第22話 ドリームマッチ

 試合前には佐藤直史VS日米オールスター打線という触れ込みであった。

 実際にそれは間違っていないのだろうが、それだけでもない試合である。

 上杉が投げた、現役メジャーリーガーに対するピッチング。

 また毒島の二連続デッドボールなどは、違う方向で印象に残っただろう。

 そしてここで、悟と小川の対決。

 現在は同じチームであるため、それなりに紅白戦で対決することはあるし、フリーバッティングで投げてもらうこともある。

 だが公式戦などで、対決する姿をファンが見る機会は、そうそうないのである。


 この対決もまた、ファンを楽しませるものであった。

 もっともBチームはピッチャーが次々に継投していっているため、圧倒的に一打席対決では有利だ。

 普段はそれなりに完投する小川であっても、この投手陣を見てみれば、交代せざるをえない。

 上杉は本当に特別扱いであったと言えよう。


 悟としてはファンの期待が、自分の背中に注がれているのを感じる。

 背中だけではないであろうが。

 ただ普段は対戦しない小川との対決であっても、この場合は圧倒的にピッチャーが有利だ。

 野球というのはバッターが、三打席に一度打てば、それで充分なスポーツなのであるから。

 この場合の小川は、既にメジャーリーガーを二人打ち取っている。

 なので悟が相手でも、単打程度までは問題はなかろう。

 次が樋口であっても、小川から打つのは難しい。


 もちろん小川にも弱点はあって、それは一発病というものである。

 バックスピンの強くかかったボールは、上手くジャストミートしてしまった時、より飛んでいくという性質も持っている。

 しかしそれはホップするボールを投げるピッチャーには、避けられない弱点だ。

 これを防ぐために、武史は変化球を、ムービング系にしている。

 武史の防御率は1を切るほどに低いが、その内容はホームランによる一発が多いのも確かだ。




 左打者の悟に対して、小川のカーブはさほど有利ではない。

 毒島のように、サウスポーのくせに左打者に強いわけでもない、というほどではないが、小川のカーブはそこそこ斜めに軌道を取る。

 なので右打者に対しては強いが、このイニングは左打者から始まっているのだ。

 メジャーリーガーを二人攻略し、小川としては充分に力量を証明したであろう。

 ただ小川の立場からすると、むしろ悟こそが一番、厄介なバッターとも言える。


 実際、悟は小川に対して、苦手意識を持ってはいない。

 公式戦で対決というのが同じチームなのでないこともあるが、悟の苦手なタイプではないのだ。

 球速は確かに163km/hと異次元の領域であるが、上杉に比べれば常識の範疇である。

 本当に、NPBならず日本のピッチャーは、上杉以前と以後で、明らかにレベルが違っている。

 その中で直史などは、ぽつんと孤立した巨峰であろうか。


 初球から小川のボールを、悟は打っていった。

 わずかに振り遅れたが、そのホップ成分は見極めて、レフト方向のファールスタンドに入っていく。

 ギアを上げた163km/hのストレートであったが、球速自体は問題のない悟である。

 同じチームだとフリーバッティングをやった時、稀によくあることだがムキになって、ガチの勝負に発展してしまったりもするのだ。


 タイタンズでは二番か三番を打つことが多い悟だが、一番を打ったときには最多安打のタイトルなども取った。

 打者のタイトルでは他に、首位打者や最高出塁率も獲得したことがあるが、やはりインパクトが強いのは、トリプルスリーであろうか。

 最近は盗塁を控えめにしているが、それでも年に20度ぐらいは成功させている。

 重要なのは回数もだが、成功率だと本人は考えている。


 もしも次の樋口につなぐことが出来れば、小川からは盗塁をすることが出来ると思っている悟である。

 彼は自軍のピッチャーのクセを見抜いて、それを潰すという役割もやっていた。

 ただしそれをずっとやっていたため、自軍のピッチャーについては、およそのクセがなくても、球種が分かってしまうようになっていた。

 もう一度FAした時のために、その弱点は誰にも教えていなかったが。


 この場合に限っては、小川にとっての天敵となるのは、悟で間違っていなかった。

(カーブ)

