、試行錯誤の感覚が掴めなくなってしまうからです。 服が上手く作れないシーンが終わりました。 今度はコツを教え、上手に作れるシーンの撮影です。 

「すごーい! なんて可愛いの! それに着心地も悪くない!」

「この葉っぱは、表面がツルツルだから。 肌に当たっても痛くないでしょ? 布じゃないから、ほつれ止めもしなくていい。 慣れてしまえば、洋裁よりずっと楽。 葉も大きいから、すぐ完成して、それがまた楽しいんだ。 作るのは自分のためだから、サイズも分かっているし。」

「ブラはどうしていたの?」

ブラについては、映画では触れていませんでした。 

「ブラっていうより、コルセットみたいにしっかり胃のあたりを巻いて、その上に胸を乗せる感じ。」

そう言うと、日向子はあっという間にお手本のコルセットを編み上げました。

「コルセットの上部から上に向けて葉を刺せば、胸はカバーできるでしょ? 葉の形や刺し方によって、ビキニみたいにもなる。」

「それは何?」

日向子は他にも何か編んでいました。

「ああ、これはココナッツの繊維で編んだタオル。 こっちは、葉っぱの繊維のショール。 ヤシの葉とか、まっすぐに長い葉は、まっすぐに繊維が通っているじゃない? こうやって裂くと…ほら、繊維があるでしょ。」

「ほんとだ、まるで糸じゃん。 これなら機織りみたいに布が出来るんじゃない?」

「でも細いってことは、それだけ密に編まなきゃいけなくて、時間がかかる。 時間はあったけど、すぐに出来る葉っぱの方が好きだったんだ。」

「ココナッツの繊維でも服は作れるんじゃないの?」

「作れるよ。 だけど、丈夫だから、小屋の修理に使ったり、袋にしたりとか、そういう用途が多かったな。 それに、強度があるってことは、長持ちしちゃう。 それもいいんだけど、島にいると他にする事がないから。 あえて長持ちしない素材を選んでいたのかも。 あと、常に手先を動かしていたかった。」

広田はグーッと背伸びをし、海岸を眺めました。

「そうだね。 綺麗な場所だけど、何もする事なかったら、なんだかこの青い空すら嫌になりそう。」

「それにココナッツ繊維だと、色が単色でつまらない。 葉っぱなら、ほら。 ね、並べると、緑のグラデーション。」

「わぁ、若い葉から成熟した葉を並べただけなのに! なんだかおもしろーい!」

「枯れた葉っぱを入れても楽しい。 そこだけ色と質感が変わってアクセントになるから。」


 髪を洗うシーン。 監督は、指を立てて勢いよく洗うシーンを想像していました。 広田も、スコールの中で立ちながら洗う日向子を想像していたと言います。

「あはは、それは一度やってみると、そう上手くいかないって分かります。 上手くいかないシーンも撮ってみますか? 今度スコールが来た時に。」

「どうしてうまくいかないの? それなら、どうやって洗ったの?」

と言った広田でしたが、すぐ、

「あ、言わないでください。 上手くいかないで悩む感覚が掴めなくなっちゃう。」

台本には、洗髪、とだけ書かれています。 監督は、洗髪は、島の生活のダイジェストシーンに入れるだけだから、上手くいかないシーンまでは撮らない、と言いました。

「だって、スコールなんて、何分続くか分からないし、それに、頭に当たる雨量は意外と少なかったりするの。」

「じゃあどうしたんですか?」

「ある日、大きな葉っぱから、まとまって雨水が滴っている事に気付いて。 それで、大きな葉や、木の枝を同じ個所に誘引しておいて。 誘引なら、一度作ればその後も使えるでしょ、枯れることなく。 高さは自分の背の高さ。 雨が降ったらその下に立つ。 まとまった雨量が落ちてくる。 雨どいと同じ、かな?」

「へぇ。 でも庄司さん。 水で洗っただけじゃあ、べたべたしませんか?」

「うん。 だから雨がやんだ後の、岩のくぼみに溜まった水を使ったりもした。」

「くぼみに頭を入れるの?」

「くぼみ、意外と浅いよ。 そうじゃなくて、指を濡らして、地肌をこするの、油を取るように。 指は何度もゆすいで。 地肌のマッサージにもなってた。 固い茎を裂いて、櫛にして、濡らして。 何度も髪をすく。 そうすると、油分も結構落ちる。 茎だから、強度がそれほどなかったり、効率は悪いけど。 でも時間はたっぷりあったから。」

「凄い。」

広田はまた言ってしまい、後悔しました。 日向子は時々、

「凄くない。 同じ環境にあったら、みんな自然に気が付く事だから。 凄い、って思ったまま演技すると、それは違う気がする。 最初は、気が付く度に感動はするんだけど。 でもその感覚にもしまいには慣れていって…。」

と言っていたのでした。 監督は、

「庄司さん、記者会見で言いたい事が言えなかったって言ってましたけど… その意味が分かってきましたよ。」

良かった。 日向子は、そう思うのでした。


 なるべく一人で過ごしたい広田は、寝る時も一人、食べる時も一人。 カニを捕まえ、ヤシの実を割って - 日向子がしていたように生活していました。 その邪魔にならないよう、日向子も距離を置くようにしていたので、話す機会はあまりありませんでした。 でも、ちょっとした合間に、

「変なこと聞いていい? どうやって体重増やしたの?」

「え? 変じゃないよ。 普通に食べたんだよ。」

「それだけ? 甘い物とか?」

「ううん、バランス良くね。」

広田は真顔です。 

(あっ。) 

どうも日向子は、広田を軽い、アイドル目線で見がちでした。 そうじゃないのに、と、思うや否や、広田は、

「でも。 島で生活してると、庄司さんみたいに本当に引き締まっていくんだね!」

はしゃいだ口調に一変。 どうも、アイドルのイメージが抜けにくいのでした。 このままはしゃいで、ダイエット話に展開していくのかと思いましたが、広田はもう、その話はしませんでした。


広田は先入観なく、何でも素直に挑戦しました。 サバイバル生活に興味があったわけではありません。 彼女の場合、「もし自分が庄司さんの立場だったら…。」を意識して故のようでした。 おかげで広田に対する演技指導はスムーズでした。 

問題があったとすれば、監督のイメージする島の生活が、時々、日向子の実体験と違っていた事です。 歯磨きのシーンをモニターで確認していた時の事です。

「広田さんの演技は問題ないんですけど…。 歯磨きって、顔をアップで撮影するとちょっと下品に見えませんか?」

日向子がそう言うと、

「そうかなぁ。」

と監督。 

「磨いている部分はあまり誇張せず、木の枝を噛んで、繊維を出して、わあ、これで歯ブラシになる、って気がつくシーンを撮れば、磨いているシーン自体はさりげなくていいと思うんです。」

最初のうち監督は、野性味溢れる、がつがつとした女性を描こうとしている節がありました。 それは、無人島生活=たくましい と言う、固定観念からきていたのかもしれません。 しかし、無人島にいるからと言って、女性らしさを失う必要はないのです。

「でも、上品でいる必要だってないじゃないですか。 誰もいないんだから、人目も何もない、そうは思わなかったんですか?」

(人目…。)

「いえ、人目って、改めて考えたりはしませんでしたけど。 でも、いつ救助の人が来てもいいように、っていう思いは頭の隅で働いていて。 もし仮に… 絶対救助が来ない、って状況だったとしても、自分らしくいる方が自然で。 だらしなくしたら楽かもしれないけど、でもそうすると今度は、節度が失われそう。 それはそれで、怖かったんです。」

