レッテル焼き
2019年1月15日。父は僕達家族の前から姿を消した.....。
1.
((翔人side))
「あのレストラン行ったことある?マジでくそまずいぞあそこ」
僕は仕事終わり、いつもエゴサーチをする。その液晶に書かれた文章を読んで僕は手を頭に置く。こんな事をネットに書かれれば[まずい]というレッテルを貼られ、客が店に足を運ばなくなる。その文章の削除申請を出すとパソコンを閉じ、溜息をついて椅子から立ち上がった。
「親父、何処に行っちゃったんだよ。自分の店残して・・・・何で、何で、俺たち家族を捨てたんだよ」
本音は心の中に抑えきれず、体外へと排出される。しかし、ここには僕以外誰もいないので、心の中に留めているのと同じだ。自分は苛立ちながら店を出て、矢継ぎ早に母の待つ家へと直行した。
「お帰り、翔人」
「うん、母さん。ただいま」
靴を揃え、キッチンへと直行。そのまま、食材を手に取って僕は料理を作り始める。母は料理を作れない。包丁を持つことができない。
「ごめんね、いつも。私が料理作って上げたいんだけど」
俯きかげで母は言う。僕は「いいよ」と返す。包丁で材料を切りながら目線を母に落とす。母は洗濯物を畳んでいた。丁寧に折り畳んで、僕の衣服をクローゼットに直してくれている。夜ご飯が完成し、食卓に料理を並べて僕達はお互いに座りあった。手を合わせ、箸を持つ。
「「いただきます」」
僕がやれないことは母が行い、母がやれないことは僕がやる。僕の家族はそう成り立っているんだ。
((?side))
人間はひたすら醜い。絶景も、そこに観光客がいるだけでありふれた景色へと変わる。手足四本で構成された生物は、汚されたゴミ箱に住み着いて幸せを探している。しかし、幸せなんてものはない。もし、なんとか手に入れたとしてもそれは辛さに変わる。棒線を一本抜き去るだけで全て崩れ去る。翔人の家族がいい例だ。保っていた幸せは、父親という棒線が抜かれた事により消えた。そして、全く別の意味を持つ漢字へと変貌した。辛さに変わったのは家族だけではなく、レストランの経営も悪い方向へと巻き込んでいく。
「店長、おせえんだよ・・・まだかよ、お客さん困ってんぞ。シーザーサラダつくるのに何時間かかってんだよ」
「手伝ってくれませんか」
「おい、誰に指図してんだよ。俺はお前より年上だぞ」
そう言って、西津(にしつ)は翔人の髪をむしり取った。そして、髪の毛を調理中のサラダへと入れる。
「おいおい、何やってんだよ。店長、またイチから作り直さなきゃな」
西津の馬鹿にした声が、厨房全体を洗脳させた。翔人に向かって、客に聞こえないぐらいの声量で中島(なかしま)大倉(おおくら)田中(たなか)が声を合わせる。
「「「「作り直せ、作り直せ、作り直せ、作り直せ、作り直せ」」」
翔人は口の中で歯を噛んで感情を押し殺すと、再び材料を冷蔵庫に取りに行く。
「きっちり給料は振り込んでもらうからな店長...あ、拡散しとこっと。働かなくても稼げますよーって」
「いいね、ウチもしよっと」
店長のいなくなった厨房で、従業員は次々にスマホをいじり始めた。
その瞬間、厨房に一人の男性が凄い勢いで舞い込んでくる。
「おい、まだかよ。シーザーサラダ!!」
あまりにも提供が遅いため、厨房にクレームを言いにきた男性。その客に西津は丁寧に対応する。
「あ、申し訳ございませんでした。うっかり屋さんの店長がサラダ全部落としてしまったんです」
西津は予め、地面におとしておいたサラダを客に見せつけた。客は憤怒する。
「は?言い訳....?」
客の顔に血が登っていくのを西津は感じた。後ずさり、女性従業員の玉口(たまぐち)の影に隠れようとする。しかし、玉口は西津から遠ざかり、隠れさせようとはしない。西津は腹が立ったのか、声を荒げる。
「おい!」
「は?アンタのせいでしょ!」
言い合いの最中、翔人が冷蔵庫から帰ってくる。サラダの入った袋を手に持ち、西津とクレーマーの前に姿を現した。
「おい、あんたが店長か?」
クレーマーの男は、眉間に皺を寄せながら
店長を見る。まるで的を射るような目つきで。翔人は臆せず、返事をした。
「はい」
その瞬間、クレーマーは詰め寄ってきて翔人を睨んだ。
「どうなってんの?ここの従業員....?ちゃんと指導させてんの?」
問い詰めるクレーマーに、翔人は謝罪する。
「せっかくお越し頂いて下さったのに、ご不快な思いをおかけし、誠に申し訳ありません。従業員にはこちらから厳しく....」
「今しろ、今!今指導しろ!」
テンプレ通りの顧客対応をしたが、クレーマーは引き下がってはくれない。翔人は、クレーマーの言葉に従って西津や他の従業員に指導しようとした。しかし....。
(....)
