第32話 零の剣舞士、またの名を(エヴァン視点)
(エヴァン視点)
街中。
空から災厄──魔神が現れ、人々は戦禍に巻き込まれていた。
しかし。
「やっぱり、レオ様の言う通りになったんだ……!」
数日前、レオ様とのやり取りを思い出し、僕は彼のすごさを再認識するのであった。
『おそらく、魔界の扉の開放は止められない。魔神が街中に溢れかえることになるだろう』
彼は僕とジルヴィアさん、そしてアデライド王女を集めて、そう告げた。
どうしてイリーナを呼んでいないのか違和感はあったが……レオ様のすることだ。なにか考えがあるんだろう。
『レ、レオ君でも無理なんですか!?』
ジルヴィアさんはあの時、レオ様にそう詰め寄った。
『ああ』
『そ、そんな……だったら、戦いは避けられない……』
『魔神が現れたとしても、自分──すなわちレオ君がいるから大丈夫だとお考えなのでしょうか?』
アデライド王女が質問すると、レオ様は首を横に振って。
『いや……敵もそこまでバカじゃない。俺はどこかで足止めさせられるはずだ』
『だ、だったら……』
『ああ、魔神どもは他の人たちで対処してもらうしかない。だが──上位の魔神を呼ばせるつもりはない。俺は相手の準備が完了する前に魔界の扉を開けさせる。そうすれば下位の魔神しか、こっちの世界に来ないだろう』
『下位の魔神とはいえ、レオ様でなければ誰も歯が立ちません。本当に大丈夫なんでしょうか……?』
レオ様の考えは全面的に賛成だ。
しかし彼の考えは、僕から見ても無謀なように思えた。
『……俺を失望させるな、エヴァン』
レオ様は瞳に怒気を
そうされるだけで、僕は蛇に睨まれた蛙のように動けなくなってしまった。
『お前はそれでいいのか?』
『……!』
そう問われて、僕は雷が落ちたような衝撃を受けた。
『お前は幼い頃、魔物に両親を殺された。それからもう、自分の目の前では誰も死なせないと誓った。それなのに、いつまで俺に頼るつもりだ?』
『確かに……その通りです』
レオ様に言われて、僕は自分の浅ましい考えを悔やんだ。
誓ったじゃないか。
レオ様に並び立てるような男になる。
いつまでも彼に頼りっぱなしじゃ、いけないって。
それなのに僕はまた、臆してしまったのか?
レオ様の瞳を真っ直ぐ見つめ返すと、彼は穏やかに笑った。
『そうだ、その表情だ。なに、心配するな。人間は──弱くない。下位の魔神なら、お前らだけでも十分対処出来る』
『レオ様の──そして、僕は僕自身の力を信じます。でも僕の過去について、レオ様に喋っていましたっけ……?』
ふと疑問に思って訊ねると、レオ様は見るからに狼狽し出した。
『……! お、俺を誰だと思っている? 俺はなんでも知っている。お前の過去についても同様だ』
『そうでしたね。愚問でした。すみません』
そう謝ると、レオ様はわざとらしくコホンと一つ咳払いをしてから。
『話を戻すぞ──しかし俺とて、さすがにここにいるメンバーだけで下位の魔神を複数抑え込めるものとは思っていない。そこで、街にいる冒険者と騎士団の力も借りたいと思っている』
『Sランク冒険者は、かなり強いって聞きますもんね。レオ君の考えは当然だと思います』
『騎士団も負けていませんわ』
ジルヴィアさんとアデライド王女も、レオ様の言葉に首を縦に振る。
『しかし俺のような一介の貴族が協力を持ちかけても、すぐに冒険者や騎士団を動かすことは出来ないだろう。そこで……騎士団の方はアデライドに任せたいと思う』
『わたくしですか?』
自分を指差して、アデライドは目を丸くする。
『そうだ。王城の件に引き続いて、アデライドには負担をかけると思うが……頼めるか?』
『お任せください。事情を話せば、きっとお父様……国王陛下だって分かってくれるはずですからっ!』
ぎゅっと拳を握るアデライド。
『冒険者の方はどうされるんですか?』
『そっちはアテがある。
『Sランク冒険者なのに今はメイドって……どんな経歴なんですか』
レオ様の交友関係の広さに、僕は舌を巻いた。
『まとめるぞ。俺とジルヴィアは魔界の扉の前まで行き、今回の黒幕を誘き出す。その間、お前らは街中で魔神の処理だ。どうだ? やれるか?』
『お任せください。僕がみんなを守ります。それはここにいないイリーナだって、同じ考えでしょう』
『…………』
僕の言葉に、何故だかレオ様は顔を伏せて、答えを返してくれなかった。
そして現在。
「くっ……!」
僕は街中で、魔神と戦いを繰り広げていた。
『どうしたどうした! そんなに弱いのに、いきがってたのか?』
僕を見下し、魔神が愉快そうに笑う。
こうしている間にも、騎士団や冒険者の方々が必死に魔神と戦っている。
市民の避難も同時にやっている。本当は戦いが始まる前に避難を完了させたかったが、その動きが黒幕に気付かれる可能性がある。だから今になってから──とレオ様は言っていた。