 歯磨きのシーンは撮り直されました。 監督は物足りなさそうでしたが、それ以上何も言いませんでした。 それから数日間、監督は撮影の度に一呼吸置くようにじっと遠くを見つめたりして、口数が少ないでいました。 そして、

「そうだね。 だらしなくしていたら、それは自分を規律する物を失い、島での生活は成功しなかったかもしれないね。」

と言うのでした。 ああ! 撮影中、日向子は何度かこの感覚に包まれました - 

(解けてゆく…! そう、溶けてゆく感覚なの! 誤解の塊のような物が。)

無人島生活に対する人々の思い込み。 それらすべてが間違っているわけではないけれど、ただ - 自分の感じた事、体験した事は、正しく伝わって欲しい。 もちろん、無人島生活の誤解なんて放置しても何の問題もない。 人生、すべてを正していたらきりがない。 でも…。 この映画のおかげで、少しでも分かってくれる人が増える… 良かった。 また、そう思いました。 日向子はその思いを、噛み締めるようにしていました。 


爪は、ざらざらした石で研ぎました。 薄いピンク色の石を手に持ち - 野性味なんてありません、お洒落とエコを楽しむ、むしろ今風のシーンとなりました。 日中、日向子は常につばの広い帽子をかぶっていました。 木陰に入り、帽子を取り、髪を結び直します。 髪はいつも小綺麗にしていました。 編み込んだり、ヤシの葉のバンダナで前髪をアップにしたり。 鏡がないのに? 誰もいないのに? きちっと編めば気分も締まる、ルースに束ねて気分はゆったり - 気分ごとに変えるの、些細な楽しみって大切よ。 些細。 人の気に留まりにくく伝わりにくい事。 でも、動画なら…。 映画にして良かった。 言葉より表現出来ている。 同時に、(広田さんで良かった。)と思った自分もいました。 


日向子が作った実際の小屋は、何度も修理され強度を増していたので、そのまま残っていました。 が、植物にすっかり覆われて、時の流れも感じました。 撮影のための小屋は、別の場所に新たに作る必要がありました。

「屋根瓦と同じ要領で、下から葉っぱを詰めれば、雨の侵入が防げます。」

撮影中、広田は浜で一人で寝続け、クルーのテントに入りませんでした。 日が照って暑くなったら木陰に行き、嵐が来ても濡れるか、作った小屋に入りました。  食事も断固として島の物だけです。 おかげで体重の減り方、肌の焼け方が自然で、島に馴染んでいく日向子を忠実に再現していました。 それでも髪が伸びていく様子、毛先が茶色くなってゆく様子は、メイクさんに頼らざるを得ませんでした。 撮影には期限がありますから。 期限 - そう、これが終わったら日向子はどうするのでしょう?  ふと、仕事をしている大学時代の友人の事を思い出しました。 柔軟性のない職場。 言われた事をしているだけ - 気の毒に思えました。  一方、駆け出しのこの映画会社は、企業としての安定性に不安はありますが、個人の考えを大事にしてくれます。 今後について、ますます分からなくなってしまうのでした。 

 

 広田は特別、手芸やデザインが好き、と言う訳ではありませでしたが、何を教えても飲み込みが早い生徒でした。 空いた時間があれば、日向子がしていたように葉っぱの服作り。 おかげで広田の腕はだいぶ上達しました。 日向子とも、服やデザインの話が自然と多くなります。 それは咲良を思い出させ、日向子にとっても楽しい時間でした。 それに。 ずっとしたかった、葉っぱの服作りの話! やっと出来た! が、撮影は終盤に近付いていました。 どうも落ち着きませんでした。 

(もっと島を楽しんでおかなくては。)

 

 前回島にいた時は、通り過ぎる船を見逃さないよう、常に海に目を向けながら食べたり編んだりしていましたが、今回はそうする必要はありません。 編む時は、編む事だけに集中していいのです。 食べ物だって、スタッフの方が沢山持ち込んでいます。 今回の滞在は、前回と全く違う感覚ももたらしていました。

 日向子は、島に着いたら映画撮影とは別に、やりたい事がありました。 それは、葉っぱの服の作り方を動画や画像に記録する事。 そのスキルを、どうしても世の中に発信したかったのです。 日向子は少し有名人になったうぬぼれから、手芸番組や、手芸雑誌に、自分のスキルを紹介してもらおう、と思っていましたが、友人の言った一言、「葉っぱの服を着る人なんて今時いない。」が頭に残っていて、結局アプローチしていませんでした。 そこで自分でブログを開設し、発信しようと思ったのです。 それを見てカメラマンが、

「よし、俺が編んでいるところを撮ってやるよ。」

こうして日向子は、沢山の動画と画像を得ることが出来ました。 服作りの材料の準備の仕方から、生活面に役立つ物まで、思いつく限りの事を、です。

「ブログさ、映画会社のサイトとタイアップしたらどう?」

それは良いアイディアです。 日本に帰ったら、ブログの開設に忙しくなりそうでした。


 天候が順調なら、あと二日で島を発つことになります。 明日の早朝は、いよいよ漁船に救助されるシーンです。 

 その日を思い出すと、日向子は胸が苦しくなりました。 それは、感情的な物だけでなく、本当に息が苦しかったからです。 「船?」そう気が付いた瞬間から心臓が高鳴り、思いっきり海に向かって走り出し、叫び続け、ホイッスルを鳴らし続け… 今思い出しても、緊張に体がこわばらずにはいられないのです。

 そのシーンの撮影中、日向子の手は力が入りっぱなしでした。 第三者として見る自分の姿 - 涙が溢れてきます。 あの時の自分は泣かなかったのに!

「ああ、私はあんな風だったのか!」

それは、撮影中に何度も感じた事です。 しかし、これほど強く感じた事はありませんでした。 遠浅の海に向かって、必死に走って、だんだん小さくなってゆく広田。 助かると分かっています、でも、助かれ、助かれ、と祈っている自分がいました。 これが完璧な演技でなくて何と言うのでしょう?


島での撮影は終わりました。 島以外のシーンは後日、別の場所で撮ることになっています。 日向子は広田を呼びました。 いつになくかしこまった様子 -

(何だろう、演技の事かな?)

少し緊張します。 広田は、いつも演技に対して謙虚な姿勢でいました。 

「ううん、大した事じゃないの。 でも一人で出来ないから広田さんと一緒にって思って。」

演技の事ではないようです。 広田はほっとしました。 同時に、役作りのために距離を取る必要ももうありません。

「広田さんていうの、もうやめない? さやかでいいよ。」

広田は日向子と仲良くしたいとずっと思っていたのです。 

「うん。」

「で?」

「最初、島に打ち上げられた時、着ていた服。 それが唯一の服だったから、ボロボロにする訳にはいかないって、大切に取っておいたよね。 そのシーン、映画でも撮ったよね。」

「うん。」

「私が残していった服…。」

「え、あったの!? 」

「小屋にそのままの状態であった。 ココナッツの繊維で編んだ袋に入れたまま。 島に着いた時、実は真っ先に探したんだ。 でも、いざその袋を見ると、一人で開ける勇気がなくて…。」

「…開けたら、思い出がどっと押し寄せてきそうだから…?」

「うん。 だから一人で開けられない。」

二人は袋を見ました。 日向子が袋ごと干したので、袋は今、乾いていますが、カビが生えた跡があります。 恐る恐る開けてみました。 現れたのは、表面が少し茶色くなったブラウスとパンツ - 原形はしっかり留めたままでした。