西津の目は、クレーマーの目よりも恐ろしかった。翔人は足を一歩引いた。厨房に沈黙が流れる。
「は?早く指導しろよ......」
厨房にクレーマーの声だけが響く。しかし、翔人の中では心臓の鼓動も響いていた。嫌だ、逃げ出したい、でも逃げ出したらこのお店はどうなるんだ、それに母親に、逃げるようなやつだと思われたくない。翔人は声を絞り出して、発言した。
「皆さん、スピーディーに正確に、料理を作っていきましょう。そして、お客様を満足...」
そのとき、クレーマーは厨房から飛び出していった。「糞が」という声とともに。
「......」
翔人は発言を止めて、次の注文に取り掛かろうと包丁を手にした時だった。横から強い力で蹴られ、地べたに手をつけてしまう。翔人は振り返った。そこにいたのは、強い眼差しで見下している西津だった。
「しゃしゃってんじゃねぇぞ....休憩行ってきまーーす」
そう言うと、西津は休憩室へと向かった。西津はまだ休憩時間では無いはずなのに。
((翔人side))
僕は家に帰りついた。玄関のドアを開け、僕は母の「おかえり」の返事を待った。しかし、部屋は暗く人の気配はない。
「お母さん...?」
どうやら居ないようだった。いつも居るはずの母は、姿を消していた。
「まだ仕事から帰っていないのか?」
そう思った僕は、携帯を取り出し電話を掛けてみた。しかし、コール音が何度繰り返しても母が出る様子はない。心配になった僕は、家から出て母の仕事場へと向かった。
母は仕事をしている。翔人ー人だけに任せられないと意気込んで。僕は、それが凄く嬉しいし、実際助かっている。しかし、もっとマシな仕事に就いてほしいとも心の底から思っている。その思いを抑え込み、僕はチャリに乗った。そして、スピードを上げた。
((?side))
夜の街は、気持ち悪さが充満している。翔人だって、その気持ち悪さを生み出しているミストの一つだ。しかし、当の本人はその事実にきずいていないようで、チャリを全力でこがすのに精一杯のようだった。その精一杯がまず気持ち悪い。
「お母さん?」
必要性を感じられない口から飛び出した単語に、翔人の母親は翔人に振り向いた。腐りきった目をしていた母親は、ゾンビのように目を生き生きとさせた。
「翔人?どうしてここまで・・・・・・」
母親は黄色信号を渡り、翔人の元へ駆け寄る。木々が並ぶ歩道に、仲良く二人並ぶ。店から漂うこんがり焼けたパンのにおいに、お腹を空かしながら翔人はチャリを降りた。
「帰って来てなかったから、心配でさ」
「翔人・・・・」
母親は、ポツリと呟く。翔人は、母親に「帰ろう」と言った。母親は「そうね」と言って、帰路に立とうとした。その時、西津が二人の前に現れた。
「マジかよ、マザコンかよ。きもすぎだろ」
タイミングを見計らったように、西津は二人の前にたちはだかった。口からアルコールを吐き出しながら。
((翔人side))
何でここにこいつが!?僕の思考回路がパンクする。回路を修理するあてはなく、僕の脳内はフリーズ状態へと陥る。言葉を言い返せないまま、西津は次なる暴言を繰り出した。
「ていうか、そいつがお前のお母さん?ぶっさいくだなあああ、お前とよく似て。ねえ、ねえ、お母さん。こんな出来の悪い息子産んで恥ずかしくないの。ちょっとは反省したら?」
「・・・・」
「おいおいマジかよお前、超つまんねえじゃん」
西津のイラついた声が聞こえたかと思うと、僕の脳内は激しく揺れ、頬に鋭い痛みを負った。痛みにより、僕は理解した。西津が僕を殴ったのだ。僕は体勢を崩し、地べたに尻餅をついた。母親の「大丈夫?」という声が遠くに聞こえる。すごく近い位置に母親はいるはずなのに、母の体温も感じられない。ただ、西津の暴言だけは凄く近くで聞こえる。
「おいおい、お母さん。じゃなくてババア、お前あそこで働いてんのかよ、飛んだエロ女だなあ!!」
母がいじめられている。助けてあげなければ、でも思うように動かない。貴重な従業員を減らしたくないという気持ちが先行してしまう。人情よりも義理を優先させてしまう。結局僕は、西津が満足するまで殴られ続けた。
そして、母は西津に連れて行かれた。
((?side))
照明を明るくするスイッチの存在意義は消え果てていた。西津の家は暗く、唯一の明かりは小さなテレビだけ。西津は、テーブルに散らばるチップスを払い除けると、母親をそのテーブルに強引に押し倒した。母親と西津の重みに、テーブルが軋む。
「や、やめて下さい!」
「いいからじっとしてろよ、クソババア!!!」
暴れ回る母親の足を掴み、ズボンを脱がそうとする西津。その行為に、母親はより一層暴れる。なんとか足から引きはがそうともがくも、結果は乏しく変わらない。西津の力には到底及ばない。西津は、無駄な抵抗を続ける母親に苛立ち、母親ごとテーブルをちゃぶ台返しさせた。そして、母親を立ち上がらせるとその顔面にヤシの実割りを繰り出した。
「っ・・」
「痛いか?次いくぞ」
西津のボディーブローが、母親の腹を突き刺す。母親は疼き声を上げ、その場に倒れ込んだ。西津は母親の髪の毛を持ち、悪態をつきながらソファーへと押し倒した。
「俺より幸せな人間は、大嫌いだ」
西津の顔が、母親の視界を埋めた。
結局、母親は朝まで家に帰ってこなかった。
2.
