第107話 政府との取引

 そんな一件からしばらく、俺はジエンと2人で河原へと向かった。見えない壁の検証を兼ねて、政府からの依頼を済ませるつもりだ。


 当初は全員で回る予定だったが、小春たちはエドやナギに捕まってしまう。今頃はニホ族のみんなと模擬戦まがいの鍛錬をしているだろう。


「話には聞いたけど、間近で見ると異様だな」


 川沿いを下ること数分、民家と川の境目に到着。止めどなく流れる水が、ある場所を境にプッツリと途絶えている。川に入って境界を超えると、何の抵抗もなく素通りできた。


「だがおれたちの場合は……。っと、このとおりだ」


 俺に続いてジエンが進むと、見えない壁に阻まれてしまう。押しても叩いても無反応。打撃音は一切発生しなかった。本人の談によると、殴った反動をほとんど感じないそうだ。


 人が通れないことを確認したあと、今度は桶に汲んだ水を、桶ごと放り投げてみる。と、こちらは普通に素通りした。木の桶も川の水も、抵抗なく境界を超えて見せる。


「作物や武器なんかも同じだぞ。出られないのはおれたちだけだ」

「なるほど。理屈はさっぱりわからんけど、もの凄く便利だな」


 ここにポンプを置いたら、あっという間に無限水源が出来上がる。川の水は汲み放題だし、川魚も獲り放題だ。


 田舎に移り住むのもいいけれど、彼らと共に暮らすのも悪くない。おあつらえ向きに、このあたり一帯は空き家だらけだ。政府の許可さえ取り付ければ、買い取ることだって可能だろう。


 ジエンにそんな話をすると――。


「それなら大猿の肉を渡してくれ。そのほうが上手くいくだろう?」

「まあ、政府は喜ぶだろうな」


 今のジエンたちならば、肉を渡したところで支障はない。なにせ鍛え抜かれたレベル7の大集団だ。現代兵器でも使わない限り、制圧することなど不可能に近い。


 そもそもの話、ここから一歩も出られないんだ。警戒はするだろうけど、相手も無下にはしないはず。


「アキフミ、お前たちが一緒だと心強い。できるなら近くにいてほしい」

「わかった。あとで小春たちにも聞いてみるよ」


 日本に帰って来れたのは、彼らの協力あってこそ。恩がどうこうを抜きにしても、一緒に居たいと思っている。それに監視対象が纏まっていれば、政府も管理しやすいはずだ。案外、すんなりと通りそうな気がする。


(まあ家族のこともあるし、みんながどうするかはわからないが……)


 俺はそんなことを思案しつつ、ジエンと森の調査を続けていった。



◇◇◇


 探索を続けること数十分。


 森は想像以上に広く、集落を中心として、半径200メートルの範囲に及んでいた。ときおり動物を見かけたり、縄文時代の果物を確認したりと、目ぼしい発見もないまま森を一周する。


 やはり隔離されているのはニホ族だけのようだ。俺はどの場所でも出入りできたし、途中で見かけたカラスは、森と民家の間を行き来している。

 上空を流れる雲。降り注ぐ太陽の光。そして周囲を漂う空気。そのどれを取っても、外界との隔たりを感じなかった。


 今は畑を見終わり、川に架かった橋を渡っているところ。手に入れた能力を聞きながら、のらりくらりと歩いている。


「じゃあ、ほかのみんなも覚醒できるのか」

「小さな子ども以外は全員な。お前みたいに探知もできるぞ」


 ジエンたちが得た能力は7つ。『鹿、アルマジロ、猪、馬、狼、大猿、巨大熊』と、バランスよく取得していた。みやげの亀モドキは無駄となったが、既に十分なチカラを持っている。今のジエンたちならば、巨大熊すら倒せてしまうだろう。


「あっ、そういえばさ。エドとナギはどうなんだ? たしかあの2人って、ハイエナが好物だったよな」

「ああ、毎日食べ続けているぞ。お前を見習ってな」


 覚醒時間は6分程度まで延びているらしい。当時の俺を参考にして、いろいろな肉を食べているそうだ。当然ながら、能力枠が増えることも知っている。亀肉のことを伝えると、ジエンは自分のことのように喜んだ。


「実はな。エドに族長の座を譲るつもりなんだ」

「おっ、そうなのか。てっきりナギさんがなるもんだと」

「なんだかんだあってな。2人は晴れて夫婦となった」

「マジかよ。全然気づかなかったわ」


 ジエンの談によると、日頃の鍛錬がキッカケだったらしい。毎日一緒に肉を食べ、覚醒の検証を続ける日々。共に過ごしているうちに、お互い惹かれ合っていったんだと。


 部族を守るチカラに加え、エドの人懐っこい性格が決め手となったそうだ。ナギも強い子孫が残せると、まんざらでもないとのこと。

 みんなからの祝福を受け、円満な夫婦生活を送っているらしい。まだ先の話になるが、エドがこの集落を率いることになる。


「さて、この後はどうする? エサキと会うなら肉を用意するが……」

「そうだな。先にそっちを済ませようか」


 まだ昼にもなっていないが、まずは政府との取引を果たすことになった。いったん集落に戻ったあと、小春と2人で江崎のいる場所へと向かう。



 民家群を抜けた先。駐車スペースに到着すると、車が3台ほど増えていた。

 すぐ隣にある天幕には、スーツ姿の男が5人。俺たちの存在に気づくと、値踏みするような目でこちらを見やる。


 パイプ椅子に腰掛けているのは江崎と……もう1人は誰だろうか。たぶん女性だと思うけれど、黒服たちに遮られ、顔を確認することはできなかった。謎の人物を囲うように、男たちは警戒心を露わにする。