(もっと腐っていて欲しかった。 そうすれば、過去の事だと割り切れるのに。)

この服に袖を通したのが、客船に乗っていたのが、まるで昨日の事のように思えました。 それが余計、日向子を悲しくさせました。


 船にすべての機材を積み込み、いよいよ出発です。 

「この前去る時は、助けてもらうことに必死で、さよならも言わなかった。 悲しい気持ちにすらならなかった。」

今回は小さくなってゆく島をしっかりと眺めることが出来ます。

「もう、ここには二度と来ないんだろうな。」

船尾に立ち、故郷を別れ惜しむように、いつまでもいつまでも島を見ていました。 救助された時、日本の地を踏んだ時、テレビや雑誌の取材が途切れた時 - 様々な場面で、島に区切りがついた、と感じてきましたが、今回ほど、区切りを感じたことはありません。 映画はこれから公開され、ブログも開設しますから、島との関係が全くなくなるわけではありません。 あくまでも区切りです。

「家族もいとこたちも海に消えた…。」

迷った挙句持ってきた茶色い服は、船尾からそっと海に落としました。 船は遠慮なく落下点を離れていきます。 これも区切りの一つ…。 目を上げると、もう島は見えませんでした。


島以外の撮影も終わりました。 日向子帰国時などのシーンは、実際の映像が使われます。 編集などに関わりつつ、日向子の生活は元に戻っていきました。  次に広田に会ったのは試写会の時でした。 一か月しか経っていないのに、広田の日焼けはすっかり収まり、髪はショートになっていました。 メイクもしていたので、あか抜けた都会の女性に見えました。 

(やっぱり芸能人なんだなぁ。)

今の広田は、「生きたカニなんて食べられな~い、お風呂に入れないなんていや。」とでも言い出しそうなイメージ。 日向子は戸惑いました。 が、広田は、遠くから日向子を見つけ、

「日向子~、久しぶり!」

相変わらず大きく手を振ります。 日向子はほっとしました。 広田は次のドラマがあるから髪を短くしたと言っていました。 

上映が始まり ました。 隣り合って座った二人は、いつの間にか手を取り合い、黙って映画に見入っていました。 上映後はすぐにインタビューが控えていましたが、二人とも、じっと座ったまま動きません。 インタビュアーとカメラマンが来て、

「お二人とも感動しているようですが?」

広田は、精一杯演技した、思い入れのある映画です、と答え、日向子はインタビュアーから、

「庄司さん、島の生活を再現出来ていると思いますか?」

「はい、とてもよく再現出来ています。」


 広田と別れ際、日向子はまた、区切りがついたんだと思いました。 入学、卒業… 人生には節目が色々ありますが、島の体験以来、それを敏感に感じるようになっていました。

「連絡してね。」

広田は連絡先を教えてくれました。 これで本当に、島は遠い存在になったのだと思いました。


 広田さやかと言う元アイドルを起用した事、女性の無人島体験と言う、物珍しさもあって、映画「無人島ガール」は大ヒットとなりました。 映画会社も監督も、一気に知名度を上げた事になります。 広田も「女優への脱皮」と評価され、演技派女優としての地位を確立しました。 ドラマへの出演が多くなり、歌は全く歌わなくなりました。

「連絡してね。」

その言葉は日向子の耳に残っていましたが、 今や彼女は時の人…。 なんだか遠い存在のようでした。 自分の開設したブログの事を連絡してみましたが、忙しいのか、返信はだいぶ経ってから来ました。

「それに。 さやかって、役に打ち込むために、交流を避けたりするからなぁ。」

連絡を取るのも悪い気がして、気がつくと関係はしぼんでいました。 思えば、家族を失って以来、最も身近に感じた人です。 島にいた時はする事が沢山あったせいか、改めてそうは思いませんでした。 もっと素直に仲良くしておけばよかった。 残念に思うのでした。


日向子には、映画原作者としての収入がありました。 ブログにはスポンサーが付き、少ないながらもここからも、定期的な収入があります。 日向子のように無人島をリアルに体験する女性は、今後まずないでしょうから、類似した映画やブログと競争、と言う事はなさそうです。 言い換えれば、収入は安定 -

(自分はお金に困らない星の下に生まれたのか。)

運命のような物を感じました。 働けど働けど… 一向に暮らしが良くならない人もいます。 叔母の家は、そういうサイクルなのかもしれません。 勝也に相続の事を言われた時、東京の資産を相続しなくとも、自分はお金に困らないと言う、直感のような物がありました。 それはどうやら本当みたい。 日向子はお金に困った事がありません。 人生には線路のような物が敷いてあって、それには逆らえないのかな - そんな風にも思ってもみました。 

 

 アルバイトは続けていました。 お金の為もありますが、バイトをしないと家に引きこもってしまうからです。 店長の武藤は理解があり、急な取材の時など休ませてくれました。 

 正社員として職を探す事も考えました。 が、今までの武藤の計らいを思うと、このバイトを辞められないのです。 彼女とは長い付き合い。 救助されて以来、一番会っている人です。

「バイトの子は突然辞めたりするからね。 日向子がいつも穴埋めしてくれるから、助かっているよ。」

 二人は時々、飲みに行ったりもしました。 大学時代の友人は結婚したりと、だんだん疎遠になる中、武藤とは、上司と従業員と言う、少し距離を置いた、良い関係が育ちつつありました。 

「私もねぇ、若いころはデザイナーやってみたいって思ってた。 でも、そこまでのセンスないから。 気が付いたらショップやってた。」

武藤はお酒が回ってくるといつもこの話をします。 夢が叶わなかった事を悔やんでいるようでした。 二人で飲む時、日向子はたいてい聞き役です。 それは年下だから、と言う事もありますが、彼女の話を聞くのは嫌ではありませんでした。

「日向子はいいなぁ、今じゃネットにお客さんいっぱいいるんでしょ? どう? 儲かってる?」

「そんな事ないですよ~ 私のブログは、島の体験と、デザイン販売が半々だから。 依頼はたまにしか来ないです。 見積もりだけで終わり、って事もよくありますよ。」

「いいんだよ。 たいしてお金にならなくたって。 誰かがデザイン認めてくれて、対価を払ってくれる。 それがいいんだよ。」

「ええ、それは私も嬉しいです。」

武藤は、わずかながらもデザインの仕事をしている日向子に嫉妬していました。 その反面、日向子の一貫性に、格好良さも感じています。 自分は一貫性がない… ショップのコンセプトだって、売れる物なら何でも売ってしまう…。 武藤は時々、自分が無性に嫌になりました。  

武藤のデザインセンスは決して悪くないのです。 ただ、言葉では表せない「何か」が欠けている。 抜きんでる事が出来ない - 「その何か、って何?」何年も模索して来た武藤。  お金の為に始めたショップ。  デザインと違って即効性がある。 努力した分、儲けとなってすぐ結果に出る。 そうやってはまってしまったショップ経営。 別の路線での妥協…。 

(些細な事よ、他人からすれば。 だってショップは上手くいっているんだから。 ああ やだやだ。 目先の快楽に飛びつく弱い自分…。)

ふぅ。 グラスを軽く口につけ、一口飲んで。 お酒が入って語れる武藤の胸の内。   

「店始めちゃったからね。 扱っているのは服だけど、結局は数字との戦い。 文具店だろうがアパレル店だろうが、どっちだって同じ。 でもさ、儲けが出ると嬉しくて。 自分の店と違う路線の商品でも、売れると思うと仕入れちゃう。 店舗は三つに増えたけど…。」

「凄いですよ、三店舗経営するって。 アパレルは競争が激しいし、武藤さんの経営手腕がいいからじゃないですか。」

年下の日向子に褒め言葉を言われるのはいい気がしませんでしたが、でもそれ以外、言いようがない気もしました。 

(ま、経営の才能がなければ一年もせずに潰れていたけどね。)

しかし日向子も無人島と言う、とてつもない体験をした人です。 日向子に対するささやかな尊敬は、そんなところからも来ているのでしょう。 だからこうして、飲みに誘っているのです。 日向子のグラスが空になったので、武藤は自分の分と、日向子の分のウーロンハイを頼みました。 武藤も日向子も、おつまみはあまり食べませんでした。


「無人島で発見された人、私です。」

武藤と面接した時、日向子はすぐ言いました。 いずれ分かる事だし、言うなら早い方がいいと思ったからです。

「ああ、クイズ番組出てた、あの!」

とっさに、

(「無人島ガールが働く店」と宣伝すれば、客足が一気に伸びる!)

