第21話 海水浴②

 真っ青に鮮やかな空。

 白い入道雲がモクモクと立ち上がっている。

 前を見れば一面の『 』。

 ざざぁ、ざざぁ、と波の音が耳にこそばゆく、潮の匂いが鼻をツンと刺激する。


「うみー!」

「海だな和音ちゃん」

「うーみー!」


 俺たちは二人並び、海を前にして腕組みをした。


「いちばん、わーちゃん! いきます!」


 わー! と右手に水鉄砲を持ちながら海に突貫する和音ちゃん。そこに波がざぶーん。あ、転んだ。


「きゃはははは! ざっぷーん!」


 波に弄ばれながら笑っている。さすが強いな和音ちゃんは。


「もう、わーちゃんたら。準備運動もしないで」

「高嶺さんが念入りすぎるんだよ」

「天堂くんまで。ちゃんと身体をほぐしてからじゃないとダメです」


 一歩後ろで準備運動をしている高嶺さんが、頬を膨らませた。

 仕方なく俺も高嶺さんに合わせて身体を動かす。


 高嶺さんが身体を揺らすたび、着こんだパーカーの下から水色のビキニパンツがチラチラ見え隠れする。うーん、水着姿、もっと見たかった。

 さっき高嶺さんは俺だけにパーカーの下のビキニを見せてくれた。

 それはそれで、俺専用感があって嬉しかったんだけど、なにせこちらは男子高校生。

 普通でいいから、もっと見たいという心もある。


 などと考えていると、海から和音ちゃんが戻ってきた。


「お姉ちゃんの弱虫を成敗します!」


 言いざま、水鉄砲で高嶺さんを攻撃する。びゅー。


「きゃっ!? わーちゃん? ダメだよ濡れちゃう!」

「ぬらしています!」


 水鉄砲の水を高嶺さんが手で防ごうとするも、それは無駄だった。

 和音ちゃんの持つ水鉄砲は思いのほか出力が高い。水タンクも大きめで止まらない。あっという間に高嶺さんが着ていたパーカーが水浸しになっていく。


「もー! なんでー? わーちゃーん!」

「トキコお姉さんにいわれてました! もしお姉ちゃんが水着の上に服をきるようだったら、この水てっぽーで弱虫けむしを成敗しろと!」


 やるな時子さん。高嶺さんがビキニの上にパーカーを羽織るのは予想済みだったか。

 つまり和音ちゃんは、時子さんから送られた刺客だったのだ。


「じごくであいましょう!」


 アニメかなにかの真似なのだろう、水鉄砲の水タンクをカラにした和音ちゃんはポーズをとる。

 すでに高嶺さんはびしょびしょだ。

 濡れたパーカーが肌にピタっとくっついて、身体のラインが露わになっている。おお、これはこれでエロいかもしれない。


「時子さんてばー」


 結局高嶺さんは濡れたパーカーを脱いで戻ってきた。

 ここまで隠されていたビキニ姿が本邦初公開、全米が泣く。俺も泣く。ありがとう全米の時子さん。

 白くてすべすべそうな肌。腰はくびれてお尻が大きい。胸も服の上からじゃわからないくらい大きいし、足が長い。色々なところに目がいってしまう。


「もう、天堂くんまで。そんなジロジロみないでね?」

「ごめんごめん。でも丁度いいじゃん、これから泳ぎを教えようと思ってたところだったし。パーカー着たまま練習するつもりだったの?」

「あ!」


 あはは、高嶺さんもちょっと迂闊だ。そういうところあるよな、近くで見ていると高嶺さんが完璧からほど遠いことがわかる。皆にもそれを解って貰えれば、周りに溶け込みやすくなるんだろうけどなぁ。


 びゅー。


「うわっぷ! なに和音ちゃん!? なんで俺まで!?」

「トキコお姉さんはもう一つ言ってました。きっとカズオミお兄ちゃんがお姉ちゃんのことをジロジロ見るようになるから、そしたらエッチ虫も成敗しろと」


 びゅー! びゅー!

