009 エグゼ狩り
アストラリアという世界がある。
主要な三大陸の中で最大の面積を誇るカダレア大陸。その南半球部分を占める大国が<ヴァシラ帝国>である。
その帝都たる<ヴァンシア>は、アストラリアの中でも有数の巨大都市であり、常時およそ一万人の
<帝都ヴァンシア>の中央には、質実剛健にして堅牢そのものといった<紅月城>がそびえ立っている。実戦を考慮した簡素なデザインでありながら随所に紅レンガを使用し、その色彩のコントラストによる景観の美も兼ね備えた、美しく巨大なこの建造物は、<ヴァンシア>の目抜き通り全てから視界に入るように都市設計がなされている。
<ヴァンシア>には、城を中心にして東西南北に大通りが四つある。それぞれが城壁にある大門まで繋がっている。
城へ入る大門は普段誰もが通れるように開かれているが、
いまだかつて陥落したことのない難攻不落の鉄壁城として、常に他国から攻略の対象になっている帝国の
この城を守る最大級の戦力がヴァシラ帝国公認のギルド『カムナ騎士団』である。
公認の騎士団である恩恵として、カムナ騎士団には専用のギルドハウスを単独で設置・使用することが許されている。
四つの大通りの中で最も大きな南の目抜き通り
始点である南の城門に最も近い場所にカムナ騎士団の本部は設置されていた。
■西暦二〇五二年 四月二十二日
■ヴァシラ帝国 帝都ヴァンシア
■カムナ騎士団本部
翌日。
バーナデットとの衝撃的な出会いから一夜が明けた。
ラースはログインすると、いつもの<かささぎ亭>には向かわずに、カムナ騎士団本部を目指した。
白レンガで丁寧に積み上げられた精緻で重厚な建物。
ラースはエントランスへ入ると、受付に座っている雇われ
すでにカムナ団長にメッセージで連絡しておいたおかげで、受付から執務室までは何の問題もなくスムーズに案内してもらえた。
執務室の扉が音を立てて内側に開かれる。
室内には重厚で、細かい彫刻が彫り込まれている値打ち物の机があり、その上には前時代的な書類の山が置かれている。
その仰々しい執務机の中央に座ったまま、げんなりしながらそれらの書類を力なくめくっていたカムナが、ラースを見るなり満面の笑みを浮かべる。
よほどデスクワークが嫌なのだろう。
彼の横に立ったまま、軽く咳払いをして、立ち上がろうとするカムナを制する女性がいた。おそらく仕事をサボらないように監視していたのであろう、その女性は昨日紹介された腕利きの副団長、その人であった。
公開されているステータス・ウィンドウを改めてチェックしてみる。
名前はタチアナ・ストロギュース。職業は
「悪いな……もうちょっとで終わるからそこに掛けて待っててくれ」
カムナが再びげんなりした顔で、執務室の壁際にあるソファを指差す。
「大変ですね」とラースは苦笑しながら着席する。「ゲームなのに事務仕事までしなきゃいけないなんて。しかもデジタルな仮想空間で紙の書類ですか」
「まったくだ。とんだ嫌がらせだよ。ご丁寧にリソース割いて紙切れを再現して積むんだからな。公認ギルドっていやあ聞こえはいいが、要は運営から押し付けられる雑用が増えるってことだ。まったく、こうなってから気付かされたよ」
「ギブ・アンド・テイクです」とタチアナが眼鏡のブリッジを上げながら言った。「プレイヤーからの日々の陳情の一部を負担することによって、本部の維持費や揃いの装備を工面してもらえているのですから。蔑ろにはできません……ですよね? 団長」
「へいへい」と力なく答えるカムナ。
その姿を見る限り、とてもヴァシラ帝国最強の騎士とは思えず、ラースは思わず忍び笑いを漏らす。
「ご挨拶がまだでしたね」
そう言うとタチアナはラースの方へと歩み寄り、右手を差し出してきた。
「タチアナ・ストロギュースです。カムナ騎士団で副団長を努めさせていただいてます」
先程までの厳しい表情とは違い、目を細めるようにして微笑む笑顔は、思いの外チャーミングであった。
「ど、どうも」とラースも慌てて立ち上がる。「ラース・ウリエライトです。よろしくお願いします」
「カムナ団長に聞きました。ギルドに所属しない、偏屈だが腕の立つ
「いいえ。合ってますよ」とラースも顔を綻ばせる。
「終わったぜ、副団長」
