3.『空っぽ』の小公女は吊られた糸の下で踊る
鍛冶屋街に足を踏み入れると、どこからともなく高い音が響いてくる。
断続的に空気を震わせる鉄をハンマーで打ち付ける音。頑丈な石壁の切れ間から中をうかがったリゼットは、赤い光をたたえた炉の中で煌々と燃え盛る鉄の塊を見た。
「なんだ、鍛冶屋が珍しいのか」
屈強な鍛冶屋がハンマーを打ち下ろすさまを横目で見て、クライドは薄く笑う。石壁を回り込んで鍛冶屋の正面に出れば、わずかに感じられていた熱気がさらに強くなる。
「珍しいというか。そこまでしっかりと鍛造の現場を見たことがなかったので……うーん。改めてみるとすごい職場環境ですね」
高温になる炉がいくつも存在する鍛冶屋街からは、常に熱気と煙が立ち上っている。鉄を溶かすための燃料である木炭や石炭の箱がいくつも置かれ、行きかう人々もせわしない足取りだ。のんびりとした雰囲気の古書街とはまた違った世界に、リゼットは好奇心をむき出しにしてきょろきょろと視線をさまよわせる。
「鍛冶屋さんと一口で言っても、それぞれ作っているものは違うんですね?」
「そうらしい。刀鍛冶と農機具を作る鍛冶屋は使っている燃料が違う場合もある。特に刀鍛冶は石炭から出る硫黄を嫌うからな。まあ、そういうこともあってある程度の住み分けはされているようだが。ま、それはともかく先に進むぞ」
常識なのかマメ知識なのかわかりにくい台詞を吐いて、クライドはずかずかと鍛冶屋街の道を進んでいく。いつもよりも能動的に動く装丁師は非常になんというか――違和感があって、リゼットは思わず黒いジャケットの裾をつかんでしまう。
「うおっ! なんだよ」
「いえその……クライド師匠? 何か焦ってませんか?」
「焦って……? いいや、気のせいだろ」
「そうですか? わたしが気にしすぎです?」
「そうだよ。何考えているか知らんが、もうちょっとしたら猫も合流する。それまでに最後の魔法装丁の足取りをつかんでおきたいんだ。あれがここにあるとしたら、ろくなことにならない」
クライドから感じた違和感は、早く魔法装丁を確保したいという思いが理由だったのだろうか? 首をかしげながらも、リゼットは袖から手を離す。特に何でもないならいいが、クライドが焦るような事態はあまり好ましいとは思えない。
「クライド師匠、落ち着いていきましょう。あんまり前のめりになると、事を仕損じます」
「だ、だから別に焦ってないって。……はあ、まあいい。とにかく、風! それに水!」
クライドの呼びかけに、リゼットの鞄から風の化身と水の魔法装丁が飛び出してくる。いつもよりも反応のいい二体に、クライドは気分が上向いた顔で深くうなずく。
「よし、お前ら。周囲をよく確認してくれ。何かあれば知らせろ」
『きゅうん』『クォオオン』
「あれ? なんだか前よりも素直になったような……? さてはクライド師匠、仲直りしたんですね!」
「そもそも喧嘩してたわけではないが。と、ま、この状態なら魔法装丁を見つけるのにも時間はかからないだろう」
自信ありげなクライドの言葉に、魔法装丁たちは活気づく。本来の彼らはこういう感じだったのだろうか。だとしたらこれまでの方がおかしすぎたのだろう。和気あいあいとしているクライドたちに少しだけ疎外感を感じながらも、リゼットは元気よく手を振り上げ一歩前へと進む。
「だいぶいい感じですね! なら、サクッと行っちゃいましょう!」
「おい、人に焦るなと言いつつ、自分が先走るな!」
リゼットの肩には風の化身が乗り、斜め上からは水の魔法装丁が飛びながら追いかけてくる。はた目から見るとちょっと変な光景だが、リゼットは気にせずクライドを引っ張って歩き続ける。
「そういえば、この道の先ってどこに続いているんです?」
「あ? ああ、この先には鉄工所がある。そこには巨大な炉があって、落ちたら骨も残らず焼けて溶けて死ぬぞ」
「わ、わざわざ落ちませんし! だけど、そんなに巨大な炉がある場所なら、魔法装丁もいそうな気がしますよね」
「まあな。こいつら目立つのが大好きだから……」
「……そう、だったんです?」
思わず魔法装丁たちに視線を送ると、二体は思いっきり否定の動きをする。どうやらに体にとっても寝耳に水の言葉らしい。リゼットはぽかんとした顔でクライドを見る。
「違うって言ってますけど」
「いやま、言葉の綾ってもんだろ。こいつらは人々の願いをかなえるために生み出された存在だ。ゆえに人々の心を集めやすい象徴的な場所に住み着きたがるってだけの話だよ」
二体の魔法装丁は肯定するように舞う。何やら冗談っぽいことを口にしたクライドは、やはり少しいつもと違う気がする。それが良いことなのか悪いことなのか判別はつかなかったが、少なくともリゼットの心に不安の影を落とすには十分だった。
「大丈夫なんでしょうか」
「何がだ? ま、なんとかなるだろ。大体が、本気になった俺に魔法装丁が従わないわけがない」
自信たっぷりな言葉がすべてリゼットのためだったのだろう。すべてはリゼットが感じている不安を消し去るために――。
その瞬間、カーンとひときわ鉄を高く打つ音が響く。頭に残るその音に、リゼットは目頭を押さえる。どうしてだろう、目の前にあるはずのクライドの顔がよく見えない。視界がぐにゃりと反転し、刹那、誰かの手が肩に置かれる。
『――果たして、そんな容易く終わりを迎えることができるかな?』
耳元で、ささやく声。首筋にかかる息遣いに、振り返ったところで誰もいない。
「だれ、です?」
『僕が誰だかわからない? なら、ずっとそこでそうしているといいよ』
髪でダリアの花飾りが揺れる。気づけば、通りにはリゼット以外、誰もいなくなっていた。薄暗い鍛冶屋街に、炉を燃やす炎だけが赤い色を与えている。不穏な世界に取り残されたリゼットは、必死に叫びをあげる。
「……っ、クライド師匠! 魔法の装丁! 猫っ……!」
呼んだところで誰も答えない。誰もいなくなった世界はひどく冷たくて、リゼットは混乱しながら何度も彼らの名を呼ぶ。けれど応えは返ることなく――のろのろと石畳に座り込んだリゼットは、力なくそばに転がっていたガラス玉見つめる。
「これは」
透明なガラス玉には鮮やかな色で世界が描き出されている。映し出されるその光景は、一瞬前までいたはずの鍛冶屋街だった。
「……小公女? 何だ突然、仮面みたいな顔になって」
「はへ? 何がですか?」
「何がって、ま、何でもないならいい。さ、とりあえず鉄工所まで行くぞ」
「はい! 行きましょう! いっせーのーで、で走りますよ!」
「誰が走るか!」
ガラス玉のこちら側に向かって、『小公女』はにこりと笑う。
何の邪気もなく、何の悪意もなく、ただひたすらに『空っぽな』透明さ。
クライドはきっと、『彼女』がリゼットではないとは気づかない。
たとえ気づいたとしても、きっとその時にはすべてが手遅れなのだ――。
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