第44話 本音

 番組の収録が終わった。

 さて帰ろうかと思ったところで、直史は戸崎に呼び止められる。

「良かったら古屋さんと一緒に飲みに行かない?」

 直史は基本的に、野球社会の人間とは感性が合わないことが多い。

 それは直史が根本的には、体育会系ではなくて文化系の人間であるからだ。

 しかし戸崎は大学野球までやった体育会系ではあるが、その解説や講演内容などは、瑞希曰く学ぶべきものがある、ということだったのだ。 

 正直なところ、今日の議題については、かなり上品なものになったと思う。

 だが本音を言えば、もっと過激なものになっていただろう。

 直史は空気を読まずに言葉を発することも出来るのだ。

 今回はそこまでする必要を認めなかっただけで。


 この二人と話すのは、ちょっと面白いかもしれない。

 直史は瑞希に対して、連絡をしてから繰り出すことにした。

 場所は戸崎の予約した、焼肉を中心とした創作料理の居酒屋。

 肉をがっつりと食べつつ、お好みの味も食べられるというものだ。




「ぶっちゃけ俺は、昭和の指導はある程度あってもいいと思う!」

 まだそれほどアルコールも回っていないであろうに、古屋はそう叫んだ。

 わざわざ個室を頼んだため、誰に聞かれることもないのは幸いである。

「楽しむ分にはともかく、プロでやっていく分には、最初から理不尽さにも慣れておかないと、プロの壁で折れると思う」

「まあ、確かにそうですね」

 戸崎もその意見には賛成である。

 古屋が楽しむ分にはともかく、と言っているので、勝ちたいのと楽しむのとでは、野球を分けるべきだと考えているのだ。

 そして二人の視線は直史に向けられる。


 直史としては昭和の精神野球には、そもそも出会ったことがない。

 中学時代は生ぬるい環境で、高校入学以降も、理不尽な指導者には出会ったことがない。

 秦野は比較的精神論を口にしたが、秦野の精神論というのは、むしろあれこそが技術論であったのだ。

「でも大学は?」

 二人は大学野球の理不尽さは、高校野球よりもさらに上だと知っている。

 ただその点でも、直史は例外である。

「俺の方が監督より立場は上だったんで」

 ああ、と遠い目で直史を見つめる二人である。




 大学時代、特に一年生の時は、上級生と下級生の対立が大きかった。

 三年生に早大付属から持ち上がりのメンバーが、それなりに多かったからである。

 その三年生たちは高校時代、問題行動を起こして出場停止などを食らっていた。

 また一年生の特待生二人が退学する原因にもなっている。

 退学した坂本は、地元高知の学校に改めて入って、そこから甲子園に出てきたのである。


 そんなわけで残った近藤や土方は、三年生に対していい感情など全く持っていなかった。

 またこの三年生には、千葉からは白富東の北村、上総総合の細田と伏見など、早大付属以外のメンバーが主力となっていたのだ。

 そして完全な例外的存在が、直史であったのだ。

「辺見監督も、そりゃあまあ采配ミスしてたからなあ」

「本人は苦労人なんですけどねえ」

 二人は大学野球をやっていたと言っても、古谷は関西であり、戸崎は東都大学リーグと、直史の六大学リーグとは別のリーグに属している。

 伝統の六大、実力の東都、などとも呼ばれていた。


 ただ二人から見ても、直史の大学時代の成績はパーフェクトすぎる。

「佐藤君は大学時代、パーフェクト何回したんだっけ?」

「……何回だったかな?」

 直史自身も忘れている。おそらく瑞希は把握しているだろうが。

「え~と、ネットでは14回ってなってるけど」

 戸崎が調べる直史のデータは、いわゆる集合知とはまた別のものである。

 直史個人のデータを、もっと詳細に掲載しているページがあるのだ。

 なお似たようなものは、大介にもあったりする。

