第70話 旅の終着点、そして――
『
『全身に感じる心地よい振動』
おぼろげな記憶を嚙みしめるように、俺の意識は徐々に覚醒していく。
(……さて、何から話そうか)
現時点において、今後の展開を知っているのは俺ひとりだけ。少しでも早く目を覚ましてみんなを安心させてやりたい。
はやる気持ちを抑えきれず、重く閉じたまぶたにチカラを込める。
「なんだこれ……」
飛び込んできた光景を前に、俺は呆気に取られてつぶやく。静まり返った車内には誰の姿もなかったのだ。
小春や夏歩はもとより、人の気配を微塵も感じない。ただひとり、俺だけが床に座って手すりを握りしめていた――。
「ちょっと待て、そもそもここって……」
正面のドアは開け放たれ、そこに映る景色はずっと止まったまま。扉の向こう側には、見慣れた駅のホームが見えている。都市ほど大きな駅ではないが、地元ではそこそこの規模。
何がどうなっているのか、電車は会社近くの駅に到着していた。
「……落ち着け、焦ったところで状況は変わらん」
一度大きく息を吐き、その場を立ち上がってから周囲を見渡す。
が、当然のごとく誰の姿もない。連結路の窓を見る限り、両隣の車両も同じ状況だった。
窓ガラス……座席……床……と、設備自体に損傷はないものの、電気は止まっているようだ。周囲の電灯はすべて消え、電車の駆動音すら聞こえてこなかった。
ならば外はどうだろうかと、窓越しにホームをのぞきこむが……結果は似たようなもの。乗客はおろか、駅員のひとりも見当たらない。唯一知り得た情報といえば、外が明るいことくらいか。
「事故ってわけじゃなさそうだけど……」
誰もいない無人駅、放置された電車、そして止まったままの電力。日本へ戻ってこれたものの、これが普通じゃないってことはわかる。
「俺だけ先に転移……いや逆か、俺が出遅れたってことか?」
観測者とのやり取りには数時間のときを要した。その分のタイムラグがあってもおかしくない。みんなはここで下車したあと別の場所へと移動した。そう考えるのが妥当だろう。
少々強引な解釈だが、あれこれ悩んだところで意味はない。とにかく現状を確認するのが先だ。
「よし、次は所持品のチェックだな……」
ひとまず頭を切り替え、適当な座席に腰を下ろす。
ボロボロだった服は元に戻り、柔軟剤の懐かしい匂いが鼻に突く。異世界の荷物は消え、すべて日本にいたときの状態に戻っていた。
あとは着替えの入ったリュックと……なぜか電源の入らないスマホくらいだ。充電が切れたのか、ただ単に壊れているのか。いろいろ試してみたけれど、結局、原因まではわからなかった。
「まあいい、今はとにかく動こう」
不安な気持ちを誤魔化すように、声を発して自分を落ち着かせる。こうでもしないと周囲の静けさに呑まれてしまいそうだ。
俺は頬にしたたる汗を拭って、駅のホームへと降り立つ。
すると正面には駅名を示す看板が、その隣には少しくたびれたベンチが、そして天井部にはアーチ状の天幕が見える。どれもこれもが懐かしく、見慣れた景色に少しだけ安堵する。
ふと線路のほうに目を向ければ、馴染のビル群がそびえ――
なぜかそれらを飲み込むように、あるはずのない森が広がっていた。
「おいおい、嘘だろ……」
慌てて振り返ると、反対側の景色はさらに異様だった。
途切れた線路の先は平原に――大きな湖が見え、森がどこまでも広がっている。住宅街は見る影もなく、道路だったと思しき跡がお慰み程度に残っているだけ。
人工物はほぼ消失して、視界の大半が大自然に置き換わっていた。
「そういやこの暑さ……」
今さら気づくのもどうかと思うが、転移前の雪景色はどこかに消えていた。真冬だったはずの日本は、緑あふれる真夏の世界に変貌を遂げたらしい。
それこそ縄文時代に戻ったかのようだった。
◇◇◇
それから約1時間後――
俺はベンチにもたれ掛かって、だらりと足を伸ばしていた。汗ばんだ上着はとうに脱ぎ去り、ズボンはヒザ丈まで捲り上げている。
さきほど入手した大量のペットボトル。そのひとつを取り出すと、ぬるま湯のような水を一気に飲み干す。
「はぁぁ、水がうめぇ」
ある程度のことがわかり、心にゆとりができたんだと思う。最初こそ動揺したものの、こうして脱力できるほどには落ち着いていた。
構内の探索は順調この上なく、いくつかの情報と戦利品を入手。俺は2本目の蓋を開け、無人の車両を眺めながら情報を整理していく。
<駅舎の探索>
事務室にあったデジタル時計で、ここが現代であることを知った。ただし、転移前から『半年』の月日が経過している。それに対し、日めくりカレンダーは転移した日で止まっていた。
室内はさほど荒れてないものの、パソコンなどの電子機器はすべて停止している。なにせ主要交通機関が止まっているくらいだ。電力の供給に関しては絶望的と見ていいだろう。
<改札口周りの様子>
駅にある販売所は見事なまでに散らかっていた。食品関係は全滅、レジも破壊されて床に転がっている始末だ。残っていたのは雑誌が数点、それと空っぽの商品棚くらいか。
その一方、自販機はそのままの状態だった。とはいっても、無事だったのは1基だけだが……。
こじ開けようとした形跡はあるものの、どうやら失敗に終わったらしい。申しわけないと思いつつも、水とお茶だけゴッソリ回収させてもらった。
<駅周辺の状況>
都合2回の覚醒をおこない、嗅覚強化による探知を試みた。
結果、周囲1キロメートルの範囲に反応なし。人の存在は確認できなかった。なお現時点において、死者が感知できるのかは未知数である。
「さて、とりあえずは会社かな」
幸か不幸か会社のビルは消えずに残っている。小春たちがいるとは思えないが、屋上からなら周囲を一望できる。夏歩たちの学校も近いし、探知に反応があるかもしれない。
田舎暮らしの両親は気がかりだけど、とても歩いて行けるような距離じゃない。交通手段を含め、まずは人を探して今の状況を把握するべきだ。
『小春たちは戻っているのか』
『ここはほんとに日本なのか』
『なぜこんな世界になったのか』
まだまだわからないことだらけだが、それもおのずと判明するだろう。
異世界での経験に加え、強化された肉体が後押ししたのか。俺はわずかな高揚感を覚え、知らず知らずのうちに笑みをこぼしていた。
「それじゃあ、延長戦行ってみますか」
こうして――
俺の異世界漂流は幕を閉じ、現代サバイバルへと突入していくのだった。
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