第42話 キャリア

 直史は確かに、弁護士としての能力は持っている。

 だが世界的な視点から見れば、そのピッチングの技術にこそ、需要は大きく存在するように見える。

 技巧派である直史は、その技術をぜひ、後進の選手たちにも教えてほしい。

 そう考える人間は多いだろうが、ある程度の技術に達している者や、対決した者は分かっている。

 あれはテクニックではなく、フィジカルとメンタルであるのだと。


 直史の右腕は投げるとき、ものすごく撓っている。

 そこから投げるので、体格や体重が少なくても、150km/hは出せるのだ。

 もっともこの間の試合では、延長戦では150km/hをオーバーしたのは数球しかなかったが。

 それでも三振を取れるのだから、球速が全てではない。

 インパクトとしては、バットを何本も叩き折った、上杉の方が大きいかもしれない。

 だが野球は、ピッチングとは、バットを折ったら勝てるというものではないのだ。


「佐藤さん、ある程度テレビ出演とかもするなら、事務所に所属したらどうですか?」

 現在レックスはまだ、沖縄でキャンプ中である。

 だがコンタクトを取ってきた球団スタッフは、そんなことを言ったのである。

 直史が色々な手続きのため、レックス本社にやってきた時のことである。

 臨時コーチを引き受けたり、弁護士ならではの視点からテレビで野球を語ったりしてくれないか、というもの。

 直史は今のところ、内容を吟味した上で、承諾したり断ったりしている。

 だが一つでも仕事を受けると、どんどんと依頼も増えてくるのである。


 直史は弁護士としては、一年目の若造ではない。

 だが本格的に仕事をするのは、あの司法修習などが一通り終わってから、真琴のためにプロ入りするまでの、ほんの短い期間以来だ。

 オフには仕事を手伝っていたが、基本的には練習やトレーニングは、毎日のように行っていた。

 プロがオフに休んでいては、あっという間に消えていってしまう。

 確かにひたすら強度の高いトレーニングをするのも問題だが、オフに本当に休んでしまうのは、プロではないと直史は思っていた。


 そういったこともあって、事務所においての仕事というのも、誰かの補助に入ることがほとんど。

 なので久しぶりに今は、案件をしっかりと受けているわけである。

 そこに「引退したなら暇じゃろう」などと思って仕事を持ってこられたも困るのだ。

 もちろんそれはそれで、面白くないわけではないのだが、本業はもう野球選手ではないのだから。




 野球選手が芸能事務所に所属したりするのは、そういった部分のマネジメントを、事務所が行ってくれるからである。

 ただ直史の場合は、本業の方が本気で忙しいのだ。

 あと、極端な話をすれば直史は、もう仕事などまったくしなくても、一生食っていくのには困らない。

 もちろんいい大人が仕事をしないなど、社会規範的に許されないだろう、と考えるのが直史である。

 根が真面目であると言っていい。


 所属する弁護士事務所に関しては、基本的に今の人員で、労力としては足りている。

 弁護士は定年がないので、働ける限りは働く、ということが出来てしまう。

 もっとも直史は将来的には、他にも色々と考えていることはあるのだが。


 直史は今、仕事の依頼が多すぎて困っている人間である。

 それも法律関係や野球関係だけではなく、CMに出ないかというものまであったりする。

 確かに直史は実力実績以上に、タレント性にも優れている。

 野球選手特有のマッチョでもないので、イメージキャラとしては使いやすい。

 本人の意向とは別のところで、需要が発生するのだ。

 そしてこういうものを断ると、調子に乗っているだの偉そうだのと、中傷が始まる。

 もっとも直史相手にそれをやるのは、本当にリスクが高いので、まともなところはしようとはしない。


 ただ仕事に関しては、本当に整理する必要はあるだろう。

 現役時代は瑞希が行ってくれていたし、ある程度はセイバーも手助けしてくれていた。

 しかしこれからは瑞希も、執筆活動の傍ら、弁護士活動もしていかなければいけない。

 また育児や家事に関しても、瑞希の負担の方が自然と大きくなっている。

 それに前に言っていた、あと一人ぐらいはほしいかな、という話題である。

 意識はしていなかったが、負担をかなり強いているのではないか。


 そんなことを考えてはいたので、直史は芸能事務所への所属も、少し考え始めることになる。

 もっともこれこそが、瑞希と話し合う案件であったろうが。

 直史はこの日は、テレビ収録に関して、元NPBプレイヤーと、元MLBプレイヤー、そして元プレイヤーのコーチ陣などと一緒に、現在の野球界の問題と、今後の展望などについて話すことになっていた。