 さすがにMLBの記録までは、正確には追いきれていないが。


 直史の14回というのも、事実化と言うとちょっと微妙な話なのである。

「それはリーグ戦と全国大会の、公式戦だけの話かと」

「そういや学生でWBCにも出てたっけ」

「日米大学野球にも出てたな。あれも公式戦じゃないかな?」

 おそらくあのあたりも、公式戦の範疇に入れていいのだろう。

 ただ基本的には公式戦にしか出ない直史でも、全く練習試合に出なかったというわけではない。


 直史の主観からすると、そういった全ての試合を含めても、大学時代に一番大変であった試合は、日米大学野球でも、WBCでもない。

 大学選抜として対決した、日本代表相手の試合である。

 直史と樋口が特例として、学生ながら選手に追加で選ばれた原因だ。

 あの時は、ノーヒットノーランであった。


 直史というピッチャーは、同じプロの目から見てもおかしいのだ。

 それは同じピッチャーや、バッテリーを組むキャッチャーから見ると、他のポジションよりも良く分かる。

 確かに樋口はキャッチャーとしてリードに優れている。それは二人も分かる。

 なにせ同じキャッチャーであったからだ。

 もっとも樋口とは、キャッチャーのタイプが違うのだが。


 食事はあらかた終えた。

 だがまだ時間は宵の口。

 この季節はまだまだ、日が没するのは早いが、三人はさらに河岸を変えて、語り合うことを続行するのであった。




 戸崎はこれから、各球団のキャンプ地へ飛ぶことになる。

 時期的にそれは当然のことであろう。

 古屋もまたテレビなどの仕事は入っているが、この時期は沖縄や宮崎に滞在することが中心となる。

 それに対して直史は、千葉と東京でお仕事である。

 弁護士業務が中心となるのだ。


 これに対して古屋は、直史ほどの実績があって若ければ、いくらでも仕事はあるだろう、と野球界に貢献する方がいいと言う。

「まあどちらの仕事も出来るならいいけど」

 それに対して戸崎は、好きなことをすればいいというスタンスだ。

「MLBだと五年もいたし、50億ぐらいは稼いだでしょ」

「まあそれぐらいは」

 実際はMLBの場合、ちゃんと選手の年俸は公表されている。それを計算すれば、50億どころでないのは分かるはずだ。

 NPBも一応公表されているが、あくまでも推定である。


 上手いことやりやがって、という感情は二人にもある。

 だがそれを下手に隠そうなどとはしない。

 プロであり、間違いなく一流であるからこそ、そんなところで嫉妬などはしないのだ。

 そもそも二人とも、一生食べていくだけの資産は、既に形成している。

 そして二人とも単純な、野球こそわが人生、というタイプでもないのだ。


 つまみを食べながら、酒を注文する三人。

「しかし佐藤君が酒を飲むイメージはなかったな。チームの皆と飲みに行くときもアルコールは頼まないっていう話は聞いてたけど」

 古屋の年代であると、まだ野球選手は試合前日でも店をハシゴする、ということが少なくなかった。

「現役時代は何かのパーティーか、正月以外は飲まないようにしてましたからね。元は日本酒は好きですけど」

 やるからには徹底して節制もするのが、直史のスタンスである。


 これからどうするのか、という話になると、直史としては子供ともっと遊んであげたい、という話になる。

「上の子がまだ小学生かあ」

 戸崎も古屋も、引退した年齢は直史より上である。

 特に古屋は、現役時代からプレイングマネージャーなどもやっていた。

 二人とも共通しているのは、プロ野球選手には家族のバックアップが重要であると考えていることだ。

 グラウンドで金を稼いでくるから、しっかりと家庭は守ってくれ、と多くのプロ野球選手はいまだに思っているし、これはプロ野球選手に限らず、多くのプロスポーツ選手に共通のことだろう。

