第3話

 ウィリバルトの心情が、魔力の暴走という形で表れたのは必然と言えよう。

 突然吹き荒れた高純度の魔力が部屋の中を荒らすが、すぐにそれは収まった。

 自分の感情の荒れが魔力暴走を引き起こしたと理解したウィリバルトが、キツく目を瞑って深呼吸をし、己の感情を抑えたのだ。そのお陰で魔力暴走は終息したのだが、荒れた室内だけはどうにもならない。

 そして物音を聞きつけた国王と王妹であるブリギッテと医師たちが驚いて駆けつけた時に目にしたのは、荒れた室内でベッドに寝ている母親の傍らで表情を強張らせているウィリバルトと、少ない命の灯火を今にも燃やしつくそうとしている側妃マルティナが、そんなウィリバルトの手を握ろうと弱々しく痩せた腕を伸ばしているところだった。


「ウィリバルト……」


 ベッドの傍らに走り寄った国王は、マルティナが息子を呼んでいる声を聞いた。


「顔を、よく見せて、ちょうだい……」


 その願いを聞き、ウィリバルトが顔をマルティナに近づける。その頬をマルティナの痩せこけた手が覆う。


「ああ、陛下……に、そっくり、ね…………ウィリバルト、貴方を、愛して、いるわ…………そして……お願い、よ…………貴方の…………」


 ウィリバルトの頬から手が離れ、ぱたりとベッドに落ちた。

 それをウィリバルトは強張った表情で見つめる。

 医師たちがマルティナに走り寄り、脈を計ったり目を指で開いて確認したり、忙しなく処置を施していく。

 やがて三十分とも一時間とも思える程の時間が過ぎ、初老の医師が「ご臨終です」と告げるのを黙って聞いていた。

 国王はがっくりと膝を着き、ベッドで眠る様に亡くなったマルティナの手を握り、無言で涙を流していた。

 ウィリバルトはそれを冷めた気持ちで見つめる。

 義母に促されて寝室をあとにし、隣室のソファに座るとウィリバルトは自分がかなり体に力を入れていたのだと理解した。

 ウィリバルトはソファの背に凭れて目を瞑り、体から力を抜いて長く息を吐いた。

 子供のそんな姿を見て放って置く大人はいない。義母はウィリバルトの隣に座り、そっと彼の頭をその両腕で抱き込んだ。

 引き寄せられる事となったウィリバルトは驚いて一瞬体を固くしたが、すぐに体から力を抜いて大人しく『母親』の胸に顔を埋めたままにした。

 ウィリバルトの目に涙は浮かばない。

 生みの母親と言われてもその実感はなく、突然引き合わされた側妃に対して他人としか思えず、なのに自分が赤ん坊の時に『切り捨てられた』という事だけが浮き彫りにされ、生みの母親が亡くなった今もその死に対して何の感慨も覚えない。

 自分は随分と冷たい人間なのだなと、ウィリバルトは内心で自嘲する。

 反対に生みの母親である側妃と、本当の父である国王に対する冷たい感情──憎悪、侮蔑、屈辱、憤怒──が心に渦巻く。しかしそれを表に出さず、心の奥底に閉じ込めて蓋をした。

 この後、どうしたらいいのだろうかと、そんな事を考える。

 普通に考えればこのままアイゼンラウアー公爵家嫡男として、そして本当は弟である『従弟』の側近として生涯を過ごすのだろう。それが『臣下の息子として生まれた』ウィリバルトに許された生き方なのだろうと、冷静に自分の人生を見つめる。


 だが。


 もしもウィリバルトが正妃の子で、テオドールが側妃の子であったなら。

 そんな事を考えてしまう。

 もしもなど、ありはしないというのに。

 だが、そんな『もしも』ではなく。


──王太子テオドールおとうと瑕疵かしがあれば、あるいは。


 昏い願望が頭をもたげる。


──ああ、それもいいな。

──アレはバカだから、ほんの少し煽れば面白いように転がるだろうしな。

──俺から奪ったものを取り返すのは、何も悪い事ではないよな。


 ウィリバルトの心は決まった。

 彼は母親の背中を己の手で軽く叩き、離して欲しいという意思を伝えた。


「母上、ありがとうございます」


 涙の跡のない自分の顔を見て怪訝そうな表情になる母親に、困った表情を貼り付けて見せた。


「私も男です。それに貴族として泣くわけにはいきません」


 そう言ってみせると、母親は痛ましそうな表情になる。


「ウィリバルト、貴方はまだ子供なのですよ。こういう時くらい感情を出してもいいのです」

「ありがとうございます。でももう落ち着きましたので」


 母親の心遣いはありがたいが、生みの母親を悼む気持ちは元より持ち合わせていない。こんな場合に涙を零さない事を強がりだと思われたようだった。


(それはそれで面倒くさいな)


 さてどうやってこれをかわそうか、と思案する。

 まだ十歳という年齢は人生経験が不足している事をウィリバルトは痛感した。

 だが、思わぬところから援護の声がかけられた。いや、援護なのかどうか判然とし難い相手からだったが、この状況を動かしてくれた事には感謝してもいいだろうと思う。

 声をかけてきた相手は先程ここまで案内してくれた侍女で、国王からの退出許可だった。


「わかりました。お兄様には後ほど、正式な弔意を伝えますが、妹としての弔意を伝言してちょうだい、エリザ」

「畏まりました、ブリギッテ様。どの様にお伝えしたら宜しいのでしょうか?」

「『愛する者を喪った哀しみには同情するけど、それで国政を疎かにする様な男ならマルティナが天の国で安心できないわ。マルティナはきっと、ヒルデガルトお義姉様に後を託してると思うからしっかりなさい』と。一言一句、間違えないでちょうだい」


