第23話 事情聴取(2)ー 証拠映像
「これは……ご自宅の、どのあたり?」
「12畳のリビングです。リビング全体が隈なく見えるよう、天井の4隅に小型カメラを設置してあります」
それは──クラウドと汐見の書斎にあるデスクトップPCにのみ保存されているWeb監視カメラの録画映像だった。1ヶ月分を撮り溜めることができるが、その間バックアップを取らなければ順次、一番古いデータに新しい録画データが上書きされていく。
解像度もスマホでクラウドに保存されているものを再生しているせいで荒いが、汐見のPCには4K動画として保存されている。
つまり。
その時、何が起こったのか、かなり詳細に確認することができる。
「今見てるのは……」
「紗妃……妻が、通知書を受け取って封を切っているところですね」
「……ふむ……今彼女が手にしているのが、汐見さんが刺された凶器です?」
大きな腹を抱えた刑事がテレビを覗き込みながら呟く。
紗妃の手元に光る刃物──ハサミ──が、画面の一つに明確に映り込んでいた。
「……そうです……」
「!!」
佐藤は、もう見ていられなかった。この映像で、これから汐見が〝刺される……なん、て……〟と思うと────
「……声が……よく聞こえませんな」
「カメラ付属の集音機能が悪くて……マイクだけ別に録音してるデータもありますので、そちらも後で確認できます」
「……用意周到ですな。貴方、自分がそうなることを見越してたんですか?」
丸い腹を抱えた偉そうな刑事が質問した。
まるでこうなることを予測していたのか? と、同じ疑問を抱いた佐藤も汐見の顔を確認する。
「……そうではなく……自傷があるとマズいと思って……」
〝じ、しょう……って、あの?〟
「……自傷は? なかったんです?」
「……とりあえず、この病院に来てから動画をざっと一通り1ヶ月分確認しましたが、そちらは大丈夫でした」
〝……〈春風〉が……〟
会社の有名な美人受付嬢として有名だった〈春風〉。その名前は近隣ビルに入っている会社にも聞こえたのか、用もないのに近くのビルから春風紗妃の顔を拝みに来る男までいたと聞く。
〝女版、オレ、だよな……〟
佐藤も、勤務して1年経つと顔立ちとその目立つ風貌で相当な有名人だった。そんな彼女がどういう悩みを抱えて、錯乱し、汐見に危害を加えるに至ったのか。
〝不審なことが多すぎる。この夫婦の知らないことが多すぎる……俺は汐見の何を見ていたんだ……〟
半ばパニックになりかけた佐藤が汐見の顔を凝視したが、いつも以上に無表情で、そこからは何も読みとれなかった。
その間にも映像は流れている。
封書を確認している紗妃と、テーブルの向かい側で水を飲みながら声をかけている汐見。
がっくりと項垂れてテーブルに寄りかかる妻を気遣うように、椅子から立ち上がった汐見がその書類を取り上げているところだった。
「……ここで僕はその封書の内容を確認しました。通知書で……不倫の告知と……慰謝料の請求でした……」
「……それは……大変でしたな……」
「ええ……」
諦めにも似た表情を浮かべる汐見の顔には、悲壮感が漂っている。
すると映像では崩れた紗妃と、汐見が何か会話している。
そのあと、立ち上がった紗妃が天井を見ながら、ふらふらと身体全体が揺れている。
少しして、テーブルの上で何かを取ろうとしてそれを奪った紗妃の姿が映る。
「あ、ちょっと止めてください……これ、なんですか? 拡大できます?」
「はい」
汐見がケーブルで繋がれたスマホ画面をピンチアウトし、何かを奪い返した紗妃の手元を少し拡大する。
「スマホです。妻の……相手の男に連絡を取らないと、と思って」
「なるほど……冷静ですね……」
「……」
「続けてください」
また夫婦で会話している様子が映され、少ししたら紗妃が持っていたスマホを汐見に渡すところだった。汐見が紗妃のスマホを操作している間、紗妃はまだゆらゆらと体を揺らしてテーブルに近づき何かを手に取る。
そして、汐見が紗妃のスマホの操作をしながら紗妃を見て。
数瞬後。
紗妃が汐見に体当たりした。
「「「!!!」」」
「……このとき、刺されました……」
「ちょっ、ちょっと! 巻き戻して! 凶器を確認したい!」
でっぷり腹が少し声を大きくして指示した。
「はい」
汐見が、スマホの小さい画面をタップして、10秒巻き戻し操作をする。そして──
「ここで……奥さんはハサミを取ったんですね」
「……」
「……なぜ逃げなかったんですか?」
「?」
「ハサミを持った奥さん、貴方は何か違和感というか嫌な予感を感じなかったんですか?」
「嫌な……予感……」
思い出すのも嫌な感覚だった。
不倫相手の男に対する嫉妬と
それは自己の内から鬼の
自分という自我を保つため、自分の中から別の自分が這い出してきそうな、そういう不気味な、
〝あのときは……哀しくて、悲しくて……〟
その不気味さ以上に、紗妃が、憐れで、哀しくて苦しくて、泣きそうだった。
それだけだ────
