040 バーナデットの長い話

 勝敗が決したことにより、すべての効果エフェクトがキャンセルされる。

 青騎士を拘束していた鋼鉄の薔薇の鎖も、激しい攻撃を繰り出していた雷雲も、すべて光の粒子となって弾け飛ぶ。


 互いの目の前にウィンドウが表示され、勝敗結果リザルトが表示される。


 最後の項目、報酬リワードの欄には、青騎士が条件として提示した「敗者のアイテムと装備のすべてを勝者へ」の文言が記されていた。


 青騎士はアイテムを何も持っていなかった。


 持つ必要がなかったのだろう。本来なら相手からの攻撃は、なんらダメージを与えず、自分の攻撃はどんな防御スキルで固めたとしても必ずヒットするというチート仕様なのだから。


 いつの間にか地面に落としていたミスリルソードが勢いよくラースへと向かっていき、宙空で消える。ラースのアイテムボックスへと格納されたのだ。


 それを見た青騎士が慌てて自分の顔を隠すように両手で覆った。

 鉄靴サバトンすね当てグリーブ腰当てタス……。


 下から順番に外されていく青騎士の鎧。吸い込まれるようにラースのアイテムボックスへと消えていく。

「ヒッ! や、やめろ……頼むっ! やめてくれ!」

 きつく顔を覆いながら、逃げるように後退あとじさる。だが、勝敗結果リザルトのすべての処理が終わらない限り、その場から離れることはできない。


 手甲ガントレットが剥がされ、最後に残された覆い兜アーメットも、無慈悲に剥がされた。


「やめろっ! 見るな! こっちへ来るなぁっ!」


 顔を隠したまま、プレイヤーは地面を這いうように後退する。左腕で顔を覆い、右手で砂利を掴み、ラースへと投げつける。


戦闘バトル』が終わっている状態では、目くらましにもならない。


 ラースは深々とため息をつく。


 すでに陽は落ちて、空には綺羅びやかな星々が瞬きはじめていた。

 隣りにいるバーナデットの表情さえぼんやりと見える程度であり、兜を剥がされた青騎士の顔は、よほど近づかなければ確認できない。


 だが、すべての装備を剥がされ、簡素な麻布の服しか着ていないに、ラースは驚くほど興味を失っていた。


「うぅ……ヒィ……クソったれ……」


 勝敗結果リザルトの表示が終わり、ウィンドウが自動で閉じられると同時に、元青騎士はつんのめるように駆け出して、一目散に逃げ出した。


 非対戦状態であっても『解析アナリシス』は有効である。今逃げている相手に掛ければ、おそらくプレイヤーとしての名前を割り出すことも可能だったろう。


 だが、なぜかラースはそうすることをしなかった。


 短い嗚咽を響かせながら、哀れな青騎士は夜の闇へと消えていった。

 ラースは、その影が完全に闇へと同化していくまで、その姿を見つめ続けた。


「……良かったのですか? これで」


 しばらくして、肩をくっつけるように近づいてきたバーナデットが言った。


「ん……ああ、そうだね」とラースは夜空を見上げる。「名前を割り出すこともできたし、カムナ団長に念話して捕まえてもらうように手配することもできたね。でも――」


「……でも?」


 ラースは短く笑った。


「なぜ笑うのです?」とバーナデットが不思議そうに首をひねる。


「いや、これから自分が言おうとしたことがカッコよすぎて、似合わないから、先行して笑いが出た」


「なんですか? そのカッコいいことって」とバーナデットも微笑む。


「ん、ええと……」とラースは声の調子を整える。「あの青騎士の素性を調べて、捕らえたとしても、根本的な解決にはならない。たぶん、ああやって『力』の欲望に負けて支配されてしまうプレイヤーは他にもたくさんいるはずだ」


「……そうかもしれませんね」


「だからさ、いま逃げ帰ったアイツが、親玉のところでこちらの状況を詳しく説明してくれれば、あるいは迂闊に刺客を送ってくるようなことは当面なくなるんじゃないかと思ってね」


「それで逃した、ということですか」


「チート級に強くなっちゃったのが、俺の方だからね」とラースが肩をすくめる。「誰の差し金か知らないけど、自分たちが圧倒的に有利だからこそ『青騎士』による襲撃という戦法を選択していたわけだろう? だが、今となっては『青騎士』では太刀打ちできないことが判明する。しばらくは様子を見るんじゃないかな」