カムナは椅子から立ち上がると、背筋を伸ばして腰を逸らす。
「仮想世界で腰痛になりそうな気がするなんて、冗談でも笑えねえな」
「こういうときの『錯覚』は困りものですね、確かに」とラースが言う。
「……で、話ってのは昨日の件と関係があるのか?」
応接セットのソファに勢いよく座り込むカムナ。タチアナは音もなく彼の背後に立ち、ラースが座るのを待った。
「そうですね」とラースはゆっくりとソファに座りなおす。「昨日の俺の身に起きた出来事と、同じく昨日カムナ団長から聞いた話を重ねてみると、なんだか不審なことが起きているという感じがします」
ラースはカムナとタチアナに、昨日の出来事をかいつまんで説明した。
バーナデットとの出会い。そして青銀の騎士たち。彼らの異様な行動。
そして
「なるほど……。お前の言う通りだとしたら、たしかに不審だな」
「カムナ騎士団に、そういった不審な騎士プレイヤーについての通報とか、入っていませんか」
「んー、俺は聞いてないが……」とカムナは後ろで姿勢よく立っているタチアナを見上げる。
「私の方にも該当するような通報は受けていませんね、今のところは」とタチアナは続ける。「相手に術をかけた場合、本来であれば、たとえ効力がなかったにせよ無効であることを通達するメッセージが出るはずです。何の反応も返ってこないというのは、おそらく何らかの
「そうだな」とカムナが同意する。「その件に関しては、こちらでも調べておこう。主に副団長が」
「まったく……」とタチアナが額に指を当てて首を振る。
二人の話しぶりからは、何がしかの情報を隠匿しているという感じはなかった。
元老院と直接に話し合いができる団長ならば、もしかして彼らの正体を知っているかと思ったが、どうやら初耳のようである。
このとぼけ方が演技だとしたら、それこそ、これ以上の情報を聞き出す術はない。
それに、ラースはまだ肝心なことをカムナに話していない。
バーナデットが口にした意味深な言葉。
“もし私が『アストラ・ブリンガー』の入手方法を知っていたら、あなたはゲームクリアを目指しますか?”
この言葉を伝えるべきかどうか、ラースは決めかねていた。
「団長、グランド・クエストについての最新情報ってありますか?」とラースは様子を探るように訊いてみる。
「そうだな……」とカムナは顎を擦る。「アストラリアンで構成された暗殺者集団って話は?」
「噂程度には聞き知ってます。本当に存在しているんですか?」
「タチアナ」とカムナは副団長を仰ぎ見る。
彼女は一度だけ儀礼的に咳払いすると、暗記問題を詠唱するかのようにすらすらと語りはじめた。
「現在、アストラリアンの暗殺集団……通称
まず第一に、教団のアジトは<魔界>にあるらしい、ということ。
第二に、彼らが崇める
第三に、この世界において古代語として設定されている
これらのことが手練の冒険者ギルドや探究系ギルドの調査によって報告されています」
<魔界>か……とラースは思った。
<魔界>とは、カダレア大陸の極北に位置する<シュ=バーザ王国>と国境を接するようにして存在している、実在する半島である。
<魔界>と呼ばれるだけあって、その地域には明確な政府や国家は存在しない。ゲームの設定上では、悪側の邪竜群のテリトリーとされており、高難度のクエストでしか入ることのできない場所となっている。さらに入れる場所も限定されているため、この土地の全貌を把握するのは極めて難しい。まさに秘境である。
「フリトト……聞いたことがない名前ですね」
灰神教団、フリトト、どちらも聞いた覚えがない。ゲーム開始当初からプレイしている自分が知らないのだから、クリアにこだわっていない一般プレイヤーにはほとんど浸透していない事柄だろう。
「おそらく今回のバージョン6になって追加された
「フリトトの祝福ですか……それを受けた人は……」
タチアナは目を閉じて首を横に振る。
「まあ、よほどの恥ずかしがり屋じゃなけりゃあ、栄誉ある一番乗りなんだから名乗り出るだろう。それが出てこないってことは、ホントにまだ憶測の段階だということだ」
謎の多い組織である灰神教団。そして同じくらい謎の存在である青銀の騎士。この二つは関連しているのか?
