【03-06】走れ
【実技試験対策その1】
「地下の売血状況に対しても特に目新しいことはなかったな。まあ、ここらへん仕切っていた秋月組がいなくなってからはシマの取り合いで、小競り合いが頻繁に増えたくらいか」
「東から帰帆組の連中がけっこう荒いことしに来てるみたいだぜー。ちょっとやりすぎだよなあ」
「……堕天派悪魔崇拝結社グリゴリ、あいつらが暴れ回るようになってから、どうも悪党たちなりの統制も搔き乱されてるな。組織同士の抗争も、
「極道の世界に破滅的なカルト宗教思想が押し掛けてきたんだろ。ホラ、例の各省庁や情報機関から優秀な公安業務担当人物を引き抜いて編成した内閣府直属の【公安合同特捜部】。アレが追ってるって噂の【誘導犯】、
「……【パンドラ案件】か。今更ぶっ壊したところで、王様にでもなるつもりか?」
エンジさんとスオウさんは込み入った仕事の話を続けるが、わたしにはその内容がまだほとんどわからない。地下区画をざっくり偵察した後、わたしオススメのラーメン屋で夕食を済ませた。ヴァンプロイドも味覚はあるので食事自体は楽しめるらしい。なんならスオウさんはニンニク入りを注文していた。日光も苦手じゃないし、吸血鬼感はゼロである。
「あのー、本日はまだ調査を続けますか?」
「今日は終いだ。これから志賀のためにサービス残業だよ。このラーメンは授業料だな。ごちそうさま」
「久々に旨いもん食ったぜー。ごちそうさま!」
「おねえちゃん、ごちそうさまー!」
レジにてカードを差し出し、静脈認証でロックを解除する。全員分の会計を済ませて車に乗り込んだ。儲けた金はなかなか残らない。いや、普通は先輩が奢るものじゃないの?
【address:WB:58N:21W:058P:L0】
向かった先は淡海府の警保局など現場で機動的業務に従事する職員専用の総合訓練センターだった。広い敷地には体術や射撃、車両運転に集団模擬演習など技能研修用施設が並ぶ。新人だけでなくベテランになってもチーム力を高めるため訓練合宿にも利用されるらしい。
今日使う第三体育館はバスケットボールコート2面分の広さがあった。エンジさんによる指導が始まる。
「いいか、実技試験は模擬戦闘の可能性が高い。前回もそうだったし、とにかく任務遂行能力があるかどうかがわかる。犯罪組織役をする起動一課のチームを時間内に制圧するのが合格条件だ。とりあえずナデシコはほっといても問題ないだろう。しかし志賀は戦闘未経験者だ。これから現場では嫌と言うほど実戦もあるし、一ヶ月でとりあえず死なないように鍛えなければならない。血税局独自の逮捕術である【無血制圧術】を叩き込む。超突貫工事だ」
「あのー、まず何をすれば……?」
「走れ」
「え?」
「とにかく走れ。まず死なないためには戦わないことだ。そういう状況をとにかく避けろ。で、どうしてものときだけ戦うんだ。俺たちも毎回できるだけ被害が出ないように頭を使って作戦を立てる」
「そうだぜー。暴力なんて良くないぜー」
チャラチャラしたスオウさんが言うと説得力ないなあ。
「そもそもヴァンプロイドは、これまでの捜査官の代わりに危険性のある現場に赴くために造られた。しかし担当する起動官は常にヴァンプロイドと行動を共にして、指示を出したり供血をする。やはり危険であることに変わりないし、身代わりにヴァンプロイドが倒れたとしても自身は死ぬ気で任務を達成せねばならない。強い意志と、体力がなくちゃ務まらない仕事だ。つまり、ヴァンプロイドほど強くなってもらう」
暴れまわるナデシコの姿を思い出す。前回はわけもわからず守られていただけだ。あんな状況で冷静に命令を出せということは、自分の精神状態に余裕がなくてはならない。そのためには訓練して、現場に慣れて、試験に合格しろと。
「とりあえずこの体育館の内周をひたすら走ってもらう。最初は足を慣らすジョギング程度でいい。ある程度したら俺が手を叩くから全力ダッシュだ。また手を叩くからジョギングに戻れ。それを繰り返す」
「どれくらい続けるんですか?」
「お前、敵から逃げるときもそんな質問するのか? 走れなくなったときは死ぬときだと思え」
農民に戦を説く侍みたいなこと言いやがって!