と思いましたが、

(…生存者は彼女だけだったんだよね?  …あんまり騒ぎ立てても可哀そうかな。)

目の前に座った若い女性。 

(この人が無人島ガール。)

面接の為にと羽織ったビジネスジャケット。 ラフに着こなしてる。 

(へぇ。)

テレビで見た印象と違いました。 真っすぐな感じがします。 それが人柄と過去の体験を語っているようでした。

(バイト探してるんだ。 色々大変なのかな。 うちでかくまってあげたほうがいいのか。)

当時、売り上げが停滞していたので、日向子を集客に使ったらいくらか助かったことでしょう。 この話を聞いたのは今日が初めてでした。

「そうだったんですか。 ありがとうございます。」

「無人島ガールが働く店。 結構儲かったと思うよ。」

グラスをゆすって、武藤は、

「ま、私はそこまで野暮じゃないから。」

「でも、いいですよ、私を集客に使って。 映画公開からしばらく経ってブームも落ち着いたし。 ちょっと話題になって、ちょっと儲かるくらいですけど。」

「ちょっと、か。 堅実で日向子らしいね。 ありがと。 でもさ、日向子に負担になるような事、したくない。 私ももう四十だし。 独身だし。 店と日向子がなかったら何にもないしね。」

意外でした。 テキパキ働くキャリアウーマンだと思っていたのに、何もない、だなんて。

(人は皆、寂しいものなのだろうか。 孤独と闘っているのだろうか。)

家族が生きていれば、考えてもみない事でした。

「映画、大ヒットだったけど。 それに見合った額もらえたの? 日向子、交渉とかしなそうだしね。」

「あはは。 武藤さん、すぐお金の計算するから。」

そう答え、

「ブログへのアクセスも増えたし、自分と共通の考えを持った人と交流するのが楽しくて。」

と話題を変えました。

 日向子のブログには、海外からの訪問もありました。 英語のメッセージも届きます。 が、どうしていいのか分からず、Thank you. とだけ返事をしていました。 

「タイアップしてる映画会社のサイトは英語付きなんでしょ? そこから日向子のブログに来るんだよ。 日向子のブログにも英語付けた方がいい。 そうすると、海外の検索にも引っかかるから。 簡単な英語でいいんだよ。 日向子のブログはさ、画像が多くて見た目に分かりやすいから。」

「えー、でも英語自信ないですよ。」

「アクセス数は増える。 もっとスポンサーが付く。 で、もっと儲かる。 ね? 映画会社のサイトはさ、新しい映画が出来る度、そっちに重点が置かれちゃう。 自分のサイトにも直接呼べるようにした方がいい。」

(武藤さん、やっぱりお金の計算してるし…。)

いっそ武藤は、経営アドバイザーにでもなったら? と思う事もありました。

(英語…。)

収入が不安定な日向子にとって、収入に繋がる事は何であっても魅力です。 

「英語の勉強にもなりますね。」

日向子は英文も付ける事にしました。 分からない事は、自動翻訳と、質問サイトを使って何とか訳しました。


ブログにデザインの問い合わせがあっても、無理に勧めたりはしませんでした。 しつこく勧めて、訪問者が来なくなる事を恐れたからです。 葉っぱの服や、島の生活に興味を持ってくれる人達。 リアルな生活ではなかなか出会えない貴重な存在。

 リアルな生活で心を割って話せるのは、島の実体験をした、広田さやかだけだと思うようになりました。 静岡の親類とは、時候の挨拶をする程度でした。 だからこそ、ネットに寄せられる言葉が嬉しいのです。 彼らは、社交辞令で日向子に話を合わせているのではありません。 本当に興味を持ってくれているから、わざわざサイトに来てくれるのです。 もちろん武藤も大切な人です。 年齢差や好みの違いから、広田とはまた、違った親近感でした。


「本を書いていただきたいんです。」 

時々、この手の電話が日向子の元に掛かって来ました。

「テーマは無人島でのエコ生活。」 

「はあ。」

(エコ生活って言ったって…。)

興味はあるのです、エコの事。 ブログでも簡単に触れています。 あくまでもファッションが中心のブログですから。 電話の主はこのエコページを見たと言います。 

(大したことは書いてないんだけど…。) 

出版の話は、内容に関わらず断ってきました。 ブログを発信しているので、今更、と思えたからです。 

「あの、上手く書けるかどうか…。 島では、何をやってもエコ生活にしかならなかった、だだそれだけで。 特に意識してエコ生活していないんです。 プラスチック製の物はないし、自然の物だけなので、いらない物はそのままでした。」

「ああ、そう言われてみればそうですね。」

納得した口調で言われたのが感じ良く、日向子もつい、

「ええ、でも、思ったんです。 これが、生き物本来の在り方なのかなって。」

話を続けました。 断る話にもっていくつもりでしたが -

「確かに。 動物はそうですね。 いらなくなった物はもう無関心。」

無関心 - そう、そうとも言える。 この人…

 エコは、なぜか言おうとすればするほど、上手く伝わらない感じになってしまう不思議な物 - 私のエコページ。 画像がメインで、少し注釈を付けただけの物。 何か思いついた時に書き足して更新しているくらい。 

(エコは大切だって、皆、分かっているのに。 上手く言えないのはなぜなんだろう。)

この時ふと、

(じゃあ他の人もそうなのかな?)

新たな発想です。

(なら、自分が言ってみて… 上手く言えなかったとしても、他人の発言のきっかけにはなるかもしれない。) 

それに。 なぜかエコは後回しにされがちな存在です。 変ね。 これだけエコが言われている時代なのに。 その妙な傾向にもチャレンジしてみたくなりました。 突然現れた、理解ありそうな聞き手に気持ちを後押しされたから?  ええと…。 無関心 - そうなんだけど、無責任て言うのとは違うから…。

「関心がなくていいんです。 汚染とか、ゴミの山にならないから。」

「無意識でもエコ。」

「はい。 自然に任せていいんです。 それで回るようになっているんです。 一時的な散らかりはあります、ヤシの実とか葉っぱとか、沢山集めたりして。 でも、いつの間にか片付いているんです、元の姿に戻っているんです。 虫や鳥に食べられてしまったりとか、風で飛ばされたり、腐ったりとかして。

 人間は、最近になって、自然分解出来ない物を作ってしまった。 だから、取って付けたようにリサイクルなんて言うけど… 不自然です、何かの度にリサイクルを考えるのって。 生き物の性に合ってないです。 それに、これだけエコが言われている時代なのに、どうして最初の開発段階から環境の事を考えないのか… 売れそうでも、便利そうでも、環境に悪いって分かったら、諦めて作らないとか…。」

…って、話が極端になってきた…?  