フリトトの祝福とやらを受けるためにはどこで何をすればいいのか?
おそらく灰神教団との接触が一つのキーポイントとなっていくのだろうが、バーナデットからはそんな組織の名前は出てこなかった。
知らないだけなのか、知っていて黙っているのか……。
彼女が知っている『何か』……。
それは、たとえばフリトトの祝福を受けられる場所とかなのだろうか? だとすると……。
ラースは、彼女とカムナ騎士団が揉めていた場所のことを思い出した。
「団長は、ゲーム攻略に<開かずの門>は無関係だと思いますか?」
「ああ、うーん……どうだろうなあ」とカムナは悩むように腕を組む。「初期のクエストじゃあ、いちいち意味深な
「メタバース系のゲームでは、アップデートごとに無意味となる建物や設定などは、ざらにありますから」とタチアナが補足する。「当初は<門>に関連付けたクエストを準備するつもりが、別の方向へ走ってしまって、本当にただの開かずの門になってしまったという展開も、十分あり得えます」
「プレイヤーの多くが、運営の思惑とはまったく別種の楽しみ方を主流にしてしまうケースはけっこうあるからな。それに合わせて調整していった結果、いまは<門>に紐付くクエストを準備する暇がないのかもしれねえな。ま、いずれネタ切れしてきたら思い出したように活用するだろうさ。そこまでこのゲームが長持ちしたら、だけどな」
「そうですね……」とラースは呟きながら別のことを考えていた。
やはり偶然か……。
バーナデットが<門>にいたということに意味を求めすぎたかもしれない。彼女はたまたま、あの場所にいて、運悪くカムナ騎士団の新兵に絡まれた……。それ以上でもそれ以下でもないのだろう、きっと。
「たしかにあそこを調べるなんて、まったくやらなくなりましたね」
まだ<門>がゲームクリアの要であると噂されていた頃、ラースもまたクリアを目指す冒険者の一人であった。エピソード系のクエストやミッションを攻略するたびに、<門>に変化は起きていないか調べに行ったものだ。
元老院、そして青銀の騎士。彼らが目をつけているのは、バーナデットが持っている――あるいは持っていたとされる――『何か』。彼女は自分の手元を離れたと言っていた。ではそれはどこに置いてきた? たとえば、それが<門>を起動させるものだとしたら……。
そこまで考えて、ラースは一度首を振る。
そんな大それたアイテムをレベル三五の、いかにも初心者っぽい
……だめだ。まったく繋がらない。情報の
「なんだっていきなり<門>が気になり出したんだ? ゲーム攻略の熱が再燃してきたか?」
カムナが面白がって言う。
「あ、いいえ……そういうわけじゃないんです。でも……」
ラースは、彼にバーナデットの言っていたことを伝えるべきかどうか迷ったが、やはりすべてを打ち明けることにした。
ここまでの会話で、彼は自分の知っていることをすべて話してくれている。
……まあ、面倒くさそうな長い解説は副団長さんに言わせてるけど……。
これまで、付かず離れずのスタンスで繋がっていた関係性ではあるが、やはりこの人はどんなときでも信頼に足る人物であると、直感が告げている。
「彼女……バーナデットが気になることを言っていたんです。『アストラ・ブリンガー』の入手方法を私が知っていたらどうする? と」
カムナとタチアナは、驚いて顔を見合わせる。
「それは本当に知っているということなのか?」
「わかりません」とラースは答える。「話の途中で立ち消えてしまったのですが、冗談半分で言っているような口ぶりではありませんでした」
「……そうだな。あの子がそのテの話で悪ふざけするとも思えねえ……。だが、もしそれが本当なら、元老院がマークしたがるのもなんとなく肯けるってことになるな」
「そうですね」とラースも同意する。「たぶん、何かを知っているのは事実でしょう。それも、元老院がちょっと騒ぎ出すレベルで。でもアカウントに対するペナルティや、
「くくっ」とカムナが思わず笑い声を漏らす。
ラースが不思議そうに首を傾げる。
「いや……『アストラ・ブリンガー』に
「……ああ。そういえば流行りましたね、エグゼ狩り」とラースも思い出して苦笑した。
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