第一楽章 fake!
堂々巡りのウロボロス
◇
fake=偽物、欺く、騙す、振りをする。
◆
空を見上げれば、どこまでも突き抜けそうな秋晴れが広がっていた。
月並みな言葉ではあるが、秋は何かをするのに適した季節だと言われている。
様々な食物が旬を迎え味覚を楽しませてくれたり、過ごしやすい気候は体を動かしたり、本を読むのにうってつけだったり。
もしくは――学校行事が盛んになり、偶発的に発生するイベントに感化された恋愛模様だったり。
だが残念ながら俺個人は、どれにも縁がない上に興味もない。
勉強も運動も交友関係も、そこそこの力加減でこなしつつ、自由気ままにフワフワと生きる雲のような男――などと言えば聞こえは良いが、実のところ夢も希望も将来の展望すら持ち合わせておらず、地に足のついていない無味乾燥で無味無臭、無気力な現代っ子を象徴するような存在が俺、
言うまでもないことだが、幼い頃はここまで冷めきっていた訳ではない。
人並みに勉強や運動に取り組んでは一喜一憂し、人並みに異性へ想いを寄せたりもした。
しかし高校生にもなれば、自ずと気づいてしまう。
自分は人と比べ、秀でた何かがある訳ではないのだと。
分相応という言葉を心に刻んで、慎ましく生きていくのがお似合いなのだと。
でも、もし――
「おいっす!」
背中に軽やかな衝撃が走ったのと、会いたくない人物に遭遇してしまった憂鬱な気分が胸の内に広がっていったのは、恐らく同時だっただろう。
気乗りしないまま緩やかな速度で振り返ってみれば、よく見知った顔が口の片端を釣り上げてニンマリと笑っていた。
「……人の背中をいきなり叩くんじゃありません」
「あっ……ごめん。じゃあ今度からは、事前申告してから叩くね」
「叩かない選択肢は検討できないの? 粗暴が過ぎるだろ」
「八雲は小さい頃からモヤシっていうか、マカロニだからねぇ」
「スッカスカじゃん。え、体型だけじゃなくて人間性批判まで含んでる?」
「如何にも」
「武士なの?」
中身もなければ発展性もない、まさしくスッカスカな会話を繰り広げる相手は
男子高校生の平均やや下の身長である俺と同程度の背丈は、女子であれば高めといえよう。丸く形の良い瞳は悪戯っぽく俺を見据えていて、地毛である赤めのセミロングヘアがユラユラと風に揺れていた。
前述したように、あまり顔を合わせていたい人間ではない。チラリとむつみを一瞥した後、俺は自宅へ向けて歩き出すことにした。
「ちょちょちょ、待ってよ。一緒に帰るって発想は無いわけ?」
「無いな」
「ははーん、思春期特有のアレで照れていると見た」
両の人差し指で俺に照準を合わせ、腹の立つ煽り顔で挑発してくるむつみにウンザリしてしまう。
「……違うっつの。野生のマウンテンゴリラに背中を殴打されて重傷なんだわ」
「一般的なコミュニケーションすら交わせない貧弱さ……これだから陰キャは……」
俺とむつみはお互いに睨みつけ合った後、どちらともなく顔を背ける。
最近では顔を合わせると、常に似たような煽り合いや言葉の殴り合いばかり。
彼女がどう思っているのかは分からないが、俺はこんなギスギスした交流を快く思っていないことは確かだ。
昔から、隣りにはいつもむつみがいた。
幼い頃はコンプレックスなど感じてはいなかったけれど、時間と成長は残酷なもので。
勉強も運動も人間関係も人並み止まりの俺と比べて、むつみを何をしても優秀だった。
加えて年を重ねるごとに綺麗になっていく彼女はもはや、俺にとっては眩しすぎて直視出来ないくらいの存在になっていく。
近くにいればいる程に、まざまざと見せつけられる、人間的な魅力の差。
不似合いで釣り合わないステータスは、俺を歪ませるのには十分過ぎた。
隣りにいることで向けられる、周囲からの好奇の目。俺自身が傷つくのは構わないが、むつみにも心無い言葉が向けられるのは嫌だった――などと言えれば格好も付くのだろうが、メンタルに関しては人並み以下の俺である。陰湿さを内包した悪意に晒され、平然としていられる強靭さは持ち合わせていない。
並び立てないのであれば、せめて距離をおこうと逃げ腰になっている自分は、客観的に見ても相当にダサいだろう。
少し離れたところに見える歩行者用の信号機が点滅を始め、俺とむつみは足を止めた。
信号が赤に変わったのを口火にして、彼女が問いかけてくる。
「……前から言おうと思ってたんだけど、八雲さ――私のこと避けてるよね?」
図星をつかれ、頭が真っ白になる。咄嗟の言い訳すら舌に乗せられない。
むつみの射るような視線が、遠慮も容赦もなく俺を突き刺す。遠回しに咎められているというのに、不覚にも見惚れてしまいそうになる。
本音を吐き出すまいと背けた俺の目に映ったのは、赤信号の光。今の状況を無理やりに道交法と結び付け、すんでの所で踏み留まった。
「……気のせいだろ。ガキの頃じゃあるまいし、四六時中一緒にいられるかよ」
「あのね――」
「それともアレか? 学校内でも絶大な人気を誇る八重垣むつみさんは、凡庸な男子生徒にも救いの手を差し伸べてくれる聖人な訳だ。涙が止まらねぇよ」
「…………もういい」
盛大な溜め息を吐きつつ、むつみが苦々し気に吐き捨てる。
「……八雲の馬鹿」
「知ってる」
「モヤシ、マカロニ」
「如何にも」
「ガーリックチキン」
「貧弱体型と臆病な性格を
結局は堂々巡りの繰り返し。悪循環という互いを傷つけ合うループは、さながら食い合う二匹の蛇を想起させるかのようだった。
何かの間違いでも良い。
誰かの気まぐれでも良い。
臆病で卑屈で愚かしい俺を、罰してはくれないかと心の底から願った。
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