 だが直史の場合は、瑞希が執筆活動をしていることは、よく知られている。

 戸崎にも古屋にも、かなり面識はあるはずだ。


 直史という人間が、どうしてプロ入りせず、そして後にはプロ入りした理由。

 おおよそは法科大学院と司法修習が、その理由として挙げられている。

「オフレコでいいからさ、理由教えてよ」

 古屋という人間は、己の納得を重視する人間である。

 直史は戸崎を見たが、それは彼も知りたいようであった。

 二人とも口が堅いことは、球界では普通に知られている。

 古屋はとても人には言えないことをよく知っているし、戸崎もまた現役選手や球団との関係を考えて、軽率な発言はしないようにしている。


 直史はこの件に関しては、瑞希と30年間の秘匿を決めている。

 だいたいアメリカの国家機密が、30年もすれば公開されるのに合わせている感じである。

 この二人について直史は、完全な信頼を置いているわけではない。

 だが二人の立場からいって、安易に秘密を洩らすとも思えない。

「簡単に言うと、家庭の事情ですよ」

 本当にそれだけが、直史のプロに行かなかった理由なのだが。


 古屋も戸崎も、直史のプロ野球選手は将来が不安定、という意見については知っている。

 今日の収録に先駆けても、そういった話は聞いているのだ。

 だからといって司法試験に通ってから、プロ入りするというのも無茶な話だ。

 直史はなにせ、26歳のシーズンから、プロに入ったのだから。

 もっとも過去を見れば、それ以上の年齢でプロ入りし、タイトルなどを取った選手もいる。


 家庭の事情と言われて、それ以上は踏み込まない二人。

 このあたりの察しの良さが、業界を上手く生きていく上で大切なのだろう。

 古屋はどちらかというと、硬骨な人間であるが。

 戸崎はビジネスマンとしての冷徹さがあると思う。




 直史が今後は何をしていくのか。

 二人はそれにも注目している。

「アマチュアの指導資格を回復しようかと」

 これにはびっくりであるが、金にならないことでもやるのが、直史という人間である。


 ただ金に執着するだけなら、トミージョンを受けてでもMLBに残り、復帰できるかどうかを試しただろう。

 だが特に古屋などは、やはりプロの世界を支えているのは、日本の巨大なアマチュアの裾野だと分かっている。

「コーチでもするの?」

「今年はレックスに頼まれてますけど、年末の講習を受けてからは、母校の臨時コーチでもしようかなと。あと帝都一とかにも頼まれてるんですよね」

 直史の野球の原風景は、やはり高校野球にある。

 