 当然ながら事前に、ある程度の内容などは決めておく。

 別にやらせというわけではなく、それぐらいは決めておかなければ、時間内に終わらないからだ。


 ただ純粋な元プロ野球選手からは、直史は受けが悪い。

 実力と実績が圧倒的なので、下手に対抗したりすると、とんでもないバッシングを受けるということはある。

 だが直史の野球の経歴をたどっていけば、何がしたくてこんな人生を送ってきたんだ? という疑問を持つのも当然であろう。

 それにプロ入り後の騒動なども、完全に大介と共に注目を浴びていたため、勝手に敵視している人間は多いのだ。

 もっともそれに対して、年上だろうがなんだろうが、おかしいと言う所は言ってしまうのが、直史であるのだが。




 本日のお題は、現在の野球界の問題と、今後の展望。

 随分とふわっとした括り方である。

 直史の他の出演者は、元千葉のNPBプレイヤーで現在も解説などをしている戸崎に、レックスのOBであり監督経験もある古屋。

 どちらも一家言持っている人物であり、どちらも大卒のキャッチャーである。キャリアの長さなどならば、直史よりも上だ。

 ただ両者共に、MLBには行っていない。

 当然のように直史は、どちらとも面識自体はある。

 もっとも直史は二年しかNPBにはいなかったので、それほど深い関わり合いはないと言っていい。


 三人並ぶと明らかに、直史だけは体型が細いのが分かる。

 もっとも他の二人は、引退後にある程度太ったということもあるのだが。

「お久しぶりです」

 まず目上が相手なので、普通に挨拶をする直史。

「久しぶりだね」

「テレビの仕事は初めてか。古屋さん、俺たちでリードしないといけないですよ」

 キャッチャーらしいジョークなのかもしれず、直史は少しだけ笑った。


 今日のお題である野球界の問題は、主にMLBへの選手の流出ということである。

 司会者も含めて、ある程度の展開は決めてしまうのだ。

 やらせだとかそういうことではなく、大筋の流れなどは決めておかなければ、時間中に終わらない。

 生放送ではないので、ある程度の余裕はあるのだが。




 MLBへの選手の流出というのは、果たして問題であるのか。

 そもそも論の、選手のチーム選択からFA、ポスティングなどといったものが、この背景にはある。

 三人全員が、NPBでは一つのチームにしか所属していない。 

 直史もNPBでは、レックスのみに二年間いたのだ。ただMLBではアナハイムからメトロズ、そしてまたアナハイムへと移籍している。


「MLBへの選手の流出自体は止められないでしょ。というか、止めるのがおかしいんだよね、佐藤君」

 戸崎の言葉に、直史はしごくごもっともと頷く。

「法律的には職業選択の自由から、また既にある制度からも、MLB移籍は選手にとっての権利ですからね」

「移籍はいいんだけど、NPB復帰はどうにかしないといけないでしょ」

 古屋はそのあたり、少し怒っているみたいだ。


 古屋は現役時代から、冷静な判断力を持つと同時に、その精神の根底には頑固なものがあると言われていた。

 プレイングマネージャーとして監督までしたのに、いまいち成績を残せなかった原因とされていたりする。

 直史はそうは思っていないが。

「一年か二年だけ行って、通用しなかったら帰ってくる。まるでただの箔付けだ。こんなのファンは納得するのかね」

 それはファンの感情論と言うよりは、選手側からの感情論ではないだろうか。


 日本人選手は長らく、ピッチャーだけしかMLBで成功するものは出てこなかった。

 松井やイチローといった外野手が活躍しても、まだキャッチャーと内野の活躍選手が出てくるのは、大介と樋口まで待たなければいけない。あるいはNPBを経緯していないが坂本か。

