苦いコーヒーにさようなら

スミンズ

苦いコーヒーにさようなら

   1


 僕はおとなしめなタイプだ。単独行動が好きだし、友達と集まって遊ぶのが苦手な節もある。だから、というのだろうか?僕は一人でもできる陸上競技やスキーなどがとても得意で、おとなしめだけど体を動かすのは大好きなのだ。もちろん他にも一人で楽しめるものとして、ゲームだとRPGやノベルゲー、他には小説を読むのが趣味としてある。僕はここ最近、一人でカフェに行くことが以外にも気楽で良いものだと知り、ちょくちょく小説を買ってはカフェに行きのんびりとコーヒーを啜るのが日課になっていた。大学のレポート等も、いつからかカフェでするようになった。


 僕の行きつけのカフェはチェーン店ではない個人経営のところだ。とはいえ店内はとても広々としておりカウンター席とテーブル席とが用意されていた。僕はカウンター席にいつも座っていた。カウンターにはコンセントが一席に一個配置されており、WIFIも飛んでいて「どうぞ長く居座ってください」と言わんばかりのものだから、僕は堂々とそこに長く居座っている。しかも常連客となったものだから、僕がレポートなんかを書いていると「今日も頑張ってるねえ」なんて店員が笑いかけて来てくれたりする。藤子・F・不二雄がドラえもんのネームをカフェで描いていた気持ちがなんだかわかるような気がした。


 僕は今日も従って例のカフェに来ていた。カフェに通うものとしては、コーヒー豆の種類に詳しい方が楽しいのだろうけど、正直どの豆も好きだから今日も「本日のコーヒー」という定額800円でコーヒーを頼んだ。出てきたのはキリマンジャロだ。少し大学生の癖に生意気な値段だが、今はコーヒーと小説位にしかお金をかけていないのだ。これくらい良いだろう。


 僕はカウンター席につくと数年前に買った小説を開いた。もう3回ほど読んだがまたよみたくなり読んでいるのだ。内容はベタなミステリー小説だが、感動的なフィナーレに僕は涙ぐんでしまうのだ。僕はまたウキウキ気分でその本の最初を開いた。そんなタイミングで、カウンター席の隣に、女の子が座ってきた。その子が高校3年生のころ同じクラスだった風月未希菜ふうげつ みきなであることを知ると僕は「あ、久しぶり」と言う。すると風月は驚いたように「え、おー、元気だった?」と返してきた。爽やかな笑顔をのぞかせている彼女は、高校ではなかなか男人気は良かった。僕もまあ美人だなとは思っていたが、正直大して気にも止めてなかった。


 「果屋未来くん!このカフェよくくんの?」


 「まあ、二日に一辺は必ず来るかなあ」


 「凄いきてんじゃん。確かにお洒落だなあ……、そうだ注文してないや、それなに?」彼女は能天気に僕のコーヒーを指差して言ってきた。


 「本日のコーヒー、ってやつ。今日はキリマンジャロだよ」


 「キリマンジャロ?値段なんぼ?」


 「800円するよ」


 「ふええ、未来くんて金持ち?」


 「コーヒーと小説にしか金かけてないからいいんだよ」 そう言うと僕は小説を畳んで鞄にしまった。


 「まあいいや、じゃ、店員さーん、今日のコーヒーくださーい」


 「いいの?高いんじゃないの?」


 「未来くんと一緒の飲みたいだけだよー」そう言ってにこりと笑った。


 「なんじゃそりゃ」


 「未来くんは確か、〇〇大学に行ったんだよねえ」


 「そうだよ」


 「じゃさ、私どこ行ってっか知ってる?」


 「……ごめん、わからない」


 「酷いなあ」そう言うと彼女は自分の鞄から学生証を出した。それがなんと自分と同じ大学のものであったのだ。


 「………マジで……?」


 「マジだよ!」すると未希菜の元に丁度コーヒーが来て、それを突然グッと飲んだ。とてもイラついているようだ。「熱い!」と叫んでマグカップから口を離すと僕を睨んでくる。俺は慌てて鞄に入っていたミネラルウォーターを渡してやる。


 「……ごめん、全然知らなかった。学科なに?」


 「天文学科だよ!未来くんは数学科だから研究室結構近いのに、気づいてくれないなんて正直ショックだなあ……」そう言うと未希菜は僕が渡したミネラルウォーターの中身を、突然僕にぶちかましてきた。


 「もう未来くんには呆れたよ!これでも食らえ!」


 「え、えー!」僕は何故こんなことされるのかわからず、たじたじしていると、彼女は僕の伝票まで持って椅子から立ち上がると、とっとと会計をして店から出ていった。


 「………なんなんだよ。ああ、僕の本がビショビショだ」僕はずぶ濡れの服をパタパタやって、少し人の目を気にしつつカフェをあとにした。


   2


 「風月未希菜?知ってるよ、かわいいよな、あの子。で、どうしたんだよ」研究室に昼間からなにをするわけでなく佇んでいた同じ二年生の細野快斗に質問を投げ掛けてみた。


 「あいつ、僕と同じ高校なんだけどさ、昨日初めて同じ大学に進学してたことを知ったんだよ」


 「エエー……。なんなのお前。あんなかわいい子がどこへ行くとかどうとかって、普通気にならねえか?」


 「ぶっちゃけ気にならない」きっぱりといい放つ。


 「アホだわ……。俺だったら探りいれるね。で、その子がどうしたんだよ」


 「昨日、カフェで合って、懐かしいねえって話してたら、水ぶちかまされた」


 「は?」そう言うと快斗は頭を掻いた。「状況が飲み込めね」


 「簡単にいうと、僕が彼女が言ってる大学が一緒だって知らなかったんだけど、それが分かるといきなり水をぶちかましてきたんだ」


 「はあん。要するに彼女はお前が自分に興味を持ってさえいなかったことに憤ったんだな。ああ、未希菜さんかわいそうだわ」


 「つまり、どゆこと?」


 「きっと未希菜さん、お前のこと好きだったんだろうな」


 「マジで!?」僕は目の前のテーブルを両手でドンと叩いた。


 「普通そう考えるだろ!けどその様子じゃ、昨日が決定打で嫌われたかもわからないなあ。ドンマイ!」そう言うと快斗は椅子から立ちあがり、時計を見るなり「今日は彼女とモール行くんだわ、じゃあな」といって研究室から出ていった。僕は快斗が部屋から出ていくなりもう一度テーブルを両手で叩いた。そんな時に、突然ドアがもう一度開いた。するとそこには、彼女が立っていた。


 「未希菜さん……」僕は入口で立ち尽くす彼女を見て息を飲む。


 「……昨日はごめん。本をグシャグシャにしちゃって」


 「僕だって、未希菜さんが同じ学校だって知らないでいて、いくらなんでも君に疎かったよ。ごめん」


 「……いいんだよ。だって、私正直君に好かれるような友達、持ってなかったもん。まあどっちかというと未来くん、真面目なタイプだったし、ただ一方的に私が憧れてたというか。うん」


 そう言って彼女は手に持ってた本を差し出した。そこには昨日グシャグシャになったはずの本が新品であり、またもうひとつ読んだことのない本があった。


 「どうしたの?」


 「せめてものお返し。昨日の本ともうひとつは私の大好きな本。もし時間があったら読んで……。あと、そうだ、LINE交換しようよ!」スマホを取り出すなり未希菜さんは微笑んだ。


   3


 突然未希菜さんを意識し始める辺り、僕はなんだかちょろいと言うか、情けないような気がするが、確かに僕は女の子の連絡先を手にしたことにより、少なからず浮かれていた。僕はあの一件で絶交されてしまったのでは無いかと思っていたのだが、逆にあっちが謝ってきてくれた。それにただただ僕は自分の『他人への興味の無さ』を恨めしく思った。そのくせ新しい本を買い直してもらったし、彼女が好きだという本も頂いた。正直意識しないのもおかしい。だがひとつ疑問はある。何故彼女は僕にもっと早く同じ学校にいることを知らしてくれなかったのか?未希菜さんは決して僕が好きとか気になるとかではなくて、単に自分にこれっぽっちも興味の無い僕にキレたのでは無いだろうか?だが彼女は僕を”憧れ”だと言った。それは一体どういう意味なのだろう?それにしても結局僕は嫌なやつだ。


 そんなことを思いつつ僕はいつものカフェで未希菜さんから頂いた本を開く。それはどうやら天文学の本であったようだ。未希菜さんは天文学科であるから、やはりそういう本が好きなんだなあと思いながら本をペラペラめくると以外に写真たくさんの本で助かった。まずは太陽系の惑星紹介ということで水星、金星、火星、木星、土星、天王星、海王星が載っていた。あれ?水金地火木土天海冥でなかったっけ?と思っていたがページを捲っていくと僕が小学生の頃に冥王星が惑星から新しく設定された区分の準惑星におとされていたようだ。そういやそんなことをチラッと中学校で習った気もした。ページを更に捲って分かったが、それだけ太陽系には冥王星並の大きな星が沢山見つかったので仕方なくそうしたらしい。なんだか冥王星上げて落とされた見たいで可愛そうだな、そんなことを思いつつ更にページを捲る。銀河系の全貌が予想図で描かれていた(図と言ってもCGで細かく描かれていた)。全長およそ8万から10万光年。要するに光が伝わる速さで行っても端から端まで少なくとも8万年。頭がおかしくなるほど大きいような気がするが、天文学では大した距離では無いそうだ。そんな途方も無いものを追いかけるのが天文学なのか。そんな途方もない学問だけに、とても夢があり、やりがいがありそうだ。そんな魅力に未希菜さんははまって、今はそれを研究しているのだろう。それがなんだか僕には少し不思議だった。高校時代の彼女は、端からみるにそんなものに興味があるとは思えなかったし、何より彼女はクラスで少しチャラいグループに絡み、ある意味で僕にとってはどうでもいい奴だった。だけどそんな奴の心には、こうも美しい学問が輝いていたと思うと、やはり不思議だった。いや、しかし待てよ。彼女はただチャラいだけでは無かったんだ……。


 僕は「本日のコーヒー」キリマンジャロを飲む。最初は酸っぱみが少しくどくて苦手としていたが、その鼻を通る濃厚な香りにはまると、他の種と同じくらい好きになれた。


 「けれどやっぱり酸っぱいなあ」僕はそう無意識に呟く。


 「よ、何が酸っぱいんだよ」すると突然隣の席から 聞き覚えのある声が聞こえた。


 「あっ、快斗!いつからいた?」


 「2分位前から。いつになったら気づくんだろなあ、ってずっと観察してたけど、全然気づいてくれねーから無視されてると思ったわ」


 「酸っぱいって、ほら、キリマンジャロって酸っぱいだろ?」


 「まあそうだけどさ。それはそうとお前、なんで天文の本読んでんだ?お前興味あったっけ?それともあれか?未希菜さんが天文学部だから……」


 「さあ、どうだろうね」僕は適当に返答した。


 すると快斗は肘をついて僕を横目で見ると


 「今、気持ちが甘酸っぱくないか?」と尋ねられた。


 「……少し。この本も未希菜さんのだし、くすぐったいというか、どうすればいいのかわからなくて」そう言って僕は未希菜さんの本を撫でる。


 「初恋ってか」


 「……未希菜さんも変わったなあって」


 「否定はしないのか」快斗はコーヒーを啜った。


   4


 「未来、今日、遊びに行くか?」高校の頃、色んな人が未来くんを遊びに誘った。だが彼はいつもそれを拒否した。ノリの悪いやつ。そんなレッテルを張られていた。だけどスポーツはそこそこできるし、スキー学習の時なんか、みんな「すげえ」と叫んでいた。私とは反対の人間だ。私は「未希菜、遊ぼう」といわれるのが一番嬉しい瞬間だ。断るのは嫌だ。だから正直仲良くない男子とも遊んだし、少し危ない目にもあった。けれどそれでもめげずに私は誰かについていった。それが少しスリリングに感じていたのも事実だ。だからといって私はなにかができるわけではなかった。かわいいなんてちやほやされ、男子人気はあったそうだけど、運動は出来ないし調理実習も白米を炊こうとして立派なお粥を作ってしまったりと、『どじ未希菜』とよく言われた(…それが良いと言う声もあったそうだけど)。


 それなのに私は、未来くんが少し気になるようになった。彼はどうしてこうも私と真逆なのか?それを探りたくなった。


 高校3年生の学校祭。私は皆からの誘いを断って、なんとか一人で出店を回るようにした。それで私は未来くんの跡を追いかけてみようと思ったのだ。今思えばまるでストーカー紛いの行為だ。だけど探すまでもなかった。彼はクラスの中でも少しいじめられる気質の前田くんと、教室で仲良く喋っていた。私はその光景に、一気に目が覚めたような気がした。


 未来くんと私の根本的な違い。


 それはクラスの中で孤立してる人に、自分も同類と思われようと接する強さ。いや、彼はそれを普通のことだと思っているだろう。いや、そうじゃなくてそう思ってしまう私たちが異常なのかもしれない。ともかく私はあんまり好かれてない人には近づかない性質を持っていた。未来くんにはそれがない。仲良くなった人には接する。ただそれだけをしていた。彼はそう、『スクールカースト』を全く気にしなかった。