どうしようもなくクズというのは、いつまで経ってもクズのまま変わらない。殺すか死なせるかして輪廻転生でもやって貰わないといけない。でも、クズ相手にそこまでしたくないし、労力と時間の無駄でしかない。翔人はパソコンを開いて、現実逃避を図った。行き場を失ったウナギみたいに身体をくねらせて、翔人は画面の中の自分を睨んだ。
「あそこの従業員の態度終わってる、後全員ブス。ブスが化粧してもブスなの分かってんの?」
画面の中には自分の別人格がいた。言葉だけ解き放たれた別人格は、足をもぎ取られて動けない蟻よりも惨めだった。虫以下の翔人は、パソコンを折り畳んで、今度は携帯を睨んだ。母のメールが、目に焼き付く。
「昨日のことは...」
その次の文章は見ずに、翔人は携帯の電源を切った。そろそろ、休憩時間が終わる頃なのだろう。翔人は白の帽子をかぶり、厨房に戻ろうとした。その瞬間さえ、屑は見逃さなかった。
「おらよ!!!」
西津は、翔人に水がたっぷり入ったバケツをぶっ掛けた。髪の毛が潰れ、ぺしゃんこになる。髪から滴り落ちる水滴の隙間から、皆の視線が降り注ぐ。
「どうだ、恵みの雨は?感謝しろよオラ!」
水に触れて聞こえづらくなった鼓膜から西津がやって来る。そして、翔人の頭を空になったバケツで殴りつけた。女性従業員のスマホを手にしている姿が朧げに見える。
「マジうける」
シャッターの音は、翔人の鼓膜に追い打ちを掛けた。既に動けない相手に死体蹴りを繰り返す様は、人に精神的ダメージを与える模範的行動だ。効率よく行動不能に陥れる事ができる為、皆がよく使っている。
「店長の器じゃないでしょアンタ?この店辞めて、給料の半分をウチにくれよ」
耳元が圧迫され、ストレスが底に溜まっていく。店長をいじめる奴らも、狼藉を働く従業員の姿も、西津の身勝手極まりない行動も。映るすべてがストレスの原因だ。西津は、手を叩きながら全員を集めた。
「じゃあ、これからは俺が仕切りま~~す」
「「「「賛成っ!」」」
ゴミが一斉に声を出した。騒音でしかなかった。今すぐこのクズ達を殺してやりたい。しかし、感情をさらけ出すことは許されなかった。翔人は感情を押し殺す為、歯を強く噛んで厨房から去った。ストレスは表面張力という現象すら凌駕し、コップの外へと溢れ出ている。風船が爆発寸前の翔人には、冷静な判断などできない。必然的に、ストレスのはけ口は母親へ照準を向けられた。
家に帰り着くと、翔人は母親に舌打ちをしてピストルを撃ち抜いた。
「おい、ご飯まだかよ....」
180度変わった翔人の態度に、母親は時が止まった感覚を久し振りに引き起こした。現実離れした日常が、このリビングで再び起こっている。母親がショートしているのを見て、翔人はこれみよがしに感情の起伏を大きく上げた。
「何で包丁持てねぇのか知らないけど...料理ぐらい作れんだろ?何故作んない..?」
「えっと...翔人...昨日の事は...」
「ちょっとは作れ、何で俺が作んなきゃいけない?俺は親を喜ばせる為に生まれてきたんじゃないんだ...俺は勝手に!お前から産み落とされたんだよ....人生という地獄に...」
一度リミッターを超えれば、限界という壁が消える。マシンガンのように放たれる数数の言葉は、母親の心をこれまでかと撃ち抜いた。
「昨日の事...」
「うるせぇ、どうせやったんでしょ西津と!エロ女ってのはあながち間違いじゃなかったんだねぇ!エロ女!エロ女!エロ女!エロ女!エロ女!エロ女!」
翔人は母親に向かって、暴言という最大の暴力をぶつけた。唯一の心の友を失った母親の目からはハイライトが消え、暑い日のアイスのように崩れ落ちた。エロ女というワードだけが頭の中で繰り返され、味方をしてくれる者はもういない。美人というだけで疎まれ、女達から距離を測られ、男達の腐った目線だけ距離が近く、結婚という幸せな瞬間も束の間に遠のいた。その日から二人の、会話の頻度は減少した。ハロウィン、クリスマス、大晦日、大きな恒例行事が訪れようと二人の関係は戻ることは無い。正月、翔人は神社で願いを込めた。【父が戻って来ますように】などとあり得ない事を神様にお願いした。西津が仕切る事になったレストランは、最悪なモノになった。度重なる店員の態度に、客足は少なくなり、西津は他の従業員にも暴言を吐くようになった。その地獄のレストランを、更にドン底に陥れるニュースが2020年1月中旬頃、全世界に轟いた。
「未確認の病原菌が現れた」
それは後に【新型コロナウイルス】と名付けられ、瞬く間に全世界に広がった。日本に広がるのもそう時間は掛からなかった。交通機関関係の人間に罹患すれば、後はあっという間だった。全員がマスクをつけ、顔が第一印象では無くなった日本。全く変わってしまった新世界で、翔人達は苦しくもレストランの経営を続けていた。しかし、時は来たようだ。無人の客室を見ながら、西津は告げる。
