ウィリバルトの決意
木花未散
第1話
ウィリバルトはアイゼンブレヒト王国の三大公爵家の一角を担うアイゼンラウアー公爵家の嫡男として生まれ、王子の従兄弟として恥ずかしくない教養と立ち居振る舞いを、と充分以上の教育を施されていた。
テオドール王子はウィリバルトと同い年で、しかも誕生日が近い事もあり、幼い頃からウィリバルトは『側近候補』として遊び相手になっていた。他の遊び相手には、ジョアン・キュンベルとコンラッド・マイネル、イアン・クラウゼヴィッツがいた。
ほんの幼い頃はよくわからなかったが、ジョアンの父は典礼大臣、コンラッドの父は近衛騎士団長、イアンの父は宰相なのだと、八歳になる頃には理解していた。ちなみに自分の父は法務大臣だと知ったのもこの頃だった。
忘れもしない八歳の時。
テオドール王子に婚約者ができた。
「ウィリバルト・アイゼンラウアー様、イアン・クラウゼヴィッツ様、ジョアン・キュンベル様、コンラッド・マイネル様、この度テオドール殿下の婚約者となりましたエルフリーデ・アルナシェルと申します。殿下ともどもよろしくお願い致しますわ」
そう挨拶してきれいな所作でカーテシーを披露するエルフリーデを、ぽかんとして見つめた。
子供なのにどこか大人びた雰囲気で、彼女の方が年上だと思えた。
「フリーダ、何でかしこまってるの?」
イアンの問いかけにウィリバルトはぎょっとした。知り合いらしい事も驚いたのだが、愛称呼びしているという驚愕の方が大きかった。
「イアン! わたしは淑女らしくきちんとした挨拶をしなければならないのよ⁉ ここはアントノワールではないのだから、愛称で呼ばないでちょうだい!」
アントノワールは避暑地で、大貴族の別荘が多い。という事は、エルフリーデとイアンの二人はアントノワールで知り合ったのか、と半分納得した。
「ええ? 三歳の頃から呼んでるのに?」
「でも時と場合を弁えるべきでしょう? イアンは随分と教育が足りていないのではなくて?」
自分でもイアンを呼び捨てにしている事に気がついていないのか、とウィリバルトは少し呆れた。
「失敬な。んんっ。私を誰だと思っていらっしゃるのですか、アルナシェル嬢?」
「イアン・クラウゼヴィッツ公爵令息様でいらっしゃいますわね。クラウゼヴィッツ様は本日どのような事をなさっておりましたの?」
エルフリーデに詰られた途端、イアンが外向きの笑顔を貼り付け、彼女に対応し始めた。
「今日は殿下が席を外されているので、ウィリバルトとジョアン、そしてコンラッドと四人で魔術式理論について議論をしていたのですよ」
「わたくしには理解できない世界の話ですわね。わたくしに必要なのは、理論よりも実践と……殿下、大変申し訳ございません」
エルフリーデの左側からぞくりとする冷気が漂ってきた事に、ウィリバルトは気がついた。ちらっと見ると、テオドール王子の顔が不機嫌そうに顰められていた。
魔術式理論はテオドール王子の苦手分野の為、魔術式理論について議論を交わすのは王子がいない時とみんなで決めていた。王子が不機嫌になるのがわかっているのに、好き好んで地雷を踏む者はいない。
が、それをしていたとイアンがバラしてしまった為、王子の機嫌が悪くなったのだ。
イアンがそれに気がついたのだろう、まずい、と表情に出して焦り始めた。
エルフリーデは王子の機嫌がなぜ悪くなったのか気がついているのだろうか、とウィリバルトは慎重に観察する。
彼女は一瞬、視線をイアンに向け、その後王子の方へと戻した。
「殿下、魔術式理論よりも、わたくしは殿下の剣術の稽古に興味がありますわ」
笑顔で王子に声をかけるエルフリーデを見たが、どこか呆れた様な雰囲気が感じられた。
「本当か⁉ なら直ぐに近衛の訓練所に行くぞ! 稽古を見せてやる! お前たちも一緒に来い!」
たちまち機嫌が良くなったテオドール王子に呆れつつ、ウィリバルトは先導して走るテオドール王子の後ろをついていく。
「テオドール王子! 走ったらだめですよ! 女官長に注意されてしまいます!」
ジョアンが生真面目に注意をするが、それを素直に聞くテオドール王子ではなかった。案の定、途中で女官長に捕まったらしく、小言を言われているところに追いついた。
暫くその小言を聞き、王子が反省していると涙目になった頃、漸く女官長から解放された。
「殿下、廊下を走るからですわ。近道はございませんの?」
何を言っているのだ、とウィリバルトが唖然としてエルフリーデを見遣ると、彼女はヘーゼルの瞳を煌かせつつ薄目になり、いたずらっぽく右頬に右手の人差し指を添えていた。
「近道?」
「ええ。訓練所までの近道ですわ。廊下を進んでいたら時間がかかりますでしょう?」
「考えた事もなかったが……そうだな、中庭を経由して行けば近いかもしれない」
ウィリバルトはエルフリーデの性格を意外に感じていた。もう少し真面目な少女だと思っていたのに、こんな『近道』を提案してくるなど予想もしていなかったのだから。
だが、『近道』して行くと、近衛の訓練所の裏側から入る事になり、それはそれで怒られそうだと内心うんざりする。
そんなウィリバルトの内心を代弁するかの様に、イアンが溜息とともに吐き出した。
「殿下、訓練所の裏側から入る事になるけど? いいのか?」
「俺は王子だぞ。いいに決まっている」
何処からこの自信がくるのか、と頭が痛くなったウィリバルトは、コンラッドに目線で促した。
「殿下、俺の父上がいたら、殿下が王子の身分であっても容赦しないと思う」
「マイネル団長か」
テオドール王子は顔を顰め、嫌そうに呟いた。
「俺を王子とも思わない態度が気に入らん。いつか追い出してやる」
そんな呆れる内容を吐き捨てるテオドール王子に、ウィリバルトは頭痛が酷くなる。こんなのが従弟でこの国の王子だと言うのだから、この国の将来は暗いかもしれない、となんとなく苛ついた。
「殿下、何を仰るのです? 近衛兵団団長が殿下にきつい物言いをなさるのなら、それは殿下の事を思っての
「諫言?」
「殿下が言動を改めてくださる様に、注意なさっているという事です。コンラッド・マイネル様のお父上だとすると、恐らく殿下の事も我が子の様に思われているのでしょう。だから子供に注意をする様に接しているのだと思いますわ」
ウィリバルトは驚いた。
そんな事は思いもしなかった。単に煩い大人だとしか思っていなかったが、確かに今までのマイネル団長の物言いを思い返すとそんな気もしてくる。
しかし、そんな団長の気持ちを王子の言葉から推測するとは、このエルフリーデという少女はどれほど聡いのだろうかと思った。この少女が自分たちと同じ八歳とは思えない。大人びていて敵わない気がし、ウィリバルトはそれがなんだか悔しく感じた。
その後、中庭を『近道』して近衛の訓練所に行き裏側から入り込んだ彼らだったが、幸いな事に団長が席を外していて怒られる事もなく近衛兵から剣術の稽古をつけて貰う事ができた。
それを、日陰になる訓練所の片隅に立っている大木の影の下からエルフリーデが見ている事が、ウィリバルトにはなぜか嬉しく感じた。
今考えると、あの頃には既にエルフリーデに対して好意が芽生えていたのだろう。
だが、まだまだ少年で恋愛など知りもしない子供だった彼には、それが何なのかわからなかった。ただ、エルフリーデが見ているから無様な姿は見せたくないと、遮二無二頑張りすぎて却って隙が多くなり、何時もより打ち込まれる回数が増えてしまって彼女に対して無様な姿を晒してしまう事となった。
(次はこんな無様な姿は晒さない)
ウィリバルトは疲労困憊で訓練所の床に倒れながらも、次の機会での汚名返上を心に誓った。
彼女は気が強く、彼らが口で勝てる事はなかった。しかし王妃教育がキツいのか、たまに彼らと遊ぶ時にポツポツと愚痴を零す。
だが、愚痴は零せど不満を漏らす事はなかった。
ウィリバルトはそんな彼女を観察し続けた。
エルフリーデは頑張っていた。月を経る毎に王妃教育は過酷になっていく。
ある時から表情が作り物めいた完璧な笑みだけになり、ウィリバルトがその奇妙さに尋ねてみたところ、「王妃となる者は何者からも侮られてはいけないから常に微笑んでいなさい、と言われたのです」との答えが戻ってきた。
王族とは大変なのだな、とエルフリーデを気の毒に思った。
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