 中学時代の泥に塗れた環境から、高校では花が開いたように活躍した。

 当時の甲子園の試合など、まさにスーパースターというイメージが大きかった。

 上杉の次には直史。

 この二人ほどに対照的で、そして巨大な光り輝くスターは、あれからもう15年以上も経過しているが生まれていない。

 そもそも二人とも、空前絶後の存在だと言えるのだろうが。


 今後甲子園というか高校野球で、スーパースターが出てきたとする。

 その場合はおそらく、投打において活躍する、超人なのではないだろうか。

 直史と大介、その両者に匹敵する力を持った選手は、絶対に出てこないだろう。

 だがエースで四番のスーパースターは、高校野球ならまだ出てくるかもしれない。




 野球というスポーツの未来に対して、直史は二極化するべきだ、と思っている。

 とにかく上を目指していくガチ勢に対して、気楽に楽しむエンジョイ勢。

 重要なのは競技人口やファンの数を減らさないこと。

 アマチュア指導者においては、この視点が欠けている者が多いと思う。


 スポーツにおいて重要なのは、ファンを増やすことだ。

 そしてスポーツに限らずファンというのは、ライトな入り方をしてくる。

 かつての野球少年というのは、潜在的な野球ファンになりうる。

 そういった人間に対して、野球にネガティブな情報を与えたくはない。

 それなのに特に高校野球は、いまだに昭和の価値観を引きずっている指導者が、多いのはなぜなのだろうか。


 アメリカなどは顕著だが、多くの国ではアマチュアのスポーツが、そこまで理不尽なことは少ない。

 もちろん練習自体がきついというのはあるだろうが、そのきつい練習に加えて対応まできつければ、選手は辞めてしまうだけではなく、その競技自体から離れていってしまう。

 世界最高峰の日本のプロ野球を支えているのは、膨大なるアマチュアである。

 競技人口が多いという以外にも、そのスポーツ自体のファンであることは多いからだ。

 ただアメリカもアメリカで、スポーツエリートとそれ以外の区別はかなり大きい。

 高校や大学などは、セレクションをしてチームに入れるかどうかが違っていたりするのだ。


 野球に限らずスポーツは、やはり試合が圧倒的に面白い。

 もちろん直史自身は、延々と自分の技術を磨くのが、全く苦ではない性格をしていたりするが。

 上達の実感、成功体験、勝負。 

 これらを上手く組み合わせることは、レベルの高い選手においても、成長のためには必要なことである。




 プロスポーツの世界というのは、基本的に体に悪い。

 スポーツが体にいいというのは、あくまでも一般レベルの話である。

 ほとんどのスポーツ選手は故障を経験していて、それは直史だけではなく、鉄人や超人と呼ばれる大介や上杉もそうなのだ。

 禁止薬物を使っていた時ほど、極端に肉体に悪影響を残すということはない。

 それでもトップレベルの選手は、故障まであと一歩という領域で、己を鍛えている。


 人間の肉体の限界に挑戦しているのは、直史であっても同じなのだ。

 このあたりは戸崎も古屋も、当たり前のように故障は経験している。

 特に戸崎は、膝の悪化で引退をした。

 もっともそれ以前から、徐々に成績は下がっていたのだが。


 軽くやるスポーツは、確かに人間の発育に影響するし、また老化や衰えを防ぐ効果がある。

 実際に瑞希など、明らかに高校入学以前と、大学卒業時では、基礎体力が完全に変わっている。

 直史の性欲に付き合って、ベッドで激しい運動をしたからであろう。

 もちろん直史の方が、その何倍も激しい運動をしたのであろうが。


 楽しむことがスポーツにおいては、一番大事なことだ。

 それは分かっているのだが、この三人の中でも最年長である古屋は特に、子供が外で遊ばなくなったなと感じている。

 もっとも野球だけではなくサッカーなども、クラブチームに所属する人数自体は増えているのだ。

 要するに空き地などで、ゴムボールにプラバットを使った野球などが、減っているわけで。


 施設自体はちゃんと存在する。

 しかし自由に使える場所は減っているのだ、というのが古屋の話であった。

「うちの周りはどうなのかなあ」

 戸崎は在京圏内に住んでいるが、出身は四国である。

 自分が子供の頃は、やはり空き地で好き勝手にスポーツはしていたらしい。

「佐藤君はどうなの?」

 そう問われた直史としては、簡潔に答えられる。

「集まって遊べるほど、家が密集しているところに住んでいなかったんで」

 だから兄弟で遊んでいた、というのはあるのだが。


 公園での遊びが禁止されている、という話題自体はメジャーなものである。

 直史などはいくらでも休耕田がある土地に住んでいたので、あまりその感覚は分からない。

 だが大学以降は、おおよそ都市圏に住んでいるので、日本の環境に関しては分からないでもない。

 しかしアメリカ時代は、広大な公園がいくらでもあったのだ。


 そのあたり日本は、確かに国土が狭い。

 正確に言えば、活用できる国土も狭いのだが。

 国土のかなりの部分が山地という島国は、世界的に見ても多くはない。

 もっともそれでも、充分に山間部を利用して、スポーツ施設を作ることは出来る。

 ただこれからは少子高齢化もあるので、せっかく作った施設にしても、維持するだけの必要が出てくるのか、という問題はある。

 たとえば白富東に、セイバーは莫大な練習環境を提供した。

 しかしここ数年甲子園から遠ざかっている白富東には、あまり優秀なプレイヤーは集まってきていない。

 部員もそれなりに減ってきているため、第二グラウンドは他の部活に解放していたりもするらしい。


 直史としては、自分の本当の青春時代は、あの三年間であったと思う。

 なのでちょっとコーチにでもと呼ばれれば、協力したいとは思うのだが。

「なんだ、じゃあコネを利用して、指導資格の回復、ねじ込んであげようか?」

 古屋がさすがの人脈で、そんなことまで言ってきた。

 不正ではないので、直史としてもそれはありがたいことである。


 キャンプの後のオープン戦に、直史は臨時コーチとして顔を出す。

 その後に指導資格の回復がされることになりそうだ。

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