「もう、潮時何じゃないか?」
そして、なんの前触れもなく翔人の肩を揺する。
「お前は頑張った。いなくなった父の分までご苦労様...それも終わりだよテメェのせいで!」
突然、激昂した西津から顎を蹴られ、翔人は後頭部を床に強打した。照明の強い輝きが、翔人の顔を埋める。その眩しさに、翔人は顔をしかめた。俺は父親の後を継いで.....。等と心のなかでのうのうとのたまう、翔人を一人の人間が跨ぐ。その人間は先月入ってきたばかりの従業員だった。
「これ、見てください!西津さん」
「おぅ、なんだよ」
従業員が西津に見せたのは、一つのスマホ。そのスマホからどうやら音がなっている。ニュースのようだった。
『えぇ、今日のコロナ..ウイルスの..拡大っ。これは誠に、遺憾であると。我々政府も手を打たなければいけない。ぇぇ、そのように考えた訳で、あります』『従って、憲法改正を行い、ぇぇ、国民焼印制度を設けたいと考えております』『第一焼印日は、2月12日〜15日。ぇぇ、各都道府県の病院で、ぇぇ、実施して行きたいと考えている次第です』『以上、山本総理の緊急会見でした』
女性アナウンサーの声が聞こえ、ニュースは終了になる。静まり返る厨房に、全員の頭に浮かぶクエスチョンだけがくっきりと浮かび上がった。
あの日から、【第一焼印制度】の詳細を様々な地方テレビが明かした。しかし、どれも曖昧な情報ばかりで、確信を得たのは病院に行くことだけだった。詳細不明の焼印制度が近づく間も、翔人と母親の仲直りは行われない。お互い嫌悪状態のまま、運命の目を迎えようとしていた。
そして、焼印日当日。
細長く湾曲している町の姿は、天気の加減か町全体が宝石のように青くツヤツヤと光っている。それは街が、翔人を拒んでいるようにも見えた。しかし、翔人はその領域に足を踏み入れなければいけない。病院がその宝石の国の中にあるからだ。翔人は恐る恐るその門を潜って行く。陽の光が足を照らし、顔を照らす。降り注ぐ熱は容赦無く翔人の身体に降りかかり、汗となって滴り落ちる。額から流れた一筋の汗は顎へと到達し、そして地面に落ちた。熱されたコンクリートに染み込んだ汗は、見る影もなく無惨に姿を消す。蛇に丸呑みされた鼠のような汗の最期は、惨めで儚く、生命の尊さを鮮明に浮かび上がらせた。命は脆い、プリンのような柔らかさで出来たそれはフォークで突っつかれただけで崩れてしまう。しかし、この世で一番大切なものは命なのだと、現代の人間は知らない。
目的地である病院が見えてきた時、それまで緊張していた心が更に萎縮した。翔人の心を読んだかのようにタイミングよく靴紐が外れ、翔人はしゃがみ込み、靴紐を結び直す。熱のお陰か、普段より結び辛い。矢のように降り注ぐ熱線を背中に浴びながら、翔人は地獄のような靴紐結びを行う。その時、一つの影が翔人を通り越した。
「ん?」
翔人はその影の正体を見た。それは一人の人間だった。翔人は見た、その人の顔を。顔に焼印された【貧乏人】という文字を。
「は....?」
レッテルが焼き付いていた。その人の顔には。焼印制度の被害者がそこにはいたのだ。
(嘘だろ....)
翔人の思考回路は一時的に停止され、ただ同じ言葉を列挙させる機械となる。自分もあんな風になるのか?自分もあんな風になるのか?自分もあんな風になるのか?答えは明白だった。なるに決まっている。
心の整理が追いつかないまま、翔人は病院の反対方向へ体を運ばせた。政府は何を考えているんだ。第一印象に傷なんてつけてられるか。なんとか自分を保とうと心のなかで正論を解き放つ翔人に、電撃が走った。これは比喩ではない。本当に、翔人の体に電撃が駆け巡ったのだ。
「あがっ...」
痺れ、のたうち回る翔人を見下す人物。その人物はスタンガンを持った警察官だった。その警察は何者かと連絡した。
「逃亡者一名確保。病院に連行します」
((翔人Side))
こんがり焼けた臭いが、僕の鼻腔を惹くつかせた。鼻毛の隙間にむらがう焦げた物質は、意識を覚醒させるのに十分過ぎる。その中に混じる消毒剤の強烈な香りも、意識を覚醒させる要因の一つとなった。
「は!?」
僕の瞳孔は想像よりも大きく開く。先ず飛び込んできたのは、僕の全身を照らすライト。次に女医と医者だった。医者は白衣を纏い、僕の左手をゴム手袋越しに触ってくる。ザラザラした感触がこそばゆく、僕は思わず手を上げようとした。
「や、やめてください!」
その直後、僕の手は強い力で引き戻された。ジンジンとくる痛みに、僕は思わずその手を触ろうとした。しかし、その行為も叶わない。ゴムのように、僕の皮膚は打ち返された。身動きが取れないっ!足も!手も!四肢が繋がれている!
「状態良し。始めましょうか、湊翔人さん...あ、申し遅れました。本日担当する家納田口(かのうたぐち)と申します」
医者は丁寧な物腰で会釈をする。その後、【家納田口】と書かれたプラカードを首から外し、デスクに置くとマスクを外し始めた。
「何やってるんですか?三密ですよ!?」
「いや、聞きたい事が少し有りましてね....」
四肢を繋がれているという処刑部屋のような光景だが、医者は【何度も見てきています】と言いたげに声色を一つも変えない。そもそも、一体ここは何なんだ?そう思った時にハッと僕は気づいた。もしかしてここは病院か?だとすると、僕はこれから......。
「あ、あの... 今から何を..?」
「いや、焼印ですよ。当たり前じゃないですか」
「いやだぁ!助けてくれぇ!!」
「あのですね翔人君。殺人未遂の息子がそんなわがままを言っていいのですか?身の程をわきまえて下さいよ...少しは」
全身の穴という穴から水分が流れ出るのを感じる。体温が急激に減り、嗚咽を覚える。その瞬間からチューブを手足に取付けられ、その異物が余計に吐き気を誘発させる。
「母親の湊優菜(みなとゆうな)さんは夫の殺人未遂現場に居合わせたそうですね....夫の残虐ぶりをその眼で見たと」
動悸が止まらない。治らない。心臓が破裂しそう。呼吸もままならない。視界が霞む。意識が遠のく。何だこれは……。僕はどうなってしまうんだ?……怖い! 怖い! 怖い!! 誰か助けてくれ! 頼む! 助けてくれ!! 誰か!!!
「夫は料理をするように浮気相手の肌を包丁でうまーーーく削ぎ落としたそうですね。殺さないように....生と死の瀬戸際にチャレンジしたそうです。ほら、書いてありますよ。朝日新聞に」
あんな変わり果てた姿はぜったいに嫌だ。西津に虐められ続ける方が余程マシだ。何なら今は西津の所に会いに行きたいぐらいだ。西津、西津、西津、西津、西津、西津。
「まあ、そんな悲惨な光景を目の当たりにしちゃったら母親は料理出来なくなるかもしれませんねぇ...心が痛みます」
ゴム手袋越しに触る医者の顔がぼんやりと浮かぶ!!いやぁァァァァァァァァ!!!
やめでぐれぇ!!!!僕はあんな風になりたくないんだぁぁ!
「君はその記憶を消そうとしてるみたいですが.....無駄ですよ。そんなことしたほうがよっぽど頭の中に残りますから」
医者の耳障りな濁声が、僕の頭の中に押し寄せて、さながら都会の吹き溜まりのように、多種多様の声が脳内に鳴り響く。そのガンガン痛む頭を触ることも出来なくて、僕は狂う。ぎぃやああああ!!!
「用意して、Number.29」
「分かりました先生」
「やめてくださァァァいっ!!」
僕の悲痛の叫びを田口は無視し、そのまま視界から消えた。しかし、恐怖は去ることはない。身の覚えのない恐怖に僕はさらに喚いた。数分がたって、田口が戻ってくると僕の恐怖は更にその上へと突き抜けた。空へ、宇宙へ。いぎゃああああ!!!
「落ち着いて下さい。皆さん経験されてますから。先ず右腕からいきますね」
嫌な感触のゴム手袋が、僕の右腕を嫌らしく触る。
「ちょっと押さえつけてて」
その瞬間、僕の右腕は別のゴム手袋に押さえ付けられた。抵抗することも虚しく、がっちりとホールドされている。
「じゃあいきますね」
右腕に近づいていくる熱気。その熱気の正体は恐らくギイィィィやあああああああああああああ!!!ぐああああああああああ
ああああ!!!!!
「次は手の甲をします」
「やめてくだゥッッッぎゃああああああ!!やめ、やめ、やめ、やめろおおおお!!!」
「うるさいですねぇっ。男ならこのぐらい頑張りなされ」
熱々のフライパンが僕の手の甲にゥーギイィィィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!!
「嬉し涙なんか流しちゃって。そんなにきもちいいですか?では、次はお顔を焼きますね。顔押さえつけて下さい」
汚らしい手で僕の顔を触るな。一刻も早く僕の顔からうんぎやあああああああ!!!!!だぎゃあああ!!ぐぎゃああああああああ!!!!!!!!!!!
いだいいだいいだいいだいいだいいだいいだいいだいいだいいだいいだいいだいいだいいだい!!!!!!!!!。あついあついあついあつい!!!!かおが!皮膚が!溶ける!!!!!
「目の周り焼きますね」
まだするのか!?やめ、やめ、やめ、やめ、やめ、やめ、やめ、やめ、やめ、やめ、やめ.......。どっぷんぎぁぁぁぁぁぁ!
「良し、次はおでこを」
ダバァァァァァァァああああああああああああああああああああああ....!!
気付いた頃には、僕の身体は僕ではなかった。身体の至るところに水ぶくれが腫れ上がり、尋常じゃない赤みに染められていた。その赤みの部分部分には【差別用語】が刻まれており、僕の身体は歩く差別用語辞典となっていた。恐る恐る自分の顔を見上げると、右頬には「料理長の父」左頬には「人殺しの息子」と刻まれた誰かが鏡に映っている。もう人前に出られない....。この二つのレッテルにどれだけ悩まされたことか。血が繋がっているだけで貴方も料理うまいんでしょ?と騒ぎ、アンタも人殺しの血が混じってるのよ!とほざく。被害者に泣き喚かれ、店を【たため】など【不味い】など言われ、僕の心は満身創痍。そもそも父の浮気相手が悪いのだ。家族持ちと知っていながら、のこのこ父に着いていった女が全部悪い。だから、父に殺されかけ、寝たきりになるのだ。単なる因果応報だ。
僕はなんにも悪くないのに....。なんでこんな....こんな....惨めな姿にならなきゃいけないんだよ。神様っ!助けてくれよっ!
