三章 女神は元カノ(激かわ)と対面を果たします
第11話
初耳だ。かれんさんは舞台女優なのか。
週末、わたしは靴を買いに……ではなく、かれんさんの所属する劇団の稽古場にいた。
だだっ広い板打ちの床の向こう半分は、次の公演を控えた俳優たちの通し稽古の真っ最中だ。
「今日はかれんさんは?」
「姉さんは公演中だって」
かれんさんの所属する劇団は、業界では中堅どころだそうで、いくつかのグループに分かれて公演をこなす。ちなみにかれんさんは、現在行われている公演で主演を務めているとか。
わたしと譲くんは稽古場の手前半分の場所に置いたパイプ椅子に座る。ほどなく、組み立て式の長テーブルを挟んだ向かいに劇団員ふたりがやってきた。
「どうも、かれんさんから幹事を仰せつかったキムンカムイです」
「クサビラです」
わたしが譲くんと顔を見合わせると、キムンカムイと名乗った、のっそりとした大柄な男性のほうが補足した。
「次の公演でキムンカムイをやるんですよ。知ってます? 熊の神様」
「熊の神」
隣の髪がつんと立った小柄なほうも、軽く頭を下げる。
「ぼくはキノコの神様っす」
「キノコ」
どんな話なの。ってそれはともかく。
「パーティー当日の司会をする女神直央です。幹事の代表は、かれんさんの弟の」
「苑田です。よろしく」
昨夜、譲くんからのメッセージで「幹事をふたり追加するって、姉さんから連絡きたわ」と言われたのだった。
これで幹事は四人になった。熊でもキノコでもいいけど、かれんさんを知るひとが幹事に加わってくれてありがたい。
「女神ってあの女神っすか。神々しいっすね。ぼくらの次の公演、『神々の遊び』っていうんすけど、一緒に出ます?」
クサビラさんが言い、わたしは即座にかぶりを振った。
「謹んで遠慮します。おふたりは、音楽とプロフィールムービーを担当してくださると聞いてるんですが」
「任せてよ。世界が震撼するやつをぶっ放すから」
キムンカムイさんが胸を反らす。なぜだろう、そこはかとない不安を感じるのだけれども。
「おふたりは結婚式に参加したことは……ないですか、わかりました。じゃあさっそくなんですが、当日のスケジュールは--」
当日までにやるべきことを、進行表を元にすり合わせる。進行表は譲くんが作成してくれた。
入場から乾杯、祝辞、ファーストバイトと続いて余興に割り当てられた時間枠を確認する。準備すべきものも分担して打ち合わせは無事終わった。
当日の受付も劇団のひとが協力してくれるというので、そのひととも挨拶をする。以降の連絡はグループチャットでということになり、連絡先も交換した。
すべてが順調。
「よかった、今日は不運に見舞われてない」
「今日は打ち合わせだけだから、だったりして」
「じゃあこれから……」
あながち笑い飛ばせないのが怖い。
わたしが青ざめると譲くんが含み笑いをしたので、その脇腹を小突いた。
「譲くんには他人事じゃないの、わかってる?」
譲くんが勘弁してと示すように両手を上げた。お、脇がガラ空きだぞ。
「直央が不運に遭うときは、近寄らないようにする。君子危うきに近寄らず」
「わたしは『危うき』か……」
譲くんが噴きだした。
「ほんとうは、不運に遭わせないようにしたいけどさ」
びっくりした。
そういうことを言われると、どきっとするじゃない?
