逢魔時夢想譚

楸むく

婆ちゃんの夢

【Chapter.1 やっほー】

 

 ピンポーン。

 

 インターホンの音で、目を開けた。

 視界いっぱいに、白い天井。体の上に乗っかっていたはずの毛布は、私と壁の間に挟まれて行き場をなくしていた。少し寒かったからとつけて寝たエアコンはフル稼働、おかげで喉はカラカラ。寝返りをうつと、部屋の中の暗さに時間の経過を感じる。設定温度ミスったな、と、二回目のインターホンに大声で返事をしながら頭を掻いた。

 今年引っ越してきたばかりの、都内1LDKマンション、私の城。片っ端から電気のスイッチを押しつつ寝室から移動しながら、途中でキッチンに寄り軽くうがいをする。横目で確認した時計の針で、時刻が十八時であること、まるまる二時間眠っていたことを知った。住み始めて一ヶ月、インターホンが鳴ったのは、引越し業者の来訪以外では初めてだった。田舎にいた頃はよく利用していたネット通販も、ここでは使った覚えがない。若い(一応)女一人暮らし、不審者とかだったらどうしようと、万が一に備えてスマホを片手に構えながら、玄関のドア前に立つ。覗き穴に片目を当てた瞬間、私は悲鳴をあげた。

 

「ぎゃああああああ!?ば、婆ちゃん!?」

 

 実家にいるはずの小さな老婆が、ドアに張り付かんばかりの距離感でそこに立っていた。ドア越しに私の歓喜の声が届いたのか、婆ちゃんがニヤッと私の大好きなシワだらけの笑顔を見せる。

 

「ニレちゃん、やっほー!ワハハハハハ」

 

 ドアの前で近所迷惑なぐらい楽しそうに笑う婆ちゃんを、私はそそくさと玄関に招き入れた。

 

 

 

 

 

【Chapter.2 私の祖母を紹介します】

 

 ニレ。漢字で書くと、にれ。それが私の名前。

 

 何を隠そう、この奇天烈キテレツな名前を私にお授け下さったのが、目の前のこのちっちゃいご婦人、ミヨ婆ちゃんだ。私の父さんの母さんで、実家で同居していた。爺ちゃんは私が物心つく前に亡くなって、ほとんど記憶に居ないけど、ミヨ婆ちゃんは私にとって英雄ヒーローだ。

 その武勇伝は多岐にわたりすぎるので割愛するが、明朗快活、天真爛漫、邪気退散、とにかく明るくて元気。小学校で友達ができず相談した時も、中学で成績に悩んで相談した時も、いつも元気をくれた。高校で私に初めての彼氏が出来た時も、隠してたのに親より先に気付いて、ニヤニヤ喜んでくれた。ニレっていう馴染みが無さすぎるこの名前も、実はとても気に入っている。何かの植物の名前だって言ってたけど、一緒に散歩してるとそこらじゅうの木全部指差して「あれが楡、あっちもそっちも楡、あ!これも楡だアハハハ」なんて、最終的に私を指して笑うから、どの木が本物なのかは今だに知らない。婆ちゃんといると、何をしてても楽しい。

 私は俗に言う、根っからのお婆ちゃん子だった。

 

 そんな私も今年で三十。地元で就職後ずっと勤めていた会社が倒産し、心に決めた相手もいなかった私は、思い切って今春上京することにした。と言っても、県を一つ跨ぐだけ、そんなにめちゃくちゃ遠くに行くわけでもないけれど。田舎で止まってしまっている時間を、動かしたかった。気分を、変えたかった。思いの外良い物件が見つかってしまい時期を早め、正月を実家で過ごした後すぐに引っ越した。真冬の東京は、想像していたよりずっと寒い。柄にもなく「寂しくて凍えそう」だなんて、ホームシックを起こすぐらいに。

 

 そんなタイミングだったから、突然現れたミヨ婆ちゃんの姿に、私は手を叩いて喜んだ。めちゃくちゃ久しぶりだったから、とにかく嬉しかったのだ。

 違和感なんて、一つも気にしなかった。そう、違和感なんて、一つも。

 

 

 

 

 

【Chapter.3 気にしないのが一番】


 気付いたら、私はタクシーに乗っていた。

 

