第13話
年度が替わり、わたしの机は東の端からフロアのほぼ真ん中に引っ越しした。そこが営業企画部の島だ。
「産業第一部よりきました、女神直央です。よろしくお願いいたします!」
朝礼の場で勢いよくお辞儀をすると、パラパラと拍手が返ってきた。
産業第一部だけでも三十人はいたけれど、営業企画部は十人ほど。ちなみに新人社員は企画部には配属されておらず、わたしが部の最年少だ。
「営業企画部長の
企画部長は若干三十六歳の女性で、三國さんという。三歳のお子さんがいるそうで、短時間勤務中だ。営業トップの座に長く君臨していた、立倉の伝説とも言われている女傑だ。見た目も
かくいうわたしも、以前から三國さんには憧れていた。役職がついて第一線を退いても、お客様に求められるような営業でありたい、と……。厳密には営業ではなくなったけれども。
朝礼が終わり部員が自席に戻るなか、わたしは三國さんを呼び止めた。訊いてもいいと思う、という譲くんの意見に背を押されたから。
「三國部長、ひとつお伺いしてもいいですか?」
「なに? 部長なんてつけなくていいわよ」
「では三國さん」
どうぞ、と三國さんがうながしたので、わたしはひと息置いて切りだした。
「わたしを企画部にされた理由を教えていただけませんか? いえ、企画部が不本意なのではなく、営業でじゅうぶん結果を出せないうちに異動になったので……」
「いい? 失敗ばかり繰り返す社員の受け口になるほど、企画部は甘くないのよ」
はっと顔を上げた。
「間瀬くんの下にいたら、いつまでもあなた自身の成長にならないでしょう。本来、先輩は後輩を指導して伸ばすためにいるはずなのに、今の産業第一部には、ひとを伸ばす土壌がない。だから、ここで結果を出しなさい」
「はい! よろしくお願いします!」
なんて素敵な上司なんだろう。営業全体の風土を見てくれてたんだ。ますます憧れるな。
「さっそくだけど藤堂くん、女神さんに企画の仕事を教えてあげて。女神さんには五月の展示会対応をお願いするから」
藤堂さんは、穏やかな物腰が特徴の細身の男性だ。微笑むと目尻の皺が深くなるのも、親しみやすくていい。年齢はたぶん、三十代後半。左薬指に指輪があるから、既婚者だろうと当たりをつける。企画部のメンバーは皆、既婚者ばかりみたいだ。
藤堂さんが、企画部の説明をひととおりしてくれた。
「――で、部長が言ったように、女神さんにはこの五月の頭にある展示会の準備をやってもらうよ」
「五月の頭……ってゴールデンウィークですか」
「そ、毎年この時期なんだよねー。なにもゴールデンウィークに被せなくてもいいのにさ。ひょっとして予定入ってる?」
「いえ、大丈夫です! ただ五月一日だけは予定が入ってまして」
メーデーは、立倉は毎年休日になる。だから有休の申請も不要だったのだけど、その日にかれんさんの結婚パーティーが予定されているのだ。
「オーケー。じゃあそこは別の人間を出すよ。女神さんは、直前と二日以降、展示会にうちが出展する印刷機のプロモーションをお願い。これ、うちが今度リリース予定のプロ向け上位機種の初お披露目になるから、しっかり頼むね」
「プロ向け上位機種って、設計第一部が担当したあれですか?」
譲くんの所属する部署は、商業印刷用の大型プリンターの設計をしている。
「そうそれ。立倉の主力になる予定の製品だよ」
おなじ案件を担当する機会なんてないと思っていたけれど、ひょっとするとひょっとするかもしれない。一瞬そう思って、ないな、とわたしは思い直した。
企画部が設計部と直接やりとりすることはない。企画部は個々のお客様を担当する部署ではないのだから。
「うちでは展示会に合わせて休みが潰れるから、覚悟しておいて。さっそくだけどこの件は女神さんがメインで頼むね」
異動早々に担当を任せてもらえるなんて。
「……はい!」