 和音ちゃんの水鉄砲で、俺は水浸しになった。


 ◇◆◇◆


 俺たちは三人で海に入った。

 深さは俺の腰が浸るくらいのところで波と戯れる。これ以上深いと、和音ちゃんが立っていられない。

 俺は高嶺さんに笑顔を向けた。


「まずは少し、水に浮いてみようよ」

「でも天堂くん、私ほんとに水に浮くことすらできなくて……」


 手を胸の前から離さず、いかにも自信なさそうな高嶺さん。

 しかしすかさずフィローをする俺だ。


「海はプールより浮きやすいから大丈夫。浅いし、自信を持ってやっていこう!」

「う、うん……」


 ――ぶくぶくぶく。

 高嶺さんは見事に沈んでしまう。


「おぼれる人ごっこですか!?」

「いや違う和音ちゃん、これ本当に溺れてる!」

「あっぷ! あぷ!」


 浅瀬なのに暴れはじめる高嶺さん。

 俺は腰を落とし、慌てて手を差し伸べた。途端。

 ぎゅううぅっと、おっぱい――いや高嶺さんが俺にしがみついてくる。


「た、高嶺さん! 落ち着いて!」

「ダメ! やっぱりダメ! 沈んじゃう!」

「お姉ちゃん、もっとお刺身みたいになりましょう!」


 和音ちゃんの言葉は、意訳すると『おさかなみたいになって』ということなのだろう。お刺身美味しいよね和音ちゃん。


「私ね、知ってるの! 飛行機が空に浮くのと人が水に浮くっていう話は嘘だって!」


 なるほど高嶺さんは飛行機も嫌い、と。

 心の中のメモ帳に記しながら、俺は冷静に答えた。


「水と人の身体ではホンの少しだけど、人間の身体の方が比重が軽いからね。身体の体積に対して2%程度は水面に出るはずなんだ。でもこれは、ちゃんと空気を肺に詰めた状態の話だから、まずはしっかり息を吸ってから水に浸かっているかを確認したいな」


