暗闇のなかで

うさ野壬壬

第1話身代わり

 僕は薄暗い廊下の椅子に腰掛けて蹲っていた。目の前の大きな扉の上に『手術中』と表示された文字がぼんやりと赤く発光していた。

 

 ──4時間前、僕は病院から電話を受けた。

 「吉田実さんですか?奥さんの百合さんが事故にあって意識不明の重症です、病院に来ていただけますか?」


 僕は会社を早退してタクシーを拾い病院に向かった。途中警察の方からも連絡があり事故現場を聞いた。‥‥なぜ?あんなところでと思う所であった。


 それは百合が搬送された病院の前の交差点だった。相手は80代の男性で百合が自転車で横断中に男性の車が信号無視で百合に突っ込んで跳ねたということだ。


 高齢者ドライバーの事故は近年多く、今朝も百合とニュース番組を見て話をしていたのだ。


 高齢者ドライバーの加害者には憎らしさが込み上げてくる。

 だが、疑問は百合が何故病院の前を通っていたのかだ病院の前は病院に用事がある人くらいしか通らないのだ。

 少し前には百合の両親にも連絡をしたが百合の両親は元気で病院に通ってるわけでもなさそうであった。

 

 僕はタクシーの後部座席でブツブツと下を向きながら考えていた。


 「お客さん、駄目だこれ以上進めないよ」タクシーの運転手さんが運転席から身を乗り出し僕の足を手で叩きながら話かけてきた。

 

 「あ、そうですか。ここで大丈夫です」病院の前に着いたのだろうか事故現場の野次馬で車はこれ以上進めなかった。


 タクシーから降りて、僕は野次馬の中を掻き分けながら前に進んだ。


 歩道と車道の間には規制線が張られていてその前には警察官が立っていた。野次馬と警察官の間からはグシャグシャになった自転車と大量の血そして加害者であろう老人の顔が見えた。一瞬だったが老人の顔を忘れまいと僕は目に焼き付けた。


 「最悪の事態を想定しといて下さい」病院に着くと医者にこう説明された。

 大量出血と、頭蓋骨骨折、脳の損傷等がみられるということだった。


 ──どれだけ時間が経過しただろうか?窓の外は真っ暗になっていた。僕は立ち上がり窓の外を見た、事故現場はその窓から一望できる。

 事故現場にはパトカーもいなくなり、そこはいつもの日常を取り戻していた。


 病院の中は静まり返っている。僕は遠くから聞こえる救急車のサイレンを聞きながら涙を流していた。


 手術中の灯りが消え、自動ドアの開く音が廊下に響いた。

 ざわざわと医師たちが出てきた。


 「吉田さんですね?できるだけの処置は致しましたが未だに危険な状態です。」一人の医師が話しかけてきた。


 「そうですか‥‥」膝から崩れ落ち泣いた。


 「代わってあげたい」僕はボソッと言った。


 「じゃあ、代わりますか?」医師は真面目に言ってるのだろうか?僕は腕を引っ張られ別室へと連れて行かれた。


 「まあ、そちらにお掛け下さい」診察室らしき場所へと連れて来られ椅子に座った。辺りは別段変わった所はないが、助手らしき女の人が医師の後ろに立っている。


 「あのー、先程の話ってどういうことですか?」


 「あー、先ずはその話の前にこちらを見て下さい」目の前のモニターに映し出されたのはエコー写真であった。


 「百合さんは妊娠しております、こちらが赤ちゃんです」モニターの下部にはゆらゆらと動く赤ちゃんの姿が見えた。


 「そんな‥‥知らなかった」


 「百合は、赤ちゃんは大丈夫ですか?」僕は医師の腕を力いっぱい握りしめた。


 「赤ちゃんは今のところ大丈夫です、しかし母体が危ないですしそうなると赤ちゃんの方もいずれ」


 「そんな‥‥」


 「とりあえず、本題に入りましょうか」医師はモニターを消し、鞄から油揚げを取り出した。


 「フザケてるのですか?」僕はそれを見て怒鳴った。


 「いいえ、私は真面目です」医師は僕の目を睨みつけた。


 「先程、手術室の前であなたが口にした言葉は覚えていますか?」

 「代わってあげたいって言ったことですか?」

 「そうです、今もその気持ちは変わってないですか?」

 「はい、子供がお腹の中にいると分かった時にあの時以上に代わってあげたいという気持ちは高まっています」


 医師の目はずっと僕の目を見ていた。

 「いいでしょう、ではあなたには死んで頂きます」そう言うと医師は油揚げの入った袋を僕に渡してきた。

 「これからあなたには稲荷寿司を三つ作って頂きます、一つはあなた自身、一つは百合さん、もう一つは赤ちゃんの分身だと思って作って下さい。先ずはそこまで奥の部屋でお願いします」