サブでついてくださる部員とも、その場で顔合わせを終える。その後は各所に挨拶回りをしたりして、部署異動の初日はまたたくまに過ぎた。
「水曜の夜は空いてる? 歓迎会兼お花見を上野でする予定なんだけど、主役の都合はどう?」
定時が過ぎ、向かいの席の藤堂さんがパソコンから顔を上げる。一もにもなくうなずいた。
「もちろん参加します!」
と、いうわけで。
お花見にぴったりの、満開の桜の下。本社近くの公園は桜で有名なこともあり、芝生のあちこちに敷かれたレジャーシートでは、スーツ姿に缶ビールを手にした人々がすでに盛り上がっている。
わたしたちも定時ダッシュで桜並木の一角を確保して、無事に歓迎会が始まった。
「女神さん、ようこそ営業企画へ」
普段は短時間勤務の三國さんも参加するとあって、部員が三國さんの元に次々とビールを渡す。乾杯の温度から三十分と経たないうちに、部員全員ができあがった。
三國さんも次々に缶を開けていくけれど、彼女はざるらしくてずっと涼しい顔を崩さない。美人で子持ちで仕事ができてザル。はい、最強です。
「女神さんもいい飲みっぷり」
「営業で鍛えられましたから!」
わたしも三國さんや先輩がたに勧められるまま、缶ビールを開けていく。
この際だからと、わたしは先輩たちの結婚式をリサーチすることにした。
「俺のときは、余興でフラッシュモブをやったよー。事前の特訓で足に豆ができたけど、奥さんもノリノリで喜んでくれたっけ」
「私はねえ、絶対にデザートブッフェがやりたいっていって、ブッフェをつけたの。でも女子が殺到して、余興に見向きもされなくなりそうだった!」
「うちは、式はせずに写真を撮って終わりだったな。代わりに、両親にプロフィールムービーを渡したんだ。号泣しちゃって、あれは僕も泣きそうになったね」
企画部の皆さんそれぞれ、悲喜こもごものエピソードを抱えてらっしゃった。
「三國さんのときはあれでしたね、日本酒!」
「日本酒、やったわねえ」
三國さんが上機嫌で目を細めた。大量に用意されたはずの缶ビールが、三國さんの前に
「うちは夫の実家が造り酒屋だから、お色直しで戻るときに樽の乗った台車を押して入場して、各テーブルを回りながら私がそれを振る舞ったの。あれはウケがよかったわよ。……女神さん、結婚するの?」
まさか、と強くかぶりを振る。
「最近知り合いになった女性の、結婚パーティーの幹事を仰せつかりまして。大体の流れは決めてあるんですが、もっとこう……心に刺さるパーティーにしたくて」
「付き合いが浅い相手だと難しいわね、なにが喜ばれるのかわからないし」
「そうなんです」
「でも、大事なのはお祝いの気持ちを伝えることだから。そこをはき違えなければいいと思うわよ」
「はい! そうします」
どんちゃん騒ぎは留まるところを知らない。結婚生活の指南あり、愚痴あり、仕事の話あり。
桜の花びらがライトアップの照明を受けて舞い、みなさんの頬もすっかり赤く染まっている。
「早っ、もうおつまみなくなってきたぁ~」
「わたし、買い足してきます!」
へべれけになった先輩に返事して、わたしはその場を離れた。
火照った体に夜風が気持ちいい。三月のあいだ、ほんとうに春がくるのかと疑いたくなる天気が続いただけに、四月に入ってからの陽気がありがたい。桜もこの陽気に、やっと本気を出したのに違いない。
花吹雪が舞い、わたしは夜風に乱れた髪を直しながら空を見あげた。
ライトアップされて幻想的な佇まいをした桜が、右にも左にも遊歩道を挟んで連なっている。夜の桜って怖いほど迫力がある。なかなかの圧巻では?
わたしはスマホを構え、シャッター音を鳴らす。
少し考えて、その写真を譲くん宛てに送信した。
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