第3話
急に苑田さんの口が重くなった。
「俺、この名前のせいか、巻きこまれ体質の気があるんだわ。だからさっきみたいなのは慣れてる」
「巻きこまれ……って、たまたま知り合いの修羅場に巻きこまれて後始末を押しつけられるのが、ってこと?」
名前関係なくない? と思ったけれど、苑田さんがやけに真剣なので、わたしも茶化すのをやめた。「譲」だから不運を譲られる、とか? それとも自分の幸運をひとに譲らされるとか……なんとなく同族の匂いがしてきた。
「ヘビーな人生……」
「正直、面倒くさい」
苑田さんはつくねの串をぐるぐると生卵の上で回すが、一向に食べる気配がない。大きな背中が丸まった。
「けどあそこで俺が拒否したら、女神さんは告ってもないのに振られたみたいで微妙な気分になるだろうから」
うわっ、胸が急に……なんだかくすぐったい。
苑田さんの言うとおりかも。大河さんの二股だけでもショックなのに、なんで身も知らずのひとにまで否定されなきゃいけないのか、とKOを食らっていた可能性大だ。
わたしはジョッキにつけた口を離して苑田さんをまじまじと見た。
「気遣ってくれたんだ……。間瀬さんとおなじノリだったからてっきり……」
「チャラいって?」
「ごめん」
「いや、いいけど。怒っていられるうちはまだマシでしょ」
「……ありがと」
ビールを置いて隣の苑田さんに向き直った。膝に手を揃えて頭を下げる。
苑田さんが意外そうに目をしばたたいたのもつかのま。
「それより女神さん、もっと男を見る目を養えば」
苑田さんの首筋に手刀を繰りだしそうになった。
この男、やっぱり意地が悪い!
*
さんざん飲み、それ以上に食べ、わたしは苑田さん相手に大河さんとのお付き合いの一部始終をぶっちゃけた。さらにはお互いの体質の遍歴を
さすが、ホワイトデーの夜。普段は帰宅前に一杯引っかけていく会社員が大半の飲み屋の並ぶ通りでさえ、そこらじゅうに恋人たちが転がっていた。もちろん比喩だ。いちゃつきながら歩いているだけである。
大河さんと清楚系美女も、今ごろどこかで……いや、考えるのはよそう。ロマンチックなイルミネーションまで憎くなるから。
「女神さん、飲み過ぎたんじゃない?」
「これくらい平気! 営業は飲めないと話になりません……っと、と」
わたしは飲み屋の照明が
「そんなんで帰れるの?」
「もちろん。電車で吐いたことはあっても、帰れなかったことはないよ!」
「引くわ」
「いまさらでしょー。もうなにも失うものはない」
頭はふわふわするけれど、一部分は妙に冷めていて、わたしはまだ大丈夫だな、と冷静に思う。その証拠に地下鉄の案内板だってしっかり読み取れるし、アナウンスも聞き取れ……。
「って、あー! 苑田さん、走って! もう電車くるって!」
わたしはうしろの譲くんをふり返って急かしつつ、駆けだした。駅構内には入ったものの、改札口までは距離がある。あと三分、改札を通ってホームまで……うん、余裕。
「早く!」
「しんど……はぁ、なんで飲んだあとでそんなに走れるの」
そんなに飲んでないくせにへろへろな顔をした苑田さんを一瞬ふり返り、わたしはまた改札へ向けて猛ダッシュだ。
「これ逃したら、つくば方面の接続すごく悪くなるって! あっちはこの時間、本数がグッと減るんだから急いで!」
「女神さんもあっち方面?」
「違うよ! 苑田さんがそっちだから走って――」
改札になんとかたどり着いたわたしは、急いでスマホをかざした。が、「ビー」というエラー音に目を
「うっそ……!」
ふたたび改札機にスマホを当てるが、無情にもエラー音が鳴り響くだけ。
「早くチャージしてこれば?」
「オートチャージだから!」
残高不足のはずがない。スマホの電池だって残量はまだ三十パーセントもある。わたしは二度めのエラー音を最後まで聞く前に隣の改札に移った。また「ビー」。
「なんで!?」
わたしのうしろに続こうとしたスーツ姿の会社員らしき男性が、チッ、と舌打ちした。
心の内で謝るが、わたしにだって原因がわからない。わたしは次から次へ改札を変えたが、そのたびにエラー音を響かせただけだった。
どの改札機でも、どうしてかわたしが通ろうとするとビービーと喉を絞められた鼠のごとき悲鳴が上がる。
とっくに改札を抜けた苑田さんがふり向いた。
「わたしのことはいいから苑田さんは行って……!」
「どこの戦場だよ。とりあえず窓口行きなよ」
苑田さんは急ぐ風でもなく、改札横の窓口を視線で指す。その手があった。わたしは窓口にほうほうの体でたどり着くと、駅員に事情を説明した。
ところが、駅員が手元の読み取り機にスマホをかざしても、やっぱりエラーが出るらしい。スマホを再起動しても結果は変わらず。
原因もわからず、サービスセンターに電話してくださいと匙を投げられてしまった。
うなだれていると、苑田さんが改札の内側から窓口までやってきた。
「もしかしてさ、これが不運体質ってやつ?」
「……はっ! そうだよ、苑田さんを電車に間に合わせようと張り切ったばっかりに……いや苑田さん、ここにいちゃだめでしょ! 電車が……」
「もうとっくに行ったって。めでたく巻きこまれたわ」
「……だよね」
はあ、と小さくため息をつくと、頭上からげんなりした声が落ちてきた。
「今日だけで女神さんに二度も巻きこまれるとは」
「一度めはわたしじゃないし」
「そうだっけ」
そうですよ……。もはや声に出して言い返す気力もなくなってきた。
「ま、これでよくわかった。女神さんは不運の女神だわ」
ますますうなだれるわたしと反対に、苑田さんは妙にすっきりした風だ。納得したということだろうか。
「わたしが不運体質で、苑田さんが巻きこまれ体質だと……」
「相性最悪だな」
嫌すぎる。苑田さんのおかげで不運が倍にも感じられるではないか。八つ当たり気味なのはこの際許してほしい。とにかく、苑田さんがわたしにとっての鬼門だということはよくわかった。苑田さんも、勘弁してくれと言わんばかりにため息をついた。
「で、とりあえず改札入れば」
「だね……」
苑田さんの冷静なご意見に従おうと券売機に戻ろうとしたわたしは、すぐに情けない顔を苑田さんにさらけ出すはめになった。
「ごめん! さっきの飲みで現金を使い果たしまして……お金貸してください」
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