「えっと、つまり、エコはいつも後回しで。 ニュースとかでも、まずは政治経済が先で…。」

…これじゃ話が広がり過ぎちゃう…。

「…ええと、自然に任せると、その不便さが丁度、ブレーキ役を果たしてくれて。 度を超さなくて済むようになっていると言うか - 上手くいくんです。

 例えば、ヤシの実は割るのが大変という不便さがあります。 だから、食べる分しか割らない。 味も素朴。 食べ過ぎない。 胃腸の負担にならない。 上手く回ってますよね。 でも、ドリルとかで簡単に実が開けられたり、味の付いたデザートとして出されたら?  便利ですけど、食べ過ぎたり、無駄が出たりとか。 上手く回らなくなってしまう。 便利になったら今度はその分、利用者がブレーキを意識しないと。」

 ブレーキ。 車を連想し、とある日の母との会話が頭に浮かびました。 

「日向子、パン屋さん行くけど、一緒に来る?」

車のキーを手にしていました。

(えっ、車で? 排気ガス出して? 近所なんだから歩きでいいのに。)

ですが日向子は言いませんでした。 言ったら嫌な空気になる、と子供心に知っていたからです。 どうして? 事実なのに? エコってどうしてこう言う性質なんだろう…。 

「たまに、すごく甘いヤシの実に当たる事があるんです。 それ、すごく嬉しくて。 割るのが大変だった時は、割れた時が嬉しい。 小さな事が、心のバランスを保ってくれました。 あ、たまに、だからいいんです。 しょっちゅうだったら何とも思わなくなっちゃう。 だから、精神面だって自然に任せていいんです。 でも、自然の不便さ、取り除いてきたからこそ、今の便利な世の中があるのも事実ですけど。 …難しいですね。 

でも、私達、どこか行き過ぎていると思うんです。 例えば、現代の大規模農業。 飽食の時代とまで言われている。 ありがたいですけど、完全にブレーキを取った状態だと思いませんか。 昔の人からしたら天国でしょう。 なのに今度は、ダイエット商品なんかを作り出す。 変ですよ。 便利って。 ありそうでない物なのかもしれないです。 便利にまた便利… 嘘に嘘を重ねているのと同じだと思いませんか?

今ある物をありがたがる、それが本当のエコなのではないでしょうか。 でなきゃ、手あたり次第、自然の不便さに挑み続けているみたい。 いえ、昔は、貧困や疫病が絶えなかったでしょうから挑んでいいんですけど。 でも今は? もう十分だと思うんです。 なのにみんな、あれが欲しい、これが欲しいって…。」

…やだ! みんなって、自分だって欲はあるじゃない! 

「続けてください。 大変興味深いです。」 

聞いてくれている。 行き過ぎているのに。 落ち着こう。

「あ、はい。 裕福にはなったけれど…。 でも貧困や難病は今でもありますし…。

 幸せって本当は、身の回りにあって。 本人の気持ち次第ですぐ手に入るようになっていて。 便利さとか、物じゃないんです。 お金持ちの人とか、さぞ幸せかと思うけど、そうでもなかったり。 そう言う気持ちって、心のやり場に困りそう。 どうしていいのか分からないから、結局何かを求め続けてしまう…。」

自分もお金持ちの家に育ちました。 他人事のように言た自分がちょっと不思議でした。 もう長い間、アパートでつつましやかな生活をしている日向子 -

(お母さんは、品の良い物をセレクトして楽しんでいた。 求め過ぎなかった。 うちでは、それなりのブレーキがあったのかな。 咲良達は欲しいだけ買ってそれで幸せだったけど。  彼女達って、今ある物をありがたがるって…。 幸せとか価値観て、人によって様々…。)

「さっき、無意識でもエコ、っておっしゃいましたけど。 価値観て色々だから、エコに関心ある、ないに関わらず、皆が無意識で回るようなシステムでないとダメなんです。 ゴミだけをサイクルさせようとしても無理なんです。

 体って、無意識で回ってますよね、代謝のおかげで。 それと同じです。 自然は巡る、って言うじゃないですか。 自然の代謝 - 大きくて、壮大そうです。 とても人の手には及ばなそうな。 そう言う何かを、人は神に例えるのかもしれません。

そう言う感覚って、どこから来るのでしょう。 罰が当たったとか、充実感とかも人が感じる事。 不思議です、目には見えないのに。

感じるって、動物にもあると思うんです。 島にいる時そう思いました。 言葉を持たない分、動物は感じる事がより大切で。 危険を“感じるから”巣穴から出ない、とか。 危険だって、教えてもらうからではなくて。 

人間もそうです、子供は、ゲームのやり方とか、悪い言葉とかは興味を“感じる”から、教えてもらわなくてもどんどん覚えますよね。 それが本来の学習だと思いませんか。 私達は言葉を持ってしまったから、教わる、教える、が当たり前と思ってしまいますけど。 「まだ教わってない。」って言ったりしますけど、それ、義務教育の生んだ副産物でしょうか。 昔はそんな事、言わなかったと思います。

でも。 私も言葉を知ってしまった人間だから。 感じるだけじゃ足りなくて、言葉も欲しかったです。 共感とか、褒めてもらうとか。 でも、こう言う気持ちがすでに欲なのかな。 腹八分、なんて言いますけど、感情面も八分程度がいいのかもしれないです。 何でも欲張りは、破壊の第一歩なのかもしれないです。

そうやって学んだ私達だから、何でも受け身姿勢。 リサイクルが叫ばれればリサイクル。 節約グッズと聞けばすぐに飛びく。 でも本当に節約になるの? いらなくなったらそれだってゴミじゃない。 だったら、今ある物で満足して、もう作るなんてやめて…」

(あっ、また作らないって…。)

言ったけれど、先ほどより悪く感じませんでした。 日向子は続けました。

「作れば経済は回ります。 その経済って、人間が唯一、意識してサイクルしている物ではないでしょうか、税を上げたり下げたりして。 ずいぶんと注意深く観察しますよね。 だから環境だってその気になれば、ちゃんとサイクル出来るはずなんです。 経済はすぐに損得が出る。 でも、自然だって損得はあります、災害が起きやすくなるとか。 でも。 自然は寛大だから。 ちょっとの過ちは目をつぶってくれる。 それに甘えてしまっている。 私達の体もそう、多少の不摂生は目をつぶってくれる。 度を越して病気になる。 だから、自然災害は自然が病気で、私達の不摂生が…。」

さすがに言い過ぎでしょう。

「…ブログの画像から、庄司さんは色々な考えをお持ちだと思っていましたが、その通りでした。」

「…本当ですか?」

「はい。 ぜひ本を出しませんか。 エコの本は沢山ありますが、庄司さんの視点で書けば面白い物が出来ると思います。」

「でも私、上手くまとめられるか自信ないです。 私の意見、極端過ぎませんか? 何だか引かれてしまいそうで。 誤解もされそうですし。」 

「多くの事が関連していますからね、エコは。 絞り込みにくい内容なんですよ。 伝えようと思うあまり、あれもこれも言いたくなる。 すると要点が失われがちになる。

 こうしませんか。 今の話をうちのライターが簡単にまとめてみます。 他人はフレッシュな目で見ますから、まとめやすいんです。」

そうかもしれない - ファッションのアイディアに詰まった時も、他人のアイディアを見ると、新たな考えが浮かんだりする。

「それを元に庄司さんが改めて書く。 著者はあくまでも庄司さんです。 僕は映画をきっかけに庄司さんのブログを知ったんですけど。 葉の使い方、小屋の壁、並べてあるヤシの実の殻。 何か、深い意味がありそうに思えましてね。」


電話を切ってもしばらくそのままの姿勢でいました。 伝わる物があった、簡単なブログから。 良かった。 良かった…  でも。 素直に喜べない自分がいました。

ついにこの時が来た - そう、日向子には、心の隅に押しやって、考えないようにしていた事があるのです。 それは -

“エコを解いてゆくと、大好きなファッションを否定する事になりかねない。” 

(だって。 だって。 服なんてなんだっていいのよ、機能さえすれば。 ファッションこそ無駄じゃない、アパレル産業の大量生産。 環境にいい訳ないじゃない!)