 この二人のキャッチャーは、共にNPBトップクラスであり、日本代表にも何度も選ばれている。

 それでもMLBに行かなかったのは、まだ時代が至っていなかったからである。


 今であればどうだろうか。

 直史としては、二人の時代と今とでは、MLBのキャッチャー像も変わっているとしか言えない。

 そもそもそれは今回の議題とは違う。

 またMLBで成功せずに帰ってくるのに憤慨するのは、古屋が厳しいなと直史は感じる。

「MLBに行って通用しなかったら、戻ってきてすぐにまたNPBでプレイするのも仕方がないとは思いますけどね。綺麗ごとでは食べていけないんだし」

「佐藤君がそう言ってもなあ」

 古屋は苦笑いした。直史がそれを言うのか、という感情だろう。


 ここで戸崎から質問が入った。

「そもそもどうしてたった二年でMLB行っちゃったのさ。NPB入りする時に、なんだかすごく契約で揉めたのは知ってるけど。オフレコで言えない?」

「守秘義務なんですよ、これ」

 契約内容など言ってしまえば、他の選手も真似をしかねない。

 もちろんほとんどの選手にとっては、無駄な契約になるであろうが。


「MLBで通用しなかったら、NPBに戻ってきたの?」

 古屋としてはそこが気になるところである。

「いえ、その時は引退するつもりでした」

 明言する直史に、二人は真意を測るような視線を向ける。

 だがこれは本当のことなのだ。


 直史は当時、プロ入り二年目にして、年俸が一億を突破していた。

 実際にインセンティブで、さらに二億が追加されている。

 いくらなんでもこれは無理だろう、という数字をことごとく達成したのだから。

「MLBって年俸は全部発表されてるけど、他には追加報酬なかったの?」

 戸崎は金の亡者というのとは違うが、計算高い男である。

 外見からすると豪快な印象を受けるが、実際にはかなりの理論派なのだ。

「インセンティブだけですけど、MLBは生活にかかる金とかマンションとか移動とか、そういうのも契約に入れてますからね」

「代理人がいないとしんどいって聞いたけど、佐藤君は全部自分でやってたんでしょ?」

「そうですけど、アナハイムの場合はフロントに知り合いがいたんで、日本語での契約もそれなりに簡単だったんですよ」

 セイバーがいてくれたことで、直史の労力は最低限で済んだと言っていい。


 