 小川の投げたカーブに対して、悟は完全に狙い打ちをした。

 下手にアッパースイングをすると、むしろ高く上がってしまうだけ。

 そう考えていた悟としては、長打までは望んでいなかった。


 だが二打席目に続いて、レフト前にヒットで出塁。

 ツーアウトながら四番の樋口へ、打線をつないだのである。




(ここで点が取れないと厳しいな)

 ネクストバッターズサークルから立ち上がり、樋口はバッターボックスに入る。

 小川の球質はおそらく武史に似ていると言われているが、果たしてそれがどの程度のものか。

 ランナーが一塁とはいえ、チャンスであるのには間違いないのだ。

 樋口にとって上杉は、打てないピッチャーとしか言いようがなかった。

 だから悟がどうにかしたのは、ちょっと衝撃的ではあったのだが。


 小川のボールは、上手くミートすればスタンドまで飛んでいく。

 それを意識しながら構えようかとした樋口であったが、悟がタイムを取って駆け寄ってくる。

 この試合初めてと言ってもいいほどの、作戦タイムが取られたのであった。




 ここで一打、ヒットで点がほしい。

 悟の足であれば、長打なら一気にホームまで帰ってくることも出来るかもしれない。

 だが福沢は容赦なく、外野を下げたのだ。


 小川のボールであれば、浅いフライを打たせるパターンが多い。

 なので本来なら、外野は浅く守っている。

 ただ長打警戒となると、深く守っていた方がいい。

 