でも。 どうせ着るならいい物がいい。 動物だって、ツノやカラフルな羽でアピールしたりする、それだってファッション…。

エコとファッション。 両方に興味のある日向子にとっては、バランスの取り方が難しいのでした。 今日初めてした本格的なエコの話。 何か言う度に、ファッションを否定していそうで、ハラハラした自分がいるのも分かっていました。 でも…。 聞いてくれた。 分かってくれた。  

(よし、本を出そう。)

島でエコを知ってしまったのですから、いずれ向き合う事です。 日向子は決意しました。


賑やかな東京の街並み。 ふと、無人島と同じ感覚を覚える事があります。

(都会は物で一杯。 一杯過ぎて、まるで生い茂る森のよう。 都会のジャングルとはそう言う意味もあるのかもしれない。)

 立ち並ぶレストランや店。

(島に並んでいたのはヤシの木…。)

波音の代わりに交通音。 潮の香りの代わりは、飲食店からの匂い。 目を引くのは、鳥の航空ショーではなくて、広告やディスプレイ。 ブレーキどころか、あべこべオイルを注いでいるみたい、人間の欲に。 

「でもさ。 そんなに服持っててどうするの?」

ふと、何年も前の大樹の言葉を思い出しました。 大樹はこのブレーキの事をなんとなく感じていたのかもしれません。 今ならその答えが出そうな気がしました。 

「沢山の服…。」

でも島にいる時だって、服は沢山作った…。  


公園が新しく整備されていました。 そう、東京には、ビルの谷間に挟まれて、ポツンと小さな公園があったりします。 滑り台は北向きになっていました。 夏の猛暑を考慮したのでしょう、これなら、滑る面が熱くなりにくそうです。 そこを覆うように、木が茂らせてありました。 着地箇所にはソフトなアスファルトまで敷いてあって、ずいぶんと親切な設計です。 安全対策はいい事。 でも。

「これじゃあ、子供はどうやって危険を学ぶの?」

無人島にいれば、そんな対策はないのです。 子供だろうが大人だろうが、自然は容赦なし。 頼るのは自分の感覚。 不便だからこそ、学ぶ。 最近の子供は何々が出来ない、って言うけど、そうしたのは大人じゃない。 でも、安全対策を前に、Noって言う人、いないか。 それと引き換えに失われてしまう物…。

公園を過ぎてもぶつぶつと言い続けていました。 駅に向かう日向子。 今日はいつもの午前シフトです。 人混みを難なくかわし、プラットホームに向かいます。 上の空でした。 おや、今日はやけに混んでいます。 いつもの電車に乗ったのに。 

(あ。)

うっかり、階段付近のドアから乗ってしまったのでした。 どうりで。 

(階段付近は混むから避ける - 忘れちゃった!)

そうか。 滑り台が安全になっても。 便利で溢れかえっても。 結局は状況への適応性。  便利社会。 その中でも、学べる人は学べる。  


 出版する時、日向子は思いつく限りの事を書いたつもりです。 それでも時々、これも書けばよかった、あれも書けばよかった、と思う事がありました。 幸いにもブログを持っていたので、それらは追記としてそこに書く事が出来ました。 エコページが更新される機会も増え、そのおかげか、サイト訪問者数は安定していました。 そこから日向子の本を知る人もいます。 本は少しずつ売れ続けました。

本のタイトルは「無人島暮らし。」と固め。 無地のグリーンの表紙。 分かっています、アピール性には欠けます。 ですが、すぐ売れてすぐ下火になるような売り方はしたくなかったのです。 長い目で見て、そう、エコを考える時のように。 いつの時代にもアピール出来るように。 だってエコはこれからもずっと続く事だから。 出版社も同意してくれました。 

「長い目で見れば、総売上額は、一気に売った場合と同じか、それ以上でしょう。 当社としても、長期戦でいける本はありがたいですからね。」

中には、

「これ、あの無人島ガールが書いた本なの? テレビで見たイメージと違う~。」

そんな声も聞かれました。 そうかもしれない。 キャッチーなタイトルや表紙ならもっと売れたかもしれない。 “無人島ガール、赤裸々告白!”なんてね。 一気にベストセラー、一気に印税収入、一気に下火…。 でもそれでは、興味本位で読む人を増やしそうで嫌でした。

(キャッチーか。 咲良が好きそうなノリだな。)

楽しい事なら何でも大好きだった咲良。 テレビ出演も出版も、キャーキャー喜んでくれたでしょう。 でも…。

(咲良は…私が書いた本、買うだけで読まないと思う。 読んでも分かってくれないと思う。)

そう気が付いてしまいました。 もう思い出だけの遠い人。 大切な、大切な思い出…。 それなのに…。 ますます遠くに感じるようにしてしまった自分を後悔しました。   

(大樹だったら分かってくれたかな。)


 本はベストセラー入りしませんでした。 日向子は気にしていませんでしたが、武藤はこう言います。

「タイミングの問題だよね。 今、映画ブームも落ち着いて何の話題性もないから。 売るなら何かきっかけを作ってからでないと。」

店には手書きのポスターを貼り、店のサイトには宣伝を出し、

「“無人島ガールが働く店”。 これで良し。 うちは日向子のサイン付きで本売るからね。 あ、日向子、写真撮影頼まれたら、にこっとお願いね。」

(サインや写真で売るなんて、それこそ無人島ともエコとも関係無いじゃない!)

武藤らしいやり方。 長い付き合いだからこそ、笑って「はい」と言えるのでした。 

武藤の店。 リサイクルできるペーパーバッグを使っています。 でも、バッグなんてない方がエコにはもっといいのです。

「でもさ。 これが人間社会のサイクルなんじゃないの? 日向子の本に書いてあった“意識してサイクルさせる”って言うあれ。 紙バッグをリサイクルする。 それが、雇用、納税、経済貢献を生み出し、バッグそのものは段ボールに生まれかわる。 ね、回ってるじゃん。」

読んでくれている。 武藤なりに解釈してくれている。 嬉しい。 武藤とレジに立ち袋詰めをしていました。 商品の入ったバッグをお客様に手渡し、「ありがとうございました。」と言いましたが、その言葉は武藤にも向けたような気がました。


 無人島ガールは、今なお人々の記憶に色濃く残っていますが、ブームはすっかり下火です。 三年の月日が流れていました。 夏。 この時期が来ると、無人島の事が頻繁に思い出されます。

 武藤は仕事のストレスが溜まっているのか、だいぶ老けた印象になっていました。 ただ、バイタリティだけは以前より上がっていて、今ではアイスクリーム店も経営していました。 