 悲しそうにしながらも兄である国王を叱咤する内容に、ウィリバルトは驚いて母親を見上げた。

 母親の伝言内容からすると、王妃様と側妃であった生みの母親は仲が悪い訳でもないらしい。

 となると、なぜ父である国王がそこまで自分の存在を疎んだのかと、またも苛立ちが募る。


「驚いたかしら、ウィリバルト? 詳しい事は後で教えて上げるから、今はまず後宮から出ましょう」


 母親の言葉に、ウィリバルトは無言で頷いた。

 彼の中で得も言われぬ感情が渦巻き、それが苛立ちの元になっており、それで早く後宮から出たかった。




❐ ❐ ❐ ❐ ❐


 馬車の中でウィリバルトは、側妃マルティナと正妃ヒルデガルト及び王女ブリギッテが少女時代には友として交流していた事、王太子ヴィルヘルムとマルティナとの恋。けれどもマルティナの家の爵位と家格の両方が低かった為にマルティナを正妃にする事ができず、侯爵令嬢で家格も侯爵家の筆頭だったヒルデガルトが王太子ヴィルヘルムの正妃となった事。正妃は必ず一人は男子を産まなければならない事。

 そこまで説明を受けたところでアイゼンラウアー公爵家の王都邸に着いたので、一旦着替えて場所を母親の私室に移し、また説明を聞く。

 王太子の婚姻後に前王、つまり第十二代アイゼンブレヒト国王ラファエルが病没し、王太子ヴィルヘルムが第十三代アイゼンブレヒト国王となった事。暫くは政治的にややこしい事がたくさんあって、それを片付ける為にヴィルヘルムが奔走していた事。その後、正妃ヒルデガルトの勧めもあってマルティナを側妃に迎えた事。二人がほぼ同時に懐妊し、その事でヒルデガルトに悪いとマルティナが気にしていた事。予定ではマルティナの子の方が一月ひとつき遅く生まれる筈だったのに、マルティナが早く産気づいた事。そしてヒルデガルトが産気づいたのが予定よりも一週間遅かった事。その為にウィリバルトは第一王子として生まれてしまった事。

 国内のややこしい事はなんとか片付けたとはいえ、派閥を作りたがる貴族の性質までは変える時間が足りなかった事。その為に正妃の子も側妃の子も王子だと知られれば、国内は二分される恐れが十分にあった事。

 だからこそ、国王は苦渋の決断でウィリバルトをブリギッテに託した事を聞かされた。

 そしてウィリバルトの名は国王ヴィルヘルムが自身の名に因んで付けたものだとも。

 ウィリバルトにとっては名前が国王に因んだものだと聞かされても、だからどうしたとしか言いようがない。

 生まれてすぐに切り捨てられたという思いは、彼の心の奥底に根付いてしまい、容易に覆せるものではなかった。

 だからこそ、彼は国王を許す事はできず、復讐を誓ってしまう。


──俺は必ずやこの国の王になって、俺を切り捨てた男を見返す。その為ならどんな事でもしよう。

──貴族どもも纏めて跪かせる事ができれば、俺は満足できるだろう。


 心の奥底に刻まれた苛立ち、屈辱、憤怒、軽蔑、憎悪。あらゆる負の感情が渦巻いて出口を求めるが、ウィリバルトはそれをなだすかし、いつかの為に牙を研ぐ事を決意した。

 そしてそれ以降、彼は更に勉学と武術と礼儀作法の習得に力を入れていく。

 登城して王子のそばにいる時は周りに悟られない様にしたが、成長するに連れ整っていく顔立ちと王太子の側近という立ち位置、そして公爵家嫡男という身分に釣られてウィリバルトに媚を売る貴族が増え始め、あろう事かじかに彼に自分の娘を売り込む者も出てきはじめるに従い、曖昧に断るだけでは通じないと気がついたウィリバルトは、周囲に対して冷たい態度を取る事に方針を変えた。

 どのみち、彼に媚を売る様な貴族は「使えない」と判断できる。媚を売るという事は、己の力量だけで地位を上げる事ができないから、力のある家に取り入ってお溢れを貰おうという卑屈な考えでしかないからだ。

 幸いと言っていいのか、彼に何度もしつこく娘を売り込む貴族がいたので、周囲に対して「もううんざりだ」とわざと愚痴を漏らし、くだんの貴族が何度めかの娘の売り込みをかけてきた際に派手にキレて見せ、以降は周囲全てに対して冷たい態度に変えた。

 但し、『仲間』であるジョアンとコンラッド、イアンには少しだけ表情を崩してみせ、多少気安い態度を心がけた。尤も、彼らに対してもまるきり心を開いてなどいない。彼らとて王太子テオドールの側近であるのだから、『仲間』よりも主君を大事にする事など予想しなくてもわかる。だから本音は隠して付き合うのみだった。

 王太子テオドールに対しては、完全に将来の敵になるつもりだから本音は元より少しでも怪しまれる言動は取れないと気を張り続けた。

 だが、まだ子供である。

 ストレスが溜まる生活を続けている為、時々感情の抑制がうまくいかずに周囲に当たることが多かった。

 そんなウィリバルトをエルフリーデとイアンが心配そうに見ていた。

 そしてウィリバルトはエルフリーデに心配される事がなぜか嬉しかった。その感情が何かなど彼にわかろう筈もない。

 自分の事を、本当の親に切り捨てられ見放された、それも能力や資質がまだわからない赤子の時点で不必要と判断されたウィリバルトを心配してくれるのは、育ての親であるアイゼンラウアー公爵夫妻以外には彼女とイアンしかいなかった。

 友達の筈なのに、ジョアンもコンラッドも心配してはくれなかった。それがウィリバルトが彼らに対して抱いた不信感の小さな芽吹きだった。










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