第3話 私の婚約者

「……んんっ!!」

「シア、僕だ。落ち着いて」


 私が相手の手を掴んで必死に引き剥がそうとしていると、耳元で聞き慣れた声が響いた。


(ロジェ……?)


「シア、驚かせてごめん。手を離すから叫ばないで欲しい」


 ロジェの言葉に、私は首を縦に振った。

 それから間もなくして、私の体を押さえていたロジェの手がスッと離れていく。

 私は直ぐさま振り向きロジェだと確認すると、色々な感情が入り混じりその場で泣き出してしまった。


「あ……、ロジェ。ほんとにロジェだ……」

「泣かないで」


 ロジェは私のことを包み込むように優しく抱きしめてくれた。

 久しぶりに感じるロジェの腕の中はとても温かくて、ずっと触れたいと思っていたこの手に漸く受け止めてもらえて嬉しかった。


(私、今ロジェに触れているんだ。どうしよう、すごく嬉しい……。絶対に王女殿下になんて渡したくないっ!)


 私の涙が止まるまで、ロジェは宥めるように私の頭を優しく撫で続けてくれた。

 幼い頃から私が泣き出してしまうと、こうやっていつもロジェが慰めてくれる。

 私は昔からこれが大好きだった。

 だから嬉しくて気付くと泣き止んでいる。


 私の涙が止まった頃、予鈴の音が校内に鳴り響いた。

 その音にビクッと体を震わせた。


「シア、今日は悪い子になる?」

「え?」


 突然のロジェの言葉に私はきょとんとした顔をしてしまう。


「授業サボってしまおうか」

「……いいの?」


 私は戸惑いながら聞き返してしまうと、ロジェは苦笑した。


「良くはないだろうな。だけど、少しシアと話す時間が欲しいなって思ったんだけど。シアはどう?嫌だったら戻ってもいいよ」

「ううん! 私もロジェと一緒にサボる! 先生だって一回くらいなら、多めに見てくれる……はず」


 私は思わず力強く答えてしまうと、ロジェはおかしそうにクスクスと笑っていた。


(漸くロジェと話せる機会が出来たんだもの。授業より大事だよ!今の私にとっては……)


 今授業に出たとしても、きっと不安が邪魔をして頭に入って来ないだろう。

 それならロジェと話して少しでもすっきりした気分になってしまいたい。

 そんな言い訳を自分の中でしていた。


「それじゃあ、そっちに座って話そうか」

「うん」


 私達は端の席へと移動した。


 久しぶりにロジェと話せるのは嬉しいけど、少し緊張してしまう。

 それにロジェの言葉を聞くのが少し怖いとも思っていた。

 婚約が白紙に戻ることはないと信じているけど、相手が相手なだけに不安を完全に消し去ることは出来なかった。


(さっき殿下が協力してくれるって言ってたし、大丈夫だよね)


「シア」

「は、はいっ」


 ロジェは真っ直ぐに私の瞳を見つけてきたので、ドキッと心臓が飛び跳ねた。

 そしてロジェの手が私の掌に触れた。

 肌を伝ってロジェの体温を感じることが出来て、私の強張った表情も幾分か緩んでいく。

 こうしてくれているのは、少しでも私に不安を与えないようにというロジェの気遣いからだろう。


「これだけは忘れないで。僕はシアとの婚約を、無かったことになんて絶対にするつもりはないから。こんなことになってシアを不安にしていることも分かってる。僕に力が無いばっかりに、シアに辛い思いをさせてしまって本当にごめん」


 ロジェは悲痛な顔で呟いた。

 辛いのは私だけではない。

 こんな表情のロジェを見ると胸が苦しくなる。


「その言葉だけで十分。ロジェの気持ちが変わってないと知れて、私……、それだけで幸せかもっ」


 私はへらっと緩く笑った。

 ロジェの方が苦しい立場に置かれていることは明らかだ。

 毎日のようにあの傲慢な王女に付きまとわれ、嫌な思いをしているのだから。


「こんな時は強がらなくてもいいのに。シアは、僕に気を遣いすぎだ」

「私なら本当に大丈夫だから……。それよりもロジェは平気なの?」


(私なんかよりロジェの方が絶対辛いはずだよ……。私に出来ることって何かないのかな)


「……うん。平気かと言われるとそうでもないけど、僕もシアの笑顔を見れたから少し元気になったよ。ありがとう、シア」

「……っ」


 ロジェは優しく微笑んで言った。

 久しぶりに向けられた笑顔に、胸の奥がぞわぞわと熱くなっていく。


「そういえば、さっき王子殿下と何を話していたの?」

「私達のこと気付いていたの?」


「うん。シアを見つけるのは僕の特技の様なものだからね」

「特技って……」


 そんな風に言われたら照れてしまう。

 私はその後、エルネストと話したことをロジェに伝えた。


「そうか……。そういう事なら思っていたよりも早く、僕達から興味を無くしてくれるかもしれないな」

「殿下が協力してくれるなら安心ね。ねえ、ロジェ……」


「どうした?」

「私達、これからも会わないようにしていかなきゃダメなのかな」


 私は寂しいといった顔を浮かべ、懇願する瞳でロジェを見ていた。

 毎日ずっと傍にいた相手と、距離が出来てしまうのは想像以上に辛い。

 思い合っているのに、触れることも、話す事も出来ないなんて耐えられない。

 出来ることならこんなことは直ぐにでもやめて、今まで通りの生活に戻りたい。


「それなんだけどな。あれから王女殿下のことを少し調べてみたんだ。それで分かったことがある」

「分かったこと?」


 私が不思議そうな顔でロジェの言葉を待っていると、ロジェは心配そうな顔で私を見つめた。


「シアにとっては衝撃的な内容かもしれない。それでも聞きたいか?」

「え……」


 ロジェが確認を求めてくると言うことは、私が思っているよりも酷い内容なのかもしれない。

 聞くのは正直怖い。

 だけど王女について分かっていた方が、今後の身の取り方もしやすくなるはずだ。


 私はごくりと唾を飲み込むと、小さく頷いた。


「私なら、大丈夫!」

「そうか。それならば話すよ」


(絶対に、王女殿下になんて負けないっ!)

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