僕をっ!僕をっ!何で母親の血を濃くしたんだよっ!下手くそな料理しか作れねぇ母親の血なんかいらねぇんだよ!俺が欲しかったのは、父親の血なんだよ。料理がクソうまい父親に似たかったんだよっ!!
俺が料理上手だったら...父親の跡を継ぐよって満面の笑みで言えるのに...。父が出頭するときにそう言えたのに...。全部パーだ。母親のせいで...。
苛立つ思いを口の中に抑えて、僕は重い足取りで病院を去る。右腕に刻まれた【料理下手】の文字が見え隠れし、僕のこめかみに青筋が浮き出る。忌ま忌ましい。いっそ血抜きでもして、全身の血を入れ替えて貰いたい。
「何あいつ、マザコンなの?」
突如、後ろから甲高い声が僕の皮膚を焼いた。僕が後ろを振り返ると、甲高い声の正体は僕から颯爽と逃げる。
「逃げんなら最初っからすんなよ..」
どうやら僕の後ろ首に【マザコン】という文字が焼き付いているらしい。苛いきしていると、様々な方向から声が聞こえてくる。
「え!?あの人?犯罪者の息子?」
「近付かないほうがいいわよ」
四方八方から聞こえる騒々しい声に、僕は耳を塞いだ。でも、火傷した耳が痛くて僕は直ぐに手を離した。より一層鳴り響く声に、僕は耳を聾した。
「料理下手なんだってーー。料理人の息子の癖にーーー」
「ていうかあの犯人の息子じゃないの?」
「怖い怖い怖い怖い」
「ねぇ、あの人に近づくのは止めましょう!」
「バカっ!声が大きい」
「聞こえるわよ、犯罪者に!」
あああああああああああああああああああああああああああっ!!!
熱傷された皮膚が悲鳴を上げて、ただれていく。僕は民衆から勢いよく立ち去り、家に駆け込んだ。すると、母親は駆け寄ってきて僕を抱き締めた。
「ご、ごめん!私...そんな姿にしちゃって...私、私、料理....作ってみたの....」
母から発せられる言葉に、僕は疑問点しか浮かばなかった。料理....?母が?意味がわからない。
「っていうか離れろよ。俺、お前のせいでこんな姿になっちゃったんだぞ!」
僕は怒鳴って、自分の部屋に引きこもった。出来るだけ見られたくなかった。こんな姿を...。
痛む皮膚にうなされ、眠ることも、風呂に行くことも、服を着替えることもできずに夜を明かす。やけど薬など持っているわけもなく、僕は膨れ上がっていく水ぶくれをただ見つめていた。そして、僕はこの火傷は一生治まらないことを悟る。三年経とうともこの火傷の痕はずっと張り付いたままだろう。この【差別用語】は僕の体にずっと付き纏ってくるのだろう、と。そう考えると涙が出そうになったが、涙で火傷した箇所が滲みるのでグッと堪えた。一生、外に出られない。寝たきりになる。その思考に行き着いたとき政府の考えを僕は理解した。嫌でも外に出たくなくなる制度を作り、感染を防ぐ。僕は政府の凄さに脱帽して、口を半開きにした。そういえば、昨日から水も飲んでいない。口の中に貯まる唾液だけで水分を補給していた。僕は立ち上がり、部屋から出ようとした。
ちょっとまって。この惨めな姿を母が見たらどう思うのか?昨日は夜中で上手く全身が見えなかっただろうが、今はもう朝の八時。目に流れ込んでくる大量の【差別用語】に泣き喚くのではないだろうか。でも、まあいいか。僕は考えを自己解決し、扉を開いた。そして、目に流れ込んでくる大量の情報に僕の脳は再びフリーズした。
「逃亡者一名確保、今から連行します」
自分の家に見ず知らずの警官がいた。その警官は、母親をヒョイと担いで家から出ようとしていた。不法侵入ではないか...?いや、拉致か?僕は上記二つのような悠長な事を考えず、警官を声で止めた。
「ちょっと、何してるんですか?」
「今日は、あなたの母親の焼印日です。行くのを抵抗しておりましたので、強制連行する次第です」
「いや、ちょっと...おかしいよな?警官だろ、だって...」
「警官だから、です」
警官は僕にそう言い放つと、母親を片手で担いだまま外に出た。取り残された僕はその場に座り込んで、テーブルに置かれた『焼印日の書類が入った封筒』を手に取った。中身には、母親の焼印日が記載されていた....今日だった。別の書類を見てみると、【行きたくない】と何度も書き殴った紙があった。
好きじゃない母親でも、その気持ちは分かる。行きたくないよな。そうだよな。
僕は書類を封筒に直して立ち上がり、忘れかけていた水分補給をしにいった。歩くだけで痛む全身を、なんとか堪えながら水を飲む。水分が喉を通り、胃を潤した。
「はぁ」
二酸化炭素交じりのため息を口から吐いて、僕はコップを置く。そこに少し溜まっている飲み漏らした水を僕は無視して、僕は部屋に戻ろうとした。その行為を引き止めたのは、突然家の中に鳴り響くチャイム音だった。音は鳴り止む事なく、反対に勢いを増していく。合いの手として入ったドアを叩く音は、僕の心を萎縮させる。どれだけ僕の心を弄ぶんだ。僕は勇気がでず、玄関で右往左往していると聞き慣れた声が僕の耳を射抜いた。