「日向子。 今日、アイスのバイトが休みなんだけど、代わりに出てくれる?」

「私はアパレルしかやらないって、言ったじゃないですか。」

「はいはい、聞いてみただけよ。」

相変わらず十代の子が着るような服を着ている武藤。 それを着こなしてしまうところが彼女らしい。

アルバイトの収入だけで生活は出来ていたので、それ以外のお金は口座に貯まっていました。 中古物件で良ければ、東京の隅に家を買うことも出来ました。 しかし日向子は今いる場所で何の不便も感じていませんでしたし、両親が住んでいたような、立派な家に住みたいとも思いませんでした。 裕福な生活には全く未練がありませんでした。 

お金を貯めるなんて、庄司家では無縁でした。 貯めた、と言うより、“家にお金があった”、そんな印象でした。 父親が高収入だった事は確かです。 でも、それだけではない何か。 ライフスタイルも、贅沢や無駄遣いとはどこか違っていた… その何か、って。

そのお金が“ある”状態に自分もなりつつあります。 お金を品良く使っていた両親。 エレガントだった母。 今でも憧れの人。 憧れ。 温もり、と言うよりも。 彼女をお手本にして。 でも、自分のセンスとは違う気がしました。 それでも日向子には、日向子なりの品があります。  

完成した勝也の家は、内装から家具まで、それはそれは立派な物でした。 が、どことなく生活感が漂う、不思議な空間に。 床には物が色々と置いてありました。 

勝也の子供達も少しずつ日向子に慣れてきました。 ゲームに夢中になる姿に、「まったく最近の子は…。」なんて思う日向子ですが、自分だってそう言う世代。 子供達は、外遊びに誘えばキャッキャとはしゃぎました。 やっぱり馴染めない家。 外へ出てしまったほうが楽なのです。 手の空いた晴美はにこにこしました。 

(元気だなぁ、良太も賢太も。)

のびのびとしていました。 素直でした。 のどかな環境がそうさせるのでしょう。 そこへ、大人のせかせか感が混在します。

(何か、ミスマッチなんだよね。)

でもそれが温かく思えました。 家庭らしさにも思えました。

(自分の実家がまとまり過ぎていたの?)

ある日型紙を起こしている時、

「これ、ちょうど晴美さんサイズだ。」

そう気が付き、

「晴美さんにも作ってあげよう、生地は余るから。」

自分にちょっとびっくりしました。 くすくす笑い出し、

(彼女、多分無表情にありがとう、って言うんだろうな。)

静岡の親戚を訪れるのも億劫ではなくなっていました。  


服のデザインの道に正式に進もうとも思いました。 しかし会社では、今ほど自由なデザインはさせてもらえないでしょう。 

(もし大学を卒業していたら、皆と同じようにどこかの会社に勤めていたのかな。 それで自分は幸せだった?)

多分、幸せだったと思われます、以前の日向子なら。 会社で嫌な事があっても、家に帰れば楽しい時間が待っている。 それだけで十分で。 そんな日々だったでしょう。 しかし今の日向子は違いました。 色々な事を知ってしまったのです、視野が広がってしまったのです! それはいい事。 でも。 無知でも、楽しいだけでも、それだって幸せなのに。 人は、知るほどに欲深くなるの? 知らないままのほうが…。 だって、もっと良くしようって思うから、やり過ぎてそれが環境にも影響して…。

 

 日向子には、反抗期がありませんでした。 もしかしたらその反抗期が、今こういった形で現れているのかもしれません。 しかし遅すぎました。 今となっては反抗する相手がいないのです。 涙がこぼれました。 

複雑な涙でした。 家族を失った悲しさだけではない。 当時の事を素直に幸せだと思えなくなってしまった自分がいる。

その時、未読のメッセージがあることに気がつきました。 ネットでデザインの話をしている女性からです。 気持ちは切り替わりました。


 ブログを通して受ける仕事は大きな収入にはなりませんでした。 しかし、自分のデザインを本当に気に入ってくれる人と繋がれるメリットがあります。 シビアなネットビジネス。 気に入らなければ、もう訪問してくれません。 だからこそ、より一層学ぼうと思うのでした。 

 仕事の時、つい熱が入り、理屈っぽくなってしまう事があります。 そんな自分が以前は嫌でした。 ですが今では、言葉を選び、言いたい事を言うようにしています。 すると、相手も率直な意見を言ってくれたり、心を開いてくれたり。 デザインの方向性が見えやすくなっただけでなく、

(この人とは、他の話題をしても気が合いそう。)

そう思えて。 人を素直に、身近に感じられるようになっていました。  心は静かに満たされていました。  

 

 咲良達は理屈派ではありませんでした。 楽しい家族。 それでいいと思ってた、それがいいと思っていた。 “どこか満たされない感”。 裕福さから来るわがままだと思って。 心の隅に押しやるようにして。

 長い付き合いの武藤さん。 心も知れている。 話し合える、大切な人。 でも。 

(彼女の場合、気が付けばいつもお金の話!)

苦笑するのでした。 でも、彼女の理屈は嫌じゃない。 なるほどって思わせてくれるからね。 思考回路って面白い。 


「なんで連絡してこないのよー!」

「…さやか?」

広田からの電話です。 小田急線を降りたところでした。 夜の九時を回っています。 なんで、と言われても、さやかからの連絡も最近全くありませんでした。 さやかの突然ぶりに、

「ええ、芸能人様に連絡しては申し訳ないと思いまして。」

つん、と返事しました。

「ごめんごめん。」

すぐに謝る所がさやからしい。 

「今どこ?」

「新宿。」

「ええ! 私も新宿にいるんだ。」

「ほんと? 新宿のどこ?」

「南口。」

なんという偶然でしょう。 撮影だったのかと聞くと、

「…ううん、なんとなくね。」

ぽつん、と言いました。 変に思いましたが、近くにいるのかと思うと、言葉が出る方が先で、

「そう? 私はクライアントさんに会ってきたんだ。」

早口で言いました。 

「デザインの方は順調なんだね。」

「ううん、たまに依頼があるだけ。 ねえ! それより。 近くにいるんだから、会おうよ。 南口のどこにいるの?」

「…サザンテラスで会わない?」

「OK!」

さやかに会える! すでに小走りでした。 甲州街道がなかなか渡れなく思えました。 声の調子が気になるけど… 久しぶりのせい? あの試写会以来だから? そう言えば最近、広田さやかをテレビで見ていませんでした。 テレビそのものをあまり見なくなっていた日向子は、そのせいかと思いました。


 サザンテラスのベンチにつつましく女性が座っていました。 すらっとした腕が膝に置かれています。 広田さやか。 芸能人だと言うのに、メガネも帽子もなしに、です。

(夜だから、人目を気にしなくていいのかな。)

日向子を見つけると、広田は元気に手を振りました。 

(相変わらずだなぁ。)

ほっとしました。 ハートはそのままです。 でも、何か変わった気もしました。

 持っていたバッグを肩から下ろし、横へ座りました。 代々木方面に向かう線路が見えます。 線路上は暗く、そこだけ見ていると、遠くへ吸い込まれそうでした。 日向子のバッグを見て、

「日向子がデザインした服が入っているの? 見せて!」

「うん。」

女性物のブラウスでした。 何となく葉っぱの服を想像していた広田は、

(そんなわけないのに!)