キムンカムイさんに「舞台もついでに観て」と勧められ、わたしは譲くんと稽古場をあとにする。近くの劇場で公演にもお邪魔する。
かれんさんがいるかと思いきや、ダブルキャストだそうで、今日はいなかった。舞台は、滅びの日を三日後に控えた日本で、自らを「怪人」と名乗る若者がプリンを配り歩くSFドラマだった。
「難しいお話だった……」
「荒廃した日本で、どうやってプリンを大量に調達したのかが引っかかって、話どころじゃなかった。理屈がわかんねー」
「譲くんの目のつけどころ、そこ?」
かれんさんは見た目が妖精なだけのひとじゃないんだな、と舞台とは関係のない感想を抱きつつ、わたしたちは劇場をあとにした。
この辺りは小劇場が点在していて、演劇に携わるひとたちにとっては聖地みたいなものらしい。下町っぽいごちゃごちゃした雰囲気も、演劇と相性がいいのかも。
車が一台ぎりぎり通れるくらいの細い裏通りを、そぞろ歩く。いよいよ今年度もあとわずかだ。春はまだ先だと告げるような突風に髪が煽られ、目を細める。隣の譲くんも目を細めた。
「なんか変な感じがする」
「なにが?」
「仕事以外で他人と一緒になにかするっていうのが、か? 巻きこまれるのって疲れるから、なるべく関わらないように生きてきたつもりだったんだけど。意外と悪くないな……と思ってる自分がふしぎというか」
「うん、わたしもそう思う。なんかふしぎ。不運には違いないんだけど、楽しいこともあって」
まさか、大河さんじゃないひとと並んで歩くことがあるなんて、今年の初めは想像もしなかったし。
「ん」
「ん、て」
「いや、ほかになに言えばいいの」
眉を寄せられて、つい笑ってしまった。悪くないと思ってくれてるなら、まあいいか。最初は迷惑そうだったから、少しは前進できたみたいで。
わたしより二、三歳上だろう母親が、押していたベビーカーを止めるのが目に入る。
斜め上を指さして赤ちゃんに声をかけているみたい。わたしも母親の指さしたそうをを見やる。
「あ、桜。咲き始めたね」
通りの左手に連なる塀の向こう、お寺の本堂らしき建物がそびえている。その敷地に植えられた桜の大樹が、塀を越えて裏通りのほうにまで枝を広げていた。その枝に、淡く色を染めた蕾が膨らんでいる。
そのうちのいくつかは、陽の光をねだるように蕾が綻び、繊細な花びらが広がっていた。
「今年は遅いな。今日も風がキツいし」
「ほんと。来週、営業の送別会があるんだけど、お花見のはずが居酒屋になっちゃった。でもお店のランクがよくなってラッキー」
「あー、うちは先週送別会やった。このシーズンあるあるだよな」
「だね、主賓がわたしっていうのは新鮮だけど」
「え、異動すんの」
「うん。産業第一部から営業企画部にね。間瀬さんと離れることになりました。ってか急すぎると思わない? 言われたの、つい一昨日だよ。来週は引き継ぎに追われそう」
ほんとうに唐突だった。朝礼後に上司にミーティングルームへ呼び出されたと思ったら、内示だった。入社三年、そろそろ異動があってもおかしくはないタイミングとはいえ。
冷えた風に煽られた髪を手で押さえながら、わたしは蕾の数のほうが圧倒的に多い桜の枝を眺める。
満開になれば、この裏通りもさぞ華やかになるんだろう。
「どう思う? ひょっとして間瀬さんとのことが……」
「たまたまでしょ。気になるなら素直に訊いてもいいと思うけど、色恋と仕事は別じゃない?」
「そっかー、よかった。お客様の喜ぶ顔がダイレクトに見られるから営業を志望したのに、営業企画ってなんか納得いかなくて。もし間瀬さんとのことが原因で離されたなら、理不尽だなーって思ってたから。職場ではこれまでどおりに振る舞ってたのに……って」
やだな、語尾が揺れてしまった。こんなのはわたしらしくないし、聞かされたほうも対処に困るだろう。
「なーんてね、はは。四月からは営業企画として心機一転、頑張ります!」
譲くんが桜を見あげる。横顔の描く線が端正だな、と思う。すっと伸びた首筋と、喉仏の輪郭も綺麗で。
ふとこっちを見おろした譲くんと目が合った。
「直央のそーゆーとこ、いいと思う」
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