第701話 滅びた町は遺跡となって
◇滅びた町は遺跡となって◇
「騎士団は旧フーサン地区のことを再度洗い直していると聞いておりますが…、やはりそれは蛇の左手の関与を疑っているとのことでしょうか?」
メルルは手元の資料に目を落としたままアデレードさんにそう言葉を投げかけた。オッソの情報を探る過程で彼が旧フーサン地区の出身であり、その地区が壊滅したことは傭兵ギルドからの情報で彼女も俺らも共有されている。
だがしかし、具体的に何が起きて壊滅したかは未だに伏せられている。近衛のアデレードさんなら知っているのかもしれないが、俺らは知るはずの無い情報である。秘密を抱える彼女は曖昧に頷いて答えたものの、メルルの実家のことを思い出したのだろう、直ぐに胡散臭そうな視線をメルルが眺める資料に向けた。
「…あまりそういった情報は広めて欲しくはないのですが…」
「ご心配なく。私だって無闇矢鱈に教えることは致しませんわ。ですが、少なくともここに居る人間には知る権利がありますでしょう?」
アデレードさんの言葉にメルルはあざとい動作で悪びれることもなくそう答えた。メルルの言い分は正論とまではいかないが、それでも一理はあるためアデレードさんは言い返す代わりに眉を押さえて軽く溜息を吐き出した。
俺らが既に精神に強く影響する呪物の存在を知ってしまっていることも大きいのだろう。口をつぐむことは出来ても、既に知ってしまった事を忘れることはできない。それこそ、忘れるためには忘れるべき精神に作用する呪物の類が必要になるはずだ。だからこそアデレードさんは仕方無しにメルルのことを黙認する。
「…精神汚染が用いられた事件など早々ないですからね。未解決で終わった旧フーサン地区の事件を解決するというよりも、蛇の左手の情報を得るために掘り返していると言った方が正しいでしょうか」
「それでも残夜の騎士団の彼からすれば、代わりに騎士団が動いてくれて万々歳というわけか。…自分の手で復讐を成し遂げたいと思っているかも知れないがね」
アデレードさんはメルルの質問に答えるように旧フーサン地区のことも調べていると口にした。先ほどの資料を見る限り確定的な情報は見当たらなかったが、それでも何かの情報を見落としていないか彼女も資料を漁っているのだろう。
そんな彼女の言葉を耳にしながら、メルルは手にした資料の一部を俺に差し出してくる。そこには引き起こされたであろう精神汚染の規模と内容が書かれており、俺が口にした魔物避けのチャームのように余りに無作為な事象に思えた。
「そもそも精神汚染が目に見えない現象でありますし、聞き取りが出来た生き残りの方も僅かですから…あまり情報は多くはありませんが、確かにハルト様の言うようにまるで魔物避けのチャームのようですわね」
「…と言っても、ここまで無作為だとそれはそれで呪術にしては逆に不自然なんだがな。現にこの資料を書いた人間は妖精の関与を疑ってるぞ」
フキは俺と縁を繋ぐために会話をしたと語っていたが、人の意思に影響を受ける呪術は物理的な距離よりも精神的な繋がりが重要なのだ。だからこそ例のメルガの曲玉のように高度に制御された呪物も珍しいのだが、かといって旧フーサン地区のように無作為な対象に作用する呪物も珍しいのだ。
あるとすれば…目で見た、名前を口にした、あるいはそれこそ知ってしまった、だろうか。よほど強力な呪物ならそれもあり得るかもしれない。少なくとも妖精の中にはそれが切欠で襲ってくるものも存在する。だがそれでもこの事件が妖精の仕業かと聞かれれば俺は首を横に振るうだろう。
人に恋心を抱かせたり、子供達の心を操る妖精などはいても、無作為な大量の人間の心を操り殺し合いをさせる妖精など聞いたこともないのだ。強引にこじつけるなら
「手法も動機も不明なのですから妖精の関与を疑うのも分からなくはないですわね。ですが、何者かの関与が認められたとの記載がありますわ」
「妖精の仕業とする説は近衛の保管する資料にも書かれていましたね。ですが、住人ではない集団が数日前から旧フーサン地区に出入りしていたとの証言があったため、人為的な事件とされています。今回の件もあって、その集団が蛇の左手なのではないのかと…」
メルルは手元の資料を確認しながら、アデレードさんは自身の記憶を呼び起こして俺の言葉に答える。ちらりとメルルの手元の資料を確認すれば、そこには第三者の関与を疑わせる情報が記入されていた。その一つはホロデナント伯爵の証言であり、どうやら彼は狂いながらも旧フーサン地区で見た光景を確りと記憶していたらしい。
それにフキも明言はしていなかったが、どうにも旧フーサン地区の事件に関与していたことを匂わせていた。その発現には一般には知られていない情報も含まれていたため、無関係な人間ではないはずだ。
「俺が気になったのは…同じ精神汚染にしても随分毛色が違うことです。オッソの様子を見た限り、メルガの曲玉は人一人を操るもの。何かしらの誘導や刺激は必要なようですが、その内容は自在なのかと…」
俺はフキと対面したときのことを思い出しながらアデレードさんに語りかける。俺にメルガの曲玉を差し出すように命令していたことからも、操る内容は人殺しだけではないはずだ。
「ですが、旧フーサン地区で発生したのは…大量の人間に殺意を抱かせ理性の箍を外させるような精神汚染なんですよね?」
メルガの曲玉は精神操作と言っても良いだろうが、旧フーサン地区の事件はまさしく精神汚染だ。原因が同じ精神系の呪術だとしても、俺には何かしらの違いがそこにあると思えたのだ。俺の言葉を聞いてアデレードさんは小さく頷いた。
「旧フーサン地区ねぇ。…それなら別の呪物を使ったのではないかな?確かあそこの近くには祈祷師の痕跡が残る遺跡があったはずだよ。まぁ、今は旧フーサン地区も遺跡になってしまったようだがね」
俺の言葉を聞いてマルフェスティ教授が小さく頷いたアデレードさんの変わりに答える。彼女は軽いつもりで答えたようだが、その情報はアデレードさんの耳に留まったのだろう。言葉を聞いたアデレードさんは軽く驚いた表情でマルフェスティ教授に顔を向けた。
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