くすっと笑いました。 それを見て日向子は、

(いつものさやかだ。)

「元気そうだね。 このクライアントさん、こだわりが強いんだ。 既製品だと袖が長すぎるとか、でも七分丈はイヤだとか。 都内に住んでる人だから、実物見せてきた。 OKもらえたから、これで本縫い出来る。」

「素敵!」

広田は両手でブラウスを掴み、自分の胸に当てました。

「分かるなぁ。 既製品てだぶつきがあったり、丈の長さが中途半端だったり。」

それだけ言うと広田はブラウスをゆっくりたたみ、静かになりました。 

「…さやかは新宿で何してたの?」


気持ちの良い夜でした。 蒸さず、さらっとした夜風が流れています。 背後の喧騒。 このまま沈黙しそうでした。 それもさやかとなら気兼ねしないのですが、せっかくの久しぶり。 話さないのはもったいない。 そう思っていると、

「…なんで新宿にいるのかなぁ。 用はないんだけど、気分転換したくて。 日向子の事は思い出していたけど、売れなくなった芸能人って、お情けかけられるのも嫌だったから。」

(売れなくなった?)

ふぅ - ため息。 しばらく黙った後、

「私。 女優業は歌手より好きだし、自分に合ってると思う。 でも、必ずしも実力が反映される世界かって言うと、そうでもなくて。 実力ないのに売れてる人もいる。 

いやだなぁ、私。 自分も歌歌ってた時、実力ないのにちやほやしてもらったのにね。 だからおあいこ。 これからも女優は続けたいけど、もう、私の人気は下火だし。」

 芸能人の評価ほど、あいまいな物はあるでしょうか?  デザインだって、評価の基準はあいまいです。 それでも、芸能界よりは実力が反映されるでしょう。 厳しい世界、何て言ってあげたら -

「さやかの演技、心がこもっているもんね。 島での演技、他の誰にも出来なかったと思うよ。」

「ありがと。 自分さ、ヘタじゃないと思うんだよね。 でも一番でもない。 実力で勝負が決まるなら納得できる。 けど、売り出し方とか、今旬のタレントとか… そう言う事で売れている俳優を見ると、悔しくて…。」

(売り出し方…。 本の内容とは関係なく、私の本を売ってくれる武藤さん…。)


「私ね、クイズ番組に出た時の自分のイメージ、自分と違うから、変えたいと思ってた。 幸いにも私の場合、ブログとかデザインで自分を発信できるから。 分かってくれる人もいる。 でも、芸能人の場合、一度作られたイメージって、なかなか変えられないんだろうな。 女優に転身してからのさやかをちゃんと見れば、本当のさやかが何なのかって、分かる事なのにね。 フェアじゃないなぁ、芸能界って。」

「私、知ってたよ、芸能界ってアンフェアだって。 イメージが物を言う世界だって。 分かってて入った世界なんだ。 でも。 キツイなぁ。」

「イメージって誤解が多いよ。 無人島生活だって、野性的なイメージが先行してるしね。」

「ねえ、日向子。 日向子はライバルを落としてでも、デザインの道を進みたいと思う?」

「落として… それはないなぁ。 ライバル意識はあるよ、けど、ライバルの作品だって、いい物なら感心しちゃう方が先。 でも、もしお勤めしてたら。 上司に認めてもらって、上に上がれて、初めて大きな仕事が任せてもらえるから。 そういう環境にあれば、ライバルが邪魔かな。」

「私の周りは、ライバル心むき出しの人ばっかり。 それは仕方ないけど、ライバル心はやる気とは違うよね、なのに、やる気と勘違いされて、そう言う人が起用されて。 やっぱりイメージなんだなぁ。」

 それっきり無言でした。 再び、夜の喧騒 - 波音だった島の背景音。 心地よい、どちらでも - 

「私ね。 無人島ガールやって良かった。 だから今の自分がある。 自然はフェアだった。 最近、特にそう思うんだ。 自然はイメージに誤魔化されないからね。」

「うん。」

「ほんとはね、もっと早く日向子に会いたかったんだ。 時間はいくらでもあった、いつでも会えた。 でも、いつでも、なんて、暇丸出し。 忙しそうに振舞っちゃって…。 あーあ、私こそかっこつけなんだよね。 イメージにしがみついてる。」

ふと、広田はすっと立ち上がり、す~っ… 胸いっぱいに息をしました。 何を突然… まるで新鮮な森の空気を吸うように、です。

「え、ちょっと、都会の空気は良くないよ。」

「いいの。 見て。 代々木の方が暗いでしょ。 そこだけ見てると、まるで島の夜空みたいじゃない?」

「私もそう思ってた。」

目線はそのままに、広田は背筋をしゃんとし、 

「えー、わたくし、広田さやか。 芸能界と言う荒波にもまれ、島に漂着しました。 真っ青な空。 白い雲。 その下で気を失っています。 雲はぷかぷか浮いていて、気にも留まらないみたい。」

(お芝居?)

「砂浜がキラキラ光っていました。 頬には砂粒。 目を覚まし… ああ、喉がカラカラです。」

くすっ - 冗談めかしている。 でも、真剣みたい、心の整理をしているみたい。 日向子も乗って、

「大変です! 早くヤシの実を探さなきゃ!」

即興のナレーションで参加します。 広田は続けました。 

「疲れ切った体。 ゆっくり起き上がり、辺りを見渡すと… そこにあったのは、“都会の”ヤシの木でした。」

“都会の”? 

「ねえ、それ、どういう意味?」

きょとん、と日向子。

「あーん、聞いちゃう? 演技止まっちゃったじゃない。 想像力ないなぁ。」

「ごめん。 何かをヤシの木に見立ててるんでしょ? なんだろ。 都会だから… 自販機? 缶ジュースがヤシの実で。 えーと、木の周りには、都会のヤシの実が落ちていました。 叩いてみましたが、なかなか割れません。 石を叩きつけ、蹴ったり…」

「はあ? ジュースが落ちてる? 叩く? 蹴る?」

「だって、次はヤシの実を割るシーンだから。」

「あー、真に受け過ぎなんだよね、日向子! 大体、都合よくジュース落ちてるわけないじゃない。 蹴るだ、叩くだ、そんな事したら怪しまれる、もうおしまい! さあ、遭難した広田さやかを都会のオアシスまで救助して!」

「あ、それは分かる! 飲食店の事でしょ?」

「そう、それで喉の渇きを癒すの!」

「そうか! ビルがヤシの木、入ってる飲食店がヤシの実!」

「はいはい、ご説明ありがとうございました。 …ま、日向子らしいや。 じゃ、ヤシの実割りに取り掛かろう!」

「うん、取り掛かろう! ね、最初なかなか割れなかったんだから、遠回りして労力使おうよ。」

「そこまでやる?」

「やるよ、だって私、真に受け過ぎなんでしょ? あっ、それとも…。」

「それとも?」

「救助って言ったよね。 ここ、漁船の救助シーンにする? 全力で走ったでしょ、あの時。 早く着くよ。」

「そうだね、遠回りしないで済む。」

「あ、でも漁船では水飲んだだけだったから… それじゃオアシスとしてつまらない。 ねえ、パンやコーヒーが出た日本大使館がオアシスってのはどう?」

「いいねぇ、それだと行き先はカフェってことになる。 うん、決定! オアシスは日本大使館! 丁度アイスコーヒー飲みたかったんだ。」

快活にさやか。 目が会いました。 笑い出しました。 庄司日向子。 広田さやか。 二人とも、失った何かがある。 でも。 やっていける。 そんな気がしました。 何かが開けた気がしました。

 歩き出す - 

「大使館までは車で行ったものね。 タクシー拾わなきゃ。」

乗り込みます。 冷房が効いていました。 あの時のように - 

絶え間なく流れる車。 当たり前のように。 波のよう。 二人は夜の街に消えてゆきました。


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無人島ガール ノリコY @NorikoY

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