しかし事前に分かっていたことなので、市民の避難もスムーズに進み、今のところ誰かが死んだという情報は耳に入っていない。
「僕は……絶対に負けられない。僕の後ろには守るべき人たちがたくさんいる!」
『あっ、そ。だったら死ね』
興味がなさそうに魔神は魔法を炸裂させる。
巨大な
僕はそれを相殺すべく、力を解放し──。
「レオ様のご友人を死なせるわけにいきません」
瞬きするだけの時間だった。
突如僕の前に女性が現れ、魔神が放った炎球を一閃したのだ。
それだけなのに炎球は凍り、巨大な氷塊が出来上がる。
彼女がもう一度剣を振うと、氷塊にヒビが入り割れてしまった。
「あ、あなたは……」
「私は
彼女は淡々とそう口にした。
零の剣舞士なら聞いたことがある。
最年少でSランクまで昇格した後、風のようにギルドから姿を消してしまった最強の冒険者。
彼女を最強たらしめている理由。
それは優れた剣技ではあるが……もう一つ、彼女の持つ武器『氷刀』にある。
氷刀に触れたものは全て凍る。
しかし半面、力の使い方を間違えてしまえば、味方ごと凍らせてしまう扱いの難しさもある。
零の剣舞士は誰もが扱えなかった魔剣を操り、戦場で負け知らずだったとか。
そんな伝説の冒険者を前にして、僕は感動で震えていた。
『まーた、弱い人間が現れたのか。弱いのが一人や二人増えたところで、大して変わんねえぞ?』
面倒くさそうに魔神は頭を掻く。
「それはこっちの台詞です。
『はっはっは! 貴様のような細い女が、魔神に勝てるわけないだろう。ハッタリはもうちょっと考えてから言うんだな』
「なら試してみましょうか」
エルゼさんと魔神──両者の殺気が高まる。
僕も戦おうと足を動かそうとするが、彼女はそれをさっと手で制し。
「ここは私にお任せください。私の動きをよく見て学び、それで他の魔神と戦ってください──とレオ様から言伝を頼まれています」
「レオ様……もしや、あなたがレオ様の言っていた──」
と言葉を続けようとしたが、それより早く、エルゼさんは魔神に立ち向かっていった。
あれほど絶望的な相手だと思っていたが、エルゼさんの疾風が如き速さに魔神は完全に翻弄されていた。
『な、なんでだ……!? どうしてたかが人間がこんなに強い!?』
「強い? あなたが弱いだけでしょう」
戦いはすぐに終わった。
隙が生じた魔神を見て、エルゼさんは氷刀にそっと息を吹きかける。すると氷の粒が彼女の周りで浮遊した。
「
エルゼさんが小さくそう呟くと、既に魔神の体は両弾されていた。
断末魔さえ上げる猶予もないほどの、一瞬の出来事だった。
「魔神というから、もう少し強いかと思ったら……こんなもんですか。レオ様と模擬戦をやっていた時の方が、大層肝を冷やしたものです」
つまらなそうに、エルゼさんは言う。
その瞳には絶対零度が宿っている。
白き肌は雪原よりも温度を持たない。
周囲を浮く微細な氷の粒は、まるで彼女に従える精霊のようだ。
そういえば──。
零の剣舞士。
またの名をこう呼ぶ。
何人たりとも近寄れぬ、圧倒的な美貌。
生半可な気持ちで彼女に近付けば、火傷どころでは済まないだろう。
僕はエルゼさんを見て、知らず知らずのうちに息を呑んでいた。
「さて……あなたは先ほどの私の戦いで、なにか学びましたか?」
エルゼさんがこっちに顔を向け、冷たい声で問いを放つ。
「正直、高度すぎて今の僕では全てを理解するのは不可能でした。ただ……」
「ただ?」
「……少々失礼なことを言いますが、いいですか?」
「構いません。続けなさい」
僕は臆病な心を封じ込め、こう口を動かす。
「あなたの剣筋にレオ様の面影を見ました。レオ様の強さは底が見えないですが、あなたの強さは底が見える。だから僕でも、追いつけるんじゃないかって思えるんです」
「ほほお」
怒りをぶつけられると思ったが、エルゼさんは感心したように表情を緩ませる。
「よく分かっているじゃないですか。その通りです。私では、レオ様の足元にすら及ばない。レオ様から学ぶのは難しいですが──私からなら容易と思えるでしょう?」
「はい」
「ふふ、正直でよろしい。だったら」
とエルゼさんが僕に手を差し出す。
「行きましょう。まだ街中には魔神がいます。共に戦い、私から学びなさい。そんなことを言えるあなたなら、すぐに私くらい追い抜くでしょう」
「は、はいっ!」
慌てて返事をして、彼女の手を取る。
先ほどまでの焦りが、完全に消失していた。
しかし気掛かりなのは……。
「イリーナはどこにいるんだろう……」
戦いが始まってから姿が見えない彼女のことだ。
僕の呟き声は小さく、エルゼさんの耳にも届かなかったようだった。
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