第32話

 話題の新製品とあって、立倉のブースは盛況だ。

 次から次へと来場する人々に、コンパニオンが大型のスクリーンを使って製品の説明をする。そのほかのスタッフはその脇で客を呼びこみ、パンフレットを配る。客の様子を見ながら、こちらから声をかける。

 アンケート用紙も渡せば、見込み客がさっそくそれらを回収箱に入れてくれる。スクリーン脇の個別商談ブースでは、待機している営業との商談もさっそく始まっていた。

 冷やかし客の質問にも丁寧に答え、名刺を交換する。

 そんななか、わたしは開場前には出る予定だったのがすっかり予定を狂わされてしまっていた。もはや時任様専属の営業。

 設定条件を変えてはデモをせがまれ、技術畑の人間が応じるのだが、そのあいだも時任様は、展示に関係のあることないことをわたしに喋り続ける。横には大河さんが貼りついているが、わたしも場を離れることは許されなかった。揉めないでという藤堂さんの注意にしたがい、わたしも心の内で泣きながらにこやかに相づちを打つ。

 どうせならこの場で成約してくれないかな。

 すきを見ては離れようとしても、今度は別の客に呼び止められて解放される様子がない。焦りで上の空になりそうなのを必死に留め、笑顔を振りまく。

 気分はまるで、倒しても倒しても立ちあがって追いかけてくるゾンビゲームを攻略しているかのよう。なんで皆、わたしのところに来るの!?

 わたしは我慢ならなくなって、お手洗いを口実にホールを出た。すぐさまスマホを確認する。


【そっちの状況はどんな感じ?】


 譲くんのメッセージに慌てて時間を確認し、わたしは叫びそうになった。全身の血が逆流しそう。即座に電話をかけ返す。


「ごめん! お客様に捕まってた。すぐ行くから!」


 捕まらないようにブースに戻って、バッグを取って……お手洗いを口実にしたときにバッグごと持って出ればよかった。そもそも、今日は少し様子を見るだけだからと、ブースに荷物を置いておいたのが悔やまれる。


「すぐって、レストランに直行? もうあと一時間で始まるけど。ほかの幹事はもう揃ってる」


 あと一時間で受付が始まる。ということは……幹事の打ち合わせにはどうしたって間に合わない。


「荷物を取りにいったん家に戻るけど、走ってく!」

「――もういいから」


 険しい声に、早足でブースに戻りかけていた足が凍りついた。

 そうだよ、譲くんが怒るのももっともだ。

 やるやると言いながら、肝心なときに時間を守れていないのだから。

 熱い塊が喉元までこみ上げ、わたしは漏れそうになる嗚咽おえつを抑えこむ。泣いてる場合じゃない。


「……ごめん」

「荷物は俺が取りにいく。大きなバルーンで合ってる? 直央ん家の鍵、使う。昨日返しそびれたのが役に立ったわ」

「……うん、合ってる、それとクイズの景品もバルーンと一緒に置いてあるから、それもお願い。……ごめん」

「いいから。俺の姉さんのパーティーだから、直央より俺がやるのが筋とも言うし」

「でも」

 声を上ずらせる。突き放されたようで、息が苦しい。

「直央が慌てて、危ない目に遭うほうが心臓に悪いから。こんなときくらい、少しは頼れって。……着いたら交代してもらうから」


 笑おうとするのにできない。代わりにわたしは小走りでバッグを取りにホールに戻る。


「譲くん……ぜったい、行くから」

 それだけ言うのがやっとだった。

「ん、待ってる」

「うん」


 声が湿っぽくなるのを隠すように、わたしはスマホを耳に当てたままそそくさとブースにバッグを取りに戻る。

 突き放されたわけじゃなかった。譲くんは、今できる最善を考えてくれたのだ。

 ところが、だしぬけに電話を取りあげられた。


「おーう、譲。久しぶりだな。直央をお前に譲るって言ったの、ナシにするわ。実乃梨は返してやるからさ」


 ふり向くと、そこにはわたしのスマホを当てて機嫌よさそうに話す大河さんがいた。


「やっぱ俺には幸運の女神が必要みたいなんだよな。そういうわけでこいつは諦めて」

「ちょっ! 返してください! わたし、間瀬さんのことなんてなんとも思ってません」


 電話を取り返そうと大河さんにつかみかかるけれど、大河さんは器用にかわしてしまう。

とうとう体ごと抱えこまれ、身動きを取れなくなってしまった。

 わたしはパンプスの踵で大河さんの足を踏みつけるが、かえって拘束される力が強くなっただけだった。


「――譲。お前いま、なんつった」


 わたしの猛攻をものともしなかった間瀬さんが、それまで調子づいていた顔を硬直させた。その隙に、わたしはスマホをひったくった。

 いったい譲くんがなにを言ったのか気になるけれど、今はそれよりも。


「間瀬さんの言うことなんか無視してね!? 間瀬さんはわたしでお客様を取りたいだけなんだから! ぜったい、そっちに行くから!」


 言い捨てて電話を切り、わたしは大河さんに詰め寄った。


「間瀬さんに必要なのはわたしではなくて、売り上げのための餌を蒔く人間ですよね。そりゃあ餌を撒いてくれる人間がいれば、あとはその餌ごと獲物を引きあげればいいだけですから楽ですよ。でもお客様の一件や二件、ご自身でものにしたらどうですか? 先輩のやりかたは、すでに三國部長から営業部長にも伝わってますよ。――では、わたしは本日は休暇なので失礼します。……藤堂さん、あとお願いします」


 わたしは間瀬さんに実力行使されないうちに踵を返すと、全速力でビッグサイトを走った。

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