 元々気の弱い私はそれを見てどうすればいいのかわからなかった。ただ、教室の入り口の影でそんな二人を観察していた。すると後ろから「未希菜~」という呼び声がした。振り向くとそこにはクラスメイトの仲真凜がいた。


 「あ、凜」私は受け答えると、彼女は教室を見た。


 「へえ、梶谷のやつ、前田と仲良いのかよ」


 私は心の中で、それがどうしたと言いたくなった。だがそれが口からは発することができなかった。


 「んで、なんで未希菜はここにいるのさ?」


 そういわれて私はどうしようと思った。確かにこんなところにつったって教室を眺めてるなんて変だ。だが、彼女たちにはこう言えば全て解決するような気がした。


 ………。


 「きしょいなあ、って見てた」


 その瞬間、未来くんの体が少しビクッとした気がした。私は、それが彼に聞こえてたことに気がつき、思わず 泣きそうになる。


 「未希菜、一緒に回ろうよ」


 「うん」私は逃げるように教室をあとにした。


 その夜、私は布団で泣いていた。その時点で私は未来くんが好きであることを自覚したのかもしれない。


 私は、結局酷い女だ。そんな昔のことを思いながら、今日は未来くんの来てないいつものカフェで一人、コーヒーを飲んでいた。どうもこの苦さは癖になりそうだ。


   5


 この前あのカフェで快斗に未希菜さんの行く当てを「気にならない」と言ったのは嘘かもしれない。未希菜さんが僕らを見て「きしょいなあ」と言った後で、泣いていたのも、そのあとに何故か数日登校しなかったり、登校したらしたで仲真たちとは遊ばなくなっていたのも知っている。これは僕のせいだと薄々感じていたし、それを深く追及するのもいけないと思った。だから僕は僕自身で未希菜さんを『全く興味の無い人間』だと思い込ませて来たのかも知れない。だから、未希菜さんが同じ大学に来ていたのは本当に予想外でビックリした。


 「未来、レポートできたか?」研究室で快斗が言ってきた。


 「できたよ。恐らく完璧だ」


 「お前意外に頭はいいよな」そういうと快斗は椅子から立ち上がった。


 「どうした?」


 「お前さ、未希菜さんが気にならなかったって言ってたけど、あれ嘘だろ?」


 「なんでそう思う?」


 「じゃないとおかしいと思うんだよなあ。冷静に考えりゃそんな突然恋心が湧くわけ無いもの」


 「……半分当たりで半分外れだよ!」僕は笑顔で答えた。


 快斗は戸惑いながらも「…まあ、幸せなら良いですけど」と言った。


 僕は少し暇ができたので例の天文の本を開いた。そこには天の川の写真が載っていた。天の川は夜空に現れ、織姫とひこぼしが挟んでいるのは知っているが、織姫とひこぼしが見えても、この街の夜空に天の川が現れることはない。空に現れる星はいつも5個位しかない。だからいつかはたくさんの星を見てみたい。そう思った。


 僕はそこで思い付いた。見に行けばいいんだ。それなら、未希菜さんも誘って。


 「快斗、次の講義は?」


 「次は一時間後にあるけど」


 「よし」僕は研究室から出ると近所の天文学部の研究室に走り込んだ。扉を開けると、中にいた数人の学生が不審の目で僕を見る。その中には一人、僕を不審がらず見る目があった。


 「未来くん…」少し恥ずかしそうに彼女はこちらを見ていた。


 「未希菜さん…!ちょっと来てくれませんか?」僕は少し大きな声で言った。すると未希菜さんは


 「はい」と返事した。するとその研究室の中がざわめいた。ちょっと乗り込むタイミングをしくった気がしたがもう今さら遅い。僕は彼女と共に廊下へ出た。


 「未希菜さん」僕は少し緊張しながら言う。


 「は、はい」


 「こ、今度……。いや、来月!い、一緒に天の川、見に行きませんか?」


 「え?」彼女はキョトンとした顔でいった。


 「僕、見たこと無いから」そういうと未希菜さんはフッと笑った。


 「前あげた本に載ってたから?」


 「う、うん」僕がうなずく。


 未希菜さんは僕の両肩を両手で握って「行こう!」と大きな声で言った。もうなにも隠さない。そんな強い意思を、宣言したように。

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