「……そうですね。そうかもしれません」


「俺の方が強い。だからもう近寄るな――なんて、まるで世紀末救世主的なセリフだろ?」とラースが力なく笑う。


 アストラリアの夜空には月が二つ存在する。白く大きな月は『真珠の月パール・ムーン』、ほんのり青く照らされている小さな月は『海の月オーシャン・ムーン』と呼ばれている。


 今夜は二つの月が満月に近い。目が慣れてくると、その月明かりだけでバーナデットの表情が見て取れた。


 どこか物憂げに伏せられている瞳。胸元にしっかりと抱きしめられている『白樺の聖なるロッド』。そして、うっすら開いている薄紅色の口唇。


 ラースは月明かりの淡く柔らかい光の中で、その口唇から目が離せなかった。


 深刻な状況は何一つ変わっていないのに、頭の中はキスしたことを反復したがって騒ぎ立てている。


「さっき……君は『フリトトの力』と言ったね?」

 頭の中の煩悩を振り払うように、ラースは真面目な話をする。


「……はい」

 バーナデットの声は沈んでいた。まるで黙っていたイタズラが見つかってしまった子供のように。


「……詳しく説明してくれないか?」


「もちろんです。……ですが、長い話になります」


「覚悟しているよ」とラースは彼女を安心させるために微笑む。「聞きたいんだ。君の……バーナデットの長い話を……」



■時間経過

■ヴァシラ帝国 フィールド

■見晴らしの丘


 <狂女王の試練場>から山道を歩き、分かれ道で再び上り坂の方へ進む。

 下りの道を選べば<帝都ヴァンシア>であり、上りの道を選べば帝都を一望できる<見晴らしの丘>へと続いている。


 眼下に広がる<帝都ヴァンシア>。街のいたるところで、淡い灯火が煌々と揺らめいている。

 青白い星々の光とは違った、地上の営みを感じられる温かい灯火の数々。


 それもまた、この場所から眺める美しい景観のひとつであった。


「綺麗ですね」とバーナデットが城下町を見下ろしながら呟く。


「ああ……そうだね」

 豆粒のようにしか見えないが、二つの月が照らす光と、街明かりの中を小さな人影が無数に移動しているのがなんとなく判別できる。


 プレイヤーが行き交う通り。もちろん、そこにはNPCであるアストラリアンも大勢いるのだろうが、さすがにこの丘からそれらを判別することはできなかった。


 ラースはすぐにバーナデットへと視線を移す。月明かりのもとに照らされるバーナデットの横顔は美しい。


「何から話しましょうか?」


 ふいにこちらへ向き直るバーナデットに、見惚れていたラースは慌てて目を逸らす。


「えっ? あ、そうだね……」


 聞きたいことは山ほどある。だが、その山の入口を探すのに苦労する。


「そうだな……とりあえず君のスキルについて教えてもらおうか」


「はい」


「君が話してくれた『女神の加護・破邪封陣ディータ・アブソリュート・シェル』というスキルについてだ。君は最初、このスキルを固有ユニークスキルだと言った」


 バーナデットは無言で頷く。


「だけど、それは嘘で本当は常態機能パッシブスキルだと言った」


「はい……ごめんなさい。嘘をついて」


「いや、それはいいんだ」とラースは慌てて話を続ける。「問題はなんだよ。普通、そんなことは起こり得ない。長年このゲームをやっているけど、そんなことができるなんて聞いたことがない」


「それは……私が『フリトト』を運ぶための存在、もたらす者ブリンガーだからです」


「ブリンガー……」


「私の名前バーナデット・B・セブン……。ミドルネームのBはブリンガーのB」

 バーナデットはそこまで言って天空の星々を見上げる。

「私には西暦二〇五二年四月二〇日以前の記憶がありません」


 ……なんだって?


 記憶がない? どういうことだ? 現実としての記憶なのか、それともゲームの中での話なのか? そもそもゲームの中で記憶なんて失くすことがあるのだろうか?