 べらべらべら。努めて冷静に理屈を述べてく俺。

 高嶺さんが感情でくるなら俺は理性で説得するぞ。


「ほら高嶺さん、深呼吸、深呼吸!」

「すー、はー。すー、はー」

「はい息止めて! 浮いてみよう!」


 ――ぶくぶくぶく。


「あっぷ! あぷ!」

「高嶺さん!? いま明確に息を吐き出してから水に潜っていったよね!?」


 なんでそうしてしまうのか? 俺にはまったく理解できなかったが、それが「浮けない人」というものなのかもしれない。

 そういうサガを持つ者ならば理屈をこねくり回しても仕方ないと言えた。

 俺は再び高嶺さんに手を差し伸べながら、他の方法を考える。


 横で和音ちゃんが、水面に顔だけ出してプカプカ浮いていた。

 そうなんだよな、海なら浮力がより強くなるから、これくらいも余裕あるはずなんだ。


「わかった高嶺さん。俺が高嶺さんの身体を支えておくから」


 高嶺さんは水を怖くないと言っていたが、緊張はしてしまうのだろう。

 だから息を吐いたタイミングで水に浮かぼうをするし、身体中に力も入ってガチガチになってしまっている。とてもじゃないが、これでは浮かべるはずもなし。


 なので俺は、まずはとにかく感覚を覚えてもらうことにした。

 力を抜く感覚だ。そして浮かぶ、という感覚に繋げていく。


 高嶺さんには水面で仰向けになるように、横になってもらう。

 それを俺が下から背中に手を添えて、軽く支える。


「こ、こうかな!?」

「力が入ってるね。もっとリラックスしていこ?」

「そんなこと言われても……」

「大丈夫、俺が支えてるから。まずは仰向けのまま、深呼吸をして?」


 すぅー、すぅー、と大きく呼吸を続ける高嶺さん。

 ……ダメだな、まだ身体に力が入ってる。どうしたものか。


「…………」


 俺は一計を案じ、攻めの姿勢に出る。


「キャッ!」


 と高嶺さんが悲鳴を上げた。


「て、天堂くん……!? そ、そこ……おしり!」


 ギュギュギュッ! と高嶺さんの全身に緊張が走り、一層の力が入る。だけど。


「そうおしり」


 俺は高嶺さんのおしりに手を添えて、彼女の身体を支えた。

 やわらかい、やわらかいぞ。この柔らかさは、漢字では表現できないものだ。

 いや俺は、決してやましい気持ちで高嶺さんのおしりに触れたわけじゃない。


「な、なんで!?」

「こう考えよう高嶺さん、身体から力が抜けないのなら、逆に一度、限界まで力を入れてしまえばいいんだ。驚いて今、全身に凄く力が入ったでしょ?」


 むにむに。俺は高嶺さんのおしりを揉んだ。


「きゃあッ! 天堂くんっ!?」


 もう一度、高嶺さんの全身に力が篭められた。だけど、そういうギュッとした力は一瞬なのだ。俺はおしりから手を離し、再び腰に手を添えた。


「いいね、いいよ」

「なにがいいのー!?」

「その『きゃあ』がいいんだ。思わず力を篭めてしまう、その『きゃあ』。それがいい」

「わ、わかりません! 天堂くんの言ってることがさっぱりわからない!」


 俺は再び努めて冷静に――おしりやわらかかった――いや違う今のは思考ノイズ、えっと、そう、努めて冷静に、解説を始めた。


「一度全身に強く力を篭めたら、反動で身体は弛緩するんだ。力が抜ける。ほら、ちょっと深呼吸してみて? さっきより、力が抜けてない?」


 答えを聞くまでもない。高嶺さんの身体から力が抜けているのは、支えている俺にはすぐわかった。脱力の完成だ。

 俺はそっと、支えの手を離した。


「すー、はー、すー、はー」


 目をつむった高嶺さんが、大きく呼吸をしていた。


「気づいてる高嶺さん? いま高嶺さんは、支えなしで水に浮いているわけだけど」

「えっ? ――あっ!? ……本当だ、私、浮いてる?」

「でしょ? いま高嶺さんは、水に浮けてるんだよ。この感覚を覚えておいて欲しいな」


 びゅびゅー。

 突然俺の顔に、和音ちゃんの水鉄砲が炸裂する。


「な、なに和音ちゃん!? まだ時子さんになんか言われてた!?」

「言われていません! だけど今、水てっぽーしないといけないかな? と思いまして!」


 あ、はい。高嶺さんのおしり触って、ちょっと楽しんじゃってましたすみません。

 和音ちゃんは良い勘をしていた。


 こうして水に浮く感覚を身体で覚えた高嶺さんは、まだ泳げないまでも、水に浮いてチャプチャプできるようになっていった。


「ありがとう天堂くん!」


 礼を言われて、俺はテレたのだった。


 ◇◆◇◆


 宿に帰ると食堂に夕食が用意されていた。

 俺たちは出された海の幸をたらふく食べる。和音ちゃんはお魚や貝は好きなようだった。ダメなのは野菜くらいなのかな? 美味しそうに食べている。


 話すのはやはり、今日の海でのことだ。

 砂浜に落ちてたという貝殻を、和音ちゃんが自慢げに見せてくれた。

 明日は貝殻拾いしたいです、と和音ちゃんは笑う。

 いいね楽しそうだ。俺も笑った。


 水鉄砲のこと。泳ぐ練習のこと。そして高嶺さんのビキニ姿のこと。

 喋りたいことはたくさんあるのに、時間は短かった。まだまだ話したいのに時は過ぎ去り、疲れた和音ちゃんは先に夢の世界に旅立ってしまう。

 俺たちは和音ちゃんをそっと運びながら、部屋に戻った。


 部屋には布団が三組敷かれていた。

 一つ屋根の下で、こうして女の子と寝るのは初めてのこと。別になにがここからあるというわけでもないのに、どうしても緊張してしまう。


 緊張しながらも、俺は高嶺さんと二人っきりで色々喋った。

 今日の出来事は当然として、学校のこと、俺の剣道のこと、親友のこと。緊張が解放感に塗り替えられていき、たぶん俺たちはいつもより饒舌だった。


 そして寝る時間が迫ってくる。

 そわそわと、また俺たち二人は緊張し始めていくのだ。思い出したように、俺たちはまた無言になっていった。


「ね、天堂くん」

「ん?」


 高嶺さんも緊張しているんだろう。顔が赤らんでいる。

 言い出すも、高嶺さんはそこからしばらく沈黙。

 視線をキョロキョロと泳がせて、言いたそうな、言いにくそうな。

 なんだろう、高嶺さん。なにが言いたいんだろう。


 俺がじっと待っていると、やがて高嶺さんが、なにかを振り絞るような声でこういった。


「一緒の布団で……寝ませんか?」


 ――海編! まだ続く!

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