【03-09】おねえちゃん、23回くらい死んだよー
【実技試験対策その2】
その日は見回りの途中に府立大学からの通報があった。部外者なのに校内に出入りし、サークル活動の裏で困窮する若者を闇の血液ビジネスに勧誘する輩を発見して締め上げてきたのだ。チンピラ四人は最初こそ抵抗したものの、スオウさんの鉄拳制裁ですぐに大人しくなった。拘束し、アサヒさんに連絡を入れる。起動三課のバンはすぐにやって来て男たちを押し込むと、留置所へと去っていった。
「少し早いが、今日はもうトレーニングへ行くか」
現場に着いて、エンジさんが煙草一本吸い終わる程度の時間しかかかっていなかった。
「なあー、禁煙してくれよ。血が不味くなるだろ」
「うるさい。文句あるなら他人のもらえ」
「ふざけるなよ。お前の以外ダメなんだって」
「じゃあ、ありがたく味わうんだな」
エンジさんが副流煙を吹き付けて、スオウさんが咳き込んだ。ラッキーストライクがもみ消される。
何気ない二人の会話。しかしアサヒさんからの情報で変なフィルターがかかり、もうイチャイチャしてるようにしか見えなかった。顔の良い男と顔の良い男の絡み、悪くないのかもしれない。紀元前の石碑やパピルスにも美形男性同士の
「おねえちゃん、無意識に涎垂らすのやめなよ」
「――はっ」
わたしたちは訓練センターへ着く。いつもの体育館には椅子、机、仮設の壁や階段にプラットフォームなどが組み込まれていた。ただ平面を走るだけでなく、パルクールのように立体的な障害物を想定してのセットだ。最近はひたすら走る以外に跳ぶ、登る、低姿勢移動など、あらゆる動作を駆使するようになった。いつものように軽く周回してウォーミングアップを済ませる。
「そうそう、エンジさん。わたし、筆記試験なんとかなりそうですよ。アサヒさんに褒められました」
「ふーん。まあクリアできなきゃ困るのはお前だしな」
できて当然みたいな、冷たい反応だった。なんとしてもギャフンと言わせたい。
「マジかよ! めっちゃ難しいんだろ? お前天才じゃーん」
「おねえちゃん天才! イグノーベル賞!」
ヴァンプロイドたちは素直で天使だった。今のわたしが欲してるのは正論よりも共感だ。自己肯定感高まる~。そして人間、特にエンジさんは愚かである。おい、褒めろよ。
「あんまり調子に乗るなよ。根拠のない自信で準備を怠ればあっという間に落第だ。それで、今日は新しいことを教えようと思う」
おお、ついにゲロ地獄から解放か。スオウさんが扱うカンフーとやらを早く身に着けてエンジさんをボコボコにしたかった。
「立ち方を習得してもらう」
「はあ?」
何を言ってるのだ。ハイハイはとっくに卒業してもう十何年も二足歩行をこなす上級者だぞ。
「自分はできてるって顔だな。正確には『立ち続ける』だ。今から指一本でお前を押すから、倒れるなよ」
強烈なパンチならともかく、スイッチを入れるみたいなプッシュで倒されるとは思えなかった。一応、腹の下に力を込めて身構える。
「お、そういうほうがありがたいな」
「え?」
エンジさんはわたしの右肩を軽くつついた。そんなに大きな力ではなかったのに、わたしはバランスを崩して仰向けに寝転んでしまった。
「ええ? もう一回!」
今度は左肩を。またわたしは転倒してしまう。
「嘘でしょ?」
「簡単な物理法則だ。部位の並びを移動させて、重力に抗えないようにする。じゃあ今度はお前が俺にやってみろ」
エンジさんは構えもせずに棒立ちしていた。背骨も曲がり腕もダラリと垂れ下がっている。いくらなんでも隙がありすぎだろう。
わたしは日頃の恨みとばかりに攻撃する。まずはわたしにしたみたいに肩を押す。しかしエンジさんは上半身を捻り、手応えなく流されて、むしろ勢い余ったわたしのほうが前に倒れこんだ。もう一度やっても同じ。お腹に思いっきりタックルするも、二歩だけ下がって『立ち続けている』。片足を払うがフラミンゴのように綺麗に姿勢を崩さない。腕を引っ張るも、ただ立ち位置が変わるだけ。気づけば有利なはずのわたしのほうが疲れてきた。
「これが『立ち続ける』だ。感想は?」
「……暖簾に腕押し、糠に釘、豆腐に鎹、沼に杭」
まるで絶対に割れない水風船を割ろうとするくらい手応えがなかった。
「良い例えだ。だがこれは筆記試験対策じゃない。まず、お前は呼吸を忘れていた。緊張した身体は動かなくなるだけじゃなく、攻撃をモロに受けて身体に響く。脱力して力を流すんだ」
鼻から吸って、口から吐く。思い出してわたしは真似をする。酸素を取り込んで疲労を回復させる。
「足を肩幅に開け。肩の真下に足裏を置くのが一番安定する。それが基本姿勢だ。だが二本足で踏ん張ってるばかりじゃ簡単にバランスが崩される。それぞれに軸足と遊脚を分担させ、そして『立ち続けろ』」
もう一度エンジさんはわたしの右肩を押す。わたしは後に傾くも、遊ばせておいた片足がすぐに出て支えなおした。
「まだ脱力しきれてないが、そういうことだ。走れなくなったとき、そして倒れこんだときに死ぬ確立は上がる。これは防御力を上げるわけじゃないが、生存の可能性が少しでも上がる方法だ。で、それを踏まえた上でナデシコとゲームをしてもらう」
「ゲーム!」
エンジさんはわたしとナデシコにシール台紙を渡してきた。丸いシールがいくつも貼ってある。
「まあ、鬼ごっこだな。ただし両方とも鬼だ。タッチしたかどうかをはっきり判別するため代わりに相手にシールをつけろ。このフィールドはどう使っても自由。ただし暴力行為はナシ、仲良く喧嘩してくれ。はい、スタート」
始まりの合図が急すぎる!