 何を言っているのか分からないだろう、私もよく分からない。

 玄関に婆ちゃんを招き入れてすぐ、廊下の壁についているインターホンが鳴った。今度は何だと思いつつ、慌てて受話器を取ると、出たのはお隣の部屋に住むワダさんだった。

 

「すみません、大きな声がしたもので」

「いえいえこちらこそすみません!ちょっとびっくりしただけなので、大丈夫です!お騒がせして申し訳ないです」

「そうですか、それなら良いんですが。どうも」

「はい、どうもー」

 

 ガチャリと受話器を置き、てへっ、と婆ちゃんを見ると、玄関に突っ立ったままニヤニヤと笑っている。怒られちゃった?と聞くので、集合住宅あるある〜とおどけると、婆ちゃんはまたワハハと笑った。そういや婆ちゃん、手ぶらで荷物どうしたんだろ?まじまじと見ると、真冬の割には上着も何も着ず、カバンも持っていない。て言うかそもそも、実家からここまでどうやって来たんだろう。まあいい、その辺もコミコミで、コタツで蜜柑でも齧りながらゆっくり聞こう。そう思って、身体の向きをインターホンから玄関へ変えた時、私はその場に固まった。

 

 「ピンポーン」って、鳴ってた、さっき。

 婆ちゃんが、来た時。

 

 うちのマンション、それなりにセキュリティはしっかりしている。所謂集合玄関で部屋番号を指定して、ボタンを押すと、各部屋に通話が繋がる。住人以外の、それこそ配達の人なんかが来ると、一回集合玄関から「インターホン」が鳴って、その後部屋前まで来てから「ドアホン」の音が鳴る。インターホンでさっきのワダさんみたいに、住人同士で会話もできる。

 

 かかってくると鳴るんだ、テレレンテレレン、って。

 インターホンの音が。

 ピンポーンは、ドアホンの音なんだ。

 

 婆ちゃん、どうやって集合玄関入ったんだろ。

 

 

 

 

 

【Chapter.4 外で待ってるの】

 

 いやいや待て待て、たまたま他の住人が来て玄関開けて、その時に一緒に通ったのかもしれないし。婆ちゃん、インターホンの使い方とか知らないだろうし。それでラッキーと思って、真っ直ぐ私の部屋に……私、部屋番号教えたっけ?引っ越す時荷物送ったりしから、父さん母さんには言った気がするけど。婆ちゃんにも伝えたのかな?まあ、じゃないと来れないよね部屋まで。あれ?てか父さん母さん、婆ちゃんを一人で東京に寄越すか?あ、もしかして三人で車で来てて、二人は外で駐車場探してるとか?もう〜、サプライズで来たりするからそうなるんだぞ〜、前もって言ってくれれば近くのパーキング教えたのに。そうか、だから婆ちゃん薄着で手ぶらなんだな?車に上着とカバン置いてきたんだ。

 ちょっとだけ、本当に一瞬だけ、薄気味の悪さを感じてしまった自分を脳内でゲンコツでぶん殴りながら、婆ちゃんに「上がりなよ」と声をかけた。

 

「ニレちゃん、あのね」

「何〜?とりあえず上がりなって。父さん母さんには電話でパーキングの場所伝えるから大丈夫、すぐ来るよ」

「外に車待たせてるのよ。タクシータクシー」

「はい!?タクシー!?駅からここまでタクったの!?」

 

 一気に、血の気が引いた。

 婆ちゃん、一人で来てんじゃん。

 しかも、タクシー駅で拾ったんだったら、ここまで結構な距離がある。家賃を優先したこのマンション、決して駅近物件ではないのだ。メーター想像すると、とんでもない金額になってる、たぶん。なんで一人で寄越したんだ父母よ。私こっちでまだ仕事決まってないし、そんなに手持ち多くはないぞ。

 ……ん?今婆ちゃん、「待たせてる」って言ってた?

 

「ドライブ行かない?ドライブ」

「ドライブ、って……」

 

 もう、十八時を回っている。外は暗くなっているし、マイカーじゃないんだぞタクシーでドライブなんて……婆ちゃん金持ちすぎでしょ。年金暮らしってそんななのか。

 

 ああ、もしかして、東京の夜景でも見てみたいのかな。だったら、東京歴一ヶ月のこの私でも多少は案内できるかもしれない。

 この時はまだ、その程度に思っていた。

 

 

 

 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る