「おい、開けろ!西津だ!話がある。開けなかったらどうなるか分かってるよな?」
僕は脳に指令される前に、脊髄反射で玄関を開ける。そこには、右頬に【犯罪者グループ】左頬に【OOOO】と焼印が刻まれた西津がいた。
「おいお前今笑ったな?」
「いやそんな..ゥぐあああ!!!..」
西津にバットで殴られる。火傷の痛みに、殴打された痛みが加わり僕はのたうち回る。
「みっともねぇな。おい、コイツ運べ。連れてくぞ」
西津が何者かに指示し、僕は奇妙な物体を無理矢理飲まされ、身体を二人がかりで担がれる。そのままワゴン車のトランクに閉じ込められ、僕は何処かへと向かった。その走行中、僕は押し寄せる眠気に抗えず眠りについてしまった。
((?side))
糞みたいな翔人は目を覚ました。辺りを見渡し、ここがどこか直ぐに気付いたようだ。ここは、自身の経営しているレストランの倉庫の中だ。翔人は椅子に固定されており、逃げたくても逃げられない状態となっている。脚をバタつかせても地面に触れることすら出来ず、みっともない醜態を無人の倉庫に晒した。周囲は暗く、トマトの缶詰めだけやけに光る。その瞬間、大きな光がトマトの缶詰を埋め尽くす。倉庫に大きな光が付いたのだ。そして、西津が倉庫に入ってくる。
「よっ、元気にしてたか?」
「こ、こんなの...唯の誘拐じゃないか」
「おい、料理も出来ねぇ糞野郎が喋ってんじゃねぇぞ。お前のせいで俺はこんな顔になっちまったんだからなぁ!」
声が響いたと思うと、ズシンと重い金属音が後に響いた。音が収まる頃には、翔人の顔が酷く歪んでいた。
「だから正当防衛だと思うんだけど。おいなぁ聞けよッ!」
西津は満身創痍の翔人の髪を鷲掴みし、目を大きく開けた。
「なんで辞めなかった?俺に店長を引き継いでくれれば何の問題も無かったのに。お前という害が居たおかげでこのレストランは潰れたんだ!違うか!僕が父の跡を継ぐ...?バカ言うなよ。俺はな、出頭前のお前の父親に言われたんだよ。息子を辞めさせてほしいって。アイツは必要な人材じゃないって。なのにお前はぁ!!何してくれてんだてめぇ!!!!!!!!!!!!!…………………………………………………………….ああ、もう....どうでも良くなった。龍崎、バケツ持ってこい」
遂に強行手段に出る。龍崎はお湯がたっぷり入ったバケツを西津の傍らに置くと、翔人の惨めな写真を取って倉庫から退出した。西津はお湯に反射する自分の顔を見て、バケツを蹴飛ばした。バケツが引っくり返り、水が全て流れ出る。
「ごめん、龍崎。もっかい頼む」
苛立ちを隠さずに指示し、龍崎は言われた通りお湯をくみなおしに行く。そして、龍崎は再びバケツを西津の足元に置くと、翔人に先程の写真を見せ付けた。しかし、翔人はそれどころではなかった。
「イヤダイヤダイヤダイヤダ」
バケツから湧き上がる湯気に、バケツの中身を悟った翔人は暴れまわる。全身火傷の状態で、お湯なんてかけられれば悶絶どころの騒ぎではない。それを百も承知で、西津はニヤついた。
「アンタ、昨日風呂入ってねぇだろ?クセェぞ」
西津は自分にお湯がかからないように、事前にゴム手袋を着けていた。それでも染みるものは染みるため、西津は慎重にバケツを運ぶ。一歩、一歩。狂気と化した液体が翔人に迫る。
「だから、俺が流してやるよ。感謝しなよ」
「ソ、それだけは止めてください...昨日、あんなに痛い思いをしたんです。もうしたくないんです」
「チッ」
その舌打ちが合図となった。降りかかるお湯の濁流が、翔人の全身を打ち砕く。翔人は一心同体となった椅子をガタガタさせながら、蛇のようにくねくね蠢いた。言葉に言い表せない痛みに、翔人は遂にダンスを始めた。寝転がりながら行う新機軸の踊りに、西津は躊躇う事無く追加のお湯をかけた。
「んっ、だぁぁぁ...ぁ.」
叫び過ぎて声が枯れたようだ。西津は次にレモン汁の入った水をぶっ掛けた。
「ぁ......」
皮膚はトマトのように膨れ上がり、熟れたて新鮮で美味しそうだ。その皮膚を西津は、バケツで殴りつけた。
「.....」
もう声すら出せないようだ。声を出せなかったら、人間としての価値は消える。粗大ごみにでもして出してあげたい。翔人はそのままシャクトリムシのように歩き続け、やがて動きを止めた。生命に対する冒涜を行った西津は、バケツを放り投げその場を去った。
((翔人side))
