異世界漂流

七城

第1章『お試しの旧石器時代』

第1話 縄城秋文35歳、弥桐小春23歳


「それにしても先輩、今日はかなり混んでますね」

「昨日あれだけ降ったしな。まあ、運休しないだけマシだろ」


 週明けの月曜日、


 電車のドア越しに流れる景色は一面の銀世界。この地方では珍しく、昨日は年に一度あるかないかの大雪が降っていた。


 そこそこ積もった雪の影響で、車内はいつもより混みあっている。満員とはいかないまでも、となりと肩が触れる程度には混雑していた。


「徒歩通勤とか地獄ですもんね。秋文あきふみさんの歳だと厳しいかも?」

「おい、またその話かよ。俺をおっさん扱いするんじゃない」

「なるほど、昨日のことをまだ根に持っていると」


 今年で35になるけれど、これでも体力には自信がある。身長も180近くあるし、ガタイも良いほうだと自負している。顔は年相応かも知れんが……気持ちの上では今でも20代のつもりだ。


(まあ、コイツから見ればおっさんか……)


 俺の目の前にいる女性は弥桐小春やぎり こはる。年は23で、今年の春、同じ部署に配属された新入社員だ。小柄で愛嬌があり、歳のわりには幼い見た目をしている。


 たまたま住んでいる場所が近く、キャンプという共通の趣味があったりで、毎朝一緒に通勤するようになっていた。別に付き合っているわけではないが、休日にも連絡を取り合うほどには親しい間柄だった。


「あっ、実は今日、イイ物を持ってきたんです! きっと驚きますよ!」

「……もしかして一昨日おとといのアレか?」

「さあ、それはどうでしょうねー」

「おいおい、間違ってもこんなところで出すなよ?」

「さすがにわかってますって!」


 混雑した車内には、多くの学生やスーツを着込んだサラリーマンの姿が――。俺たちも同類だけど、私服勤務のせいで少しだけ浮いてる気がする。


 だがそんなことよりも、いまは近くにいる高校生たちの会話が気になって仕方ない。


「ねえねえ、昨日のアレ見た?」

「おお、見た見た! アレはどう考えても今期の覇権だろ!」

「作画は神だし、制作陣も最強だよね」

「やっぱ異世界ループものは強いよな」


 題名こそ出していないが、何のことかはすぐにわかった。昨日始まった深夜アニメのことで間違いない。なにせ俺たちも見てたし、彼ら彼女らの意見には激しく同意するところだ。


 混みあった車内でのアニメ談義。実に素晴らしいと思いつつ、恥ずかしげもなく話す姿を羨ましく感じる。「他人の目など気にする必要はない」と、頭ではわかっているんだが……。


 きっと小春も同じ気持ちなのだろう。顔を近づけながらコソコソと話しかけてきた。


「うむ、実に見る目がありますね。わたしも転移ものは大好物です!」

「俺も同じ意見だが……とりあえず駅についてからにしない?」

「ですね。あとでじっくり語りましょう!」


 今日も変わらない一日が始まる。


 そう思っていたところで、意識がプツリと途絶えた――。




◇◇◇


 気色の悪い夢、とでも表現すればいいだろうか。ふと目覚めた俺は、さっきまでと何も変わらない状態だった。


 突如として浮遊感に襲われ、感じたことのない痛みが走り――、やがて意識が遠のいていく感覚。最後に見た光景は、乗客たちが宙を舞う姿だった……と思う。そんな車内の空気は一変、大半の乗客は狼狽えている。

 

 目の前にいる小春も呆気にとられ、外を見ながら固まっていた――。


「先輩、これってどういう……」

「さっぱりわからん。今のはなんだったんだ?」

「いえ、それもそうなんですけど……」


 震える指で窓の外を指す小春。彼女にうながされ、何気なく振り返ってみると――。


 外の景色は一面、どこまでも続く草原で埋め尽くされていた。



 雪景色でもなければ建物すら見当たらない。よくよく見れば、ほかの車両もどこかへ消えている。乗客100人以上を乗せたこの車両だけが、大草原の真っ只中に存在していたんだ。