「――ん? ちょっと待って……ということは――」

 ラースが日付を逆算する。


「そうです」とバーナデットが振り返る。「ラース、貴方と出会う前の日です。それ以前の私が、どこで何をしていたのか記憶がありません……。いいえ、それは記録と言い換えるべきでしょう」


「ちょ、ちょっと待ってくれバーナデット」とラースが話を止めようとする。「君が何を言っているのか分からないよ。いったい、君は今、なんの話をしているんだ?」


「ゲームの中のお話です」とバーナデットが言う。「少なくとも、まだラースにとっては、これはゲームの中の話です。ですが、私にとっては……これが現実なのです」


 ……駄目だ。思考が追いつかない。


 彼女は何を言っているのだろう? トラコのように、ある種の役作りとしての設定を話しているのだろうか? 


 ……いや、いまこの状況でそんな中二病の設定を語っている場合じゃないのは彼女だって承知しているはずだ。


 現に俺と彼女は、何者かに襲われたのだ。


「話を元に戻します。いいですか?」


「あ、ああ……続けてくれ」


 とにかく聞くしかない。ラースは覚悟を決めて口元を引き締めた。


「二〇五二年四月二〇日の私は、何者でもなかったのです。……ですが、ある瞬間に、記憶でも記録でもない、メモリの片隅に焼き付けられた呪いの言葉コマンド・プロンプトのようなものがあることに気づいたのです」


 バーナデットは月を仰ぎ、詩を朗読するかのように瞳を閉じてそらんじる。


「バーナデット、託せる者を探しなさい。それが君の生きる証となるように。『星々の担い手アストラ・ブリンガー』を欲する者こそ、君が共に歩むべき勇者である」


 バーナデットはしばらく祈るように目を瞑ったままだった。やがて、眠りから覚めるようにゆっくりとまぶたが持ち上がる。そして柔らかい笑みを浮かべた。


「信じられない、という顔をしていますよ、ラース」


「あ、ああ……」


 言葉が出ない。彼女の言葉がうまく自分の中で消化できなかった。

「託せる者……」とラースが呟く。


「貴方のことです。ラース・ウリエライト」


 ラースは今しがたの青騎士との戦闘を振り返る。

 彼女のスキルと、彼女から与えられた物。

 そして、柔らかい口唇の感触……。


「口唇……」


「え?」とバーナデットが聞き返す。


「あ、いやっ! なんでもない」とラースが慌てて手を振る。思っていることが口から出てきたことに自分でも驚く。

「そ、それはそうと、君はあのとき『フリトト』……と言ったね? 『フリトトの祝福』と……」


「はい……」


 青騎士に襲われているあの状況では、ゆっくり物事を整理する時間がなかったが、この言葉には決して見過ごしてはいけない事柄が含まれていることは、直感的に感じ取ることができた。


 ……大事なことだ。


 ラースはタチアナが説明してくれた事柄を思い出す。

 アストラリアンの暗殺集団が存在すること。彼らは『灰神教団』と名乗り、このゲームの世界では異質な神である『フリトト』を崇めていること。


 そして、ゲームを攻略する上で必要となってくるイベントに『フリトトの祝福』を受けることが追加された、と。


 ――っ!


 ラースは自分の推論がバーナデットの言葉以上に信じられない結論に辿り着いてしまい、思わず声を上げそうになった。

 一つの有り得ないはずだった仮説がぼんやりとラースの脳裏で形を成していく。だがそれは同時に、最も否定したい事実へと論理が疾走することを意味していた。


 つまり……これは……彼女が……っ!


 ラースは驚愕の眼差しでバーナデットを見る。


 ……いやっ! 違う! そんなわけがないっ! だって、彼女はあんなに……あんなに……綺麗で、優しくて……。


 ラースは、自分で気付いてしまった信じ難い事実を必死に否定してみる。しかし、どうあっても否定するには事実が積み上がりすぎていた。


 ……俺は『フリトトの祝福』を受けた。


 誰に?


 ……バーナデットからだ。


 なぜだ?


 ……彼女がもたらす者ブリンガーだからだ。


 もたらす者ブリンガーとはなんだ?


 ……知らない。だが、これだけは分かる。


 なにを?


 ……イベントの結果としてのアイテムである『フリトトの祝福』を……


「嘘だ……そんな、そんなことがあるわけない……」

 自分の声が震えている。

「嘘ではありません」

 ラースの気付きを敏感に察知したバーナデットが視線を逸らせる。

「そんな……」とラースは愕然とする。


 立っている気力さえ無くして、自分でも知らない間に両膝をつく。


 バーナデットは寂しそうに目を細めて、それでも努めて明るく振る舞うように声を張った。

「そう……私はアストラリアン。……つまり、人工知能AIです」

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