僕は父親に好かれていなかった。料理が下手という理由だけで僕を見ようともせず、母親の事も見ようとはしなかった。それでも僕は何とか父に好かれようと頑張ったけど、無駄だった。気付いた頃には、父は僕なんかに眼中は無く、次の息子へと意識を向けていた。父は浮気相手を探していたのだろう。そして、父の血を濃く継いだ人間を育てようとしていたのだろう。父は病気を患っていた。だからこそ、一刻も早く意思を継ぐ人が欲しかったのだろう。しかし、その計画は母親に邪魔された。父は激怒し、母親を刺そうとした。しかし、浮気相手が止めに入り、代わりに浮気相手が刺された。フラストレーションが積もりに積もって、父は浮気相手で料理を作った。死なない程度の材料で。恐らく翌日、西津に電話して西津に跡を継がせようとした。そして、あっさりと父は逮捕された。
僕の意識が戻る頃、既に日は跨ぎ、太陽は完全に昇っていた。ジンジン痛む皮膚を堪えながら、僕は家に帰る。
「はぁ、はぁ、はぁ」
西津にお湯をぶっかけられ、僕は完全に目が覚めた。僕はなんてことを母に言ってしまっていたんだ。今更許しても貰えないだろう....。恐らく関係が戻ることもない。僕は、絶対に口にしては駄目な事を口にした。母に向かって、一生懸命頑張っている母に対して。自分自身をコントロールするために僕は、母親を使ったんだ。【父は家出した】という情報を僕の頭に流し続けるために。いま大切にするべきは母親だ。父親なんかではない。恨むべきは父だ。母は何も悪くない。悪いのは全部、全部!僕達の幸せをぶっ壊した父なんだ。僕は自分にそう言い聞かせ、足を前に進ませた。
「お母さん...昨日。もう帰ってきてるのかな」
昨日、母は警察官に無理矢理病院に連行させられた。母も皮膚を焼かれ、今頃家で寝込んでいるのだろうか。僕は家の前まで辿り着き、鍵穴に鍵を差し込もうとした.....その時だった。
「翔人!入ってこないで!!!」
初めて聞いた母親の叫びに、僕は驚いた。家の外に漏れ出す声量だ。一体母親に何があったというのだろうか?僕は純粋に疑問に思った。
「あの、えっと...どうしたの?」
「き、昨日の...あれで、だからもう私と会わないでぇぇ!」
「どうしちゃったんだよっ!」
僕は母のあまりの変わりように、家の中へと滑り込ん....
(( ?side ))
化け物がいた。熱傷した皮膚を掻き毟り、血を全身から噴き出している化け物がいた。化け物は翔人に【レッテル焼き】を見られないように皮膚を隠し、そっぽを向いている。爛れた皮膚は剥がれ、中の肉が空気に触れている。手の形が熱によって変わっており、五つの指は三つになっている。目は潰れ、美人だった面影は見る影もない。鼻だったものは鼻ではなくなり、口だったものは口ではなくなった。背中には【美人】というレッテルが焼き付き、手の平には【男を食い物にする女】という言葉が刻まれていた。それを化け物はかきむしり、【女】という部分を精一杯消していた。【女】から滲み出る血は太ももの部分に滴り落ち、そこには【エロ女】という焼印が押されていた。
翔人は思い返す。自分の発言を。
『うるせぇ、どうせやったんでしょ西津と!エロ女ってのはあながち間違いじゃなかったんだねぇ!エロ女!エロ女!エロ女!エロ女!エロ女!エロ女!』
自身の発言が、ウロボロスのように脳をぐるぐる回る。脳を抑えても、発言が撤回されるわけではない。自身の発言が、一人の人間の心を殺したのだ。
「いぎゃあああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
化け物は勢いよく外を飛び出し、翔人から逃げた。翔人は、居ても立っても居られず追い掛けた。追いかける義理などないはずなのに、追いかけた。
翔人が、それを見付けた時、もうそれはそれでは無かった。警察官に両足を削ぎ落とされ、両腕を検察官に千切られていた。這いつくばって逃げるそれを警察官はホッチキスで木に貼り付けにした。身動きの取れなくなった化け物は、翔人を見つめ「ごめんね」と言った。翔人は駆け寄り、涙を流した。警察官、検察官、弁護士は翔人に危害を加えず、その場を去っていく。次第に野次馬がその場に集まり、翔人の周りを囲んでいく。そして、翔人にこう繰り返した。
「人殺し、人殺し、人殺し、人殺し、人殺し、人殺し、人殺し、人殺し、人殺し、人殺し、人殺し、人殺し、人殺し、人殺し、人殺し、人殺し、人殺し、人殺し、人殺し、人殺し、人殺し、人殺し、人殺し、人殺し」
それから、母親は木に貼り付けられたまま間もなく死んだ。母親が腐ると、木は撤去されて次第に母親を知るものは消えていった。公園が作られ、学校が建てられ、広場が作られた。
遠い未来......その広場で選挙活動をする政治家がいた。多くの民衆と場に潜むさくらに見守られながら、彼は語った。
「この前田議員に....清き一票をお願いします」
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