 野球界の問題という内容についてより、直史にインタビューするような感じになっている二人である。

「佐藤君、今度俺のチャンネルに参加してよ」

「予定が詰まってなければいいんですけど、本業の方が忙しくって」

「弁護士業、本気でやってるの? そんなに儲かる?」

「金銭的には特に問題はないんですが、信用の蓄積が必要ですから」

「それは普通の仕事と一緒か」

「でも今度、うちの臨時コーチはやるんだろ?」

「ええ、お世話になった人もいますし」

 古屋もレックスOBとして、そこは把握しているらしい。


 さて、そろそろ話題を戻していく必要があるだろう。

「実際問題、どういう流れで話を持っていくんですか?」

「古屋さんは、制度の問題と言うよりは、選手の覚悟とかそういう問題なんですよね?」

「そうだね。俺はむしろ選手の待遇については、どんどん改善していってほしい。ただプロの世界っていうのはMLBになんて行かなくても、本当にシビアな世界だよ」

「そのあたり俺なんかは、逆指名制度の恩恵を受けてるからなあ」

「樋口なんかも古屋さんが先駆者としていなければ、あんな高い順位では指名されなかったでしょうしね」

 古屋はメガネをかけたキャッチャーなど大成しない、という迷信を打破した第一人者である。

 ただ大卒時に指名されず、社会人からようやくプロ入りしたので、そのあたりの偏見などについては、かなり怒りを抱いている。


 樋口もまた、メガネをかけてはいた。

 それにあいつは最後の一年になるまで、大学ではそれなりにしか打てないキャッチャーを演じていたのだ。

 そのくせ重要な場面では必ずと言っていいほど打つので、早稲谷ではミスタークラッチなどと呼ばれていたが。

 まさかプロ入り後、トリプルスリーまで達成するほどのバッターになるとは、身近な人間以外は想像していなかっただろう。


 現状の野球界の問題。

 それはやはり、球団間の資金力格差であろうか。

 かつては知名度も人気もタイタンズ一強であり、契約金も年俸も、タイタンズがリードという時代はあった。

 ただ今は資金については福岡一強であり、その資金力で三軍の環境を整備している。

 育成で指名する人数も、圧倒的に多いのだ。


 ただこれを漠然と、資金力による不均衡、などと結論付けるのは問題がある。

 MLBなどにおいては、資金力の不均衡はさらなる問題であるのだ。

 もっともNPBとMLBでは、チームの存在の前提条件が大きく違ったりする。

「俺が一番の問題になるんじゃないかってのは、ポスティングでMLBに行った選手が通用しなくて、すぐにNPBに戻ってくるというやつね。上手く使えばFA権代わりに使えちゃうし」

 ただそうやって戻ってきた選手も、実際にはアメリカで二年程度は頑張っていることが多い。なのでFAで移籍するのと、タイミング的には変わらないのだ。


 古屋は感情論を、感情論と承知した上で、分かりやすく説明する。

 戸崎はどちらかというと、そういったものは突き放して考えている。現実主義者であるのだ。

 直史の場合は、完全にしがらみなどとは無関係だが、基本的に人気商売なのだから、ということは承知している。

 選手の権利と、NPBによる興行。

 確かに直史は選手側の代弁者になるべきであろうが、球団フロントの考えなどもしっかりと知っている。

 それにMLB三年目の、電撃トレードなども経験しているのだ。




 その年は故障者が続出で、早々に優勝戦線からは脱落したアナハイム。

 直史は前年、アナハイムとワールドシリーズで対戦した、宿敵とも言えるメトロズへ移籍したのである。

 優勝のためのトレードではあった。

 直史がどう言おうと、契約で限定でもされていない限り、トレードを拒否することは出来ない。あの時の直史の状況は、トレード拒否権が限定的にあったのだが。


 NPBで二年間を暮らした直史としても、MLBでのチーム間における選手移動は、かなり異常とさえ見えたものだ。

 もっとも直史はメトロズを優勝させた後、アナハイムとの再契約を行った。

「実際のところ、MLBみたいなトレード、日本では有効だと思う?」

 戸崎の問いに対して、直史は首を横に振った。

「なんだかんだいって、日本はまだ選手個人へのファンが多いでしょうからね。あまり移籍が頻発するのは、野球界全体を見たらマイナスになるかと」

「そうだよね」

 MLBで五年もプレイし、実際にシーズン中の移籍を経験した直史が、こんなことを言うのである。


 古屋は基本的には、選手ファーストでありファンが重要だと考える。

 戸崎はもちろん選手の立場を重視するが、球団に対しての譲歩がなければ、交渉のしようもないと考える。

 そして直史も、安易なアメリカ化は反対だと考えている。

 直史としては別に、MLBには行きたくて行ったわけではないのだ。


 今後のNPBの動きについては、むしろ戸崎の方が見識は深かった。

「MLBと同じで、FA権が行使ではなく自動になると、困る選手も出てくるでしょうしね」

「それはでも自己責任じゃないかな? プロの世界では実力が第一だし」

「でも実際にMLBの契約を経験した身とすれば、NPBのある程度なあなあの契約なども、悪いばかりじゃないと思いますね」

 三人の男たちの話に、司会者は基本的に沈黙している。


 今日の論題に関しては、そこからも今後の展望について話し合うことになる。

 そしていよいよ、本番を迎えることになる。

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