 BチームはAチームの作戦にある程度あたりをつけていた。

 ここで盗塁してくるのでは、というものだ。

 ツーアウトなので、悟の足なら単打であっても、一気にホームに帰ってこれる可能性は高い。

 小川は正直なところ、クイックも牽制もさほどは上手くはない。

 福沢の肩は一級品であるが、キャッチャーの肩よりもピッチャーのクイックなどの方が重要なのは、盗塁阻止の常識である。


 NPBのというか、日本の盗塁阻止技術は、MLBが及ぶものではない。

 ただMLBのキャッチャーには鉄砲肩が多いので、そういった不利を跳ね返して、盗塁を刺してしまうことは珍しくない。

 もっともこの盗塁阻止への関心不足は、ずっと言われていることだ。


 セイバー・メトリクスで盗塁の重要度は低いなどと言われているが、その成功率次第では一気に重要度は高くなる。

 現に大介などは走りまくって、安易に敬遠が出来ないようにしている。

 グレッグ・マダックスなども盗塁阻止をあまり考えないピッチャーであったが、イチローに盗塁を決められまくって、試合後のインタビューで激怒したという逸話もある。

 野球は総合的なスポーツなので、一つの分野で突出するのも、苦手な分野を潰していくのも、どちらもある程度は必要なのだ。


 小川の場合は大学までは、走られても三振を取ればいい、というのがその大前提となる考えであった。

 だがさすがにプロのレベルになると、そう簡単に三振が取れるというわけではない。

 セ・リーグでは確かに、上杉に続いて奪三振の数は多く、近いうちに逆転するのでは、とも言われている。

 だがその上杉にしても、スモールベースボールを駆使されて、失点することは珍しくないのだ。




 悟としては樋口につないでほしいのではなく、ここで一点が取りたかった。

 次の小此木もそれなりに打力は高いが、小川との相性はあまりよくない。

 プロ入り初期に直史と組むことが多かった小此木は、パワー任せの野球ではなく、巧打者となった。

 現在の長打一発の野球とは、あまり相性が良くない。

 ただつなぐバッティングは上手いし、打率自体は高いので、ランナーとなれば脅威度は増す。

 ただ小川からタイムリーが打てるかというと、パワーピッチャー相手は相性が悪いというのは、小川が相手でもそういうことなのだ。


 樋口の打席で、一点を取ってしまわないといけない。

 そのために二人の話し合った作戦は、足を絡めたものである。

 悟のスチールを、小川も福沢も注意はしている。

 だがツーアウトからならば、樋口を打ちとってしまえば、それで問題はないのだ。

 ツーアウト二塁にしてしまうと、ワンヒットで一点の確率は高くなる。

 しかし小川なら、樋口を抑えられる、という自信も大きい。


 樋口としては、どうチャンスが拡大するか、を問題としている。

 初球からどういう組み立てでくるか。

 もしもカーブから入れば、確実に打てると思わない限り、空振りして悟の盗塁を援護する。

 ストレートに絞って待って、それを投げてきたなら、全力で打っていく。

 スタンドにまでは届かなくても、長打となれば悟が帰ってくる可能性は高くなる。

 深く守られているので、そこでワンプレイでは一点には届かないかもしれないが。


 初球、小川はカーブから入ってきた。

 右打者の樋口に対しては、このカーブは斜めに変化するので、それなりに打ちにくいものだ。

 そして悟はスタートしていて、樋口は空振りを行う。

 キャッチしてからスムーズに福沢は送球していくが、わずかに悟の足の方が早い。

 ストライクカウントが増えたが、これで得点圏にランナーが進む。 

 ワンヒットで一点という場面が作り出せた。




 本当にこれは、この試合初めての、チャンスらしいチャンスだ。

 樋口ならば単打に絞っていけば、ヒットぐらいは打てなくはない。

 ツーアウト二塁であり、一打で先制点が入る。

(ただ今度は、外野が浅く守ってくるというわけか)

 この試合は、一点を争う勝負になるだろう。

 もっとも直史の投げる試合は、おおよそ全てがそうであるが。


 小川の球質について、あまり樋口は詳しくはない。

 ただ他のメンバーの話を聞いて、映像などを分析すると、確かにそのストレートの異常性が分かる。

 ボールにかかっているパワーのうち、スピードではなくスピンにかかっている分が、かなり多いようなのだ。

 これは武史と言うよりは、直史の投げるストレートの方に似ている。


 狙い球はストレート。

 出来れば追い込まれる前、狙い球を悟られる前に投げてほしい。

 初球がカーブであったのだから、次はストレートという単純な組み立てが、本来の小川には多かったりする。

 だがこの場面で福沢なら、そんな安易な組み立てをしてくるだろうか。

(どのみちストレートを投げてこないなら、ツーストライクまでは見逃していくしかないからな)

 そう思っているところに、投げられたのはそのストレート。

 しかし樋口のバットは止まり、ボールはゾーンよりかなり高めに収まった。

(狙いを見抜こうとしてるのか?)