「先輩、あれってSPですかね。やたらと物々しい雰囲気ですけど」

「ん-。護衛なのは間違いないけど、どうなんだろうな」

「いきなり撃たれたりしませんよね……」

「江崎もいるから大丈夫だろ。それにあいつ、なんか知らんが笑ってるし」 


 話の内容までは聞き取れないが、2人は談笑しているように見える。少なくとも、江崎の表情はすこぶる明るい。黒服の態度とは正反対に、もの凄くリラックスしているようだ。


 ――と、こちらに気づいた江崎が、軽く手を上げてから駆け寄ってくる。とくに慌てた素振りも見せず、にこやかな顔を崩さなかった。


「お二人ともすみません。まさかこんなに早く戻るだなんて」

「思ったより話が進んでな。それより、あの集団は何なんだ?」

「あー、彼らは監視……じゃなかった。上司の護衛役ですよ」


 江崎はそこまで話すと、席にいる人物に向かって手を振る。すると立ち上がった女性が、監視役をかき分けて近づいて来た。


「なあ、彼女って瀬戸さんだよな?」

「ええ。みなさんのおかげで会うことが叶いました」


 相手は大物とばかり思っていたが、現れたのは江崎の相棒だった。江崎より1つ年上の瀬戸愛葉あいは。走って来る彼女の顔も、彼と同様に嬉し気だ。


 ちなみに「俺たちのおかげ」とは、ニホ族との取引を指している。モドキ肉の入手に備え、彼女はここへと訪れた。

 大猿肉が手に入った場合、すぐさま持ち帰るよう命じられている。瀬戸と挨拶を交わしたあと、小春の自己紹介を交えて事情を知った。


「じゃあ、2人は恋人同士なんですね」

「ええ、近々、籍を入れようと思ってるの」

「いいなぁ。プロポーズはどっちから?」


 お互い初対面のはずなのだが、2人はあっという間に意気投合。なぜか恋愛話に発展したため、俺と江崎は天幕に場所を移す。

 かたや黒服たちは天幕から動かない。視線を俺に合わせたまま、瀬戸のほうには見向きもしなかった。


「なあ江崎。もしかして、警戒対象って俺なのか」

「そりゃそうですよ。なにせ要注意人物ですから。ここにいる皆さんは、あなたから愛葉を守るための護衛です」


 江崎はにやけ顔で言い放つと、「まあ無駄でしょうけどね」と、耳打ちをする。どうやら政府の意向により、俺を警戒するよう申し付けられたそうだ。


「なあ。一応聞いておくけど……撃たれたりしないよな?」

「大丈夫ですよ。武器は携帯していませんので」


 そのあとは護衛に囲まれながら、淡々と取引の話を続けていった。途中からは小春と瀬戸も合流して、4人で打ち合わせを進める。今回政府に譲渡するのは、大猿とハイエナ肉の2種類。拳サイズの肉塊を譲ることになった。


 その対価として、『ニホ族との共同生活』『周辺民家の買取り』『無制限の外出許可』の3つを提示。江崎がどこぞに連絡を取ると、外出の許可以外はすんなりと許諾された。


「外出については、近日中に必ず返答します」

「わかった。よろしく頼むよ」


 ジエンの意向により、政府にはこの場で肉を渡している。答えが出てからでもと考えたけれど、余計なお世話だろうと黙っておく。と、隣にいた小春がおもむろに。


「あの、肉の件なんですけど。夕方に渡しちゃダメですか?」

「……まあそうだな。夕方には連絡があるかもしれん。もう少し待とうか」


 最初はなぜかと思ったが、江崎と瀬戸の嬉しそうな顔を見て察する。久しぶりに会えた2人を、少しでも長く居合わせるためだろう。この場で肉を渡せば、瀬戸はとんぼ返りするハメになる。


「じゃあ愛葉さん。また後でね」

「ありがとう。小春さんも頑張ってね!」


 結局その日は、日が暮れるまで集落で過ごした。


 河原でバーベキューをしたり、みんなで集団戦まがいの演習をしたりと、久々の再会に花を咲かせる。


 それと夏歩たちのみやげは、思わぬ結婚祝いとなったようだ。エドとナギの夫婦は、嬉々として亀肉を食べていたよ。もちろん能力の取得にも成功している。


「アキフミ、これをケンゴたちに持っていけ」

「ああ。今度はみんなで来るよ」


 帰り際に大猿の肉をもらい、たくさんの笑顔に見送られた。彼らと一緒に住む未来はそう遠くないだろう。


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