「ナデシコも一緒に走ってやれ。一人よりかは心強い」
「えー?」
「じゃあ勝負だと思え。ゲームだよゲーム。ほれ、スタートだ。走れ走れ、GO! GO! GO!」
わたしたちは駆け出した。1周、2周、3周、まだまだ余裕だ。ナデシコはペースを落とさないがわたしは段々と疲れてきて息が苦しくなっていく。エンジさんが手を叩く!
「ダッシュだ! ダーッシュ!」
ナデシコ速過ぎるだろ! 彼女の背中が一気に遠ざかる。わたしも必死に足を動かすが長く続かない。早くもう一度手を叩いてくれ。そう願う間にナデシコに抜かされた。……抜かされた? 周回遅れにされたのだ。わかっていても精神的にはショックだ。手が叩かれる。
「ジョギングに戻れー。ゆっくりでいいぞー」
ペースを落とすが呼吸が全然整わない。苦しい。さっき食べたラーメンが逆流しそうだ。こんなに走らされると知っていたら大盛りなんて食べなかったのに。手が叩かれる。クソ!
「志賀! 走れ走れ! 敵に追いつかれて死ぬぞ!」
手が叩かれる。走る。手が叩かれる。走る。手が叩かれる。ナデシコにまた抜かされる。走る走る。手が叩かれる。あれ、今ダッシュだっけ? ジョギング? 手が叩かれる。走る。なんかナデシコが後ろ向きで走ってる。余裕過ぎない? 手が叩かれる。それよりも自分の喘ぐ声がうるさい。走る。もう体育館を何周したのだろう。頭がぐるぐると回る。手が叩かれる。もう、走れないって。あ、やばい――。手足の感覚が薄れて、胃がギュッと収縮されるのがよくわかった。わかったときにはもう遅い。
【ゲロゲロゲロゲロ】
「うわ、おねえちゃん吐いた!」
「一旦中断だ! ほら、水飲め」
わたしはその場に倒れこんで吐瀉した。パワハラだよちくしょう。エンジさんが差し出したペットボトルに縋る。水分、酸素、何もかもがわたしの身体に足りない。スオウさんが慣れた手つきで掃除用具を使い、わたしの夕食だったものを処理していた。なんか、ごめんなさい。ナデシコは平常時と何も変わらず、息も乱れぬままゲロを観察していた。嘘でしょー?
「呼吸法について教えてなかったな。鼻から吸って、口から吐く。焦らずにゆっくりとだ。いかなる状況でもこれを忘れずに、脳と筋肉に酸素を送れ。緊張すると身体が動かなくなり、死に直結する。痛みや苦しみを分散させて、適度なリラックス状態を維持しろ」
涙と鼻水と涎でぐちゃぐちゃな顔だったが、言われたとおりに息をした。ようやく落ち着きを取り戻した。もう今日はこれで勘弁してくれるだろう。
「よし、大丈夫そうだな。再開するぞ」
【罵詈雑言】【阿鼻叫喚】【自主規制】
本当に死ぬまで走らされた。走っては吐いて、走っては吐いて。もう後半の記憶はない。帰りの車内でも爆睡して、部屋までもナデシコにおんぶしてもらった。手足がもう動かなかったのだ。
それから終業後は毎回走らされた。ナデシコには到底追いつけなかったが、日ごとに体力がついていく実感がありゲロする回数も減った。
――しかしエンジさんへの憎悪は日々積もるばかりであった。鬼先輩め! いつかゲロぶっかけてやるんだ。
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