 バッターとピッチャーではなく、バッターとキャッチャーの駆け引きが進んでいく。




 小川のボールというのは、ストレートに最もその特徴が表れている。

 ホップ量が多いというのが、その特徴だ。

 単に速いだけなら、樋口はいくらでも打てる。

 しかし他のピッチャーにはない、ボールが浮くような錯覚。

 武史などの投げているストレートと同じだ。


 直史の投げるストレートも、普段投げるストレートと、渾身のストレートでは性質が違う。

 それだけストレートは、球速というもの以外に、球質が重要であるのだ。

 二球目のストレートで、樋口はある程度小川のストレートを掴んだと思う。

 もしこの打席で打てなければ、次の対戦はまたピッチャーが代わる。


 よく考えなくても、こちらは直史一人が基本的に投げるのに対し、あちらはエースクラス、クローザークラスが交代していくというのは、圧倒的に不利ではある。

 上杉が4イニングしか投げなかったが、あの間に上位打線で、どうにか出来なかったのか。

 実際に悟はどうにかしたが、樋口がそれに応えられなかった。

 だからこそこのチャンスは、しっかりとものにしたい。


 内野安打は困るが、普通のクリーンヒットでいいのだ。

 ただ外野が今度は前に出ているので、出来ればその頭を越えていく打球が打ちたい。

 欲をかくわけではなく、純粋にジャストミートだけを心がける。

 武史のボールで散々練習してきた樋口が、小川のボールを打てないはずはない。

 精神論であるのかもれいないが、樋口はそう考える。




 小川のボールというのは、高めのストレートが一番威力がある。

 抜けて高めではなく、しっかりと指にかかった上での高めだ。

 それはMLBにおいても、空振りしやすいストレートであるのは同じだ。

 狙うべきはその高めではなく、低めのストレートだ。

 第三球、小川の投げたのは、その外角低めのストレートであった。


 樋口がピッチャーをしとめる場合に、最も多いコース。

 それが外角低めの、勝負球となるストレートだと言われている。

 実際のところは、他のコースや球種なども、しっかりと選んでいる。

 だがそういった印象が世間に流れているなら、それを利用するのも樋口である。


 糸を引くようなストレートであったが、樋口はミートを重視して、ピッチャー返しの打球。

 小川の頭の上を抜いて、センター前に飛んでいく。

 さすがに大介がジャンプしても、これは届かない。

 悟は一気に三塁を蹴るが、打った樋口自身は、打球の勢いが強すぎるか、とセンターの柿谷の動きを見ていて思った。


 二打席凡退した柿谷であるが、守備力を考えて交代するのは、次の打席からである。

 その柿谷はギャンブルのジャンピングキャッチなどせず、ワンバン直後の打球をしっかりと捕った。

 そしてそこから、スムーズな流れでバックホーム送球に移行する。

 投げられたボールは、悟がホームを駆け抜けるより、かなり早くキャッチャーのミットに収まった。

(うげえ)

 完全にアウトのタイミングであったが、もう止まれない。

 回りこもうとした悟であるが、その背中に福沢はタッチしたのだった。




 やっと一点が入りそうな場面だった。

 しかし柿谷は、MLBでもその足や肩で、外野守備として通用している。

 三塁で止まるべきであったな、とは後から思えばそうなのだが、外野に抜けたヒットはホームに帰ってくると、前提条件を決めていたのも確かである。


 ファーストを駆け抜けた樋口と、ユニフォームを汚した悟が帰ってくる。

 どちらも難しい顔をしているが、あそこは無理にでも突っ込んで正解だったのだろうか。

 ランナーコーチは適当に打順の遠い選手がやっているあたり、極めて草野球チックではある。

 だがこれが公式戦であれば、あそこは止めたかもしれない。


 次のバッターは小此木で、悟の足を考えれば、ランナー一三塁の立場でも良かったのではないか。

 そうも思うがそれは、結果が出てしまったからこそ思うことである。

 走塁の判断は難しい。

 ここまで両者共に一点も入っていないので、どうしても一点がほしいというのは当然であった。

 ただこれを焦りと思ってしまえば、精神的に優位に立てなくなる。


 直史は当たり前のように、アウトを積み重ねていく。

 だが向こうのピッチャーも、メジャー組かNPBの日本代表レベルなので、そう簡単に点は取れない。

 むしろこんな打線を相手に、一点も取られないどころか、二塁を踏ませていない直史が異常なのである。

(次の向こうは誰が出てくるのやら)

 プロテクターを装着して、樋口はキャッチャーボックスへ向かう。

 どのみち次の回は、樋口に打順が回ってくるとは考えにくいのだが。


 せっかくのチャンスが潰れてしまった後、ピッチャーの気が抜けるというのは、一般的にはよくあることだ。

 しかし直史は無表情のまま、次の対戦相手を待つ。

 Bチームの六回の裏は、八番の福沢からの打順。

 順調に二人をアウトにしても、一番の大介には回る。


 どこまでいっても、抜いて投げるということが出来ない打線。

 いや、ボールにかける力自体は、そこそこ抜くことはあるのだ。

 しかし集中力は、どこまでいっても抜くことは出来ない。

 味方の攻撃の間は、ベンチで休むことが出来るが、脳に糖分を回すため、ラムネなどをかじっている。

 味方の攻撃で、点が入るかどうかは問題ではない。

 とにかくまずは、九回を一点もやらずに投げることを、それだけを考える。

 直史は援護には期待することなく、この回もバッターを抑え続けるつもりで、マウンドの上に立っているのだ。

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