まだ考えがまとまらないままナデシコが一気に距離を詰めてきた。
わたしは反射的に逃げ出す。
この形勢が変わらぬまま時間だけが過ぎる。
やばい、体力はナデシコのほうがあるので、このままわたしは疲れてゲロしたところを仕留められるだろう。
ナデシコもそれが狙いか、本気で迫ってこない。
「走りながら聞けよー! いいか? 前に、死なないためにまず戦わないことだと教えたな。しかし戦わざるを得なくなったときにはどうするか。常に相手より有利な状況でいることだ。具体的には相手の攻撃が届かず、自分の攻撃が届くこと。相手が素手なら、こっちは棒でも刃物でも持ってリーチを稼げ。相手がそれを持つなら、こっちは銃だ。しかし今は素手同士、だったらどうする? 相手の側面や背後を位置取れ!」
確かにそうだ。
だからこそわたしは今、圧倒的に不利な状況。
どうやって切り替える?
所詮練習だ、死ぬわけじゃない。
なんでもやってみよう。
「ナデシコ! 待って、疲れた、もう無理」
「もんどうむよう!」
わたしは疲れたフリをして立ち止まると、ナデシコはシールを摘んだ右手を突き出してきた。
よし、動きが読めやすい。
うまく誘いに乗ってくれた。
わたしはシールが身体に触れるギリギリまで粘って、一気に左足と左肩を引く。
「うわ」
さっきのわたしのようにナデシコは前につんのめりバランスを崩していた。
チャンスである。
背中にシールを貼ろうと手を伸ばす。
だが、ナデシコはやじろうべえのようにそこから立ち直していた。
華奢な見た目なのに意外なほどの筋力と関節の柔らかさ、バランス感覚が常人離れしている。
結局両者とも互いの腕にシールが貼りついた。相打ちだ。
「どちらかの手元のシールがなくなるまで続けるぞー」
ぱっと見て残り23枚。長期戦はしんどい!
ナデシコは好戦的だ。
距離を取ると言う発想はなく、さらに追撃してくるので、わたしは回避しながら逃げるしかない。
どうするどうする。
わたしは離れた場所にある高台へ向かって一気に駆け出した。
階段を数段飛ばしで昇りきる。
わたしの身長よりも遥かに高くまで上がったが、構わずそこから飛び降りて、高台の影に身を潜めた。
やはりナデシコは考えなしにわたしを追いかけてきて、着地する手前を背後から狙った。
いくら超人の身体能力を持つナデシコだって、足裏が地面に触れなければ動けない。
次の動作に移るまでタイムラグが生じるはず。
わたしのシールは届くはずだった。
――しかし、ナデシコは視界から消えた。
嘘だ、あの状態から動けるはずがない。
どこへ?
いや、ナデシコはその場にいた。
うつ伏せになるまで上体を下げきっていたので、こちらも顔を下げなければ気づかなかったのだ。
しかし着地に失敗するとは彼女も完璧ではないということなのだな。
倒れている隙にシールをたくさん貼らせてもらおう。
……いや、おかしいぞ。これは罠だ!
気づいて退こうと思ったときにはもう遅く、伏せた状態から突き出されたナデシコの脚はわたしの右足首をカニバサミのように捉えていた。
そのままグルリと捻られる。
やばい、ここで耐えたら折られる!
逆らえず、そのまま倒れるしかなかった。
受身を取るが、1メートル以上の高さから頭部が地面に叩きつけられるのだ。
衝撃でしばらく動けなくなる。
その隙に、ナデシコはわたしの致死確立の高い箇所からシールをベタベタと貼り続けた。
ゲーム終了だ。
「おねえちゃん、23回くらい死んだよー」
「……暴力はナシだって言ったじゃん」
「うん、だから蹴り上げなかったよん」
彼女なりの優しさらしい。あれが捻技足絡みという上級者の技だということは後で知った。ナデシコに記憶はないが、本能的に身体が憶えていることは繰り出せるみたいだ。恐ろしい子。それにしても、エンジさんの教えとはまるで違う戦闘スタイルだ。南区圏外領域でもそうだったが、クルクルと回転する派手な動きが多い。一見隙だらけというのに、それで実戦を生き延びているからすごいものだ。
「終わったな。志賀は考えていると行動が鈍くなる。そして策を過信して、想定外に対処できていない。ナデシコは逆に身体能力を過信して、考えナシに突っ走りすぎだ。付け入る隙が多く、マジに訓練された集団に囲まれたら勝ち目はないぞ。二人ともパターンを増やして、脊髄反射で動けるくらい経験を積む必要がある」
うーん、中々やることが多そうだ。しかし実戦の感覚はなんとなくわかった。走り続けるよりはこっちのほうが良い。
「よし、再開するぞ。志賀はまだまだ走りこもうな」
爽やかな笑顔と過酷な状況が、全くそぐわなかった。
――ゲロ地獄は終わらない。うえっ。
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