 助手の女の人に奥の部屋へと案内された。そこは給湯室のようで水道とガスコンロが置かれていた。

 「稲荷寿司の作り方はご存知ですか?」女の人はニコリとして油揚げ以外の材料を冷蔵庫から取り出した。

 「いえ、初めてです」料理なんて今まででやったこともない。

 「そうですか、では私がお教えしながら作っていきましょう」


 ──僕は不器用ながらも丁寧に一つずつ作っていった。


 「できた」歪だが形になってると思う。

 

 「いいですね、美味しそうです」女の人はニコリと笑った。その笑顔はどことなく百合に似ている感じがした。


 「さあ、先生の所へ戻りましょう」お皿に乗せた稲荷寿司を手に隣の診察室へと戻った。


 「お疲れ様でした。美味しそうにできましたね」


 「では、次にやることを説明致します」診察台に地図を広げ、とある場所に赤く丸印が書かれている。


 「こちらの神社に稲荷寿司を持っていって頂いて、お供えして下さい。鈴を鳴らして神様を呼んで頂きます、そして二礼二拍手一礼をして百合さんとお子さんを助けて下さいと願い、最後に稲荷寿司のあなたの分を食べて下さいそれで終わりになります」


 「それだけですか?」思っていた程難しくはなさそうだった。


 「ええ、そしてあなたは二人の代わりに死にます」医師は冷ややかな目でこちらを見ていた。


 「そう、なんですか‥‥?」背筋に悪寒がした。


 「まあ、少しここからでは遠いので車で送ってあげましょう。百合さんとお子さんは他の先生が見てくれていますので」


 「‥‥‥お願いします」死に急ぐような気がしたが、百合たちの方が心配だったので送ってもらうことにした。


 車で15分だろうか、民家が無い山道に入っていく街灯もない。


 「着きましたよ」車を止め医師が先に外に出た。

 僕も外に出ると山の中とは思えない大きな鳥居が目の前に立っていた。


 「500メートルくらい進むと本殿があります。流れは説明した通りですが道中決して振り返らない、稲荷寿司を落とさないをお守り下さい」


 鳥居のその先はブラックホールの様だ。体が自然と吸い込まれていくような気もする。


 「では私達はこれで失礼します、階段を登る所までは車のライトで照らしますので」医師と女の人は車に乗った。


 階段は三段だったが凸凹しているようで照らしてもらってるのはありがたい。僕は登りきると振り向かず手を上げ礼をした。車はクラクションをプッと鳴らして帰っていった。


 車のライトが無くなると、辺りは真っ暗になった。スマホも時計も医師に渡してしまった為月明かりだけが薄っすらと足元を照らしてくれる。転ばないようにゆっくりと歩き続けた。  

  

 少し歩くと僕の後ろを誰かが一緒に歩いてきてる感じがする。最初は風の音とかと思ったが違うようだ肩を叩き振り返って欲しいのか人ではない何かが僕の周りへと集まってきている。


 15分だろうかそのくらい歩くと本堂らしき建物が見えてきた。

 左右の二体の狐の像が僕を睨んでいるように見える。

 

 本堂に着いた。

 僕は先に稲荷寿司をお供えをして鈴を鳴らした瞬間に本堂からフワッと風が抜けていった。

 二礼二拍手一礼と済ませ、百合と子供の無事を願った。

 

 そして僕は自分の分の稲荷寿司を食べた。

 

 「あれ?何ともないけど‥」医師に最後に死ぬと言われたのになにも起きないことに不安がっていた。


 とりあえず帰るか‥‥と思い来た道を戻っていく。自分に何も無いことが百合達の無事が気になってしまう。


 本堂を出てから15分経ったであろう最初の鳥居がそろそろ見えてもいい頃だろうに見えてこない。向かいの道中には周りに木々があって風の音とかも少ししたのに無くなっている。

 どうなってるのだ?と思い手で頭を掻こうとしたが手がない、いや頭も無い、体も無くなってそして目も見えなくなってきた。


 ようやく僕は死んだのだと自覚したのであった。

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