〝逃げる、とか……考えられなかった……〟
汐見が刺された凶器が表示されたところで一時停止して拡大され、その後を多少コマ送りで進めて、汐見自身が刺されるところで画面が一時停止、されている───
大男が自身のスマホを取り出してその画面に向けてシャッターを切った。
佐藤はその映像を直視していられず、目を伏せたままだ。
〝あんな……〟
ハサミだって刺されれば痛い。当然だ。今だって痛いはずだ。なのにそれをまるで他人事のように状況を淡々と説明してみせる汐見が信じられなかった。
自分が刺された被害者なら、そんな冷静に供述できないだろうと佐藤は思う。
「このあと、どうやって救急車を?」
「映像を見てもらえればわかるんですが……」
そう言いながら、汐見はスマホを操作して少し進めた後また一時停止し、自分の手元が映ってる画面を選択して拡大表示した。
「このとき、僕は妻に隠れて自分のスマホで救急車に電話をかけてました。そのまま、洗面所に向かってそこで……」
「ちょっとその手元部分、もう少し拡大したまま再生してください……」
そういうと再び映像が再生され、大男が今度はスマホを撮影から録画に切り替えて撮影を開始する。
拡大再生された画面に映し出された汐見の脇腹部分の白いシャツには、じんわりと赤いシミが滲んできていた。
〝見ていられない……〟
佐藤は目を逸らしたかったが、実際に現場を見ていない佐藤が汐見を擁護する発言ができるはずもなく、この映像を確認して警察とも情報を共有した方が良いとは思うが
〝汐見が刺された場面なんて……〟
そう思いながら、ようやく直視できるようにはなった。
だが痛々しい汐見のその姿を見ていると頭がズキズキと痛くなる。
「刺されたあと、妻は『彼』に電話すると言ってスマホのLIME通話をかけたんです」
そう言って、今度は紗妃の方をズームアウトするとスマホを耳に当てているのが確認できた。
「まぁ、その不倫男のLIMEのアカウントは消えてるのを確認しましたし、電話は繋がらなかったんですが……」
「? でも、電話、してますよね?」
「ええ……」
「どういうことです?」
「……妻は……LIMEに【夫】と書かれたアカウントに掛けてたんです」
「? ではあなたに?」
「はい……」
「??」
〝どういうことだ?〟
佐藤だけでなく他の二人も思った。
汐見は無表情のまま動画を一時停止すると、向き直った三人が理解できるようにゆっくりと解説した。
「……電話は繋がらない、男のLIMEのアカウントも消えている状態で妻が掛けていたのは……【紗妃の夢想した世界にいる『夫』】です……」
「!!」
佐藤は一瞬で、走馬灯のように思い出した。
〈春風〉がイソスタグラムに投稿していた【#夫と】【#大好きな夫と】の2つのハッシュタグを。
「……奥さんのLIMEにある貴方のアカウント名は……」
「【夫】としか……僕は自分の写真をLIMEのアイコンに使っていないので……」
「「「……」」」
聞いている3人は最早、沈黙以外に汐見に返す言葉が見当たらなかった。
〈春風〉の症状は思っている以上に深刻かつ複雑で、困難な状況なのではないかと佐藤は感じた。だが、それを今の汐見に伝えてもいいものかどうか躊躇う。
「奥さん、1人で何か喋ってますね。これ、聞こえないですか?」
「ああ、他のデータが……」
そう言って汐見がスマホを操作しようとすると、それを制してでっぷり腹刑事が先を促す。
「いや、とりあえず、動画の方を最後まで観てみましょう。録音された音声は別のデータでしたな?」
「はい……そちらはまだ僕も確認はしてないんですが……」
「いいです。なら、そちらは後で一緒に確認しましょう」
とりあえず、そのままリビングの状況を動画で確認することにした。
刺されてしばらくすると汐見が体をゆっくりと折り曲げていく。その際に、汐見が持っていた書類が落ちて散らばった。その後に、腹を押さえて体を折り曲げながら汐見がゆっくりとリビングから出て行くのが見えた。
その間も、紗妃は天井を見上げたり、俯いたり、キョロキョロと目を彷徨わせ、口をぱくぱくさせながら周りを見渡しつつ歩き回っていた。
そのうちにぐるぐると歩き回る速度が速くなり、そして──
足元にある紙を踏んで転倒し───
ガッ!
食卓テーブルの角に頭をぶつけた。
バタン!!!
声を拾えないマイクにすら聞こえるほどの大きな音を立てて──
「「「!!」」」
「……」
紗妃は、倒れた。
踏んでしまった書類はA4サイズの通知書か何かだったはずだが、間にカラー写真が挟まっていて滑りやすくなっていた。その書類を踏んだ瞬間にバランスを崩して転倒し、その拍子に頭をテーブルにぶつけて。
画面で見ていてもわかるほど──テーブルの角にぶつけた拍子で頭が跳ねたのがわかるほど──の衝撃だった。
紗妃の頭部外傷は完全に不運な事故だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます