獰猛な、季節外れの霹靂神

 弾ける笑みを浮かべてクロが言い放ったセリフは、音声だけならば情熱的な愛の告白に聞こえるだろうか。

 だが傍から見れば青い顔をして泣きそうな男に、目をギラギラと輝かせた女の子が迫る異様とも言える光景で、甘酸っぱい青春の色彩は皆無だ。


 現状に至るまでの経緯は目論みもプランも総崩れといった惨状ではあったが、こちらとしても切り出すつもりでいた話題なのは変わりがない。

 ただ――俺は過去の自分と決別をして、むつみへの想いを貫くと決めたばかり。クロの気持ちに応えることは出来ないのだ。返す言葉に好意を拒むニュアンスが含まれる以上、慎重に慎重を期す必要がある。


 「……人間の体で、人間として生活するなんて初めてだったから、期待や楽しみもあったけど、やっぱり不安もあったんだよ。でも、他の雷神たちが八雲は優しいから心配しなくて大丈夫って言ってて……自己紹介した時、凄く緊張してたんだよ?」


 照れくさそうにクロは頬を染める。一瞬ではあるが、纏っていた狂気が薄れた気がした。


 「私も上手く話せてたか自信はないけど……八雲も緊張してたんだよね。拙い言葉でも……褒めてくれて嬉しかった」

 「クロ……」

 「私の姿なんて、見えないはずなのにね。八雲の見てる姿は借り物だって理解してても……可愛いって言ってくれて、心が揺れて胸が熱くなった」


 焦りと混乱に突き動かされ、ホノさんに忠告されていたにもかかわらず、漏れ出た本音を思い出す。

 結果的にあれが引き金になったのは、目を背けようもない事実だろう。


 「……何回でも言うよ? 私は八雲が好き、大好き。八雲にも私を好きになってほしいの」


 粘ついたクロの感情が再び前面に押し出され、俺は唇を固く結ぶ。

 お世辞にも賢いとは言えない俺の頭を、最適解を導き出すべく必死に回す。

 一瞬のような、永遠のような時間が経って、思考が緩やかに収束していく。


 答えが出た――訳ではない。

 どれだけ頭を捻ろうとも、クロの心を傷つけず、俺の想いにも嘘をつかない回答が、どうしても用意できないのだ。


 人の想いは有限で、多数を掴もうと欲張れば必ず痛い目を見る。

 故に、選ばなければならない。何を掴み、何を諦めるのか。

 非常にシンプルで、非情な選択。

 それでも、俺の心は最初から決まっていたはずなのだ。変に繕うよりも、飾らない言葉でクロに応える事が精一杯の誠意であるとも思った。

 もう一度、強く唇を噛んだ俺は、意を決して口を開く。


 「……クロの気持ちは嬉しいよ、ありがとう。でも――俺はむつみが好きなんだ。だから――その想いには応えられない」


 訪れる沈黙。

 ただでさえ静かな周囲から、音という概念が無くなってしまったみたいに。

 けれどもそれは、単なる助走。単なる溜め。嵐の前の静けさに他ならない。


 「…………嫌だ」

 「く、クロ……」

 「嫌だ、何で? 嫌だ、何で? 嫌だ、何で? 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ――」


 ふっと、電気のスイッチが消えたかのようにクロの瞳から光が失われる。二つの目は暗く冷たく揺らめいて、ぽっかりと開いた二つの穴にも似ていた。

 壊れた玩具を思わせる言動を繰り返すクロに、俺は背筋が冷たくなる。

 これまでも行動や言葉の端々に、昨日の喫茶店での姿を想起させるタイミングはあった。彼女自身も意識的か無意識にか、とぐろを巻く感情を抑え込んで笑顔を浮かべていたのだろう。


 だが胸の内に秘めた想いを打ち明け、更には拒絶の言葉を向けられたことによって、とうとう被った仮面を投げ捨てざるを得なくなった。

 飾らずさらけ出した彼女の内面は――皮肉にも、今まで顔を合わせたどの雷神よりも、雷神らしさを感じる。


 「嘘だよね違うよね、八雲は優しいもん――そうだよね八雲? ねえ、ねえ? ねえ!?」


 今にもキスが出来そうな距離まで顔を近づけ、表情を失ったクロが弱々しく叫ぶ。

 彼女の胸の内が具現化した声色に心を掻きむしられ、目を背けたくなったけれど――逃げるな、と自分を奮い立たせる。

 クロは真剣に、まっすぐに、自分の想いをぶつけてきた。

 であれば、俺も同様に真剣さを返さなければ不公平だし、誠実だとは言えない。


 「……俺も――何度だって言うさ。クロの気持ちは嬉しいけど、俺はむつみが好きなんだ――だから――」

 「ぅぅぅ……!」


 声にならない声を上げながら、クロは俺の胸に顔を埋める。気づけば両手の拘束は外れていて、上半身は自由を取り戻していた。今ならば強引にクロを押し退けられるかもしれなかったが、ともすると泣き出している可能性もあった彼女に、手荒な手段に訴えるのは気が引けた。


 クロの背中を優しくポンポンと叩いていると、彼女が小さく震え出す。

 やはり泣いているのかと思ったが、どうやらそうではない。

 小刻みな震えに紛れて――小さな笑い声が聞こえたからである。


 「おい、クロ? どうした――」


 のそりと体を起こしたクロは、焦点の合っていない笑みで俺を見下ろしていた。

 首を大仰に傾けたポーズは、まるで首の関節が壊れた人形を彷彿とさせる。

 彼女は制服のネクタイを緩め、ボタンを外していく。


 「……私、知ってるよ? これがあるからダメなんだよね?」


 バチバチバチ……!

 鈍い雷鳴に合わせて、焦げ臭い匂いが辺りに充満する。

 クロの手によって強引に引き千切られた卯槌が、無残な消し炭となっていく。

 右手が焦げて煙を上げているというのに、今まで見せたこともない楽し気な表情で俺を見据えた。

 ゴロゴロと、シンクロして空が唸っている。

 秋の終わりには珍し過ぎる、雷。

 荒々しく獰猛な――季節外れの霹靂神が、姿を現した。

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