 あまりに突拍子もない出来事に、現状を正しく認識できない。車内はザワついているものの、そこまでの混乱はないようだ。外をしきりに覗いている者、スマホで連絡を取ろうとする者、その場を動けず立ち尽くす者がほとんどだ。


「ダメだ、スマホは電源すら入らん。いったいどうなってんだ……」

「……これって夢じゃないですよね?」

「たぶんな。夢にしてはリアル過ぎる」

  

 そんな状態が3分ほど続いた頃――


 さっき話していた4人組の高校生、ふた組の男女が動き出す。


 不用意にも電車の扉をこじ開け、なんの躊躇もなく外へ出ていったんだ。しかも外に出た瞬間、彼ら彼女らの姿はこつ然と消えてしまう。


 その光景を見た乗客たちは一気に騒ぎだす。とはいえ、どこへ逃げられるわけでもなく、たいして身動きも取れないまま時間だけが過ぎていく。俺は必死に考えを巡らせ、現状の把握に努めていた――。



 そこからさらに5分が経過し、ようやく騒ぎが収まった頃だった。それを待っていたかのように車内で変化が起きる。


 電車の連結ドア付近にあるアナウンス板。そこにテロップが流れ出したんだ。それは誰からともなく伝わっていき、やがて皆の視線が釘付けとなった。



『左:日本方面へ 右:異世界方面へ』

『日本へお戻りの際はご注意ください』

『異世界へお越しの際はお楽しみください』


 この3つの情報だけが繰り返し流れ、同時に全てのドアが一斉に開く。


「こんなこと言うと馬鹿みたいですけど……。わたし、なんとなく予想していました」

「実は俺もだ。神のお告げでもあるのかと期待しちゃったよ」


 現実逃避するわけじゃないが、異世界転移ものによくある展開だなと思っていた。神の間とか、転移前の待機所みたいなアレ。異世界という単語を見たとき、すぐに思い至った。


 左のドアを降りれば日本へ戻り、右のドアを降りたら異世界へ転移する。そう考えるのが妥当なのだろう。いたずらにしては手が込み過ぎているし、さっき消えた若者たちのこともある。これが夢やまぼろしの類ではないことだけはたしかだ。


 だが、日本へ戻るのに注意しろとはいかにも怪しい。ここへ来る直前の記憶、あれは脱線事故みたいなトラブルだったのでは? 日本へ戻っても死ぬ運命が待っているんじゃ? と、そんなことを考えてしまう。


 異世界を楽しめと言うのも眉つばものだが……。正直、少しだけ期待している自分がいた。




◇◇◇


 結局それから10分少々、


 なんの変化もないまま、10人くらいの人が日本行きを選んで下車していった。ちなみに最初の学生たちは、異世界行きのドアから降りている。


 残っているのは俺たちも含めて100人くらいか。次の行動に踏み切れずにいたところで、テロップの内容が変化した。



『当車両はまもなく発進します。なお次の目的地はありません』

『ご利用ありがとうございました』

 


 次の目的地がないなんて、どう考えても不穏極まりない。しびれを切らした何者かが、見捨てる気満々で決断を迫っている。そうとしか思えなかった。


「悪い、俺は異世界行きを選ぶわ。たぶんこのまま残っても詰むだけだ」

「じゃあわたしも一緒に行きます」


 俺の決断に即答で返す小春。


「どうなっても知らんぞ?」

「平気です。もうどうにかなってますから」


 自分で選んだのならそれでいい。ひとりで行くより心強いし、断る理由などなかった。というか、彼女が異世界行きを選んだことに安堵している。巻き込んだ責任から逃れるために、ついあんな言い方をしてしまったが……。


「わかった、一緒に行こう」

「街スタートか王城への召喚か。難易度低めだといいですね」

「おいあまり期待してると……いや、口にするのはやめておこう」



 こうして俺と小春は、ふたりで異世界行きのドアを跨いだ――。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る